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49.魔女

3か月ぶりの再開です。

なのに、エステルの話からです。











 医師の資格を取ってこい、と言われたとき、「この小娘!」と思ったのは事実だ。しかし私は、リシャナ様にいただいたロケットを強く握りしめていた。

                        エステル・フランセン










 ヤンとローシェの兄妹は、リシャナに最初に助けられたのは自分たちだ、と言ってはばからないし、そしてそれは事実であるが、実はリシャナに会った最初の人間はエステルだと思われた。と言っても、当時の彼女はキルストラ公爵ではなく、ブローム伯爵を名乗っていた。

 行き倒れているのを助けたのである。エステルはと言えば、まだ赤子のロビンとともに村を焼け出されたところで、そこで倒れていた少女を見つけたのだ。これがリシャナだった。

 助けてくれた礼に、と紋章の入ったロケットをもらい、自分の軍が展開している方へ逃げることを勧めてくれた。そのロケットを持っていれば、必ず保護されるから、と。

 そして無事に逃げ切れたエステルであるが、逃げた先の街で行き詰っていた。夫は王位継承戦争で亡くなり、エステルは幼子を抱えて生きていかなければならない。それだけならよくある話であるが、エステルは人々に敬遠される魔女だった。


 町のはずれに隠れるように住んでいた。夫が生きているときは、もう少し堂々と生活していたのだが、魔女であるエステルだけではどうにもだめだ。魔女はその知識で人を癒す代わりに、人に嫌われる、人の世界から外れた存在なのだ。

 魔女の子は嫌われる。夫がいればまた違っただろうが、それが心苦しくてならないエステルだ。


 村ではなく、町の近くに居を構えたからだろうか。小さな嫌がらせが続く。食べ物の値段を吊り上げられる、腐ったものを買わされる。買った布が破れている……それならまだ手に入るだけましな方だ。下手をしたら、売ってもらえない。森で採取するにも、さすがに限界があった。こういうのを行き倒れと言うのだろうか。いや、家の中で倒れていれば、行き倒れではない。行き倒れていたのは王位継承戦争の時の少女だ。

 助けたとき、エステルは彼女が王の妹だと知らなかった。戦女神リシャナの話は知っていたが、顔は知らなかった。彼女が去ったあと、もらったロケットの紋章を見て気が付いたのだ。王家の門と王の妹の紋章、雪の華。

 これを売ろうという気にはなれなかった。助けた少女は、王の妹は、エステルが魔女だと知らなかったかもしれないが、平民なのはわかっていたはず。それでも助けたエステルに礼を尽くし、こうして気遣ってくれた。


 とはいえ、何もせずに行き倒れるのも性に合わないので、街に買い物に出かけることにした。子供を抱え、食料を買いに行く。戦が終わって数か月。復興も半ばと言ったところだが、マーケットはそれなりに機能している。だが、エステルは食料を売ってもらえなかった。ママ、とロビンが腕の中でエステルを見上げた。


「ごめんね、ロビン。ちょっと休憩してから、帰りましょう」


 ロビンはきょとんとした後に笑った。うん、ダメな母親でごめん。

 マーケットの側の広場を通った時、花壇に腰掛ける少女が目に入った。

「大丈夫か。無理についてこなくてよかったんだぞ」

「いいえ。ついていきます。お兄様と二人きりにできませんもの!」

「心配することはないと思うけど」

 花壇に腰掛けていた少女が大声を出し、ぐらりと体がかしぐのを立っている方が受け止めた。そのまま隣に座る。

「やはり一旦帰るか」

「いえ! 逃げた人たちを捕まえるのでしょう!」

「大きな声で言うな」

 もう一人はやけに冷静だ。まあ、一人興奮していると、落ち着いてくる、というのは理解できる。エステルは少女たちに近寄った。


「あの」


 二人が顔を上げた。体調の悪そうな少女はおそらく、このあたりの出身だが、もう一人は違う。というか、知っている顔だった。相手も気づいたようで唇に人差し指を当てた。黙っていろ、と言うことだ。確かに、ここで王の妹が、などと言うことはできない。明らかにお忍びだし。

「ちょっと、見させてもらえませんか」

「え?」

 少女がきょとんとしたが、王の妹は「頼む」と言ってロビンをエステルから受け取った。エステルも少女もぎょっとする。

「かっ、ひ……!」

「その辺に座らせておいて大丈夫です!」

 呼びかけようとしてお忍びなのを気にしたのだろう。声の出なかった少女と違い、エステルは半ば叫ぶように言った。王の妹は特に表情を変えずに、「ローシェを見てやってくれ」と言った。この少女はローシェと言うらしい。


 ローシェを見ると、どうやら貧血のようだ。最近、怪我でもしたのではないだろうか。

「あなた、お医者様?」

「いえ……どちらかと言うと、薬師ですわ」

 ローシェに不思議そうに尋ねられ、エステルは少し言いづらそうに言った。王の妹は中央の出身なので気にしないようだが、ローシェはこのあたりの人間だろう。魔女に忌避感があるはずだ。


 やっぱり貧血のようだ。最近、怪我でもしたのだろうと思われる。王の妹がともにいることを考えると、荒事にでも巻き込まれたのかもしれない。

「ただの貧血だと思いますわ。本当は安心できるところで休んでいた方がいいと思うのですけど……」

「そうはいきません!」

 叫んだことでローシェは再びくらりとしたようだ。体勢を崩すローシェに王の妹はため息をついた。

「ヤンが戻ってきたら、一度帰ろう。それと、ありがとう。ええっと」

「エステル、と申します」

 名前を聞いていないことに気づいた王の妹が言いよどむので、エステルは微笑んで名乗った。ついでにロビンが手元に帰ってくる。ロビンは王の妹が気に入ったらしく、彼女の外套を引っ張っている。王の妹は少し微笑み、ロビンの頭をなでた。怜悧な面差しと気鬱げな表情のわりに、気さくなお姫様である。


「エステル、ありがとう」

「いえ。こちらこそ。おかげで無事に逃げられましたわ」


 王の妹は目を見開いて、そうか、とうなずいた。


「おいっ! お前だよ!」

「えっ!?」


 ローシェの体がかしいだ。腕を青年に引っ張られていた。その瞬間、王の妹が鞘に入ったままの剣を下から振り上げ、青年の腕を打った。打ち払われた青年は声を荒げて王の妹に詰め寄るが、その子はこの国で上から数えた方が早い権力者だよ、と教えてあげたい。

「なんだお前! 小僧の癖しやがって」

「貴様こそなんだ。急に女性の体をつかむものではない」

 王の妹姫、眼力が強い。命じることに慣れたものの言葉に、青年の方がひるんだ。だが、声で相手が華奢な少女だと気づいた青年は再び声を荒げた。

「調子に乗るな! この女はご主人様の元から勝手に逃げたんだよ! 所有物の癖に!」

「今は私のものだ。抹殺されたくなければ口を慎め」

「俺はヘリツェン伯爵の息子だぞ!」

「ヘリツェン伯カスペルは私が十日前に更迭した」

「……はあ!?」

 青年が王の妹の胸倉をつかんだ。ローシェが「閣下!」と悲鳴を上げる。


「誰だよ、お前!」


 王の妹が青年を石畳にたたきつけた。睥睨するように見下ろしながら、少女にしては落ち着いた声音で言った。


「リル・フィオレ王国第二十六代国王ヘルブラントが末妹、キルストラ公爵リシャナ」


 凛とした声は、思いのほかよく通った。しん、とマーケットの広場が静まり返っている。

「こ……こんなところに王の妹がのこのこやってくるかよ!」

「やってきているからここにいる。そろそろ不敬罪を罪状に追加するぞ」

 むしろ、まだ追加されていなかったことに驚きである。あまり世俗のことに詳しくないエステルですら、領主のヘリツェン伯……もう前領主だが、彼と彼の家族の評判がよくないことを知っている。

「このっ!」

 言葉が出てこなくなったのか、青年は剣を振りかぶってリシャナに向かって振り下ろした。エステルとローシェは悲鳴を上げたが、リシャナ自身は泰然としたものだ。


「閣下! よけるくらいしてください!」


 気づけば、青年は取り押さえられていた。当然だが、リシャナに護衛がついているのだ。青年をとらえた護衛に苦言を呈されたリシャナは平然と言った。

「いや、お前がいるのが見えていたからな」

「……信頼してくださるのは、うれしいですが!」

 嬉しそうに護衛の青年は答えた。ローシェと似た雰囲気の顔立ちなので、おそらく彼女の兄だろう。

「エステルもすまない。巻き込んだな」

「いえ……」

 部下に指示を出して戻ってきたリシャナがエステルに謝る。こっそり立ち去ればよかったが、ローシェがこちらを見ているのでそれもできなかった。

「助けてもらった礼もしなければな。あの時は行軍中で、ろくなものを持っていなかった」

「紋章をいただきましたが……」

 少なくとも、あれのおかげでエステルはとても助かった。無事に安全区域まで逃げることができた。

「私の印なぞで役に立ったなら幸いだ。……エステル、薬師だと言っていたな」

「え、ええ。一応……」

「私の専属医をしてみる気はないか」

「閣下」

 ローシェが首を左右に振る。たぶん彼女は、エステルが魔女だということに気づいている。本音を言うのなら、食うにも困っているエステルにはありがたい話だ。口ぶりからして、リシャナはロビンごと受け入れてくれるだろう。


 だからこそ、安易に返事はできないと思った。リシャナの好意に付け入るようになってしまうことに拒否感がある。

「薬師と言うことは、医学の知識もあるだろう。私の医師をしてくれていたものは、先の戦争で戦死しているからな」

 と言うことは、リシャナに従って従軍していたのだろう。ローシェは「ですが」とリシャナに何事かささやいた。多分、エステルは魔女だ、と言っているのだと思う。それを聞いたリシャナは、「うん」と一つうなずいた。


「前バイエルスベルヘン公爵に、私は魔女と呼ばれていた。他国には死神と呼ばれたこともある。ほかにもいろいろあるが、そんな私は王都では救国の姫君なのだそうだ」

「……ええっと」


 話のつながりがわからず、ローシェもエステルも首を傾げた。

「要するに、見方の違い、と言うことだな。見るものによって、その人の価値は変わる。兄上にとって私は有益であったが、前バイエルスベルヘン公にとっては有害であったということだ」

「……エステルも同じと言うことですか」

「違うか?」

 ローシェはエステルを見た。エステルも、彼女を見た。

「それに、私はローシェではなく、エステルに尋ねている」

「……すみません」

 ローシェがしょんぼりと言った。突き放したような言い方だが、それをわかっているからリシャナは言葉を尽くしたのだろう。この少女は、根本的に優しい娘だ。


「……正直に申し上げれば、召し上げていただけると助かります。ですが……私は魔女です」

「だから?」


 突き放すような言い方だ。命じることに慣れた、上に立つ者の声。だが。


「……よろしくお願いします」


 結局、エステルはリシャナの手を取った。この誰よりも王たりえるのに、心優しい少女をそばで見ていたくなったのだと思う。













ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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