03.北方守備軍
十日後、リル・フィオレ王国北方守備軍は、ラーズ王国最南端の要塞、ペザン要塞を攻略し、その要塞内に陣取っていた。この要塞の指揮官は捕らえて地下に放り込んである。今は、国王からの返事待ちだ。
「どうも、去年の秋に不作で、食べるものに事欠いて、攻め込んできたようですね。ここの領主の独断のようです」
「だろうな。うちは特段不作でもなかったはずだが、大方ここの領主が税をごまかしているんだろう」
ラーズ王国内に入って、わかったことがある。それが、今ヤンとリシャナが話していることだ。二人は寒い要塞内の廊下を歩きながら話をしていた。
「ははあ。それで、税をごまかしていることを王都に知られるわけにはいかず、やむなく他国に攻めてきたと……巻き込まれる方はたまったものではないですが」
「収穫高が少なかったのは事実かもしれないな。北で農作物が育ちにくいのは確かだ。もしくは、領主が自分の懐に入れる分を増やすために、いつもより多く徴収したか、だな」
だがこれは、農民の反乱などではなく、領主が指示してやらせている。通常、食うものに最初に事欠くのは平民だ。彼らの反乱は、通常、国外ではなく自分たちを治める者に向かう。この場合は領主だ。
もしかしたら、もう反乱は一度起きた後なのかもしれない。反乱がおき、その反乱者たちの敵意を自分たちからそらすために、リル・フィオレ王国に攻め入ることにした……ありえそうな話に思えた。共通の敵は、結束を強くするものだ。しかも、リシャナと同じように国境を任されているだけあって、ここの指揮官はかなり手ごわかった。領主も悪知恵が働くようであるし。
これらは、リル・フィオレ王にも報告してある。現在、事実上アールスデルスから国境を越え、このペザン要塞までをリシャナが支配している。もしかしたらラーズ王国は今頃、ここを取り戻すための軍を編成しているかもしれないが、到着には時間がかかるだろう。その前に、リシャナの兄王の返事が来る。
「そういえば、我が君。昨日、面白い子を見つけたんですよ。これが、画家になれるんじゃないかって言うくらい絵がうまくて」
一兵卒なんですけど、とヤンが言う。彼は気さくな性格で、平民から徴兵されている歩兵たちとも仲良く話をしている。リシャナも身分をかさに着るタイプではないが、たいてい相手の方に怖がられて終わる。
「家のものは、画家にその子を弟子入りさせなかったのか?」
ヤンが面白い子、と言うので、その子はまだ少年なのだろう。ヤンはやや童顔だが三十歳だし、リシャナも二十五歳だ。十代であれば十分『子』になる。
「家族が多くて、養うために兵士になったらしいですよ。父親も軍人だったそうで」
「北方守備軍か」
「いえ。王位継承戦争に参加したそうです」
ヤンの言葉に、リシャナはわずかに眉をひそめた。
王位継承戦争……八年前に終結したその戦争は、リシャナが指揮官として頭角を現す原因になった戦争である。おそらく、平和な時代なら、リシャナは少し変わった姫君で人生を終えたはずだ。
「まあ、父親は怪我をして足が不自由らしいですが、ちゃんと生きているそうです。でも、軍をやめたら収入が減ってしまって。今の北方守備軍はちゃんと給料が払われるので、志願したと言っていましたね」
「そもそも、給料も満足に払っていなかったということが嘆かわしいが……」
リシャナは少しあきれた口調で言った。
「その話、なぜ私にする」
「我が君はこういう話に弱いでしょう。私も似たような立場でしたし、あなたの侍女のフェールや、女医のエステルもそうです」
「お前に関しては、完全についでだ」
「えっ」
ヤンがショックを受けた表情になった。そんな顔をされても、事実は変わらない。
「クラウス卿!」
少年が走ってきた。呼ばれたヤンと、つられてリシャナがそちらを見る。そばかすの浮くその少年は、リシャナの顔を見て「あっ」と声を上げた。紅くなってもじもじとリシャナを見上げる。
「マース、キルストラ公に失礼だ。礼をとりなさい」
「も、申し訳ありません!」
マース少年はその場で王族に対する礼をとった。少しぎこちないところが逆に好感を持てる。
「構わない。楽にしてくれ。ヤンに用があったのだろう」
「あ、いえ、その」
はっきりしろ、と言いたいが、それを言うのはちょっとかわいそうかと思って黙っていた。ヤンが「あー」と困った声を上げる。
「マース、何の用かな」
「あ、はい! その、これが届いたので、その、総督閣下にお渡しするようにと、アントン様に言付かっていて」
と、マースが差し出したのは手紙だった。その白い小さな手紙は、魔法で作られた伝書鳥が運んできたものだ。早馬を飛ばすよりも早いので、軍内では伝令として使われている。もっと早い方法もあるが、距離的な制限などもあるので、もっぱら伝書鳥を使うことが多かった。
宛名を見ると、確かにリシャナ宛だ。マースの立場では直接リシャナに会えないと思い、ヤンに預けようとしたのだろう。たまたま最終目的地のリシャナがヤンと共にいたので、彼女は直接マースから手紙を受け取った。
「ありがとう」
「い、いえっ」
上ずった声でマースは返事をした。リシャナは封を切って手紙を読む。兄王からだった。
「兄上がラーズ王国と交渉に入ったようだ。戦争ではなく、一領主が独断で隣国を攻めた、という扱いになるようだが」
それは事実なので、兄にはこのまま交渉を進めてもらおう。兄なら問題なく良い条件でこの状況を治めてくれるだろう。
「どうなりそうですか」
「それは私の出方次第だろうな」
「と、言うと?」
「私が、『ここは私が奪い取った地だ。譲らん』といえば、ラーズ王国はこの場所を買い上げるしかないということだ。まあ、事実上の賠償金だな」
そして、リシャナはそう言う所存である。兄もだてにリシャナの兄を二十五年もしていないので、妹の考えることはわかっているだろう。その方向で進めるはずだ。
「えっ。賠償金をもらうとはいえ、ここを手放してしまうんですか」
リシャナとヤンの視線が、発言者であるマースの方に向いた。彼は可愛そうに。司令官と副司令官に見つめられて赤くなる。
「も、申し訳ありません……」
「いや、怒っているわけではない」
とっさにそう返したが、違ったかな、と思った。不機嫌そうだ、と言われることが多いリシャナは、怒っているのだと勘違いされることがよくあるのだ。
「マースだったか。お前はここを、リル・フィオレとして支配すればいいと思うか」
「その……閣下が勝ち取ったものですし」
恐る恐るマースが言った。リシャナは「そうだな」とうなずく。
「口では『譲らん』などというが、実際のところ、私は統治するつもりなどないからな」
もともと国が違うので、支配するには難しいし、ここはリル・フィオレの中央から離れすぎている。統治するならキルストラ公爵領に組み込まれるだろうが、そうなるとリシャナの所領は国王の所領に迫る。別の貴族に与えるには、国境という難しい地すぎた。
「まあ、陛下がどれだけ賠償金を請求できるかにもよりますね。実効支配したとして、あまりうまみのない地域ですし」
ヤンもさらっと言った。だから、リル・フィオレの方に彼らは攻め込んでくるのだ。
「む、難しいですね……」
マースが顔をしかめる。ヤンは微笑んだが、リシャナは無表情のままだった。
「あくまで我々はそうだ、という話だ。正解があるわけではない。誰かにとって正解でも、誰かにとっては間違いかもしれない」
「は、はあ……」
「教訓めいたことを言いますね、我が君」
ぽかんとするマースに、苦笑を浮かべるヤン。リシャナは手紙の返事を書くために執務室に使っている部屋に向かおうとし、その前に言った。
「今度、画家になれるくらいうまいという絵を見せてほしいものだな」
そう言って立ち去る主の細い背中を見つめて、ヤンが叫んだ。
「え!? どこで分かったんですか!」
マースは、ヤンが話題に出した『画家になれるくらい絵がうまい』という少年だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
一応『守備軍』なので、防衛が主な役割な北壁なのですが…。