44.閉月羞花の麗しさ
おとなしいばかりの妹だと思っていた。だがおそらく、誰よりも王だった。
バイエルスベルヘン公爵リューク・フルーネフェルト
リシャナを視界に収めた瞬間、目を奪われた。それほどまでに鮮烈な美しさだった。言葉で表現できないほど。飾りの少ないシンプルなドレスは、リシャナの怜悧といえる美貌を際立たせていた。デザインをしたものはだれか知らないが、リシャナのことをよくわかっていると思う。エリアンが準備したのではないことが悔しいほどだ。
次は自分が贈ろう、と心の中で決意する。そういえばリシャナに装飾品の一つも贈ったことがない。これでは彼女の兄たちをとやかく言えない。普段のリシャナが男装で、飾り気がないというのも理由の一つだが、婚約者としてこれはないな、と自分でも思った。贈り物をしたことがないわけではないのに、その発想が出てこなかったのが不思議だ。次はオルゴールでも贈ろうか、と思っていたくらいなのだ。
それはエリアンの今後の課題として、とにかく斜め前に座っているリシャナだ。着慣れないというドレスにつまずき、歩くのに必死になっている姿は、控えめに言ってかわいかった。と、本人に言ったらひかれそうな気がするので、心の中で思っておく。
すでに決勝戦が始まっているが、エリアンの視線は主にリシャナに向いていた。女性陣も試合よりもドレス姿のリシャナのほうに興味津々だ。
リシャナ自身は試合に多少の関心があるようだが、彼女は自分が指揮官であることを理解している。つまり、一人の特出しただれかを探しているわけではない、ということだ。
「あら、黒いほうの騎士、なかなか美男子ね」
急にアイリがそんなことを言い出した。試合の方に目が向いたらしい。つられるようにエリアンも試合を見下ろした。対戦者は赤と黒に分かれている。鎧の色の話だ。
「アイリはああいう男が好みかぁ」
「大丈夫よ、ヘルのことも好きだわ」
「雑だな」
軽快な会話だが、王と王妃の仲の良さがわかる。ちなみに、黒い鎧の騎士は端正な顔立ちの優男だ。
「だが、まあなかなかいい腕だな。なあ、リシェ」
「そうですね……太刀筋がきれいです。試合なら十分でしょう」
「おっ、北壁の女王、辛口だな」
「やめてください」
斜め後ろから見てもリシャナがいやそうな表情をした。れっきとした国王である兄に『北壁の女王』と呼ばれたくないのだろう。それにしても、どの角度から見てもリシャナは美しかった。
試合は、黒い鎧のほうが勝った。万雷の拍手の中、騎士が一礼する。エリアンたちも手をたたきながらその男を眺めた。これから、優勝者へ王からアコレードがなされる。まあ、出場者たちはすでに騎士に叙任されているので、ただのパフォーマンスだ。例年通り剣を手に取ったヘルブラントだが、ふと何を思ったかリシャナにそれを差し出した。
「お前がやれ。美女の方が絵になる」
「……」
絵にはなるかもしれないが、リシャナが微妙な表情になっている。だが、結局剣を受け取った。それなりの観客や、その他参加者が多くいる中でもめたくはないと思ったのだろう。どう考えてもヘルブラントのほうが押しが強いので、なら最初から聞いた方が早い。
王の妹、キルストラ公爵として騎士の叙任を行うこともあるリシャナは手慣れた様子だった。まず、ヘルブラントが使う予定だったため重いであろう剣を、少なくとも見た目の上では危なげなく抜いた。目の前にひざまずく優勝者に語り掛ける。
「汝、午前試合優勝者マレイン・ブラッケ、ここに王の剣となり盾となり、その武勇と慈愛をもって、王を守り臣民を守ることを誓うか」
「イエス、ユア ハイネス」
「その礼節と忠義をもって、模範たる騎士たることを誓うか」
「イエス、ユア ハイネス」
「ここにマレイン・ブラッケを騎士に叙任する」
リシャナがマレインの両肩を剣の平たい部分で二度ずつたたく。しぐさが堂に入っていた。
万雷の拍手の中、騎士マレインが立ち上がり照れくさそうにしている。二十歳くらいだろうか。エリアンよりいくらか年下に見えた。
急に任された役目を終えたリシャナは剣を兄に返そうとしたが、その前にふらついてドレスの裾を踏んだ。体勢が崩れる。リシャナの目が見開かれた。
「リシェ!」
叫んだのはエリアンだったか、ほかのだれかだったか。一番近くにいたマレインがリシャナを抱きとめた。なぜかリシャナは剣を両手で大事そうに抱きしめていた。
「ありがとう」
「い、いえ」
リシャナは真顔だったが、美しい女性に礼を言われマレインが顔を赤くしたので、エリアンは内心いら立つ。ヘルブラントが剣と妹を回収した。
「お前がバランスを崩すのは珍しいな」
「慣れない格好ですからね。それと、渡すならもっと軽い剣にしてください」
「おっと、お前には重かったか」
ヘルブラントは笑ってリシャナを座らせた。これから閉会を宣言し、王族たちは先に撤収する。来た時と同じようにリシャナをエスコートするエリアンに、彼女は目を細めた。
「どうした。不機嫌そうだが」
「……あいつのあなたに対する態度が気に食わない」
「あいつ?」
リシャナは首を傾げた後、「ああマレイン・ブラッケか」と納得の声を上げた。
「私を支えてくれただけだろう」
「見惚れていただろう。あなたに。あなたはいつも美しいし、特に今は閉月羞花の麗しさだが」
「そういうことを真顔で言えるお前の方に驚く」
本当にあきれた調子でリシャナが首を左右に振るので、婉曲な言葉では伝わらないのだと察した。
「……あなたに触れたあいつに嫉妬した」
恥を忍んで言う。頬がカッと熱くなるのを感じだ。いつも不機嫌そうに半分閉ざされているリシャナの瞳が大きく見開かれた。ついで、くすくすと笑いだす。笑うのも珍しいが、こうした女性らしいしぐさも珍しい。服装に配慮したのだろうか。
「なんだそれは。かわいい」
くすくす笑いながらそんなことを言われる。最近、そういわれることが多く、エリアンとしては大変不本意である。だが、珍しくリシャナが笑っているからか、みんな微笑ましく見守ってくるだけで誰も話に入ってこない。
「大丈夫。彼とどうにかなるくらいなら、ヤンを愛人にする」
「それもそれで複雑なんだが」
リシャナの開き直り方がすごい。ヤンがもろ手を上げて喜ぶ姿が脳裏をよぎった気がした。
ヘルブラントやリューク、ニコールによると、かつてのリシャナはそれなりに笑う娘だったらしい。気難しげだし、実際気難しいところはあったが、それでも時折、年相応に見えたとのことだ。
それが一変して暗く陰鬱になったのが戦後らしい。そこを境目に、彼女に何があったのか……。初恋だという相手が死んだことがわかっているが、エリアンはまだ、彼女に聞けないでいる。
宴の会場に移ると、王太后が来ていた。いや、来ると聞いていたが。一度、リシャナの居城から母親を追い出したヘルブラントであるが、やはり完全に排除するのは難しかったらしい。先に聞いていたからか、リシャナも特段動揺した様子もなくふるまっている。リシャナから近づかなかったし、王太后がリシャナに近づかないよう、彼女の兄たちも気を配っているようであった。
リシャナとしてはそれどころではないだろう。相変わらずドレスで身動きがとりづらいようで、何かともたもたしている。その様子がかわいらしく、エリアンはずっとリシャナの横顔を眺めていた。
「うるさい」
「何も言っていない」
「視線がうるさい」
そんなどこか間の抜けた会話をしているときである。エリアンはよく通る声で呼び止められた。
「ルーベンス公爵!」
声のした方を見ると、優勝者でこの宴の主役であるマレイン・ブラッケだった。白い手袋が投げつけられる。
「無礼は承知です! あなたに決闘を申し込む!」
突然、当代最強と思われる剣士に決闘を申し込まれ、エリアンは思わずリシャナを見下ろしてしまった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
騎士の叙任は適当です。参考にしないように。
ユアハイネスは『コードギ〇ス』シリーズを思い出します。




