58.その後
リシャナが離脱してエリアンがそちらにかかりきりになったため、ヘルブラントはかなり忙しかったようだ。まず、ディナヴィア諸国連合とブルゴーニュに厳重抗議し、賠償を請求した。リシャナが元気なら彼女が脅しに、もとい、交渉しに行く予定だったようだ。北壁の女王が向かった方が話が通りやすいと思ったのだろう。
「解せぬ」
安定期に入って落ち着いてきたリシャナに事の顛末を報告すると、ぐっと眉をひそめてそう言った。エリアンは肩をすくめる。
「俺は納得したが。すんなり話が通るなら、その方がいいからな」
「……解せぬ」
認識に差があるようなので、これはいったんおいておいて話を進める。
「とりあえず、連合とブルターニュには賠償金を請求し、軍備の縮小を求めている。人質としてアーレント様の花嫁を要求する案も出たが、これは通るか微妙なところだろう」
「……次期国王となるのなら、悪くないとは思うが」
リシャナのどこか含むような言葉に、彼女も、ヘルブラントがすんなりと息子を国王にするつもりはないと気づいているのかもしれない。直接言われたことはないが、ヘルブラントは何度もリシャナを女王に、とほのめかすような言葉を発している。
「おそらく、私かリューク兄上が諸外国から配偶者をもらえばよかったんだろうが」
「情勢的に難しかったんじゃないか?」
リュークが結婚したのは、王位継承戦争が終わったころだった。内部の結びつきを大事にされたのだ。リシャナがエリアンと婚姻したのは最近の話だが、リシャナは国境を守り、さらに内政に深くかかわりすぎている。情報流出を避けるために国内の貴族が望ましかったのだろう。
リュークはともかく、リシャナはその配偶者と敵対しただろう。エリアンは自分は危ない局面にいたのかもしれない、と落ち着いてから思ったものだ。幼いころからあこがれた女性を手に入れるのに必死すぎた。
「クラウシンハの方も落ち着いてきているな。まだ戦後処理は終わっていないが、少なくとも王の代官は引き上げた。代わりの統治者を用意するそうだ。それと、気づいているだろうが、バイエルスベルヘン公爵夫人を預かっている」
「気づいている……」
リシャナが微妙な顔をしたのは、彼女が普通にリーフェ城にニコールがいることに気づいたのは、つい先日のことだからだ。ニコール自身から、「なぜいるのって聞かれたわ」と面白がりながら報告を受けている。
「一応自己弁護しておくが、事後承諾とはいえあなたの承諾を得ているからな。あなたが前後不覚だったのは事実だが」
「言い方。いや、わかっている。承諾を出した記憶はある」
記憶はなくなっていないようだ。悪阻で苦しんでいたころなのでおぼろげなのかもしれない。
ニコールだけではなく、その娘たちも引き取ったので、リーフェ城はにぎやかだ。いまだかつて、リーフェ城がこんなににぎやかだったことがあるだろうか。城主がおとなしい人なので、どちらかと言うと静謐な雰囲気の城なのだ。
「猫と遊んでいるヒルダたちもかわいらしいし」
「あなたにそんな情緒があることが驚きだ」
クッションを投げられた。猫を飼っているくらいだから、可愛いものが好きなのは知っているのだが。見た目がそぐわないのを、彼女は少し気にしている。
「それと、すまないが今のうちに王都に行って、俺の領地も確認してくる。秋ごろには戻ってきて、一度北壁を見てくる予定だ」
受け止めたクッションを返しながらエリアンが言うと、リシャナは「わかった」と言いつつ顔をしかめた。
「お前に負担を押し付けるな。すまない」
「あなたにふらふらと出歩かれるよりはましだ」
リシャナが出歩くことを考えれば、エリアンが多少の負担を強いられた方がましなのである。たぶん、みんなそう思っているので協力してくれている。
「では、お前が戻ってくるころにはニコールの子は産まれているかもしれないな」
ニコールは秋の盛り、リシャナは冬の初めごろに出産だろうと思われた。
「で、あれの様子はどうだ?」
王都でヘルブラントに謁見し、最初に尋ねられたのはリシャナのことだった。エリアンは「落ち着いています」と答える。
「少し前まで情緒不安定でしたが、今はすっかり落ち着いていますね。貧血なのは変わらないようで、たまに廊下でうずくまっていますが」
なので、リシャナには一人で出歩くのを禁じてある。エリアンをよく思っていないものも、みんなこれには賛成した。リシャナは今四面楚歌である。
少しのことで不安がり、泣きじゃくっていたのを思えば今はかなり落ち着いている。出立の時に不安げに見つめられたが、引き留められることはなかった。できるだけ早く帰りたいと思う。
「なら安心だな。生まれたら知らせてくれ。で、この案件だが」
ヘルブラントといくつか打ち合わせをして、一年近く不在にしていた領地を見に行った。城代がうまく回しているようで、こちらは大丈夫そうだ。代々相続してきた領地なので簡単に手放せないが、アールスデルスか訪ねるにはちょっと遠い。
一度リーフェ城に戻ってから、北壁に向かった。北壁には何度か赴いたが、今日もヤンがうっとおしい。いや、リシャナが心配なのはわかる。ヤンは北壁を任されているため、ほとんどリーフェ城に顔を出せないのだ。
「一度、侵攻がありました。こちらには大した被害はありませんでしたが」
「報告は聞いている。五か月前に大規模な戦闘があったばかりだからな。戦を仕掛けてきただけで驚きだ」
ヤンも同意するようにうなずいた。戦をするには金も物資も人員も大量に必要になる。おそらく、リシャナが北壁を不在にしていることを知って攻め込んできたのだろうが、リシャナは自分が不在なくらいで負けるような対応をするような甘い女ではない。対策マニュアルくらい存在するのだ。ヤンが優秀であるというのもあるだろうが。
ヤンから詳細の報告を受けて、これもついでに王都のヘルブラントに追加要求の材料にしてもらう。
しばらく滞在した北壁から戻ると、ニコールの子が産まれていた。リュークの執念が効いたのか女の子だった。三姉妹である。リシャナも、その後に会ったヘルブラントも「女系家族なのだろうか」と首をかしげていた。変なところで似ている兄妹である。
子供を産んだニコールと入れ替わるように、リシャナの腹が大きくなっていく。軍人でもあるリシャナは決して華奢ではないが、しばらく食べられない生活が続いたせいか、筋力が落ちたのだろう。歩くとふらふらしている。なので、まだリシャナの一人歩きは禁止されている。階段を何度も踏み外しているので、当然のことだが、彼女はいまだに「解せぬ」という表情をしている。
本人が妊婦の自覚のない妊婦なので、周囲が気を遣うのである。普段から男装で格好いい、と言う印象のリシャナが、最近はゆったりした格好をしている。髪も緩く束ねられ、それだけでだいぶ印象が違うものだな、と思う。もともとおとなしい女性だが、それが雰囲気にも表れたというか。
そして、冬になり雪がちらつくころ、リシャナが子供を産んだ。女の子だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ここでこの章は終了です。後は最終章だけですが、再開は来年になるかもしれません。




