34.フェール
再開はフェールの話から。
またしばらくよろしくお願いします。
私は自ら望んでキルストラ公について行った。あの時、私の望む生き方をしていたのが、キルストラ公しかいなかったのだ。そして、それは今も変わらない。
クラーセン伯爵令嬢 フェール・ファン・エルヴェン
十八歳のフェールは、両親からのお見合い攻撃に辟易していた。十八歳というのは、婚期として遅すぎるわけではないが、早いわけでもない。ただ、フェールの両親が彼女を結婚させたがるのには理由がある。
フェールは頭の良い少女だった。特に父は、娘が賢しすぎるのが気になるようだった。彼女が魔術師であったのも関係していると思うが。
その日も、フェールは夜会で見合い相手と引き合わされていた。普通なら、娘の意向も聞かずに縁談をまとめてしまうだろうから、それを考えるとまだ優しい方なのかもしれないが、納得はできない。結婚するのが嫌なわけではないのだ。ただ、自分のしたいことを無理やりやめさせようとするのが気に食わないだけで。
この国には女性が聡明すぎることを忌避する男が多い。女もそれをわかっているから、頭がよくてもそれを表に出さない者が多い。みな、結婚が最終目標であるからだ。
だが、フェールは自分を押し殺すくらいなら結婚なんてしなくていいと思っている。もちろん、今はただ憤りが大きいだけかもしれないが。
とにかく、求婚者を振り切って夜会会場の庭園に出たフェールは、奥まった陰になっている場所にあるベンチに座り、履いていたヒールを脱いだ。フェールの存在に気づいたか、隠れて逢瀬を楽しんでいた男女がそそくさと逃げ出していくのが見えた。不倫だろうか。ふん、と鼻を鳴らす。今はとにかく何もかもが気に食わなかった。大きく足を振ると、もう片方のヒールが飛んだ。
「あっ」
さすがにやってしまったと思った。いくらフェールが破天荒でも、恥じらいくらいあるのだ。というか、ストッキングだけでこの庭を歩くのは結構勇気がいる。なんだかんだで、彼女は温室育ちのお嬢様なのだ。
とりあえず普通に脱いだ方のヒールを履きなおすが、高さが違いので歩けない。どうしよう、と一瞬考えているうちに、その悩みは必要なくなった。
「失礼。君のかな」
軍装の人だった。細身ですらりとして見え、長い黒髪を三つ編みにしている。軍装ということは男性服であるが、女性だとわかった。男装の麗人だ。この国に、そんな人間は一人しかいない。
キルストラ公リシャナ。国王ヘルブラントの妹姫。
その高貴な男装の麗人は、片手にフェールのヒールをぶら下げていた。なんとなく気恥ずかしくなって顔を赤らめる。
「……そうです」
「そうか。突然飛んできたから、驚いた」
という感想だけ言って、リシャナは膝をついてフェールにヒールを履かせてくれた。その動きがあまりにも自然で、口をはさむすきがなかった。
「すみません……ありがとうございます」
「いや」
言葉少なに返すと、リシャナは立ち上がる。
「女性が暗がりで一人とは、危ないと思うが」
しれっとリシャナは言うが、彼女とて女性なのでは。軍装だし、まさか王の妹たるキルストラ公に何かするような相手がいるとは思えないが。何しろ王がこの妹を可愛がっているので。
「いえ……会場には戻りたくなくて」
と言った後で、これはリシャナの戦勝祝いだと言うことを思い出した。
「あ、いえ、閣下を祝いたくないわけではなく!」
「構わない。今更という気もするし、主役が抜けても気づかないような夜会だからな」
隣に腰かけるリシャナを見ながら、うわあ、と思った。クールというか、冷淡というか。仮にも自分の兄が自分を祝ってやろうと開いているのに。
「……夜会は苦手ですか?」
「というより、人が多いところが苦手だな」
あれだけの軍隊を率いておいて、何を、と思わないでもなかったが、この時のフェールはさすがに少なからず緊張していたので、それ以上聞かなかった。
思えばこの時、リシャナはフェールを一人にしないようにその場に残ってくれたのだと思う。本人に聞いたことはないが、当時のリシャナからはフェールに何も聞いてこなかったし、たぶんこの推察は正しいと思うのだ。思い返せば、名前すら聞かれなかった。こちらは一方的に知っていたけど。身分が高いと、往々にしてあることだ。
結局、リシャナにエスコートされて会場に戻ったのだが、その後親と喧嘩になった。
「婚約者を置いて外に出た挙句、キルストラ公爵にエスコートされて戻ってくるだと? 恥を知れ!」
「婚約者じゃないわ! 縁談だって取り下げられたの知ってるわよ!」
「ああそうだ! お前がキルストラ公爵などにエスコートされてくるから、求婚相手が減っただろう!」
「はあ!?」
この大げんかには母も兄たちも口を出さなかった。完全に二人とも興奮していたので、巻き添えが嫌だったのだろう。
父は、クラーセン伯爵は旧套な考えの持ち主だった。先の王位継承戦争では中立的だったが、どちらかと言うと、敗れたロドルフの方に近い考え方をしていたのだと思う。現国王ヘルブラントは、なかなかに革新的な考え方の持ち主だった。
そうでなければ、十三歳の妹姫に一軍を預けたりしない。これは、なかなか頭がおかしいと思う。
結果、リシャナは戦争の天才としてその地位を確固たるものにした。国内で一定の地位を築いた。政治的なセンスもあり、ヘルブラントは、もしかしたら弟のバイエルスベルヘン公爵リュークよりも、妹の方を信頼しているかもしれなかった。
それが多分、父は気に食わない。王の妹、王女が相手だとしても、女性が前に出ているのが気に入らないのだ。だからこその侮るようなあの発言。敵意を持った言葉。
だが、残念ながらフェールの方は、リシャナに共感する。別に、戦いたいとか、そういうことではない。フェールだって自分自身の力で生きていきたい。自分の力を試してみたい。誰かに生き方を強制されたくない。
気づけば、フェールは屋敷を飛び出していた。ぐずぐずしていられない。リシャナは北の大地を治める公爵だ。そう経たずに領地へ戻ってしまうだろう。摑まえるなら今しかない。
「閣下!」
リシャナは、ちょうど帰領準備をしていた。フェールは女性とはいえ、さすがにこの勢いで王族に詰めよれば衛兵に止められる。だが、リシャナはそれを手を振るだけで止めた。解放されたフェールはたたらを踏む。
「まあ、閣下。どこでたぶらかしてきましたの?」
背の高い、やたらと妖艶な女性が茶化すように言った。フェールは驚いたが、リシャナは気にするそぶりもなく「人を女たらしのように言うな」と不機嫌そうに目を細めている。侍女らしいその女性は笑った。
「わかっておりますわ。人たらしなんですものね」
「勝手に言っていろ」
あきらめたらしく、リシャナはフェールに向き直った。
「どうした? 確か、クラーセン伯爵家の」
「フェール・ファン・エルヴェンと申します、閣下」
そういえば名乗りもしなかった。リシャナは責めなかったが、それはフェールに興味を持っていないと言うことだ。
「閣下。私を閣下の元で働かせてください!」
「……うん?」
フェールはついに、リシャナの鉄面皮を動かすことはできなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
フェールが18歳、リシャナは20歳くらい。
フェールは自分からついていった人。




