47.情報収集
「……とりあえず、寝てもいいですか」
この期に及んで睡眠を主張するリシャナ。以前、己の城で真夜中に捜査を強行したリシャナだが、この王城の主はヘルブラントなので、そんな主張はしなかった。代わりに眠いという。
「お前、どれだけ寝たいんだ」
「寝られるときに寝ます、私は」
よほどひと月ほど前の睡眠不足が堪えたらしく、まじめ腐ってリシャナはそう言った。ヘルブラントは妹を見つめて「わかった」と言った。
「これ以上ここで話していても仕方がないからな……起きてからにするか」
リュークも賛成したので、そういうことになった。だが、リシャナはエリアンを引き留めて言った。
「噂を調べてほしい。ここ数日で、幽霊が出るという噂を聞いた者。それから……そうだな。父上にかかわる噂がないかも調べてほしい」
「……承知したが、夜のうちにか?」
一応確認すると、リシャナは首を左右に振った。
「いや、朝になってからでいい。というか、今の時間、ほとんど人も起きてないだろ」
確かにその通り。エリアンは肩をすくめた。
「それ、なんか関係あるのか?」
「いえ……幽霊が父上だっていうのなら、幽霊が出るという噂と、父上に関する噂があるのではないかなと」
「なるほどなぁ」
「……兄上、私たちを試していませんか?」
「お前、突然核心をついてくるから怖いんだよな」
「え、僕ら試されてたんだ……」
リュークがショックを受けたようにつぶやいた。彼のこういうところが、ヘルブラントに期待を抱かせなかったのだろうな、と思う。何の期待かというと、軍を率いる将としての期待である。
「ま、解決すればどうでもよいことではありませんか。では、おやすみなさい」
しれっと言って、リシャナは眠たげに目を伏せた。いや、見ようによっては彼女はいつも眠たげだが。
「あ、ああ。お休み」
返事が返ってきたので、リシャナは部屋に戻ることにしたようだ。リュークが彼女を送っていこうとついていく。でもたぶん、寝ぼけていてもリュークよりリシャナの方が強いだろう。
「マイペースだなぁ、あれも」
ヘルブラントはよく個人名を端折るが、今の『あれ』が示すのはリシャナのことだ。
「マイペース、なのでしょうか」
エリアンにはむしろ、周囲に合わせているようにも見える。その中で、自分がわがままを言ってもいいところを見極めているような。
ただのエリアンの直感なので、言わないけど。
「……エリアン」
「はい」
「俺はたまに、あいつが恐ろしい」
「……」
その気持ちはわかるような気がした。リシャナは、基本的にはおとなしい性格だ。舌鋒がきついところはあるが、それ以外は基本的には無害である。無茶は言わないし、横暴でもない。正しい権力の使い方、という本を書けばいいと思う。
「急に核心をついてくるんだよなぁ。どういう頭してるんだろうな。ま、妹を頼んだ、エリアン」
「……承りました」
深くかかわるようになって、思うことがある。ヘルブラントとリシャナは似ている。リュークはちょっとわからないが、この二人は根本的なところで似ているのだ。
つまり、二人とも王たりえる器があるということだ。これで争いにならないのは、リシャナが王になるつもりなどさらさらないからだ。彼女は君主として国をおさめ、采配を振るうよりも平和に過ごす方が好きなのだろう。最近、それがわかってきた。だからと言って、エリアンの恋情がなくなるわけではないが。
「情報収集の結果ですが」
「え、もう終わったの」
朝になり、少し寝坊してきたリシャナを待ってエリアンが口を開くと、そのリシャナが驚いたように言った。寝坊と言っても、いつもより半刻遅い程度だ。夜中に起こされたことを考えればこんなものだろう。
「俺自身ではなく、部下に任せたからな。人海戦術だ」
「理にかなってるな」
聞き方だけ統一しておけば、任せてしまった方が早い。と言うわけで、エリアンはあっさりと任せてしまった。そして、朝忙しい使用人たちの話を短時間で集めた。
「お前……本当に仕事ができるんだな」
「惚れ直したか?」
「そもそも、私が惚れている、と言ったことがあったか?」
そういえば、好きだと言われたことはあるが惚れている、は言われたことがなくてエリアンは不覚にも言葉に詰まった。
「そこ、いちゃつくのはこれが解決してから存分にいちゃついてくれ」
「どこら辺がいちゃついているんですか」
ヘルブラントとリシャナの口から俗な言葉が飛び出たことも驚きだが、これをリシャナはまじめに言っているのである。人の感情の機微が理解できないわけではないし、むしろ情が深いくらいなのだが、こういうところがあるのだ。
「……まあいい。エリアン、続きを」
「はい。情報を集約した結果、幽霊が出る、と言う噂は使用人たちの間で広まっていました。ヴィルベルト二世の噂もありました。正しくないことが行われているために怒っている、でしたか。これは使用人ではなく、官僚や下級貴族の間で広まっていたものです」
「正しくないこと、ねぇ……そのうわさが聞かれるようになったのは?」
「ひと月にも満たないと思います。さすがに、噂の発生源はまだ突き止められていませんが」
「どちらの噂も、行きつく先は同じだろうな」
ヘルブラントが苦笑して言った。同一人物が、あえて噂を二つに分けて別々に流していると思われた。だが、順番に調査していけば、噂の発生源は特定できる。
「まあ、それは後から気長にやりな。今回のことには関係ないと思う」
「その心は?」
いやに断定するので、ヘルブラントがリシャナに尋ねた。
「噂があることはアーレントの見たものに影響を与えているかもしれないけど、根本としては関係ないからだ」
「……意味が分からない」
「現象としては別だから、分けて考えるべきだということ」
「ああ、工程が複雑でも、一つ一つに分解すればわかることってるよね」
意外にも理解を示したのはリュークだった。いや、意外ではないのだろうか。研究者としては、よくやる方法なのだろうか。
「そうか。今は『噂がある』ということと、アーレントが『幽霊を見た』という事象は、似ているけどそれぞれ独立しているんだな……」
「……と、私は愚考するのですが」
「それはもうわかった」
ヘルブラントが適当にうなずいた。明るいが、もう一度階段を見に行くことにした。側に窓があるので、その階段は光が差し込んでいて、夜出なければ心霊現象が起きるようなところには見えない。
「……窓からの月光が人形か何かにあたって、幽霊に見えた、とかか?」
エリアンがリシャナにささやくと、彼女は「いや」と首を左右に振った。
「実際、そこにいる」
と、リシャナが階段を上がり、右に曲がってすぐの廊下を指さした。淡々とした言い方で、彼女がうそを言っているのか、本当のことなのかわからない。リシャナによると、「私が見えるからと言って『いる』とは限らない」とのことだが、正直、彼女になら見えざるものが見えていたとしても不思議ではないと思う。
「あなたが言うのなら一応信じるが」
「そう言う人間が多いんだが、たまには疑ってくれないと私が困る」
リシャナは自分の能力の限界を知っている人間だ。軍に幕僚部を置き、それぞれの専門家を集めてきてそれぞれ職務に当たらせる、と言う方法を体系立てて作り上げたのは彼女だったりするわけだ。彼女は人の意見を聞いて、ここまでやってきた側面がある。全肯定されて戸惑うのは当然かもしれない。
「……話を戻すが、私には女官のお仕着せの女性に見えるから、父上ではないな。おそらく」
しかも、お仕着せと言っても一昔前のものだそうだ。リシャナ自身が言う通り、彼女の証言だけなので、信ぴょう性は限りなく低い。だがこれは、アーレントがヴィルベルト二世の幽霊『見ていない』、ということと『矛盾しない』。
「アーレントが見たのは、お前の言うその霊か?」
「そうかもしれません。まあ、私はアーレントではありませんから、正確なことは言えませんが」
「だがおそらく、あの子が父上を見た、と詐称したのは確実だな」
文章がおかしいが、ヘルブラントが言いたいことはわかる。アーレントは幽霊を見たかもしれないが、それはヴィルベルト二世ではなかったのだろう。
「なぜ、そんなことを言ったんだ?」
アーレントを連れてこさせ、ヘルブラントはまっすぐに尋ねた。アーレントは聡い。遠回しに聞く方が憚られた。
アーレントは父親に尋ねられ、ぎゅっと唇を引き結んでうつむいた。ついてきていたアイリが不安そうに息子を見やる。
「……あの、あまり責めないであげて」
控えめにそう主張したが、ヘルブラントは妻の訴えを黙殺した。
「アーレント」
ヘルブラントが淡々と問いかけるが、アーレントは口を開かない。その目にこぼれそうなほど涙が浮かんでいるのを見て、ヘルブラントが息を吐いた。アーレントはびくりとなる。
「怒るつもりはない。理由を聞いているだけだ。……聞き方を変えるか。母上……王太后がかかわっているか?」
パッとアーレントは顔を上げたが、何も言わなかった。しかし、それが答えを言っているようなものだ。
エリアンは幽霊が出るという噂と、ヴィルベルト二世の噂がある、と言った。その二つの出どころは、どちらも王太后カタリーナだ。
「……そうか。母上の言うことは無視しろ。と言っても、難しいか……」
アーレントの肩に手を置いて膝をついたヘルブラントだが、そう自己完結した。まだ八歳の子供に、大人の高圧的な言葉に反発することは難しいだろう。
「アーレント」
声をかけたのはリシャナだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
難しいことは分けて考えろ、って誰のセリフだっけ。




