25.欲しいもの
リシャナとエリアンが現場に到着した時、すでにヘルブラントが到着して采配していた。
「兄上、ありがとうございます」
「おう。礼を言うならお兄様と呼んでくれ」
「お兄様」
平坦な声音で言ったが、ヘルブラントは思いのほか喜んで相好を崩した。ちょっと引いた。
「リューク兄上」
「……これは、ごめん。城を破壊しちゃった」
「それはいいのですが」
「いいのか」
ヘルブラントからツッコミが入ったが、それはいいのだ。治せばいいだけだから。
「火砲の実験をするなら、もっと広い場所でやってください。そして、ここは私の城です。私の許可を得てからしてください。ここでは、私がルールです」
「ああ、わかるぞ。みんな。『キルストラ公のお兄様だから』って俺に従ってくれるものなぁ。『国王だから』じゃないんだぜ」
ヘルブラントが合の手を入れるが、無視する。エリアンに相手を頼もう。
「尤も、私と攻城戦をしたいのであれば別ですが。崩してもいい城を用意します」
「それ勝てないやつ!」
リュークがツッコむように言った。もちろん、五分の条件で戦っても、リシャナはリュークに勝つ自信がある。攻城戦は難しい。たとえリュークが新兵器を開発していたとしても、城を守り切る自信があった。
「……すごく怒っているのはわかった……ごめん」
「気を付けてください。城は直せますが、今は人が多いですから、巻き込まれでもしたら目も当てられません」
「すみません……」
さすがのリュークもうなだれている。自分の城ではないからだろう。リシャナはめったなことでは怒らないが、淡々とした説教が逆に効く。
「あと、明日、狩りに行くんですから、大きな音は出さないようにしてください。動物が逃げます」
狩りなのに、狩るものがいなかったらどうする気なのだ。まあ、距離的に、森まで音は届かないだろうけど。
「あら、終わったの?」
約束通りに臨時音楽教室に顔を出すと、アイリがころころと笑った。ニコールが「夫がごめんなさいねぇ」と苦笑を浮かべている。
「いや、構わない。慣れている」
一番リュークに反省してもらわなければならないのは、ルナ・エリウ開城戦の際、十三の妹に防衛の指揮をとらせたことだ。向いていないのは事実とは言え、もう少し方法があったと思うのだ。
「叔母上、こんにちは。今日も美人ですね!」
八歳にしてこんなことを言うのはアーレントだ。リシャナも「こんにちは」と返す。なついてくれるので、普通にかわいいと思う。
「おばさま、こんにちは」
「はい、こんにちは」
ヒルダにも舌足らずにあいさつをされて、さすがのリシャナも頬が緩んだ。ふえふえ、と乳母に抱かれたモニクが力ない泣き声をあげている。
「子供の力というのは偉大ねぇ。氷の美貌のあなたも笑わせるんだもの」
ちょい、とアイリに頬をつつかれて、「何ですか、それは」と真顔で尋ねる。アイリが「そういうところよ」と笑った。
「どうする? 参加していく?」
アイリはピアノを前にしていた。アーレントはヴァイオリンをだいぶ弾けるらしい。ヒルダは半分遊んでいるだけだが、音楽に触れるだけでもいいのだろう。父親がリュークなのだ。多少興味を持たせておかないと、全く音楽に関心のない人生を送るかもしれない。
「遠慮しておきます」
聞いているだけでいい。ニコールが「あら」と言って抱っこしていたヒルダを差し出してくる。思わず受け取ってしまったが。
「たかい!」
ヒルダは楽しいようで騒いでいる。確かに、リシャナはニコールよりも背が高いが。
「私もちょっと参加してくるわ。ヒルダをよろしくね」
「あ、ああ」
しばらく、ニコールのフルートも混じった三重奏を聞くことになった。ヒルダが音楽に合わせてふんふん鼻歌を歌っている。
「おばさま、おどって!」
「残念だが、ダンスも苦手だ」
一応、ワルツを踊るくらいの運動神経はあるが、苦手な部類に入るだろう。ヒルダがむくれたので、立ち上がって歩き回ってやる。アーレントがヴァイオリンを置いてやってきて、ヒルダと手をつないで踊り始めた。なかなか面倒見が良い少年だ。和む。
「リシェって結構子供好きよね」
ニコールが笑いながら言った。リシャナは首をかしげる。
「別に、普通だと思うが」
「そう? 結構子供たちのこと、構ってくれると私も思うわ」
「猫も好きよね? 案外、可愛いもの好きなのかしら」
「……」
それについては否定できなくて、リシャナは口をつぐんだ。疲れてくるとヤスメインとその子猫たちと遊びに行っているのは事実だ。その関係で子供たちともよく遊んではいる。
「その顔は図星って顔ね」
「あら、ニコール、よくわかるわね……」
「勘ですわ」
さらっとニコールがそう言った。だが、おおよそあってはいる。
「まあ、嫌いではない」
「では、今度可愛らしい小物でも贈るわね」
「残念ながら、かわいらしい格好はあまり似合わないわよね……」
「そもそも着ない」
アイリの言う小物くらいなら部屋に置くが、服はちょっと遠慮したい。ニコールが言うように、似合わないだろうし。
しばらく練習を聞いて、リシャナは兄嫁たちと別れた。明日の狩りの確認をするために、執務室に戻る。
しかし、駄目だ。少し眠ろうと行儀が悪いがカウチに横になる。二日連続真夜中にたたき起こされたのが駄目だった。戦場なら三日寝ない、くらいはよくあるが、平時では平時の体内時計があるのだと思う。少なくとも、リシャナにはある。とにかく、少し眠ろう。
そう思って目を閉じたが、ほどなく目を開く。耳元で、みゃあ、と子猫が泣いた。
「起きたか」
「……何をしている、お前」
わざわざカウチの側に椅子を引っ張ってきて、エリアンがリシャナを覗き込んでいた。腹が重いのはかけられたブランケットの上にヤスメインが乗っているからだった。
「あなたの寝顔を見ていた。少しはましな顔になったな」
「いつもこんな顔だ」
「多少やつれていてもあなたは麗しく美しい」
「……」
顔の横に子猫がいるのと、腹にヤスメインが乗っているので動けなかったが、虚無の顔をしていた自覚がある。エリアンも慣れたもので、リシャナの反応を受け流している。
「寝言を言っていたぞ」
横になったままエリアンの顔を見ると、彼は肩をすくめた。
「お姉様、と言っていたのはわかったが」
本当に聞き取れなかったのが、配慮してくれているのかわからないが、エリアンはそうとだけ言った。言われてみれば、確かに姉たちが出てきていたような気がする。
「昔……子供のころなんだが」
「ああ」
突然話し出したリシャナに驚きつつ、エリアンが相槌を打つ。リシャナは返事を聞いてから再び口を開いた。
「お姉様たちと一緒に、父上に何か欲しいものはないかと聞かれたんだ。生誕祭か何かだったと思う」
正確には覚えていないが、何かの記念日だったはずだ。お祝いなどではないが、記念に小さなものでも贈ろうと父が言ったのだ。
「姉たちは、新しい髪飾りが欲しいとか、鏡が欲しいとか、すぐに答えていたんだが、私は何が欲しいかわからなくて」
何も言わなかった。父から見えないところで母がにらんでいたからとか、そういうことではなく、本当に欲しいものが思いつかなかったのだ。
「父上は困ったように笑って、私の頭を撫でていた……という、夢を見ていた」
「夢か。……昔あったことか?」
「実際にあったことだな」
懐かしい夢を見た。どんなドレスがいいか聞かれたり、可愛い小物を贈ると言われたり、当時のことを思い出すことが多くあったからだろうか。夢に見た。
「お前は子供のころ、何を欲しがった?」
リシャナが尋ねると、エリアンも少し考えたようだ。
「そうだな……俺は子供のころ、兄のまねをしたがったな。兄と同じ小物や短剣を欲しがった」
「なるほど」
リシャナは少し笑った。エリアンにも、そんな可愛らしい子供時代があったのだ。
「そういうあなたは、結局何を貰ったんだ?」
「兵法書」
「……幼い娘にやるものではないな」
「さすがにお姉様が怒って、後からリボンを貰ったな」
そう言うと、エリアンが不思議なものを見る顔になった。
「リシェが、リボンか……」
「私だって初めから男装していたわけではない」
そうなのだ。今でこそこんな感じだが、初めから男のように振舞っていたわけではないのだ。
子猫がリシャナの頬をふみふみしだした。
「エリアン、のけてくれ。起き上がる」
エリアンは頼み通り子猫二匹を抱え上げた。リシャナは身を起こして腹に乗っていたヤスメインを腕に抱きよせる。
「リシェ様!」
ノックとほぼ同時に、フェールが駆け込んできた。リシャナはソファでヤスメインを撫でながら「なんだ」と尋ねた。
「お、王太后様が、乗り込んできました……」
リシャナは思わず、エリアンと顔を見合わせた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




