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04.リーフェ城














 結局、リシャナが北壁に帰還するまでひと月近くかかった。交渉が長引いたためだ。少なくとも交渉が締結されるまで、リシャナはペザン要塞を支配していなければならなかったのだ。この北の大地にも、春の足音が聞こえ始めている。

 アールスデルス北方城塞にヤンを司令官代理として留め置き、リシャナは居城であるリーフェ城へ帰ってきた。この城を出発した時には雪が降るほどだったが、もう春の花が咲き始めている。


「閣下!」


 馬を引いて城門を通り抜けたリシャナに声がかかった。このあたりに、『閣下』と呼ばれる人間は彼女だけだ。しばらく聞いていなかったその女性の声に、リシャナの視線が向く。

「フェール、戻っていたのか」

「はい。長らくお休みをいただいてしまって申し訳ありません。閣下もお変わりなく……」

 良家の子女らしくすらすらと口上を述べた彼女の言葉がぴたりと止まった。女性にしてはきりっとした目が見開かれ、アンバーの瞳が大きくなった。


「御髪……御髪はどうなさったのですか!?」

「どうも何も、切った」


 こともなげに言うリシャナに、彼女、フェール・ファン・エルヴェンは愕然とした表情になる。気の強そうな美女で、実際に気が強く、まじめだった。先ごろ結婚したばかりで、リシャナが暇を出していた侍女は彼女のことである。


「私のいない間に!? いったい誰があなた様の美しい御髪を切り落としたんです!?」


 さすがのリシャナもフェールの勢いに押された。リシャナが引き連れてきた一部の軍人たちは遠巻きに見ている。構わないから旅装を解け、とリシャナは手を振って指示した。

「閣下!」

「あら、閣下の御髪を整えさせていただいたのは私よ」

 白衣をまとってエントランスから顔を見せたのはエステルだった。フェールが不在の間、リシャナの侍女をしていた彼女だが、本職はこちらで、女医である。女性にしては長身のリシャナとエステルが並ぶと、平均的な体格のフェールが小さく見えた。

「エステル……! なんてことを……!」

「だって、閣下からのご要望だったのだもの」

その通りだ。リシャナが、腰元まであった黒髪を切ってくれとエステルに頼んだのだ。切った当時は耳が隠れるほどだったので、肩の上まで来ている今は、だいぶ髪が伸びていることになる。

「私は! 閣下のご容姿が美しく見えるように整えるのが仕事なのです! いえ、閣下はいつでもお美しいですけど!」

「フェールがそう言うのなら、私の仕事は閣下の心身の健康を守ることよ。そのために、ご要望には従うべきだと思ったの」

「……二人とも、いい加減にしてくれ。フェール、髪などすぐ伸びる」

リシャナはさすがに二人にわかるようにため息をついた。出迎えてくれるのはいいが、ここで舌戦を繰り広げないでほしい。いや、これはリシャナが悪いのだろうか。


 馬を預けて、二人を連れて城の中に入る。リシャナ越しにフェールとエステルは互いの主張をぶつけ合っていた。リシャナはもはや仲裁をあきらめ、平行線をたどる二人の主張を聞くだけになっていた。侍女のフェールと医者のエステルは、これまでも何度か意見の対立をみている。まあ、これで仲が悪いわけではないし、立場の違い上、仕方がないことなのでそのうち落ち着くだろうと放置する。


「閣下、王都からお手紙が届いておりますわ」


 急に真面目な侍女に戻って、フェールは言った。リシャナは「わかった」とうなずき、まずは着替えることにした。ついでにエステルの問診を受ける。

「怪我はございません? 体調は?」

「ない。体調も大丈夫だ」

「手があれていますわね」

 リシャナの手を取って、エステルが言った。二人とも見た目は美人であるが、手はあれている。エステルも薬を扱うので、手が傷むのは仕方がない。

「冬場の行軍だったからな」

 しいて言えば、怪我は寒さと乾燥で割れた指だろうか。軟膏を出しておきますわ、とエステルは微笑んだ。リシャナの着替えを用意してきたフェールに軟膏の説明をする。その隣で、リシャナは勝手に着替え始めた。世話をされていることに慣れている身分の人間だが、同時に戦場の中にいることも多いので、身の回りのことは大概できる。

「ラーズ王国はいかがでした?」

「寒いな」

 着替え終わり、手に軟膏を塗りながらフェールに尋ねられ、リシャナは端的に答えた。フェールも慣れたもので、「でしょうね」と反応を返す。


「せっかく制圧した土地を手放してしまったとお聞きしましたけど」


 さすがにフェールの耳にも入っているようだ。エステルは常備薬の確認をしながら、「気前がいいですわねぇ」と言った。

「その代わり、兄上が多額の賠償金を請求したはずだ。その請求額と私が制圧した地域の統治にかかる費用を試算した結果、賠償請求の方が利があると判断した」

「そうですわねぇ。何もないから、攻めてくるのでしょうし」

 貴族出身のフェールとは違い、平民出身だがエステルはなかなかうがったことを言う。フェールも聡明な娘だが、あまりこういった話はぴんと来ないらしい。


「お金がないのでしょう? なら、戦をするよりもおとなしくしていた方がいいのでは?」


 フェールが眉をひそめて言った。こういうところが真面目だな、と思う。エステルが噴出して笑った。

「な、何で笑うの!?」

「いいえ。フェールは素直な人ね」

 楽しげなエステルを眺めてから、リシャナはフェールに言った。

「執務室に行く。城代を呼んでくれ。それと、そろそろ兄上から顔を出せと手紙が届くだろう。王都に発つ準備を頼む」

「……わかりました」

 急に話を変えられて、フェールは戸惑ったようだがうなずいた。エステルが「私は?」というので、留守番だ、と言っておいた。エステルも何度か連れて行ったことはあるが、今回はこちらにいてもらうことにした。もしかしたら、途中で呼び寄せるかもしれないけど。














 そろそろ届くだろうと思っていた兄王からの催促の手紙は、すでに届いていた。王都から届いた手紙は兄からのものだった。

 たまっていた執務を片付けた彼女は庭に出た。どこにいようと、ここはリシャナの城である。咎められることなどない。

 春の足音が聞こえてきているとはいえ、ここは北部。花の咲く草木も、まだ硬いつぼみをつけているだけの段階だ。リシャナは特に指示を出していないが、城代あたりが庭師に整えさせているのだろう。門外漢のリシャナでも美しいと思う庭園に、見覚えのある少年がいた。生垣の側に座り込み、一心不乱に何やら書き込んでいる。

 しばらく見つめていると、あちらの方から気が付いた。というか、顔を上げたときに視界に入ったのだろう。少年のそばかすの浮いた顔が赤らんだ。


「かっ、閣下っ」

「気にするな。続けてくれ」


 ラーズ王国はペザン要塞で面識を得たマースだった。ヤンのことは北壁に置いてきたが、彼の直属の部隊はリシャナについてきた部隊だった。

「いえっ……! すみません! どきます……」

まあ、城の主が現れればこんな反応にもなるか。リシャナは足元にすり寄ってきた猫のヤスメインを抱き上げ、マースに近づいた。

「私の方が後から来たのだが。だが、そうだな。では、罰としてお前の描いた絵を見せてくれ」

「えっ」

 まだ幼さを残す目元が見開かれた。リシャナの表情は変わらない。焦るマース。本気なのか冗談なのか判別がつかないのだろう。

「でっ、では……今描いていたのはこれです」

 と、風景画を見せてくれた。デッサンなのだろう。木炭で描かれたそれと、周囲の景色を見比べる。

「見事なものだな。ヤンがほめるのもわかる」

「独学なのですが……」

 やはり褒められると嬉しいのか、マースは頬を紅潮させて謙遜した。独学なのだとしても、上手いものは上手い。

「才能があるということだ。誰かに弟子入りしないのか? このあたりの画家でよければ、私が口利きするが」

「……同じことを、クラウス卿にも言っていただきました」

 それはそうか。ヤンはリシャナの代わりに北壁に詰めていることが多いが、それでもアールスデルス内ではかなり身分が高く、顔が広い。何なら、リシャナよりも在住歴は長い。


「でも……とっても失礼だとはわかっているんですけど、断らせていただいたんです」


 ということは、リシャナの申し出も断る気なのだろう。彼の家庭の事情は、ヤンが話していた。

「家族が多いと言っていたな。まあ、確かに画家の徒弟よりは軍人の方が実入りがいいだろうが」

 たとえ一兵卒であっても、リシャナはちゃんと給料を出している。それを、家にいれているのだろう、この子は。しっかりした子だ。

「それもありますけど……それだけじゃなくて。……公爵閣下のお役に立ちたいなって」

 頬を赤くしたまま、マースはうつむきがちに言った。リシャナはヤスメインを撫でながらしばらく沈黙を保っていたが。

「そうか」

 ではよろしく頼む、と告げた。はい! とマースの元気な声が耳を打つ。


 そうやって、信者が増えていくのだ、とエステルに指摘された。













ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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