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家に帰ると、妹が風呂という概念を失っていた

作者:

「ユウカ、あんた何してんの?」

二人暮らしの家に帰ると、妹が鼻の穴を膨らませ、前歯を剥き出しにして鏡越しに微笑みかけてきた。

「どう? 面白い?」

「うーん、六十点。 ていうか何してんの?」

「ん? 変顔の練習?」

「一発芸とかそういうこと?」

「いや、ゼミの教授に嫌味なこと言われたときに対抗しようと思って」

「余計に言われるでしょそれは! まったく本当あんたはよく分かんない子よね。そんなことしてないで早くお風呂入りな〜。お姉ちゃん、もうちょっと仕事するし。ハァ、今日も疲れたよ~」

「ん? 何て?」

「ん? お風呂。先入りな?」

「オフ……? えっ、ごめん。何?」

「いやだから、お風呂先に入りなって」

「えっ、何だろ、何で分かんないのかな。何処に入りなって?」

「お風呂だよ。どうしたの? この時間なんだから大体分かるでしょ〜」

「えぇ、いややっぱりちょっと分かんないかも。お姉ちゃん、私にどうしてほしいの?」

「いやもうやめてよね~ふざけるの。先にお風呂入ったらどうって言ってんの」

「いやいやいや、全然ふざけてない。ちょっと聞いたこと無い言葉だから分かんないってだけで。何なの、そのオフロ?って」

「いやお風呂だよ? 聞いたことない訳ないって。お風呂入れたから、入りなって言ってんの」

「え?」

「ん?」

「いれるの?」

「ハ?」

「はいるんじゃなくて、いれるの? それ」

「えっ? あぁ、まぁ確かに……いれるよね。あとはいる」

「えっよく分んないな。はいるもの? いれるもの?」

「いや入るものだし、入れるものっていうか……あ、焚いたよって意味で言ったの」

「たくの!? はいるし、いれるし、たくの!?」

「あーまぁそうだね」

「ますます分かんないじゃん」

「分かんないことないよ! あ、沸かしたってこと」

「わかしもするの? あとは!?」

「あと!? あとは……うーんそうだな。いただいたり?」

「いただいたり?」

「埋めたり」

「うめたり!?」

「浴びたり」

「あびたり!!? 何それ、全然分かんない、怖い! 何でそんな意味わかんないことばっかり言うの!?」

「いや落ち着いて、全然怖くないし難しくないから。お風呂だよ?」

「だからそのオフロって何なの?」

「何でこんなこと説明しなきゃいけないのよ」

「だってお姉ちゃんが何言ってるのか全然分かんないんだもん!」

「何なのよあんたは……。一日の体の汚れ落とさなきゃダメでしょ。だからお風呂は入るじゃん、皆」

「え、体の汚れを? どうやって」

「いやあんた本当に何なの? 体ゴシゴシしたり、シャンプーしたりでしょ? お湯にも浸かるし」

「ゴシゴシ……シャンプー?」

「もういい加減にしてよね。あんたあれでしょ、お風呂に入るの面倒だからって、こんなことして時間稼ぎしてるんでしょ。あー、汚い! 不潔不潔」

「いや私は不潔じゃないもん。お姉ちゃんこそ何でそんな体が汚れるわけ?」

「は?」

「寝たら綺麗になってるでしょ、汚れは」

「いやどういうこと!? 寝たらリセットされるの!?」

「そうでしょ」

「そうなの!?」

「当たり前じゃん。じゃないと、考えてみなよ。マサ〇タウンにさよならバイバイして旅に出るでしょ」

「うん」

「パーティー組んで魔王倒しにいったりもするでしょ」

「うん、まぁ」

「いつオフロとやらを盛ったり、注いだりする描写があるわけ?」

「いやそれは省略されてんでしょうが。あとお風呂は盛らんし注がないのよね」

「省略なんかじゃないって。オフロなんてものは最初からないんだって。お姉ちゃんこそ変な冗談やめてよね」

「え、何なの? 腹立つわね。じゃあそこにある部屋は何だっていうのよ。お風呂場でしょうが」

「何? オフロするための専用の部屋があるの!?」

「だからお風呂はするとは言わんのよ! でもあるでしょ、そこに」

「どこよ」

「そこよ」

「そこはトイレでしょ」

「何言ってんのよ。ユニットバスになってんでしょうが」

苛立った私がツカツカと短い廊下を歩いて風呂兼トイレのドアを開けようとした。もうこんな面倒なやりとりは終わらせて、残った仕事をサッサと終わらせなくては。

「ここにあるでしょうが、お風呂が!!」

私はグイと勢いよく引き戸を開けた。

「どこに? どこにあるのよ」

「いやだからここに――」

振り返った私はぎょっとした。すぐ目の前が壁だった。そこは思ったのより物凄く狭くて、空間は一畳にも満たない。そこに、花柄のカバーが掛かった、いつもの便器が鎮座していた。

「えっ……」

私は訳が分からなくなって、廊下に戻った。しかしそれらしいドアはここにしかない。もう一つのドアは廊下の突き当りで、さっき私たちが居たリビングになっているからだ。もう一度戻ってトイレの壁に触れてみた。しかし壁は硬く、その奥に空間があるとはとても思えない。ユニットバスは、完全にただのトイレに変わっていた。

「どういうこと……何? お風呂は……?」

「お姉ちゃん大丈夫? どうしちゃったの」

「いや、だってお風呂が……お風呂があったのに……」

「そうなの? オフロがあったの? ここに?」

「うん……あった……何で!? 何で無いの!?」

「無いよ。無くても大丈夫だよ! お姉ちゃん落ち着いて。ちょっと疲れてるんじゃない? 最近、凄く仕事忙しそうだったから」

「そうなのかな。なんか……なんか分かんない……」

「分かんないか……とりあえず今日は寝たら?」

「でも、オフロ入ってないのに……」

「大丈夫だよ。明日になったら綺麗になってるから、ね」

「そうなの?」

「そうだよ、大丈夫」

「そうなの……どうして……オフロが――――――オフロ? オフロって何なの?」

「何だろう。私は分かんない」

「分かんない……オフ……」

「もう寝よ。ね?」

「うん…………」


 私は妹に促されてパジャマに着替えてベッドに入った。しかしその頃には、もはや何に恐怖を覚えていたのかも分からなくなっていた。漠然とした不安を抱えたまま、私は眠りについた。大丈夫。明日の朝には、またさっぱりとした心地で仕事に行けるに違いないのだから。

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