26.王太后について
エリアン曰く、母が狩りに参加する予定はないそうだ。リシャナだって聞いていない。ひとまずエントランスに駆け付けたリシャナたちは、たくさんの使用人を連れたカタリーナを見た。リシャナはエリアンにささやく。
「できるだけ、顔を覚えておいてくれ」
「承知した」
軽く請け負うと言うことは、記憶力に自信があるのだろう。うらやましい限りだ。
「ようこそ、母上。いらっしゃるとは思っていなかったので、驚きました」
できるだけ婉曲に「来るなんて聞いてないぞ」と伝える。おそらく、ヘルブラントにもリュークにも言っていないだろう。聞いていたら、リシャナに伝えるはずだ。
「相変わらず嫌味な子ね。この城も、お前と同じで暗いこと」
「もともと、城塞ですから」
北壁から国内に下がったところにある要塞を改築したのがリーフェ城なのだ。おとぎ話のようなお城に憧れがないわけではないが、住むにはやはり、機能的な方が良い。
「本当に、戦うしか能がないこと」
何も教えなかったのは母の方である。これは逆恨みなのだろうか。
「……とりあえず、どうぞ。お疲れでしょう」
「お前の世話になるなど、業腹です。こっちで勝手にやります」
「……」
この人は本当に何をしに来たんだ。
「母上。ここは、仮にも私の城なのですが」
言外に好きにするな、と言うが、王太后も引かない。ツンと顎をあげてリシャナをにらんだ。
「だから? お前がいかほどのものだと言うの。わたくしの子を殺したお前の言うことを、わたくしが聞く義理があると思うのですか」
「母上。問題が混同されています。ここが私の城であることと、私の兄弟たちが死んだのは別問題です」
「お黙り!」
リシャナが言い切る前に王太后はヒステリックに叫んだ。リシャナの眉が顰められる。
「お前はいつもわたくしを下に見ている! 誰がお前を産んだと思っているの!」
「論旨が矛盾している。いつも、『お前などわたくしの子ではない』と言っているのは誰ですか」
さすがにあきれて言うと、再び「お黙り!」と叫ばれた。甲高い声が耳に痛い。
「お前など、わたくしの子であるものか! お前ごときが公爵を名乗るな!」
「それは兄上に言ってください」
別にリシャナがくれと言って貰ったわけではない。むしろ、リシャナはロドルフの元へ嫁に行くのだと思っていた。あの時点で結婚していない王女は彼女だけだったから、落としどころとしてそこが妥当だろうと思っていた。
「母上! こんなところでお会いするとは。ご機嫌麗しく」
まったく麗しくなさそうだった王太后だが、リシャナとの間に割って入ったヘルブラントを見て優し気に目を細めた。
「元気そうで何よりです、ヘルブラント。あなたが辺境に行くと言うので、心配していたのですよ」
「ご心配いただかなくても、ちょっと遊びに来ただけですよ。さあ、母上」
ヘルブラントが王太后の背中を押して誘導する。ちらっと視線を向けられたので、軽くうなずいた。適当な客間をあてがってくれ。どの部屋も似たようなものだが。
母と兄が見えなくなってから息をつくと、肩に誰かが触れてきてびくっとしたが、エリアンだった。無言だったので存在を忘れていた。
「大丈夫か? 俺が割って入ったら、余計にこじれるかと思って」
そういえば、そんなようなことを言った記憶がある。リシャナはうなずいた。
「ああ、そうだろうな。大丈夫だ、ありがとう」
そう言ってエリアンを押し返そうとしたが、彼は逆に顔を近づけてきた。リシャナは顔を引く。
「相変わらずあたりがきついな。きついと言うか、恨まれていないか?」
「どうだろう。気にしたこともないが……母上に言わせると、私の双子の兄が死んだのは私のせいらしくてな」
「それは……子供のころの話だろう」
幼い子供が夭折するのは、この時代、よくある話だ。リシャナの兄妹も何人も死んでいる。だから、母の言い分が言いがかりだと言うこともわかっている。
「だが、母上がリシャルトのことを覚えているのなら、それはそれでいいのではないかと思う」
みんなに忘れられてしまうより、誰かが覚えている方がリシャルトもうれしいのではないか。そう言うと、エリアンが苦笑を浮かべた。
「あなたは優しい人だな」
「どうだろうな」
「王太后は、美しく優しく力もあるあなたに嫉妬しているんだ」
頬をいとおし気に撫でられてくすぐったさを覚えつつ、少し驚いていた。それを本気で言ったとしたら、エリアンはよく見ている、と思った。
「お姉様曰く、母上は女に厳しい女なのだそうだ」
リシャナには特別あたりのきつい母であったが、姉たちにもきつく当たる人だった。王太后……カタリーナが構わない分、その夫が娘たちを可愛がったと言うのも理由の一つかもしれない。一番上の姉、先日お祝いだと大量の布地を贈ってきたアルベルティナに言わせると。
「自分より若い女に嫉妬してんのよ」
ということらしい。そう言って、十七歳で嫁いでいった。つまり、そのころリシャナは七歳だったのだが、とても記憶に残っている姉だ。
「とりわけ、リシャナはおばあさまに似て美人さんだもの」
「そうね。目が似てるわ。お母様、おばあさまが苦手だったものね」
そう言って、亡くなった二番目の姉タチアナも同意していた。リシャナは記憶がないが、彼女は父方の祖母によく似ているのだ。
「というと、フェリシア様か。俺も、肖像画でしか見たことがないが」
「当たり前だろう」
何しろ、リシャナが三つか、その時分に亡くなっている。エリアンなどまだ生まれていなかったのではないか。
「曰く、母は祖母にいつもいびられていたそうだ」
「……国外から嫁いできたんだ。多少、教育が厳しくなるのは無理からぬことじゃないのか」
エリアンのツッコミに、リシャナは軽やかな笑い声をあげた。
「母には、そう言った合理的な判断ができないんだ」
と、思うことにしている。祖母は、リル・フィオレの公爵家の出身だった。王族の血を引く一族の淑女であり、身体が弱かったと言う当時の王を支えるために王家に入った。だから、祖母が女性にしては聡明で苛烈なのは当然の話であり、母の言っているようなことはなかったと思う。実際、長兄ヘルブラントも、祖母は母に気遣っていた、と言っていた。
「……どうした」
見ると、エリアンが驚いた顔で固まっていた。視線がリシャナの顔に固定されていたので、思わず自分の顔に触れた。
「いや……あなたが楽しそうに笑うのを、初めて見た気がして」
「ああ……」
そういえば、久々に笑った気はする。姉といるときは、もう少し笑っていた気もするが。
母の前ではもちろん、兄の前でも特段笑ったことがないような気がした。全く笑わないわけではないが、楽しそう、と言われる笑顔を見せたことがない気がする。
「いいと思うぞ。美人が引き立つ」
「お前は私の眼が好きなのだったか」
「あながち間違いではないな。その強い眼差しに目がくらんだんだ。だが、今はその優しい性根も好ましく思っている」
真面目な顔で力説してくるので、リシャナは「そうか」と苦笑した。
「私も、お前が思っているよりは、お前のことが好きだと思うぞ」
たぶん。真顔だったエリアンは、ぽかんとした表情になったので、リシャナはまた笑った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
兄弟のほどんどが子供のうちに亡くなっている、という設定です。




