41.試合を見ながら
しばらく試合を見てから戻る、と言ったリシャナに付き合ったのはエリアンだけだが、彼もしばらく席を外して戻ってきたと思ったら、なぜかティモンと共に戻ってきた。
「なんだ、お前たち。知り合いだったか」
頬杖をついていたリシャナは、視線を彼らに向けて言った。いや、と首を振ったのはエリアンだ。
「顔見知りではあったが。あなたの軍に従軍していたと聞いて」
「ルーベンス公は記憶力がいい方ですね。姫様と婚約なされて、調べられたんでしょう」
笑ってエリアンとティモンが言った。エリアンが「姫様か、いいな」とうなずいている。リシャナはため息をついて視線を試合の方へ戻した。
「姫君として育てられたことなどない。お前が私をそう呼んだら、刺す」
「では、女王陛下」
「熱烈ですねぇ」
「そういうことではない」
おどけて言うエリアンに、リシャナが本気でないと思っているティモンが茶々を入れてくる。ティモンには完全に子ども扱いされているので、あきらめてため息をついた。
「婚約者に姫と呼ばれる趣味はないと言うことだ」
エリアンが目を見開くのが視界の端に見えた。リシャナは、試合を眺めている。右上に見えているフィールドの決着がついたところだった。
「……あなたがそういうのなら、そうしよう」
「ああ」
最近、なんとなくエリアンの操作方法が分かってきた気がする。こちらが少し引けばいいだけだ。そういえば、誰かが弱みを見せるのも大事、とか言っていた気がする。エステルだっただろうか。
「当代ルーベンス公は、先代とは違いますね。まあ、親子でも別人なのですから、当然ですが」
ティモンが普通に失礼なことを言うが、言われ慣れているのかあまり気にしていないのか、エリアンはけろりとして言った。
「ああ、よく言われる。顔は似ている方だと思うんだが」
「そうですね。面差しには面影があります」
「血縁があるのだろう、と思う程度には似ているな」
リシャナも試合を見つつ口をはさむ。それにしてもこいつは、このままここで会話する気か。
「そうですな。当代の方が精悍な印象ですが。姫様はこういった顔がお好みか」
「声をかけてきたのはエリアンの方だ」
「ほう」
「それと、端正な男だと思っているが、別に私の好みではない」
「そうなのか……」
嬉しさと残念さが混じったような声が、エリアンからこぼれた。気を取り直したのか、エリアンはリシャナに向かっている。
「あなたは、いつどこから見ても美しいな。顔に惚れたわけではないが、あなたの姿もたまらなく好きだ」
「そうか。ありがとう」
「動じなくなってきたな」
「動じると反応する面倒な人たちがいるのでな」
兄たちのことだ。リュークはそうでもないが、ヘルブラントやアイリなどは、こちらに興味津々である。そして今は、侍女として連れてきているローシェも興味津々だ。
「……姫様が楽しそうでようございました。みなも安心していることでしょう」
ティモンがしんみりと言った。『みな』が、もう生きていない、王位継承戦争をリシャナと共に戦った者たちを指しているのはわかった。
「だといいが」
そこに、「閣下」と声がかかった。この席に上がってくる、独立した階段からだった。リシャナとエリアンがそちらを見る。二人とも『閣下』なのである。
「あ……キルストラ公爵閣下に、用が……」
呼んだ本人も気づいたらしく、そう言いなおした。というか、やってきたのがリシャナがアールスデルスから連れてきたマースだったので、リシャナに用事があるのだろうとわかった。
「リシェ、彼を連れてきたのか。確か、お前の軍の兵士だろう」
「北方守備軍所属だな。急遽借りてきた」
「不服そうな顔をしているが」
「私は恐ろしい主だからな。横暴なんだ」
しれっと言うと、エリアンとティモンはそろって噴き出した。マースは反応に困っている。
「確かに、姫様は恐ろしい方ですな」
「理不尽、ではないと思うのですが……」
リシャナの言葉を肯定するようなティモンに、マースは困惑したまま言った。それは恐ろしいと言っているようなものだぞ。リシャナも結局笑った。
「君主は愛されるより、恐れられるほうがいい、とも言うな。大丈夫だ。理想的な君主だぞ」
「私は君主ではないな」
主君ではあるかもしれないが。エリアンにツッコミを入れてから立ち上がる。邪魔なマントを後ろに払った。エリアンが「似合うな」と目を細める。リシャナは笑みをひっこめてマースに言った。
「時間を取らせたな。戻りながら用件を聞かせてくれ」
「あ、はい」
当たり前だが、マースだけではなくエリアンとティモンもついてくる。いや、ティモンは途中で会場の方へ入っていったが。審判の休憩時間中だったようだ。
「陛下が閣下にお話があるそうで、私が言伝を仰せつかりました」
「そうか」
堅苦しい言葉でマースが言った。そんなに堅苦しく言う必要はないのだが、身分を考えればそんなものか、と思い直す。呼び出されたが、大した用事でもなさそうだな、と思う。放っておけば、リシャナがずっと試合を眺めていると思ったのかもしれない。
「……そういえば、ティモンならあなたの初恋の人を知っていたか?」
「お前、まだあきらめていなかったのか」
どうやら、調査してもわからなかったらしいエリアンはふいに言った。あきれると言うよりも感心する。マースも興味があるのか、ちらちら主君を見ている。
「調べてもわからなかったんだが、あなたの初恋の人は実在しているのか?」
「している。もう土の下だが……というか、最近言われすぎて、あれが恋だったのかわからなくなってきた」
少なくとも、エリアンに向けている感情とは違う気がする。まあ、エリアンが年下で、初恋の相手、つまりリニが年上だったと言うのもあるだろうが。
「気づく前に終わっていた。だから、ある意味私も、お前が初めて愛した相手ではある。それで納得しておけ」
「そうか」
少しうれしそうにエリアンが言った。リシャナは普段から伏し目がちの目をさらに細めた。
「私がまだほんの小娘だった自分の話だ。王位継承戦争末期でな。私は兵を率いて戦ったが、そのほとんどが戦火に失われている。マースの父も、王位継承戦争で亡くなったのだったな」
「あ、ええ……」
話を振られて、マースがまごつきながらもうなずいた。北のあたりで戦ったのなら、リシャナの指揮下にいた可能性が高い。
「ティモンは、私の直属の麾下で生き残った、数少ない一人だな。まあ、詮索されて、あまり気持ちの良い話ではない、ということだ。せめて私が話そうとするまで待つんだな」
「わかった。すまない。踏み込んでしまったな」
後ろから抱き寄せられて、反射的に肘鉄を入れた。マントでずれたので、みぞおちには入らなかったようだが、エリアンはうめいた。
「ルーベンス公、大丈夫ですか」
マースが心配そうにエリアンに問いかけているのが聞こえた。彼に大丈夫だ、と片手をあげたエリアンは、次いでにやりと笑った。
「待っていれば、話してくれるんだな」
「もしかしたらな」
「十分だ」
そんな話をしている内に、宮殿内に入り、ヘルブラントの従僕に案内されてギャラリーに向かった。ヘルブラントとリュークがいるのを見て、リシャナはエリアンとマースを下がらせた。というか、マースはともかく、何故エリアンはついてきていた。仕事に戻れ。
「過保護だな」
「過保護なのでしょうか、あれは」
苦笑するヘルブラントに、リシャナは困惑して言った。リュークも苦笑気味に「リシェの飼い犬に見えるね」と言う。こっちの方がひどい気がする。
「御用ですか?」
「用、というほどではないが。とりあえず、祖母のフェリシアの肖像画だ。リシェと似ているな」
「……」
父方の祖母フェリシアの顔を、肖像画とはいえ初めてまじまじと見たかもしれない。祖母がいた記憶はあるが、リシャナが幼いころに亡くなっているので、本人の記憶はリシャナにも、そしてリュークにもなかった。
確かに、自分とよく似ている、と思った。四十代くらいのころの肖像画だろうか。髪は黒ではなくヘルブラントに近いダークブラウンだし、瞳の色もおそらく、リシャナよりも濃い青だ。リシャナも自分の肖像画を描かれたことがあるが、瞳の色はこんな色彩ではなかったと思う。
それでも、自分で納得してしまうくらいに造作は似ていた。
「母上はおばあ様と仲が悪かった……というより、恐れていたからな」
「それはリシェを虐待する理由にはならないと思うけど」
リュークが不愉快そうに言った。おそらく、リュークは兄妹の中で一番リシャナとともにいる時間が長い。それはつまり、王太后のリシャナへの振る舞いを、一番見ていた、ということでもある。リュークは変人だが、唯一の妹のことは可愛く思っていたようで、よく母親の気を引いてくれていた。まあ、リュークも弁がたつ方ではないから、すぐに会話が途切れていたが。
「それを言われると俺も弱いんだよなぁ」
まあ、誰もが多少は見てみぬふりをしていたので、今更だ。過ぎたことである。今リシャナは無事に生きているので、それでよい。
「で、本題だが」
ヘルブラントは、祖母フェリシアの肖像画の前で立ち止ったままだ。隣の当時の国王の肖像画を眺めていたリシャナは長兄を見上げた。
「明日の宴に、母上も参加する予定だ」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
リシャナ様男装の麗人。




