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57.庇護者












 出発が三日後になったのは、ひとまずリシャナの容体が落ち着くまで待とう、と言うことになったのだが、結局彼女がよくなることはなかったので、いっそのこと早いうちに移動しようということになったからだ。いつも飄々としているヘルブラントが本気で心配そうにしていたのが印象的だった。それでも、妊娠していると思われる妹を戦地に置いておけない思いの方が勝ったようで、送り出された。


 しかし、馬車の旅もなかなか大変だった。馬車で行ってもコーレイン城は二日ほどの距離にあるが、結局三日かかった。頻繁に馬車を停めたからだ。揺られると気持ち悪くなってくるらしい。最初は頻繁に止められていやな顔をしていた御者が、城に到着するころには心配そうな顔をしていた。


 コーレイン城は小さな城だ。出迎えにニコールが出てきていた。

「いらっしゃい、リシェ」

「ニコール」

 顔色が悪いながらも自分の足で入城してきたリシャナを見て、ニコールは顔をゆがめた。

「リュークは、行ってしまったのね」

「……すまない、助けられなかった」

 うなだれるリシャナに、ニコールは首を左右に振った。リシャナの肩に手を置いて体を寄せると、額をリシャナの肩に押し付けた。


「きっと、あの人のできた最善の判断だったのだと思うわ」


 しばらく、すすり泣く声が城のエントランスに響いた。声をかけていいものかためらったエリアンだが、同行していたエステルはためらわなかった。

「お二人とも、そろそろよろしいですかしら。妊婦二人が城の入り口でいつまでも突っ立っていることは、医療従事者として許容できませんもの」

「ああ……そうか」

 先にリシャナが反応した。彼女はともかく、ニコールもまだ腹が目立たないから忘れていた。

「え……ええっ。そういうことは先に言ってちょうだい! 顔色、悪いわね!?」

 まだ涙声で慌てたようにニコールがリシャナの頬を挟み込んで顔を覗き込んだ。自分で言うようにもともとそれほど顔色の良くないリシャナだが、今ははっきりわかるくらい顔色が悪い。

「閣下はリシェ様から離れないようにしてくださいな」

「ああ」

 元からそのつもりだ。自分のことはおおよそ自分でできるし、王族にしては身軽に動き回るリシャナだが、体調不良にもかかわらず歩き回ることで、すっかりエステルの信頼を失っている。エリアンもここはエステルに同意するところだと思う。


 馬車での移動が堪えたのか、寝台に横になるとリシャナはすぐに眠りについた。エリアンはヘルブラントから、リシャナを無事にアールスデルスへ送り届けるように言われているが、いつになるやら。


「リシェ、大丈夫なの?」

「めまいがするとおっしゃっているので、貧血でしょう。少々情緒不安定ですが、閣下がご一緒であればある程度落ち着いていますし」

 部屋を整えてくれていたニコールが天幕の降ろされた寝台を見て心配そうに言う。エステルは現状、できることはないという。

「道具があれば多少はめまいを和らげることができるかもしれませんけれど、妊娠しているのなら強いお薬は飲まない方がいいですし」

 情緒不安定なのは仕方がない。初めての妊娠で、しかも仲の良かった兄を亡くしたのだ。不安定になるな、と言う方が難しいだろう。


「というか、よく戦場に出たわね……気づかなかったの?」


 ニコールがエリアンを見て尋ねたが、彼は首を左右に振った。気づかなかった。エステルは違和感を覚えていたようだが、エリアンは全くだ。


「男の人って、そうよね……」


 諦観したような表情でしみじみとニコールがつぶやいた。

「……正直に言うと、リシェが妊娠していると言われても信じられないんだが」

「えっ、心当たりないの?」

「それはあるが」

 普通の夫婦生活はしているし、リシャナに語ったように、そうだと嬉しい。だが、初期症状と思われる症状があるだけで、まだはっきりとはわからないのだ。


「まあ、父親ってそういうものですわね」


 しかも、初めてですもの、とエステルは苦笑を浮かべた。

「もう二か月もすればはっきりしますわ。リシェ様の体調が悪いのは事実なのですから、いたわってあげてくださいな」

「それは、そうする」

 エステルの言う通りだ。できるだけ、リシャナについているようにしようと思った。














 コーレイン城から移動ができない。リシャナの体調が安定しないからだ。前向きに考えれば、自分で動き回るリシャナがおとなしくしていてくれるのでよい。体調不良でなければ、絶対に動き回っていた。

「ここまで悪阻がひどいのも珍しいのですけど」

「私は食べ悪阻で食べることには苦労しなかったのよねぇ」

 ニコールはすでに安定期に入っていて、もう四か月ほどで生まれるころだそうだ。それにしても、悪阻には種類があるのか。


「ルーベンス公。少し、お話がしたいのだけれど」

「なんでしょう」


 ニコールはエリアンと向き合って言った。

「私をアールスデルスで受け入れてもらえませんか」

 何を言い出すのか、と疑問に思った後にすぐに気付いた。彼女は、庇護者を探しているのだ。


 ニコール自身は伯爵家出身の王弟の妻だ。しかし、その子供たちはフルーネフェルト王家の血を引く王族である。うっかりしていると、王位簒奪のために利用されかねない。

 彼女が庇護を求める先として考えられるのは、国王ヘルブラントと王妹リシャナの二人だ。この二択なら、エリアンだってリシャナを選ぶ。国王の直接の庇護下に入ると対立をあおられかねない。その国王に恭順しているキルストラ公爵の庇護下に入った方がいい。まあ、その本人は悪阻で苦しんでいる最中であるが、これまでも未亡人や迫害された女性を保護してきた実例がある。受け入れられやすいだろう。リシャナに直接頼めない以上、エリアンに話を持ってきたのだろうと思われた。


「……断れば、リシェが怒るだろうな」


 怒るというより、ひんやりした視線にさらされそうだ。あの澄み切った瞳にひんやりとにらまれると、実際に体感温度が下がる気がするのだ。

「そうね。よろしくね」

「こちらこそ」

 正直、ニコールがともに来てくれる利点はある。妊娠期が近いため、リシャナは自分が子を産む前にニコールの出産を見ることになる。リシャナが情緒不安定なのは初めての経験に戸惑っているせいもあるだろう、とエステルは言った。似たような状況にあるニコールがいることで、多少緩和されないだろうか、という思惑もある。


「とはいえ、最終的に決定するのはリシェなんだが」


 否、と言わないことはわかっているが、形式も大切である。一応、意識があるときに話はしたが、ぼんやりしていたので本当に話を理解しているかわからなかった。

「大丈夫なんだな?」

「……おそらく」

 さすがのエリアンも心配になって尋ねると、エステルも顔をゆがめた。

「情緒不安定であることを差し引いても、ひどい方ですわね」

 こればっかりは病ではないので、どうしようもない。結局、コーレイン城からアールスデルスに出発するまでにひと月かかった。その間に、フローレク城の方も半分は撤収が完了していた。











ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


ニコールは自分が危うい立場だとわかっています。


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