72.女王
「よく考えたら、北壁に戻れなくなった」
リシャナの王位請求が承認され、終了した議会から執務室に戻ってきたリシャナがそんな間抜けなことを言い出した。オーヴェレーム公爵が「むしろ、引き上げなければなりませんよ」と指摘をいれる。ぐっとリシャナの眉間にしわが寄った。
「北壁に誰を置くか考えなければならないな……」
「ヤンに爵位を与えて、そのまま治めさせればいいんじゃないか」
エリアンが提案を出す。リシャナが下地を整えているとはいえ、ヤンはよく北壁を守っている。リシャナが女王になると知ったら王都に飛んできそうだが、それよりも北壁を守らせたほうが有益だ。アールスデルスの領地は、王族の姫君で公爵であるリシャナに合わせて広大なのだが、さすがにそれをそのまま与えるわけにはいかないので、分割する必要がある。
「一考の余地はあるな。オーヴェレーム公爵、明日には宰相に再任命するので準備しておけ」
「かしこまりました。女王への即位、お慶び申し上げます」
オーヴェレーム公爵はいい笑顔でことほぐと、リシャナの執務室を出て行った。執務室も移動しなければならない。
「……リシェ、アーレント様に話を通していただろう」
全く捕まらなかった昨日、リシャナは暗躍していたはずだ。暗躍と言っても、自分にしかできない範囲だろうが。その一つが、アーレントに話を通すことだ。
「兄上の寝室で会った。まだ体はそちらに置いてあるからな。言うまでもなく、あの子はちゃんとわかっていた」
自分がヘルブラントの子ではないことを。誰に聞いたわけでもないだろうに、聡い。おそらく、ヘルブラントの態度から気づいたのだろう。
「どちらかと言うと、兄上に対する義姉上の態度で気づいたようだったが。兄上は飄々として見えて、読めない人だったから」
それで兄妹で腹の探り合いになったわけだ。リシャナを自分の次代にしたいヘルブラントと、その思惑を知らないリシャナ。ヘルブラントは、リシャナに言えば絶対に嫌がられるとわかっていたのだろう。
「あまり、甘い処分にするべきではないな。あなたは女子供にやさしいが」
「すべての女子供にやさしいわけではない」
少しいやそうにリシャナが反論した。確かに、そうなのだろうと思う。正確には、立場が弱いが自分の意思をはっきり持っているものに弱いのだ。今回は当てはまらないだろう。
「正直、あなたの王位請求が通って安心した」
リシャナがエリアンが思っているよりずっと優秀だったことに気づかされた一件だった。これまでの功績などを見ても、この人になら任せられる。と思った。
「……お前は女王の配偶者になる。どうする? 私としては、一緒にいてもらえると助かるんだが」
椅子に腰かけたリシャナがエリアンを見上げる。その澄み切った瞳が不安げに揺れているのを見て、エリアンはふっと微笑んだ。強く見える女性だが、繊細な心を持ち合わせた人でもある。
「もちろんだ。苦労して口説いたのに、ここで離縁されては困る」
「……そうか」
今度はリシャナが安心したように息を吐いた。机の上で組まれた両手の指に力が入り、震えている。
「正直、恐ろしい。私に女王など、務まるだろうか。国を治められるだろうか。……私は、何者でもなかったはずなのに」
ぎゅっと目が閉じられ、眉間にも力が入っている。ほぼ初めて聞いたリシャナの弱音だ。
初めて彼女を見たとき、強い人だと思った。その瞳の力の強さに引かれた。しかし、彼女も等身大の人間で、悲しみ、恐怖し、弱音を吐くことだってあるのだ。
エリアンは指を組んだリシャナの手に自分の手を重ねた。
「正直に言うと、あなたはヘルブラント陛下に比べて、君主として見劣りすると思う」
リシャナは時と場合を踏まえて行動することができる人だが、基本的には主張の少ない性格だ。だが、王となればそうはいかない。ヘルブラントは君主として優秀だったのだと思う。決して理不尽に権力をふるうことはなく、飄々としているように見せかけて威厳があり、人を従わせて使うことが得意だった。同じような能力はリシャナにもある。そうでなければ、北壁の女王と呼ばれるはずがない。だが、おおもとの性格が違うので、表面に出ている部分が違うように見えているのだと思う。うまく説明できないが。
あえて言えば、ヘルブラントは根っから大胆で豪胆な性格をしているが、リシャナは意識してそう見せている、と言えばいいだろうか。
「だが、あなたは今までもアールスデルスをうまく治め、北壁を守ってきただろう。その規模が拡大するだけだ。予習はできているし、俺もオーヴェレーム公爵も助ける」
どうしてもエリアンの方が三つ年下なので、リシャナは年上然としてふるまうことが多い。だが今、上げられた顔は不安が表情に出ていた。可愛い、と思う。全力で助けなければ、と思う。守る、とはおこがましくて言えない。
「……頼む」
「頼まれた」
エリアンは深くうなずいた。
一度感情を吐き出してしまえば、リシャナはやはり有能だった。てきぱきと必要な指示を出していく。一番進んでいないのがリシャナの戴冠式に関することなくらいだ。まあ、先にアイリとアーレントの行く末を決める必要はある。
「それに関連して、王太后様がアイリ様をののしっていたので、お止めしたのですが」
どうしますか、とオーヴェレーム公爵に尋ねられ、リシャナはため息をついた。
「今はどうされている?」
「監視をつけて、部屋に軟禁しております」
けろっと言われ、エリアンはオーヴェレーム公爵の真面目な顔を見たが、リシャナは胡乱気にオーヴェレーム公爵を見上げた。
「何が言いたい」
「王太后様を隔離すべきです。王妃の生国とはいえ、他国に情報を流しています。また、内宮長官を更迭すべきかと」
「俺も同意見だな。特に王太后はあなたを妨害してくる可能性があるぞ」
エリアンも同意を示すと、リシャナは「そうだな」とうなずいた。
「母上に言われて動く人間が、どれくらいいるかも疑問だが……元居た離宮に軟禁してやれ。内宮長官は更迭する。ふさわしい人物を抽出して提出せよ」
オーヴェレーム公爵が承る。リシャナが全権を掌握したとたん、すべてが正常に動き出した。ダーヴィドたちが権力を握っても、こうはいかなかっただろう。少なくとも、オーヴェレーム公爵は非協力的だったはずだ。
そのダーヴィドだが、他国のものでありながら議会に居座り場を混乱させたこと、また、アーレントを通してリル・フィオレを乗っ取ろうとしたことを問われて貴族牢に入れられている。少なくとも、無実の罪で牢に入れられたエリアンよりも良い待遇のはずだ。リシャナがレギン王国との交渉を見据えて、表面上は丁寧に扱うように、とお触れを出したからだ。個人的には腹立たしいが、政治的には間違っていない。
ヴェイニも似たようなものだ。ただ、ダーヴィドに手伝わされただけで自分のたくらみではない、と主張しているらしい。リシャナは二人を会わせず、個別に事情徴収をし、離れた牢に入れるように指示を出していた。なかなかの鬼畜っぷりである。ただ、二人がリシャナを排除したら、今度はこの二人が王権を争うつもりだったことを、エリアンは知っている。
そして、アイリとアーレントだが、これはおとなしい。議場でダーヴィドが陰謀だ、と叫んだ時に、リシャナは、ヘルブラントのお使いで教会からとってきた告発状と証言書を提出するつもりだったらしい。だが、あっさりとアイリたちが自白したため、出番はなかったそうだ。ちょっとテンポがずれている気がする。まあ、これからこの文書二つが役に立つこともある。少なくとも、この告発文を見たダーヴィドとヴェイニはおとなしくなった。
「結局、ヘルブラント陛下に生殖能力がなかったわけだが……」
「義姉上が出産していることから見ても、そうだろうな。若いころあれほど浮名を流しておいて、一人の子供もいないというのは、やはり不自然だからな」
私生児の一人や二人いてもおかしくないくらいには、昔、と言うか、王位継承戦争のころのヘルブラントは精力的であったらしい。だが、エリアンが調べた限りでも、リシャナが覚えている限りでも、王の子だ、と言うものは出てきたことがない。
「もしかしたら、兄上が噂をつぶしていた可能性もあるが、どちらかと言うと兄上が子をなせない、と考える方が自然だ。そうなれば、アーレントは誰の子だ、と言うことになる」
ヘルブラントのことだから、多数の女性と関係をもって、自分の生殖能力を測る意味合いもあった気がするが、結局、一人の子供も生まれなかった。
「義姉上はさんざん、母上に煽られて嫌味を言われたはずだ。焦って追い込まれていたと思う」
レギン王がいつからリル・フィオレを乗っ取る計画を立てていたのかはわからないが、王妃は子を産むことを望まれる。異国の地でなかなか役目も果たせず、姑にいびられる……男であるエリアンが想像してもきつい。
「義姉上も浅はかではあったが、根本の原因は兄上にあるのだと思う。兄上が説明していれば、こじれなかったのではないかと思う」
確かに、そうだったかもしれない。過ぎたことは変えようがないが、アイリは落ち着いていれば思慮深い女性だ。ヘルブラントの落ち度でもあるのだと思う。
「……だが、俺は初めから陛下……ヘルブラント様は、あなたに自分の後を継がせたかったのだと思う」
執務机に頬杖をついたリシャナと視線が合った。いつものように伏し目がちの目が完全に閉じられる。
「言ってももう、詮無いことだな。四人とも、レギン王国に引き渡す」
「ダーヴィドとヴェイニはともかく、アイリ様とアーレント様もか?」
離宮に幽閉程度だと思っていた。リシャナは「それも考えたが」と話を続ける。
「国外追放だ。この国に足を踏み入れたら、問答無用で切り捨てる。……国内に置いておくと、やはり兄上の子だった、などと言ってアーレントが担ぎ出されかねん」
調べた限りでは、アーレントの実の父親はすでに死んでいる。アイリが妊娠しているのがわかった時点で処分されたのだろう。リシャナは実の父親と思われるレギン王国の貴族に会ったことがある、と言っていた。
アーレントの父親は不明だ。だから、やっぱりヘルブラントの子だった、と担ぎ出される可能性はなくはない。
「アーレントはリル・フィオレから出す。なのに、母親の義姉上を置いておくことはできない」
「……わかった。その方向で調整しよう」
リル・フィオレを掌握する作戦を完遂できなかった彼らには、どんな未来が待っているのだろう。噂に聞くレギン王を思うと、そのまま四人とも処分されるのではないだろうか。もしくは。
「レギン王がアーレント様を擁立して攻めてくる可能性もあるんじゃないか?」
エリアンの指摘に、リシャナは姿勢を正して怜悧な美貌にぞっとするような笑みを浮かべた。
「いつか、私に挑みたいと思ったのならそうすればいい。私もそうして、今玉座にいるのだから」
リル・フィオレ史上初めて全権力を掌握した第二十七代女王リシャナ・フルーネフェルトの戴冠式が、翌年の夏、行われる。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
完結です!ありがとうございました!
1年かかりましたね。追ってきてくださった方がいるのなら、本当にありがとうございました…。
と言いつつも、この後、戴冠式の模様とお兄様から見たリシャナ女王即位までの裏側を投稿しようと思いますので、完結済みになるのはもう少し先ですね。興味があれば、ぜひのぞいてやってくださいませ。




