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36.記憶











 同じ晩夏とはいえ、王都は北部より多少温かく感じる。感じるだけかもしれないが。


「リュークは少し遅れるそうだ。まあ、俺も本命はお前だからな」

「……」


 まあ、確かに軍権を掌握しているのはリシャナである。笑顔でそんなことを言うヘルブラントへの返答を困った結果、リシャナは無言で通した。


 御前試合である。今は予選の終わりのころで、もうすぐ本戦が始まる。リシャナは開会に参列する予定なのだ。ヘルブラント曰く、リシャナがいるといないのでは騎士たちの気合が違うらしい。

 御前試合はいわゆる剣術大会だ。リシャナが本気で評価すると、戦場では剣よりも弓矢の方が人を殺せる、なのだが、そんなことは戦士の王たるヘルブラントだってわかっているだろうから黙っておく。

 だが、剣の扱いが巧みなものは、よく修練を積んでいて、平たく言えば「使える」。だから、リシャナがスカウトしていくのもまた事実だ。それもあって、ヘルブラントはリシャナに「絶対来い」などと言ったのだろう。


「髪も伸びたな」


 冬の終わりに戦勝報告に来たときは肩に付くほどだった黒髪も、今は胸元にかかるほどだ。下ろしたままの髪に触れてくるヘルブラントに、リシャナは「切りたいのですが」と言う。

「何故お前はそう、髪を短くしたがるんだ」

 別に長いのが嫌なわけではないが、短いのに慣れるとこっちの方がいい気がするのだ。しかし。

「フェールたちに切るなと言われたので」

 正確には切らないでほしい、と泣きつかれたのだが。前回切り落としてくれたエステルも、今回は首を縦に振らなかった。解せぬ。

「お前の侍女か。そういえば、今回は連れていないんだな」

「ああ……子ができたとのことで、領地に置いてきました」

「子供ねえ……確か、クラーセン伯爵の娘だったな? お前が娘をたぶらかして拉致したのだ、と訴えられたのを覚えている」


 フェールの父親の話だ。


「公爵である私が伯爵家の娘をどうしようと私の勝手ですからね」

「何故お前はそう露悪的なんだ。話を聞いた結果、お前が預かることに許可を出したのは俺であるのだし」

 ヘルブラントがリシャナの髪をくるくると指に巻いてもてあそびながら言う。リシャナはされるがままになりながら口を開いた。


「……兄上には感謝しています。一応」


 リシャナの言葉を聞いて、あからさまにヘルブラントは嬉しそうな顔になった。

「そうか。俺もお前に感謝しているぞ。後はお前の子供を見ることができれば完璧だ」

「……たまに、兄上は私の父上だったかと錯覚します」

 今の言葉とか、父親が娘に言うような言葉だった。ヘルブラントは「そうか?」と首を傾げ、リシャナの髪から手を放した。

「まあ、年が離れているからなぁ」

 九歳差だ。間にも何人かきょうだいはいたが、みな死んでしまった。残っているのは、国外に嫁いでいるアルベルティナを含めて四人だけ。そういえば、アルベルティナが贈ってきた布地はどうしただろうか。

「よければ予選も見に行ってやってくれ。美人が見ていると気合が違うからな」

「……まあ、行くつもりではありますが」

 それにリシャナはどう反応すればいいのだろう。退出しようとして、ふと尋ねた。


「兄上、エリアンはどうしましたか?」


 言った後に、しまった、と思った。ヘルブラントの顔がにやりとゆがんだ。


「そうかそうか。気になるか」


 兄のことは嫌いではないが、こういうところは面倒くさいと思う。

「あいつは領地だよ。いつまでもここで雑用させているわけにはいかんからな」

 御前試合の本戦までには戻ってくる予定だ、とヘルブラント。エリアンはルーベンス公であるので、リシャナと同じく領地がある。一定期間領地に入って、領内をまわさなければならないのだ。

「……エリアンには感謝だな。前にアイリたちも言っていたが、変ったよ、お前」

「そう、かもしれません」

 よく笑うようになった、とは思う。もう人を好きになることなんてないのではないか、とも思っていた。エリアンの押しの強さはすごいと思う。

「お前に感謝はしているが、悪いとも思っている。母上に虐待されているのを知りながら、助けてやれなかった。お前を戦場に縛り付けた」

「王位継承戦争中でしたし、仕方がないのではないでしょうか」

 リシャナがそう言うと、ヘルブラントは「言い訳だなぁ」と苦笑する。実際、ほとんど一緒にいないヘルブラントでは、母からリシャナをかばうのは難しかったと思う。


「だが、戦場にお前を縛り付けて、今でもそのままだ。もっと、女の子らしいことをさせてやればよかったな、と思うこともある……お前は戦場に向いていないと、リニにも言われていたんだが」


 リニ。久しぶりに聞くその名に、リシャナはゆっくりと目を閉じた。彼はそんなことを言ったのか。


「あれから考えたんだが、お前の初恋ってリニだろう」


 ぱっとリシャナは目を開く。澄み切った瞳でヘルブラントを見上げた。

「遅い反抗期に入ってもよろしいでしょうか、陛下」

「お前はいつでも微妙に反抗期な気がするが、そうか。あたりか」

 馬鹿にするでもなくからかうでもなく、ヘルブラントはただ「お前はなかなか見る眼があるな」とだけ言った。ヘルブラントは洞察力が鋭いと思う。リシャナはどちらかと言うと直感派であるので。

「あれも惜しかったな。平民だったが優秀な男だった」

「兄上はそういうところ、先進的ですよね。私を国境に置いたこともそうですし」

 だからフェールの父のクラーセン伯爵とは気が合わないのだろう、と思う。表向き彼もしたがっているが、内心はどうなのだろう、と思う。フェールに聞いても、どうやらクラーセン伯爵は保守派のロドルフに近い考え方の持ち主だったようだ。

「おかげで反感も買っているがなぁ」

「人は変化を恐れるものです」

「そうだな」

 ヘルブラントはリシャナの頭を軽くたたくと、「エリアンが来たら教えてやるよ」と言った。一応礼を言っておく。


「ありがとうございます」


 今度こそ本当に退出した。なんだか疲れた。

 リニ・カウエルはリシャナがアールスデルスに封じられるまで彼女の副官を務めていた人物で、ヘルブラント察しの通りリシャナの初恋の相手だ。恋、だったのだと思う。後から考えれば、そうだったのだと思う。気づいたときにはもう終わっていた。戦死したのだ。リシャナを先に行かせるために。もっとも、リニは平民の出であったので、それ以前の問題であった気もする。

 まあ、もう終わったことだ。彼が教えてくれたことが彼女を形作っているのは確かだが、それだけがすべてではないのだともうわかっている。


 懐かしい。その思いが一番なのだと思う。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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