70.話し合い
エリアンは議会の根回しに奔走することになった。リシャナは悲しむことは後からもできる、と言った通り、泣かなかった。正直、泣くかと思った。まあ、それどころではないのは確かだが。
リシャナは本人が宣言した通り、現状、この国の最高権力者だ。国王が決まるまでの一時的なものではあるが、ダーヴィドやヴェイニにとっては目の上のたん瘤である。排除されてはたまらないので、リシャナにはマースがついて回っている。そして、エリアンにはティモンがついて回っていた。
リシャナ本人ではなく、エリアンを排除すると、現状の最高権力者リシャナの配偶者の立場が空くことになる。尤も、権力欲のあるダーヴィドがリシャナの夫になったところで、二人が真正面から刺しあう未来しか見えないが、確実に対立するだろう。
だが、ダーヴィドたちがリル・フィオレを手に入れようと思うのなら、アーレントの護国卿になるか、リシャナの夫になるのが一番早い。ただ、二人は、特にダーヴィドはどちらの立場をとるかでどっちつかずになっている。ヴェイニは、年齢の関係上、リシャナの夫になる、と言うのは現実的ではないので、アーレントの擁立を狙っている。目的は一つだ。
正直なところ、リシャナも彼女本人が王になることを望んでいない。彼女は言った。力がなければ守れないものがあると。王になることにこだわりがないのだ。守れるだけの力が手に入るのならば、リシャナはアーレントを擁立してその護国卿になることを厭わないだろう。
だが。とエリアンは思う。リシャナが国王になった方が、丸く収まるのだ。彼女が全権を掌握した方が合理的である。
と言うようなことをリシャナと話し合わなければならないのだが、彼女と遭遇できない。開き直ったリシャナは、本当に活動的だった。オーヴェレーム公爵をはじめとした貴族たちと話し合いを続けているが、リシャナ自身は捕まらない。それぞれの貴族たち個人個人には会っているようだが、エリアンは捕まえられない。なぜだ。
「まあ、姫様ですからね。ここまで活動的なのは珍しいですが」
目的があると急に活動的になるのは昔もあったそうだ。当時からティモンはリシャナを追いかけまわしていたらしい。確かに、普段はおとなしい彼女がエリアンを助けようと窓から突っ込んできたことがあった。あれの強化版と考えればいいのだろうか。
どうも彼女に会った人たちの話を総合すると、議会の根回しを行っているようだが、エリアンが追いつけないのはどういうことだろう。せめて認識のすり合わせをしたい。
「こうなったら、我らが殿下に合わせるしかありませんね。大丈夫。ヘルブラント陛下にやっていたのと同じです」
「そう言われればそうですね」
オーヴェレーム公爵に言われて気づいた。これは決断力と行動力に富んでいたヘルブラントと同じ行動だ。似ていないと思ったが、やはり兄妹なのだな、と思った。
夜にリシャナを捕まえることができた。というか、寝室に押し掛けた。侍女を連れてきていないので、彼女は宮殿の女官の世話を受けているが、害されそうになって女官をたたき出したところだった。
「屋敷から連れてくればいいだろう」
「屋敷も大して変わらん」
王都にはキルストラ公爵邸がある。そちらにも、当たり前だがリシャナは使用人を置いている。こちらは彼女が選別したものだから、そちらから連れてくればいいと思ったのだ。同じく、ルーベンス公爵邸もあるのでこちらから連れてきてもいいわけだが、確かに大して変わらない気がする。使用人を忍び込ませたり、買収したりされているかもしれない。
「毎回着替えを手伝ってやれるほどの暇はないぞ」
成り行きでリシャナの着替えを手伝わされたエリアンはげんなりしながら言った。彼女の肌に触れながら手を出せないのがつらい。
「わかっている」
後で女性騎士を連れてくるようだ。職分が違うが、もともとリシャナは自分の身支度は自分でできるので問題ない、とリシャナは言う。大丈夫なのだろうか。
「珍しく行動的だな」
「ついてこられないなら、置いていく」
にべもなく言い切られ、この人は本気なのだ、とエリアンは再認識して表情を引き締めた。
「あなたの考える落としどころはどこだ? あなたは積極的に王になろうと考えてはいないはずだ」
大切なものを守るためには力がいる、と言ったリシャナだ。王になりたい、とはついぞ言ったことがない。彼女はどちらかと言うと、したがって北側の人間だ。今日の行動を見るに、王の素質がないわけではないはずだが、これは気性の問題だろうか。
「積極的に王になろうとは思っていないが、最終的にそうなるだろうとは思っている」
てっきり、アーレントの護国卿あたりが妥当だ、と言われると思ったが、そうではなかった。ヘルブラントの子であるとされるアーレントが即位し、事実上最高権力者であるリシャナが護国卿となれば、それは丸く収まるのだ。この地位にダーヴィドやヴェイニが介入してくるので、ややこしくなっているだけで。
だが、リシャナは「最終的に王になるだろう」と言った。エリアンはリシャナの顔を探るように見た。
「……知っていたのか?」
「兄上は別に隠してはいなかっただろう。誰にも言わなかっただけで」
十五・六の私が調べてすぐに思い当たったくらいだ、とリシャナは淡々と言った。リシャナは妙なことを知っていたり、結構観察眼が鋭かったりする。よくヘルブラントと腹の探り合いをしていたが、ヘルブラントも緊張していたのではないだろうか。リシャナがヘルブラントに恭順していたので、いきなり王位簒奪、のようなことにはならなかっただろうが、やろうと思えばリシャナには可能だったという事実が恐ろしい。
「それに、えくぼができるのは遺伝だ。兄上と義姉上にはない」
「なんだそれは? 聞いたことがないが」
「私もエステルから聞いた話だから、よく分からん」
二人して首をかしげる。つまり、リシャナはエステルのことを信用しているのだ、と言うことはわかった。
「と言うか、やはりお前も知っていたんだな? むしろ、兄上とともに策謀していただろう」
「知っていたのか。まあ、俺にとっても悪い話ではなかったからな」
「とんでもないものに巻き込まれるとは思わなかったのか」
「あなたの夫に収まった時点で、覚悟している」
リシャナがいざと言うときはエリアンたちを切り捨てる覚悟をしている、と言ったように、エリアンだってリシャナと婚姻を結んだ時点で、王位継承のごたごたに巻き込まれるのは覚悟していた。リシャナにそのつもりはなかっただろうが、ヘルブラントは明らかにエリアンを巻き込むつもりでリシャナへの婿入り許可を出したのだ。リシャナは、本人が認める通り、政関係が苦手だからだ。まあ、全くできないわけではなさそうだが……。
「……わかった。俺は援護に徹することにする。演説に関しては、あなたに任せた方がよさそうだ」
リシャナが微妙な顔をする。彼女はなかなかの能弁家であるし、その自覚もあると思う。彼女はその一言で周囲をまとめ上げる力があるのだ。こういうちょっとしたところに、ヘルブラントとの血のつながりを感じる。
「それから」
とん、とベッドに腰掛けたリシャナの肩を押すが、彼女は目を細めただけで座位を保持した。
「そこは倒れるところだぞ」
「そんな可愛げも場合でもない」
冷ややかに言われて、エリアンは肩をすくめ、せめてもと彼女を抱きしめてその肩に顔をうずめた。リシャナはエリアンの背を軽く抱きしめたが、その耳元で言った。
「手を出して来たら殴る」
……リシャナなら、本当にやるだろう。
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