24.優しさとは
兄二人とその家族が尋ねてきているので当然と言えば当然なのだが、人が増えている。いや、兄たちが増えただけではなく、それに伴い世話をする使用人や警備の者を増やしているのだ。通常はすべてリシャナの管理下に入って、統制が取れているものだが、今はそうはいかない。問題が起こる。そして、知らない人間が多いとリシャナのストレスがたまる。そして寝不足になる。
これは物理的な問題で、真夜中にたたき起こされたのだ。
「リシェ様。夜中に申し訳ありません」
「構わない。どうした」
戦場では夜襲を受けることだってある。その時は即座に起き上れるのに、平時ではそれができないのは何故だろう。
リシャナを起こしに来たのはフェールだった。リシャナは別に気にしないが、衛兵が直接彼女を呼びに来ることはめったにない。面倒だとは思うが、リシャナが一応王妹である以上、仕方がないのかもしれない。
それはともかく、フェールに呼ばれて部屋を出たリシャナは、そんな時間にご遺体と対面していた。堀の中に投げ捨てられていたらしい。衛兵のようだった。
「……お仕着せがなくなっていたりしないか?」
「と、思って調べさせた。正確な数は把握していないが、いくつかなくなっていたようだな。衛兵と、女官のお仕着せ」
「……」
エリアンが答えた。本当に優秀だな、こいつは。ヘルブラントが気に入るのもわかる。夜中なのに、これだけの即答ができるとは。
つまりは、衛兵や女官に扮した賊がいるかもしれないわけで。アールスデルスは、国境とは思えないほど治安のよい場所であるが、一時的に人を増やしたため、そうした輩が入り込みやすくもなっていた。仕事柄不測の事態に対応するのは得意だが、守る対象が多すぎて身動きが取れない……。
「……わかった。全員、必ず交代時に点呼を怠るな。エリアン」
「なんだ?」
夜中に、彼もたたき起こされただろうに笑みすら浮かべて、彼は手招くリシャナに耳を寄せた。
「人の顔を覚えるのは得意か? 照合をかけたいんだか」
「そういうのは得意分野だ。雇ったときのリストはあるか?」
「ある」
仕事の話なので、滞りなく進む。慣れているので二人ともてきぱきしていたが、それでも明け方近くなってしまい、リシャナは仮眠を取って起きた。眠い。
エリアンに陣頭指揮を執ってもらい、新しく雇った使用人や衛兵の照合をしていく。その結果、三人が潜り込んでいたことが発覚したが、そのうち一人は逃げていた。リシャナは思わず額を押さえた。
「私だけなら、切り捨ててしまうんだが」
「今は陛下どころか、バイエルスベルヘン公やそのご家族も一緒だからな」
「義姉上やニコール、子供たちを怖がらせたくはない。地下牢に放り込んでおくしかないか……」
「ああいう手合いは意識があるだけで危険だぞ」
「だからどうしろと? 眠らせておけばいいのか? 医療用の麻薬ならあるが」
「……あなたは、本当に優しい人だな」
「なんだ、突然」
ぽんぽん会話をしていたのに、急にそんなことを言ってきたエリアンに、リシャナは眉を顰める。エリアンはにやりと笑う。
「事実を述べたまでだ」
「本当に優しいのなら、お前を利用したりしていない」
「俺は利用されていると思っていないからな。むしろ、俺の方が状況を利用している」
エリアンはそう言ってリシャナの肩を抱き寄せるようにして、彼女の耳元でささやいた。
「こうして、あなたに合法的に触れられる」
ぱっとエリアンの手から逃れた。耳に息を吹き込まれて、背中がぞわぞわする。リシャナは口を開きかけたが、結局きゅっと唇を引き結んだ。反応の仕方が分からない。
「……王妃陛下」
エリアンがつぶやいた。彼の視線の先を追うと、アイリがいた。複雑そうな表情で「お邪魔だったかしら」と微笑んでいる。
「いえ。どうなさいましたか」
リシャナが尋ねると、アイリは困ったようにリシャナを見上げた。
「大したことではないのだけど、楽器を借りたいと思って。あるかしら」
「一通りはあると思いますので、自由に使っていただいて構いません」
「ありがとう。お借りするわね。そういえば、リシェは何か弾ける? 子供たちに教えようと思うのだけど、よかったら一緒に」
この時代、貴族の子女は何らかの楽器が弾けることが多い。教養の一つになっているのだ。
「遠慮しておきます。ハープがかろうじて弾ける程度なので」
「えっ、そうなの?」
アイリもエリアンも驚いたような表情になった。楽器が弾けないと言う人は皆無ではないが、やはりこの身分では珍しい。
「……本当に小さいころ、祖母が生きているころにフィドルは習ったような気はしますが……」
小さすぎて覚えていない、父方の祖母のことだ。リシャナは、この祖母に似ているらしい。
「なら、一緒に練習する?」
いいことを思いついた、とばかりにアイリが言うが、せっかくだが遠慮させてもらった。さすがに、最年長八歳の子供の中に入るのはいたたまれないし、不法侵入者の件もあるし、明日には狩りに出かけるのだ。最終確認をしたい。
「まあ、忙しいわよね。リシェがいれば、アーレントもやる気になると思ったんだけど」
アーレントはアイリの子で、この子が八歳だ。今のところ、ヘルブラントの子供はこの子しかいないが、元気にすくすく成長しているので問題ないのだろう。
「後で様子を見に行きますよ」
「お願いね」
アイリが手を振って「後でね」と言って立ち去る。侍女に任せればいいところを本人が来たと言うことは、リシャナの様子を見に来たのだろうか。ヘルブラントあたりにでも頼まれたのかもしれない。
「婚約者なのに、あなたのことを何も知らないんだな……」
エリアンが複雑そうに言った。リシャナも肩をすくめる。
「私も知らない。ちなみに、お前は何か弾けるのか?」
「チェロを叩きこまれたな。兄がヴァイオリンで、二重奏ができるようにと」
「へえ。なるほど」
兄弟だとそういうこともあるのか、と感心した。リシャナたちが王位継承戦争をしている間も、人々の生活は営まれていたのだな、と感じる。
「王太后が、あなたに教育を受けさせなかったのか」
以前、王都でのことがあってから、エリアンはすっかり王太后、つまりリシャナの母を信用していない。
「まあ、結果的にそうなんだろうと思う。戦時下で人質として過ごしたこともあるから、一概に母のせいだと言えない気もするが」
一番長く一緒にいるのがリュークであるが、彼も楽器は弾けない。彼の場合は、本当に弾けないだけだが。楽器を弾かせても歌を歌わせても躍らせても、なぜかワンテンポずれているのだ。
読み書きやマナーなどは姉から習った。ある程度大きくなってからは、リュークの家庭教師に習うこともあった。さすがに軍を率いるようになってからは、兄がちゃんとした教育を受けさせてくれたが、それまではヘルブラントもリシャナに興味がなかったのだな、と今になって思う。それなりにかわいがってくれたし、母からかばってくれることもあったが、何分、年が離れているのでいつも一緒とはいかなかった。
「優しいな、あなたは」
「は?」
短気な自覚のあるリシャナである。今も、エリアンをにらみ上げた。彼は愛し気に微笑んでいて、リシャナの方がうろたえてしまった。
「……からかうな」
「からかっているわけではない。本当のことだ」
エリアンがリシャナの落ちてきた髪を耳にかけた。そこに、そうっと声がかかる。
「あのぅ、閣下」
残念ながら、二人とも閣下なので、リシャナとエリアンはそろって声をかけてきた衛兵を振り返った。衛兵は慌てたように「キルストラ公」と言った。わかっていたが、リシャナに用事らしい。
「実は、バイエルスベルヘン公が中庭で……」
その時、爆発音が聞こえた。エリアンと衛兵はびくっとしたが、リシャナは反応もしなかった。
「リューク兄上か」
「は、はい……おそらく」
破天荒に見えて常識人のヘルブラントと、比較的おとなしいリシャナが城内で爆破など行うはずがないので、これはリュークだ。
「わかった。ほかの者には問題がないと伝えておいてくれ。こちらで対処する」
「は、はい」
衛兵が去っていく。エリアンが「どうするんだ」と尋ねた。
「……まあ、城が崩れていないからいいんじゃないか」
「……たまに心が広いな……」
いつもは短気だだからな。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
フィドルとヴァイオリンは同じような気もする。




