68.解放
やはり自分の目は間違っていなかったのだと、思えた。
ルーベンス公エリアン・ファン・リンデン
レギン王国からやってきた王妃アイリの異母弟と甥相手に奮闘していたエリアンであるが、リシャナは一日で宮廷を掌握してしまった。これが持ちうる権力の違い……もあるだろうが、人望の違いのような気もする。ダーヴィドに言われるまでもなく、リシャナは貴族間にも人望がある。ついていけば勝てる、と思わせる指揮官は貴重だ。リシャナはこれにあたる。
そのリシャナは、王都を出て近くの教会に向かってしまった。ここ最近の国王が葬られている教会で、二年ほど前に亡くなったリュークもここに埋葬されていた。
陛下がいよいよ危篤と言うことだ。ちゃんと鍵は見つけられただろうか。
事前にヘルブラントに言われて、エリアンはリシャナに鍵を預けている。何の鍵かは伝えられなかったが、その時になればわかる、とも言われている。今がその時なのではないだろうか。
と言うことをつらつら考えるエリアンは、実のところそれくらいしかすることがない。今彼は、貴族用の牢に入れられていた。
リシャナの不在はせいぜい三日程度の予定だったが、その間にレギン王国は強硬手段をとった。エリアンたち、リシャナに味方する高位貴族を次々ととらえたのである。オーヴェレーム公爵も捕まっている。だが、さすがに処刑することはできなかったようだ。そもそも罪状が、国王の裁可を仰がずに権力を行使した、と言うあいまいなものなので、処刑されなかったのだ。処刑は免れたが、決して待遇がいいわけではない。食事は出されるが冷たく、量も少ない。嵌め殺しの光をとるための窓から、彼が牢に入れられてから二日経っていることが分かった。
今頃、王都の城門は閉じられているだろうか。かつてリシャナが守った城門だ。当時守られた王都の住民たちは、どんな判断を下すだろうか。
正直、たとえ城門を閉じられても、リシャナは攻略することができる気がする。それだけの才覚が彼女にはあるし、王位継承戦争終結後、城壁を強化したのはリシャナとヘルブラントだ。当然彼女は、どこを攻めればいいかわかっているはずだ。
だが、彼女はその方法を選ばないと思う。戦になれば、ダーヴィドたちはエリアンを人質にするだろう。リシャナはそうなった場合、エリアンを切り捨てると言った。言ったが、彼女の選びたい道ではないだろう。
かといって、引くこともしないだろう。今引けば、確実に戦争になる。引くくらいならリシャナはその場で命を絶つだろう。そういう女だ。すべて失って生きるより、ともに死を選ぶ。
となると、リシャナは前に進むしかないのだ。かつてロドルフが力づくで開けようとして、リシャナに阻まれた城門。彼女が開けるとしたら、痛快である。
考え事をしているうちに眠ってしまったらしい。きしむような物音で目を覚ますと、牢の扉が明けられようとしていた。
「何をしているんだ、お前は」
淡々とした抑揚のない声はリシャナのものだ。ぱっと起き上がって逆光になっている彼女を見る。
「……寝ていた」
「お前、図太いな。わかっていたが」
あきれたように言いながら、リシャナはエリアンに牢から出るように言う。一応、尋ねてみた。
「俺は勝手に王権を行使した、などと言われて投獄されたんだが」
「私が出ろ、と言っている。その罪状とやらのどこに問題があるというんだ」
エリアンは預かっている権力を行使しただけである、とリシャナは言った。エリアンは彼女の言いように笑った。
「その通りだが、奴らにとってはそれが気に食わないようだな」
「そのようだな。私も王都から締め出された。私が戻ってきては、すぐにお前たちも解放されるからな」
「城壁を壊してきたのか?」
ここまで破壊音は聞こえてこなかったので、壊してはいないと思うが。
「いや、説得して真正面から入ってきた。多少脅しはしたが、城門の鍵も預かっている」
リシャナが見せてきたのは、ルナ・エリウの市長が持っている城門のカギだった。王都の城門を開閉する権利は、市長が持っている。この鍵を預けるということは、市長はリシャナに下ったのだろう。苦渋の決断だっただろうが、なんが起こっても彼らにとって、ダーヴィドたちよりリシャナの方がはるかにましだと思う。
「王都についてはすでに対処済みだ。レギン王国の兵士が好き勝手にやってくれたようだが、騒乱罪で捕縛するように申し付けてある。城門は開けさせたが、入門制限はかけてあるからな。議会に議席を持つもの、それと王の許可証を持ったものしか入れないように指示を出した。また、お前を含む言われない言いがかりで投獄されたり、役職をはく奪されたものは、解放の上職務に戻るようにしてある。お前も安心して職務に戻れ」
「……助かったが、随分仕事が早いな……」
おとなしい印象の強いリシャナは、どちらかと言うと受け身の姿勢に思える。実際、戦に関しては防衛戦の方が得意だと言っていた。だが、今は見たことがないほど精力的に動いている。エリアンのやることがない。
「馬鹿を言うな。すべて事前に話し合ったことがある処置方法だ」
私ではここまで一度に対処できない。とリシャナは眉根を寄せるが、それは実際にこんな状況に陥った時のための対処マニュアルではなく、それぞれ別の時に、別々に話し合ったことではないだろうか。それらを組み合わせて対処できる能力に驚いたのだ。
しかし、同時に納得した。これがリシャナの能力の一部なのだ。それぞれ別のことのように思えても、組み合わせて関連性を見つけて立ち回れるから、彼女は初陣のルナ・エリウ開城戦でもうまく立ち回れたのだ。
そう。今の彼女は、エリアンが初めて彼女を見て衝撃を受けた、あの時の姿に重なる。知らず口元に笑みが浮かんだ。
「さすがだ。では、状況としてはあなたが出て行く前とさほど変わらないと思っていいんだな?」
「できるだけ掌握しなおしたつもりではあるが、完全ではないと思う。見直しはしてくれ」
「了解した。陛下は?」
「こん睡状態だそうだ。私は宮廷の混乱を収めることを優先したので、これ以上のことはわからん。今から兄上のところへ行ってくる」
「なるほど。オーヴェレーム公爵も解放されたな? 俺も同行しよう」
リシャナの夫として、王族に数えられるエリアンにはその権利があるはずだ。そう思って主張したが、リシャナは夫よりも冷静だった。
「かまわないが、身なりを整えて状況を把握してからにしてくれ。私は、不在の間のことを残っていた官僚に聞いたが」
多分、下っ端官僚に聞いたのだろう。主だった大臣や要職についているものは、大体職務から外されたり、投獄されたりしているはずだ。王の妹に話しかけられたであろう彼らに、エリアンは内心で同情した。
そして、貴族用とはいえ牢に入れられていたエリアンは、確かに王の元へ侍るには身なりを整える必要がある。エリアンはうなずいた。
「そうしよう」
「では先に行く」
宮廷に至るまでも歩きながら話していたが、リシャナはあわただしく兄の元へ向かっていった。てきぱきと対処していく姿に、彼女の有能さが透けて見える。基本的に思慮深くおとなしい彼女だが、こういう有事の決断力は素晴らしい。君主たるもの、こうした決断力も時には必要だ。こうした決断力のある所は、リシャナとヘルブラントの似たところであると思う。まあ、リシャナの場合は自分が追い込まれないと発揮されないようだが。
あなたを選んだ自分の目は間違っていなかった。
エリアンにはそう思えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
しれっと王都に入ってきているリシャナですが、ルナ・エリウ市長が開けてくれました。




