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明日に続く道:後編

ヘルブラント視点、後編です。













 それからも幾度か母とやりあったので、リシャナとエリアンが無事に結婚した時は安心した。婚約したころはそうでもなかった気がするのだが、エリアンは基本的に王都にいるので、基本的に北壁にいるリシャナと共にいられる時間が少ない。そのことにショックを受けていた。ヘルブラントも苦笑してみていたのだが、リシャナもそんな夫も苦笑気味に眺めていたので、少し驚いた。アイリやリュークの妻のニコールも言っていたが、随分雰囲気が柔らかくなったものだな、と思った。


「せっかくあなたの夫になったのに、こんなにも共にいられないとは思わなかった」


 少しすねたような言葉に、年上の妻であるリシャナが小さく笑ったのが見えた。


「北壁を動けない私の代わりに飛び回ってくれているんだろう。頑張ってくれ」

「動けない、ではなく、動く気がない、ではないか?」

「さもあらん」


 楽しそうである。


 新婚の妹夫婦をリュークとともに見守っているうちに、リュークが戦死した。


 海からリュークが治めるクラウシンハに、ディナヴィア諸国連合の連合艦隊が海から攻めてきたのだ。ヘルブラントはレギン王国からの妻であるアイリを軟禁すると、海軍を率いてクラウシンハに向かった。地理関係と軍備の整う速さからリシャナの方が先に到着していて、地上を制圧してくれていたので助かった。彼女がフローレク城に入った時、すでにリュークは殺されていたそうだ。


 多分、リュークはリシャナが救援に到着したのに気づいて、彼女の足かせにならないようにしたのだと思う。リシャナもおそらく気づいている。彼女にとって、最も長く共に過ごした兄だ。泣きじゃくるのも理解できるし、リュークも幼い娘たちや、身ごもった妻を置いて逝くのはどれほど無念だったことだろう。


「陛下」

「ああ、リシェの様子はどうだ?」


 話している途中で急に気を失ったので驚いたが、とりあえず寝かせて軍医に診せることにしたのだ。彼女が起きたのかと思ったら、そうではなかった。


「陛下にお話しすべきか迷ったのですが、キルストラ公はお目覚めになりませんし、ルーベンス公もいらっしゃらないので」


 今頃、エリアンは後を任されたリーフェ城で後方支援を頑張っているのではないだろうか。それよりもリシャナのことだ。


「どうした。どこか悪いのか?」


 少々情緒不安定だな、とは思ったが、どこかに病でも得ていたのだろうか。


「そうではありませんが……キルストラ公は妊娠されているのではないでしょうか」

「は? 妊娠?」


 怪訝な声を上げてから、それは当たり前のことだと気づいた。初婚にしてはとうのたっていたリシャナだが、まだ二十代の若い女性だ。エリアンと仲がいいのを微笑ましく眺めていたが、当然そういうこともあるはずだ。情緒不安定に見えたのは、妊娠の初期症状の一つではないか、とのことだ。


「まあ、私も詳しくはないのですが……」


 と軍医は言うが、専門ではない軍医が気づくのだから、かなり可能性は高いのではないだろうか。


 エリアンを呼び寄せるように指示を出し、戦後処理の合間を縫ってリシャナを訪ねると、ちょうど目が覚めたので話をする。本当は医者か夫から伝えた方がいい気がするが、妊娠しているようだということも伝えておく。言っておかなければ、勝手に動いてこちらの肝を冷やしそうだ。


「見捨てないでください」


 すがるように枕元に座ったヘルブラントの服の裾をつかんで言うリシャナに、ヘルブラントはうろたえた。戦えなければ自分の価値はない、となくリシャナに、そんな風に思わせていたのか、と苦い気持ちになった。リシャナはよい兄だ、とも言っていたが、どちらも本音なのかもしれない。


「……リシェ。戦ができないからと言って、俺はお前を見捨てたりしない。切り捨てもしない。変なことを考えるな。むしろ、お前が妊娠しているのなら、子供を無事に産んでくれる方が助かる」


 なぜなら。


「お前が産んだ子なら、必ず俺の甥か姪だからな」


 大事なことだ。少なくとも、ヘルブラントにとっては。


 男でも女でもよい。とにかく、リル・フィオレの中でも権力を持ち、人望のあるリシャナの子だ。ヘルブラントに実子がいない以上、本当に無事に産んでもらわなければ困るのだ。母は十一人の子を産んだが、ほとんどが子供のうちに夭折している。


「エリアンを呼び寄せた。じきに到着するから、そうしたらお前は後方の城に下がれ。ニコールもそちらにいるそうだ」


 エリアンをつけて、仲の良いニコールがいる城に下がらせればどうにかなるだろう。ついでに、ニコールはリシャナが保護しておけばいい。下手に王都で引き取ると母が何をするかわからないし、ニコールも今妊娠しているのだから、リシャナは先輩母として助力を乞えばいいのだ。


 軽く頭をなでてやると、リシャナは不安そうに眼を閉じた。こんなに感情がわかりやすいのは初めてかもしれない。寝入ったのを確認してから、部屋を出た。


 しばらくして、エリアンがリシャナの女医のエステルを連れて到着した。女医が来てヘルブラントも内心安心した。エリアンと腹の探り合いをしつつ、リシャナの元へ送り出す。とりあえず、これでリシャナの方は大丈夫だろう。


 問題は、いまだに終わらない戦後処理である。ディナヴィア諸国連合にはリシャナを交渉人にたてようと思っていたのに、予定が狂ってしまった。いや、リシャナに確実に子供を産んでもらう方が大切だ。


 クラウシンハは一時的に直轄地にするしかないが、あまり直轄が増えすぎても管理しきれない。エリアンを貸してほしいが、嫁の元へやってしまった。今頃いつになく情緒不安定な妻に戸惑っているだろう。頑張ってなだめて、戦乱の跡が残るこの城から退去させてほしい。


 だが、実際にリシャナが後方の城に下がるまで少し時間がかかった。情緒不安定なだけではなく、悪阻が始まったらしく、常に気持ち悪そうで無理に馬車に乗せたくない、とエステルが困っていた。何度かヘルブラントも見舞いに言ったが、ほとんどが寝ていた。結局、寝ているのが一番楽らしい。


 何とか日を見つけてリシャナを後方の城に下げることができたときは、エリアンやヘルブラントだけではなく、彼女を見守っていた兵士たちもほっとしていた。


 リシャナの悪阻が重いらしく、周囲がやきもきしたが、落ち着いてくると今度は一人で出歩いて気持ち悪くなり、その辺でうずくまっているようになって、城内総出で見張っている、とリーフェ城から王都へ戻ってきたエリアンが話してくれた。特にニコールが怒っているとのことだった。解せぬ、と言う顔をしているリシャナが脳裏に浮かんで、ヘルブラントは笑った。


 秋の盛りのころにはニコールの子が、冬の初めにはリシャナの子が無事に生まれたが、二人とも女の子だった。女系家族なのだろうか。いや、ヘルブラントの兄弟は男女半々くらいだった。男児が生まれない、とヘルブラントは遠い目になる。まあ、これはこれで平和なのかもしれないけど。


「そこの浮ついているルーベンス公爵。晩酌に付き合え」


 無事にリシャナが出産したという報告を聞いてから使い物になっていない義理の弟を回収し、ヘルブラントは晩酌に誘った。人払いをしてグラスを傾ける。


「ひとまず、おめでとう」

「ありがとうございます」


 何とかまじめな表情を取り繕おうとしているが、顔が緩んでいるのが丸わかりでちょっと微笑ましい。だが、これからまじめな話をするのだ。


「少し、まじめな話をする」

「なんでしょうか」


 ヘルブラントが表情を引き締めたので、エリアンもすっと真顔になった。こういう切り替えは素晴らしい。


「まず、前提として話しておかなければならないことがある。アーレントは、俺の血を引いていない」


 この思い切った告白に、エリアンは何度か瞬きを繰り返すと、「やはりですか」とうなずいた。驚きはしたが、想定の範囲内だったようだ。


「気づいていたのか?」

「そうではないだろうか、とは思っていました。陛下の女性遍歴を伺えば」

「リシェだな」


 リシャナがヘルブラントの女性遍歴をアイリにばらす、とヘルブラントを脅したことがあるのを思い出した。当時の自分はなかなかにくずだったな、と自分でも思う。


「確証はありませんでしたよ」

「俺も初めて人に話した。……俺は、子供ができない体質だ」


 それを認めるのは、当時の若いヘルブラントには苦しかった。自分は、後を継ぐ者を残せない。何も残せずに終わるのだ、と。


 だが、子孫を残すだけが自分を残す方法ではない。実際、ヘルブラントの思惑は、今、エリアンに引き継がれようとしている。


「だから陛下は、リシェを自分の代理に仕立て上げたんですか」

「皆、そう言う」


 ワインを傾けながらヘルブラントは唇に笑みを描く。皆そう言うが、それは事実だ。


「だが、正直なところ、俺は国を統治するのに血筋は必要ないと思っている。必要なのは意志と能力だ」

「……自分は同意できますが、納得できない貴族の方が多いでしょう」


 王の子と言うだけで次の王になり、反発を買うものだっているのだ。その血が前王のものと違うとなれば、反対するものは必ず出てくる。


「その問題は解決できる。俺の子としてアーレントが王になったとしても、その血筋を戻したいのなら、お前たちの子かリュークの娘のだれかをアーレントと娶せればいい」


 機能的で政略的になってしまうが、つまりはそう言うことなのだ。先ほども言ったが、ヘルブラントはアーレント自身が王になりたいというのなら、それはそれでいいと思うのだ。


「俺は、どちらかと言うとアーレントが王になることでその背後についてくるレギン王国の干渉が気にかかる」

「レギン王国に乗っ取られるとお思いですか」

「今のレギン王はやり手だ。あるいは、と思う」


 これまでリシャナが北壁を完全に守ってきているので被害が出たことはないが、北壁に攻めてくるラーズ王国の向こうに、レギン王国はある。何度もとりなしを頼んだことがあるのだか、のらりくらりとかわされているのだ。ラーズ王国にもいい顔をしたいし、リル・フィオレと対立する気もないのだ。


 レギン国王はリル・フィオレを狙っている。極寒の国であるレギン王国だけでは得られないものを、リル・フィオレが持っているからだ。


「俺は国王として、この国をレギン王国の干渉から守ってきたつもりだ。それを、アーレントの代になって覆されるのは困る。俺の次代には、この国の民を守ってくれるものしか認めん」


 エリアンが息を呑んだ。だが、すぐに不敵な笑みが浮かんだ。まだ若造と言われるような年だが、彼のこういうところを気に入っている。


「リシェは、君主として仰ぐには陛下に見劣りしましょう」

「別に必ずしも君主となれと言っているわけではない。だが、あれには必ず権力を握ってもらわなければならない」


 アーレントが王になるのならその護国卿となる。もしくは、自分自身が王となるか。リシャナなら、ヘルブラントの守ってきたものを理解して、それを引き継いでくれるだろう。


「……俺が緩やかに権力移譲できれば、こんなことに頭を悩ませずに済むんだが」


 もう十年ほど時間があれば、アーレントとリシャナの娘の婚約を整えて、緩やかに王位を譲ることができた。その対象が、アーレントかリシャナの娘かわからないけれど。


「何か、不安が?」


 本当は不安なのだろうに、エリアンはそれを顔に出さずに問うてきた。ヘルブラントは肩をすくめた。


「医者に健康を損なっている、と言われた。内腑の方でな。今の医療では完治は難しいそうだ」


 さすがのエリアンも目を見開いた。それを見て、「リシェには言うなよ」とくぎを刺す。かわいそうだが、彼女は追い詰められるほど力を発揮するタイプだ。


「……承知いたしました。陛下のご意思、必ず実行いたしましょう」

「頼んだ」


 ほっと肩の力が抜けて、ヘルブラントは自分も緊張していたのだ、といまさら気づいた。


「ところで陛下。娘の顔を見に北壁へ行きたいのですが」

「却下だ。もう少し待て」


 エリアンが明らかにがっかりした顔になった。まだ冬だ。せめて春にならなければ、エリアンを宮廷から出すことができない。


「もう少し待ってくれ」


 その後、リシャナとは王都で顔を合わせたが、さすがに小さな娘は連れてきていなかったので、彼女の娘とは会えないまま、ヘルブラントは発作を起こして倒れた。緊急にリシャナを呼び出すように指示を出す。


 少し前からレギン王国からアイリの異母弟と甥が来ている。今まではヘルブラントとエリアンがこの二人の動きを押さえていたが、ヘルブラントが倒れればエリアンだけになる。婿入りで王族入りした彼は、レギン国王の血を引くこの二人に強く出られないだろう。


 いよいよ、レギン国王がリル・フィオレを手に入れようと動き出したわけだ。おそらく、ヘルブラントの健康が損なわれていることを、どこからか聞いたのだろう。リシャナにさえ伝えていないのに。まあ、彼女も独自に情報を入手している可能性はあるが。


 そのリシャナであるが、ヘルブラントが倒れてから押され気味だった宮廷内の勢力を、一日で塗り替えてきた。想像以上の優秀さに反応に困った。これまでリシャナが明確にヘルブラントの下だ、と自ら示していたから気にならなかったが、彼女は本当に王位を狙えるだけの手札をそろえてきているのだ。


 久々に宮廷の様子を見に行くと、リシャナが宮廷内を掌握したことで、レギン王国の二人に疎まれていた要職の官僚たちが無事に復職したらしく、彼らは泣いて喜んだそうだ。リシャナがドン引きしているのが目に浮かぶ。


 もうすぐ議会も始まるため、その采配もリシャナにぶん投げた。レギン王国の二人が乗り込んできたため、リシャナと言い合いになり、議長は胃が痛そうにしていた。美人は怒ると怖い。


 その議会は、ヘルブラントの容体が悪化したことで休会になった。意識がはっきりしているときに、リシャナを呼んでもらう。きっと、これが最後だ。


「お使いに行ってくれないか」


 この状況で王都を出ることを、リシャナは渋った。当然だ。ヘルブラントがいなければ、成人している最高権力者が彼女なのだ。人望もあるし、レギン王国がリル・フィオレを手に入れるとき必ず障害になる。排除するために城門を閉めるだろう。


 いつぞやとは逆だ。あの時は、リシャナが城門を閉めた。今度は、リシャナは城門を開けさせなければならない。王都の住民に信用のあるリシャナなら可能だろう。そう思って、ヘルブラントはこの方法をとった。一度リシャナを外に出し、隙を作ってそこに付け込ませる。これをリシャナが排除する。うまくいけばレギン王国の影響をはねのけることができるはずだ。


 もちろん、とってきてもらいたいものもある。アーレントがヘルブラントの子供ではないことを証明する告発状。これを、王都の外の教会に預けてあるのだ。リシャナもおそらく、アーレントがヘルブラントの実の子ではないと気づいているだろう。思慮深く、聡明な子だ。


「リシェが王都を出ました」


 エリアンの報告を聞き、ヘルブラントは「そうか」とうなずいた。すっかり重くなった体を横たえ、目を閉じる。


 リシェ。私の妹。何者でもなかったはずの女の子を、戦乱の中に引きこんでしまった。普通の王女として生かしてやれなかった後悔もある。一人の兄としては、平穏な妹の人生を望んでやりたかった気持ちもあった。


 それでも、彼女は才能を示した。その瞬間から、ただのお姫様としては生きられなくなった。国王として間違った判断をしていないと思うが、それでも、と後悔するヘルブラントに、妹は言うだろう。


 私の人生は、私が決めたのだ、と。











ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


これで本当に完結です。お付き合いくださった皆様、ありがとうございました。

リシャナ即位の裏側では、ヘルブラントとエリアンがめっちゃ暗躍している設定です。文章力が足りていませんが…。リシャナは追い込まれるほど力を発揮するタイプ。逆境ほど強いですね。

権力も才能も人望もあるリシャナで、自分のことは自分で決める、という剛毅なことを言っていますが、ヘルブラントの掌の上でコロコロされています。大局を決めるヘルブラントに従ってきた弊害と言いますか。リシャナはどちらかと言うと、戦術家なのです。帝国の指導者で戦略をとれるライン〇ルトと、戦略を考えられるけど立場から戦術によるヤ〇提督の差みたいなもんです。たぶん。


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