43.なれないこと
十年以上ぶりにドレスを着た気がする。子供のころ、まだ姉たちが一緒にいたころはワンピースを着て生活していた気がする。ワンピースも着なくなったのはいつのことだろう。少なくとも、戦場に出るようになってからは着ていない気がする。ヘルブラントに一軍を任されるようになってからは、式典も軍装で出席することが多かった。姫君として育てられたことのないリシャナには、そちらの方が着やすかった、というのもある。
「あ、駄目ですよ。外さないでください」
リシャナの髪を結っていたローシェがリシャナの手首を掴む。無意識に耳に飾られたイヤリングを触ろうとしたのだ。リシャナは顔をしかめる。
「くすぐったいんだが」
「駄目です」
「……」
抵抗はあきらめた。外してもまたつけられるし、慣れないドレスで動きづらい。布地の多い上品なドレスは初めて着た。と思う。
「顔もしかめないでくださいな。せっかくの麗しいお顔が台無しですわ。まあ、リシェ様はどんな表情を浮かべていても美人であらせられるけれど」
エステルが楽し気にローシェに髪飾りを手渡しているのが鏡越しに見えた。化粧も施されて、確かに自分でも美人な部類に入るだろうな、と思ったが、それよりも昨日兄に見せられた祖母の肖像画に似ていることに戦慄を覚えるリシャナである。
「リシェ様を飾れる日が来るなんて思いませんでした。お似合いです!」
「ありがとう」
ローシェが絶賛してくるので、一応礼を言っておく。リシャナ本人の審美眼はかなり怪しいものだが、少なくとも美人と評判だったらしい祖母に似て見えるのでおかしくはないだろう。そして、ローシェもエステルも、身びいきが存分に入っていることを加味しなければならないし。
一方のエステルは迎えに来たエリアンを中に通しにやってきた。勝手にやったのではなく、リシャナの許可をちゃんともらっている。
「……これは、美しいな」
あのエリアンが言葉の出ない様子でまじまじとリシャナを眺めた。辺に卑屈になることなく、リシャナは「それはありがとう」と礼を言った。リシャナが不機嫌さを訴えなかったせいか、エリアンはとっくりとリシャナを眺めた。
「本当に美しい」
「それはもうわかったよ」
ため息をついたリシャナに手が差し出される。今度はこちらが眺めていたら、「エスコートしてくださるようですわ」とエステルから言われ、やっと気が付いた。いつも自分もしていたので、気づいてもよさそうなものだが。
リシャナはエリアンの手を取って立ち上がった。揺れるスカート部分の裾が心もとない。足に絡む。
「では行ってくる」
「お気をつけて」
と異口同音にエステルとローシェに言われた途端に、リシャナは体勢を崩した。幾重にもなったスカート部分が足に絡み、体勢を崩したまま立て直せない。リシャナは騎士としての一面もあるので、体幹は優れている方なのだが、普段と勝手が違う。だが、倒れる前に支えられた。エリアンに抱き留められた。
「大丈夫か?」
「ああ……ありがとう」
立たせてもらって、一応自立した。その時に気づいたが、リシャナもとっさにエリアンの二の腕のあたりの服を掴んでいた。しわになっており、なんだか申し訳ない。
「靴が歩きづらいのか?」
「いや、足元はブーツ。スカートが足に絡まった」
普段の行軍に耐えうる編み上げブーツではないが、足元は華奢なブーツだ。それほど不安定感はない。そもそも、リシャナは女性にしては背の高い方なので、ハイヒール、というわけではないのだ。
それよりも、布地がまとわりついてくる。これが足に絡んでバランスを取りづらいのだ。
「リシェ様、スカートを蹴るように歩くんです」
ローシェがコツを教えてくれる。なるほど。慣れないドレスに腰が引けてしまったのが敗因のようだ。
「それに、もしものことがあっても、ルーベンス公が支えてくださいますから、安心して行ってらっしゃいませ」
エステルがいい笑みで言うが、よく聞くとエリアンに対して若干失礼である。彼は気にするほど狭量ではないが。実際に、気にした様子はなく「行こう」とリシャナに声をかけた。
「そうだな。……エステル、ローシェ、ありがとう」
「リシェ様は人が良すぎますわよ」
「ルーベンス公、リシェ様をよろしくお願いします」
エステルとローシェがそれぞれ言った。お願いされているリシャナは何も言わなかったが、否定はしなかった。エリアンの介助がなければ、確かに転ぶような気がしたのだ。
「蹴るように、歩く」
つぶやきながら廊下を歩く。確かに、スカートを蹴り上げるようにして歩けば、足に絡みにくい。だが、優雅さとは程遠い。これはリシャナの普段からの振る舞いに問題があるのかもしれないが。
「多少つまずいても、支えるから大丈夫だ」
エリアンが悠然と微笑んで言ってきたが、リシャナはこれでも真剣なのだ。それに、思いっきり支えにはしている。エリアンの手を放すまい、とつかんでいるし、倒れるなら一緒に巻き込んでやる所存だ。
ちらちらとすれ違う人に見られているのがわかる。たぶん、リシャナだとわかっているが、珍しい装いなので気になるのだろう。普段から周囲に遠巻きにされがちな自覚はある。
「みな、あなたが気になるようだな」
「待て、今返事ができない」
言われたことは頭に入ってくるが、返事をする余裕がない。歩くのに必死であるなど、こんなことは初めてだ。
無事に外に出たが、会場になっている修練場の階段が難敵だった。スカートをつまむが、それでも足に絡んでくる。
「リシェか? これは見違えたな。実に麗しい」
王族のいる観覧席まで上がってきたリシャナを見て、ヘルブラントがまずそう口を開いた。ヘルブラントが手を差し出すので、エリアンがリシャナのエスコートを王に譲った。と言っても、座るだけだけど。
「リシェ、よく似合っているわ。あの仕立屋も、いい仕事をしてくれたようね。次はあなたの好みのものを作りましょう」
そういえばアイリが仕立屋を紹介したのだったか。というか、エステルたちにアイリとの付き合いがあるのだろうか。まあ、間にエリアン……は知らなかったようなので、ヘルブラントを挟んでいる可能性は十分にある。
「十分ですので、お構いなく」
「そうか? ああ、エリアンもここで見ていけ」
と、ヘルブラントはリシャナを座らせながら、一礼して一段下がろうとするエリアンに向かって言った。リシャナの婚約者とはいえ、一応、臣下の立場なのだ。遠慮しようとしたのだろうが、王が許可を出したのなら問題ない。
「……そういえばこのドレス、請求が回ってきていないのですが」
布地はアルベルティナから贈られたものとして、仕立てた料金がかかっているはずだが、リシャナは請求書も領収書も見た記憶がない。北壁では、そういった決済は一度はリシャナのもとに回ってくるはずなのだが。
「ああ、俺が払っておいた」
「……だろうと思いました。耳飾りも、ありがとうございます」
「ああ。似合うな」
「……ありがとうございます。リューク兄上も、首飾りをありがとうございました」
こちらは今日のドレスに合わなかったので、身に着けていないが、リュークからも首飾りが届けられていた。ヘルブラントとリュークの会話を思い出すに、どうやらどちらが似合うか競っていたようだ。……リシャナを対象にして。
「良ければ使って……あと、きれいだよ」
リュークにも礼を述べた。ここで話に入りたそうにしていたニコールが口を開いた。
「こっちが自信を無くすくらい似合ってるわ……ていうか、リシェとはそれなりの付き合いだけど、そういう姿は初めて見た気がするわね。美人だわ。知ってたけど」
「そうねぇ。宴があっても軍装だものねぇ。今日の宴はその格好で出るといいわよ」
アイリもこれ幸いと口をはさんでくる。リシャナは肩をすくめて「考慮します」と答えた。ちょうど、決勝戦の開始の合図が響いた。
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