54.発覚
実際に長兄がリシャナと合流したのは、それから三日後のことだった。フローレク城に入城したヘルブラントを迎える。
「お待ちしておりました、陛下」
「ああ……リュークは」
どうしているか聞いている、と言うよりは、事実確認をしているだけと言う声だった。ヘルブラントも、ここに出てきていないリュークがもう生きていないことをわかっている。
「……間に合いませんでした。申し訳ありません」
この頃情緒不安定な自覚のあるリシャナがうなだれて言うと、ヘルブラントは妹の肩をたたいて「お前のせいではない」と言った。
「俺も間に合わなかったしな。……にしてもお前、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
顔をのぞき込まれてそう言われた。だが、たぶん、リシャナは顔色がよかったためしはないと思う。
「元からです」
「そうか? 貧血じゃないのか。倒れるなよ」
「気を付けます」
大丈夫と言い切ることができないのでそう答えた。実のところ、貧血で倒れたことはあるのだ。エステルは女性に多い、と言っていたが。
そのままヘルブラントを礼拝堂に連れて行った。まだ葬儀ができていないので、リュークの遺体が安置されている。保存処理はなされているが、それでも少しずつ傷んでいく。少し頼りないが、優しい兄はもういない。その事実が、思ったよりリシャナを打ちのめしている。
「そうか……すまん、リューク。頼りない兄で」
棺に納められた、そうでなくてもひどく損傷した弟の顔をなで、ヘルブラントも沈痛な面持ちになった。リシャナは目を細める。
「リューク兄上も、私に対して同じことを言ったことがあります」
「そうか。似ていない兄弟だと思っていたが、そうでもなかったかもしれん」
自嘲気味にヘルブラントが言った。少し、リシャナの口角が上がる。
「末の私に言わせていただければ、ヘルブラント兄上もリューク兄上も、ちゃんと『兄』でした」
正直、ヘルブラントは打算があったのだろうとは思うが、打算だけでは説明できない愛情を感じたことだってある。おおむね、妹に甘い兄たちだったのだと思う。
「そう言われると救われるが……もう、俺とお前だけになってしまったな」
「……お姉様もいらっしゃいます」
それでも、三人だ。夭折した兄弟も含めれば、十一人の兄弟がいた。成長できたのはその半分。今となってはそのまた半分しか生きていない。
「……なあ、リシェ」
「はい」
「お前につらい役目を背負わせてしまったこと、すまないと思っている」
「いえ……案を示したのは兄上ですが、選んだのは私です。兄上が気に病むことではありません」
そう。選んだのは、リシャナ自身だ。リシャナが戦うと選んで、北壁に詰めることを選んだ。後悔はしていないし、王の弟妹である以上、こうなる可能性はわかっていた。王位継承戦争でも経験したことだ。なのに。
「……一番、長く共にいた兄でした」
「ああ」
「一番、知っているはずでした」
「そうだな」
リシャナは両手で目元を押さえた。情緒不安定にもほどがある。涙が出てきた。ヘルブラントがぎょっとしたようにリシャナの背中をさする。
「ど、どうした? そんなにショックだったのか?」
「わかりません……」
ついてきた部下たちも戸惑っているのがわかるが、リシャナ自身もわからない。ヘルブラントがリシャナを抱き寄せて頭をなでる。
「よしよし。もういいだけ泣いとけ」
泣き止ませるのではなく、満足するまで泣かせる方にシフトしたらしい。だが、リシャナはヘルブラントの肩を押した。
「痛いです」
ヘルブラントは鎧のままなので抱きしめられると痛い。瞬きを繰り返すとひとまず涙は止まった。だが、立ち上がろうとして立ち眩みがして結局ヘルブラントに抱き留められた。
「お前、本当に体調悪いんじゃないか。俺が預かるから休んでおけ」
「……はい」
このまま行動すれば、むしろ兄たちに迷惑をかける、と思ったリシャナは素直にうなずいた。
気づいたらベッドで寝ていたので、途中で気を失ったらしいことはわかった。
「お。起きたか」
「……兄上……戦の始末はどうしたのです」
「お前、まじめすぎないか」
ベッドの側にヘルブラントが座っていて驚いた。客間を急いで整えた部屋に、リシャナは寝ていた。荒らされた形跡がある。一時的に連合軍に占拠されている間に被害にあったのだろう。
「あらかた指示は出してきた。一緒にいてくれた方が守りやすい、と言われたんでな」
と、ヘルブラントは気にしないように言うが、おそらく、リシャナを気にしてきてくれたのだろうと思う。それくらいはわかる。
「具合はどうだ」
頭をなでながら尋ねられ、リシャナは素直に「くらくらします」と言った。
「ちょっと熱があるのかもな。お前の迅速な行動で俺は助かったが、お前は居城でおとなしくしているべきだったな、リシェ」
「……そうはいかないと思うのですが」
現実的に考えて、あの状況でリシャナがじっとしているわけにはいかない。ヘルブラントも「まあそうなんだけど」と同意を示しつつも顔をしかめる。
「こういうことは夫やせめて医者から言うことなんだろうが、お前、妊娠している可能性が高いらしいぞ」
「……えっ」
反射的に声を上げたが、意味が理解できない。珍しく目が見開かれた妹に、ヘルブラントは不安になったのかひらひらと目の前で手を振る。
「大丈夫か? 心当たりはあるよな?」
何かを疑われている。あるかないかと言えば、ある。エリアンとは婚姻以来、夫婦らしいことは普通にしてきた。と言うことは、そういうこともあるのか。リシャナは自分に女性としての機能が残っていたことに驚いていた。
「あるならいい。お前ひとりの体じゃないからな。今までみたいに無茶をするな」
やたらと真剣な表情で忠告する兄を見て、リシャナはとっさにその服の裾をつかんだ。
「どうした」
妹が情緒不安定なことをわかっているヘルブラントの声は優しかった。リシャナは震える声で言った。
「……見捨てないでください」
「リシェ?」
「見捨てないでください。お願いです」
「大丈夫だ。俺がお前を見捨てるはずないだろう」
いぶかし気に、だが言い聞かせるようにヘルブラントは言った。起き上がろうとしたリシャナの肩を軽く押さえている。しぐさだけで寝ていろ、と示される。だが、リシャナにとってはそれどころではない。
「戦えなければ兄上の役に立てません。私の存在意義がなくなってしまう……!」
結局、これが恐ろしいのだ。ヘルブラントが妹としてリシャナを可愛がってくれていることはわかっているが、初めは打算だった。兄弟の中で唯一、戦場で指揮を執ることができ、国王の代理を行える。それが揺らぐというのが恐ろしい。
兄に必要とされることで生きてきた。見捨てられたら、どうすればいいのだろう。
「……リシェ。戦ができないからと言って、俺はお前を見捨てたりしない。切り捨てもしない。変なことを考えるな。むしろ、お前が妊娠しているのなら、子供を無事に産んでくれる方が助かる」
「……」
明らかに取り乱しているリシャナを落ち着かせるための言葉だとわかるが、同時に事実であることもわかった。十年前の王位継承戦争で、王位を王族に連なるものは激減しているのだ。ヘルブラントにはアーレント一人しか子供がいない。リュークにはニコールの腹の中の子も含めて三人。上の二人は女の子だ。そして、リュークが死んだ以上、この子たちの立場は常に不安定。ここでリシャナが女児を産めば、アーレントと結婚することになるのではないか、と思うほどだ。
だから、ヘルブラントにとって、リシャナは確かに必要な戦力の一つだが、王家の血を引く子供を産むという意味でも有用なのだ。
「お前が産んだ子なら、必ず俺の甥か姪だからな」
少々含むところがあるような声音で、ヘルブラントはそう言ったのだが、リシャナに突っ込む余裕はなかった。ヘルブラントも気づいたのか、苦笑して妹の頭をなでた。
「エリアンを呼び寄せた。じきに到着するから、そうしたらお前は後方の城に下がれ。ニコールもそちらにいるそうだ」
当たり前だが、ヘルブラントはちゃんと情報収集と事後処理を行っていたらしい。自分が今全く役に立たない状態であることを理解しているリシャナは、「わかりました」とおとなしくうなずいた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
実は、兄と妹で腹の探り合いをしていますが、兄の方が優勢です。




