06.ルナ・エリウ開城戦
ことは十七年前にさかのぼる。根本的な問題はもっと別のところにある気がするが、とにかく、十七年前にリシャナの父ヴィルベルト二世が暗殺されたことを発端に、リル・フィオレ王位継承戦争が勃発した。通常通りいけば、当時王太子だったヴィルベルト二世の長男ヘルブラントが次の王になるはずだった。だが、父王が暗殺された時、彼は王都にはいなかった。
その間に、ヴィルベルト二世の甥、つまりヘルブラントたちの従兄にあたるロドルフが王位を請求した。主張としては、自分の方がヘルブラントたちよりもリル・フィオレ王室の血が濃い、というものだった。ある一方から見ればそれは事実で、ヘルブラントやリシャナの母は国外から嫁いできた王女であるのに対し、ロドルフの母親は三代ほど前の王の孫だった。
ロドルフがヘルブラントに軍を差し向けたため、ここに王位継承戦争が勃発したわけである。この時、リシャナは八歳だった。
この王位継承戦争前期については、リシャナが子供だったために彼女はほとんどかかわらない。ただ、母や兄弟たちと共に人質にされたり、逃げ回ったりはした。彼女の名が登場するのは、ヘルブラントが無事に戴冠して正式に王になった後、王位継承戦争が後期に突入してからである。
リシャナが十三歳になったころだ。ヘルブラントは、地方の反乱の鎮圧に向かい、先の戦いで取り逃がしたロドルフに拘束された。その情報はすぐさま王都のリシャナたちの元へ届けられた。
この時、ルナ・エリウのウィリディス・シルワ宮殿にいたのは、母カタリーナ、十六歳の兄ヘンドリック、十五歳の兄リューク、そして、十三歳のリシャナの四人だった。ヘンドリックはすでに初陣を済ませていたが、決定者たる王がいない。
ロドルフが、その王を連れて王都に迫っていた。開城を要求されるだろう。息子を失うことを恐れた母カタリーナは「城を開け渡そう」と言った。まだ幼い子供たちだったが、母よりは現実が見えていた。開城した途端、ロドルフは王位継承権を持つヘンドリックやリュークを、そして最後に王たるヘルブラントまで殺してしまうだろう。彼が王位を手に入れるには、そうするしかない。リシャナは生き残れるかもしれないが、その血統を持ってロドルフの妃にとられるかもしれない。さすがのリシャナも、それはごめんだった。
宮廷に残っていた廷臣たちも、母の意見には同意できなかったようで、王位継承権を持つ王弟と王妹の決定を待っていた。だが、誰も判断ができない。ロドルフは、すぐそこまで迫っている。
城門を閉ざしましょう。そう提案したのは、リシャナだった。
ロドルフを招き入れても、待っているのは高確率で死だ。ならば、負けるかもしれなくても、全員で生き残れる方法を取りたい。母が猛反対したが、誰も耳を貸さなかった。
城門を閉ざす前に、ヘンドリックはルナ・エリウを囲む城壁の外に出た。城壁の内側には、リュークとリシャナ、そして母のみ。頭のいいリュークだったが、荒事はからきしだった。そのため、城壁内の指揮はリシャナが取った。これが、リシャナの初陣になる。
この時発覚したのだが、リシャナは軍事の天才だった。その能力をほかの仕事の処理に落とし込んでいるため、普段はただの頭のいい人であるが、この時誰もがそう思っただろう。
リシャナの指示の下、ヘンドリックはロドルフの補給線を断ち切った。そのまま王都の城壁へ戻り、リシャナと城壁付近で攻防戦を行っているロドルフの軍を急襲、ヘルブラントを奪還した。
というのが『ルナ・エリウ開城戦』の顛末であるが、結局、最初から最後まで王都は開城していない。リシャナは住民を説得するのに、『住民に被害を出さない。負けることはない』と宣言したが、それが本当になった形だ。興奮した今は亡きヘンドリックが話しまくってくれたので、リシャナの初陣は有名になった。
それがあってか、王都でのリシャナの人気は高い。ヘルブラントは捕まってしまったので、ちょっと間抜けな王様扱いされている。民衆にとって王族などそんなものだ。
そこでふと、目が覚めた。天蓋のカーテンの向こうからフェールの呼ぶ声が聞こえたのだ。
「閣下、起きておられます?」
「……今、起きた」
リシャナはカーテンを引いて顔を出した。
「おはよう、フェール」
「おはようございます、閣下」
フェールがてきぱきとリシャナの世話を始める。あくびを噛み殺しながら、リシャナは自分でも着替えた。
「陛下に朝食に招待されておりますが、いかがします?」
「うかがうと返事をしておいてくれ」
「わかりました」
フェールではなく、宮殿の侍女が伝言に行く。基本的に、リシャナの身に触れるような世話をするのはフェールだけだ。鏡台の前に座らされ、丁寧に髪を梳かれる。髪は切ってしまったが、フェールはリシャナの髪の手入れをやめなかった。うなじで束ねる。
「そういえば、兄上にも伸ばせと言われたな」
「御髪の話ですか? ええ、ぜひ伸ばしてくださいませ」
真剣にフェールに言われ、昨日の記憶が口をついて出たリシャナは何度か瞬きした。
「私の髪なのだが」
「せめて、肩甲骨の下あたりまで。長い方が妖艶で麗しいです」
「話を聞いているか?」
微妙にかみ合わない会話をしつつ、リシャナは時間に間に合うように部屋を出た。案内役の王の小姓がいて朝食の用意された広間まで案内される。リュークとその妻ニコールは先に来ていた。
「おはようございます、リューク兄上、ニコール」
「おはよう、リシェ」
「おはよう」
リュークとニコールの夫妻は穏やかな笑みを浮かべる。兄弟きっての変人と言われるリュークで、それを自分も認めているが、見た目からはとてもそうは思えない。柔らかい栗毛にブルーの瞳の持ち主だった。なんとなく女性的な印象を与えるのは、顔立ちが母親似だからだろう。これが、軍事的才能のなかったすぐ上の兄である。
一方のリュークの妻ニコールはエヴェルス伯爵家の娘で、リュークほど美人ではない。ブリュネットの髪に黒曜石の瞳をした女性で、生き生きとした瞳が素敵だな、と思う。
「お子様たちはご一緒に?」
昨日尋ねなかったことを尋ねた。リュークとニコールには二人の娘がいる。下の子はまだ小さいが、上の子は連れてこられるくらい大きいのではなかったか。
「二人とも連れてきているわ。後で顔を見に来てくれる? ずいぶんと会っていないから、顔を覚えていないかもしれないけど」
ニコールが笑って気さくに言った。彼女とリシャナは年が同じなので、なんとなく気安いのだ。
「では、後でお邪魔します」
どうぞ、と夫婦そろって言った。なんとなく、リュークがニコールの尻に敷かれているような気がするが、仲はいいのだな、とこういう時思う。
「昨日はお話しする時間がなかったから。戦勝おめでとう……で、いいのかしら」
ニコールとは昨日の宴で話す機会がなかった。リシャナがいろんな貴族に話しかけられていたので、彼女は遠慮したのだろう。夫のリュークとは話をしたが、その時は側にいなかった。
「リューク兄上にも昨日、似たようなことを言われました。ええ、ありがとうございます」
「リシェ、僕の時と態度が違くない?」
リュークが不満そうな表情をするが、兄と兄嫁では態度が変わるのは仕方がないと思わないか。リュークに対する態度は、どちらかというと兄に対する甘えだ。
「それと、髪が短いのも格好いいわね。騎士みたいよ。まあ、あなたは公爵だけど」
ニコールがそう言うので、リシャナは思わず笑みを浮かべた。
「初めからそう言うのはあなたくらいだ。たいていみんな、その髪はどうした、と聞く」
「切ったのなんて一目瞭然でしょ」
さくっとニコールが言う。正直というか、このどこか歯に衣着せぬ物言いが、リュークと合うのだろうか、という気もする。貴族令嬢には珍しい性質だ。
「それはそうだけど、何があったのか気にならない?」
リュークが己の妻に言うと、ニコールはきっぱり。
「話せることなら、自分から話してくださるわ」
と、言った。まあその通りだ。リュークも気にしないそぶりをしていたが、実は気になっていたらしい。
「何でもありません。邪魔だったので、切りました」
「やはりそうか。お前らしいと言えばらしいが」
そう言いながら、ヘルブラントが食堂に入ってきた。
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兄ちゃん二人は結婚している。