08.求婚
どうやら兄王は本気らしい、とリシャナが気づいたのはその日の昼過ぎだった。上下十歳前後の年の差の男性貴族からお茶やら庭に誘われること、計七回。朝食から昼食までの間で、である。どうやら彼らにとって、王の妹、キルストラ公爵という身分は魅力的であるらしい。
それが理解できないではないが、午後の会議の場でもそれらしいことを言われ、リシャナはさすがにうんざりしてきた。もともと、彼女は気が短い。気づかなければそれで済んだが、気づいてしまったのだから短気を起こすのも仕方がない。議題がまとまったがまだ口上が続いているので、リシャナは席を立った。
「私はお先に失礼します」
「おい、リシェ」
咎めるようにヘルブラントが呼んだが、無視をした。兄も妹が短気なことくらいわかっているだろう。何しろ、初対面の求婚者を殴りつけたことがあるので。
部屋に戻ってもすぐに人が来る気がしたので、庭に出た。王の妹の姿を見て、庭師や小姓たちが一斉に頭を下げる。空けられた道を進み、ふと足元を見ると、花壇にアネモネが咲き誇っていた。少し離れたところにはスズラン。毒があるからだ。生垣の薔薇はまだつぼみだった。
「花の中にいるあなたは、より美しい」
不意にそんな口説き文句のような気障な言葉が聞こえ、リシャナはそちらを見た。ルナ・エリウに到着した時出迎えてくれたルーベンス公爵がそこにいた。
「兄上に言われて迎えに来たか」
彼も先程の会議の出席者である。王の御用聞きのようなことをしているが、彼は司法を握っているはずだ。彼は法律に関して造詣が深かった。
「陛下に言われたのは事実だが、連れ戻せとは言われていない」
「なるほど」
つまり、彼にはリシャナを連れて戻る気はないということだ。議題もほぼ終わっていたし、問題ないだろう。
「王に辟易しているのか」
小道を歩き始めたリシャナにルーベンスはついてくる。地位的には同じ公爵であるが、身分としては王妹であるリシャナを敬うそぶりを見せる彼だが、それは表向きだけだ。正直リシャナとしても、これくらい砕けてくれた方が付き合いやすい。
「そう言うわけではない」
王に辟易しているというより、結婚させようという姿勢に引いていると言った方がいい。そう言うタイプでもないはずだが、どうした、ということだ。
「妹がとても美しいということに、突然気づいたのではないか」
「……」
何なのだろう、こいつは。先ほどから気障なことばかり言われ、リシャナは立ち止って彼を振り返る。初めて彼を認識したころはリシャナの方が背が高かった気がするが、もう抜かれている。
兄が突然気が付いたのは、妹の年齢だろう。この年まで結婚しない人間はそれなりにいるが、身分の高い人間には珍しいかもしれない。しかし、未婚で生涯を終える王族女性も少なからずいるのだから、問題ないと思うのだが。
「お前は何が言いたいんだ」
「どうすればあなたを口説き落とせるだろうかと、あれこれ考えている」
しれっと言われ、リシャナはその不機嫌そうな顔でにらみつけた。
「考える必要はない。私の人生は私が決める」
他人に強要されるつもりはない。まあ、兄王に北に封じられていることを考えれば、全く人の意思に従っていない、と言い切ることはできないが。リシャナ個人のことは自分で決める。そもそも、結婚することが幸せだとは限らない。
「なら、俺があなたに求婚するのも自由ということだな」
「……」
「結婚してくれないか、キルストラ公爵リシャナ様」
「……」
今、たぶん、虫を見るような目でルーベンス公爵を見ていると思う。さすがの彼も、笑顔が引きつっている。
「そんな顔をしても、本来の美しさは隠せない。王は麗しい妹が独り身にしておくのが不安なんだろう」
思わず彼の胸倉をつかんだ。彼は文官で、リシャナは軍人だ。ただ、力では体格の良いルーベンス公爵に分がある。反撃されるかと思ったが、ルーベンス公爵は両手をあげて降参を示した。
「からかって悪かった。簡単には手折られないか。そこもいいが」
「……本気で求婚しようというようには聞こえないが」
一応謝ったので手を放し、リシャナは斜め下からにらみ上げる。不機嫌そうな顔も、ここまでくれば少々凶悪だ。
「ま、俺も事情があってあなたに求婚しているからな」
「事情?」
リシャナが聞き返すと、ルーベンス公爵は肩をすくめた。
「あなたと同じだ。親族に結婚相手を押し付けられそうになっている。俺の方は、まだ話の段階だが」
「……」
不覚にも、同情してしまったのは認めざるを得ない。親近感を覚えたのだ。似たような境遇に。まだ話の段階だというルーベンス公爵と、本人に選ばせようとされているリシャナ。どちらがましかはわからないが。
「領地は、まあ普通だが、伝統だけはある家系だからな」
ルーベンス公爵家の歴史は、キルストラ公爵より古い。キルストラ公爵は、王族の子女に授けるためにできた爵位なので、歴史が浅いのだ。ルーベンス公爵家は伝統ある家系の一つで、王女が嫁いだことも、王子が婿に入ったこともあるはずだ。
「……そうか」
リシャナの心が揺れたのが分かったのだろう。ルーベンス公爵が駄目押しとばかりに言う。
「美しく聡明で、北壁の女王たる王妹キルストラ公爵ならだれにも文句は言えまいと思ったんだが、断られるなら仕方がないな」
「あ……いや」
引かれると、人間追ってしまうものだ。リシャナもそうだった。というか、先日ペザン要塞で、「こういう話に弱いでしょう」と言われたばかりだ。
身分が高すぎるリシャナは、結婚相手が限られる。一番釣り合うのは、諸外国の王子だろうが、リシャナが国外に嫁ぐことを国王は避けたいはずだ。それもあって、この状況なのだろう。逆に王子を国内にいれるのもまたリスクがある。リシャナの夫になる、というのが難しいところなのだ。
その点、ルーベンス公爵を受け入れれば様々な問題がクリアされる。とりあえず、リシャナの初恋相手とは違って公爵であるから、身分的にも釣り合っている。また、彼は文官なので、軍もリシャナが掌握したままになる。リシャナは顔に手を当ててしばらく悩んでから口を開いた。
「……お前の主張は私にも利があるように思われる」
「つまり?」
「お前の求婚を受け入れよう。利害の一致だ」
リシャナが考えながら短く言うと、ルーベンス公爵はにやりとしか形容できない表情で笑った。
「なるほど。では、よろしく頼む。婚約者殿」
リシャナは差し出された手を握った。そのまま手の甲にキスをされる。それを無感動に見つめていたリシャナはうなずき、それから言った。
「ルーベンス公」
「なんだ?」
これを聞くのは、さすがのリシャナもかなり心苦しかった。
「申し訳ないが……お前の名を教えてもらえないか」
ルーベンス公爵というのは爵位名である。リシャナが『キルストラ公』と呼ばれているようなものだ。さすがのルーベンス公爵も虚を突かれたようで、「そこからか……」とつぶやいた。
ちなみに、ルーベンス公爵はエリアン・ファン・リンデンと言った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
痛恨の名前を知らない!ずっとルーベンス公爵、で事足りていたので。