21.王の妹
その翌々日、国王一行が到着した。予定より一日遅れている。それはいいのだが、その理由が大行列のせいだった。途中で盗賊などに遭わなかったのは、国王旗をあげていたからだろうか。
「遅れてすまないな、リシェ」
「いえ、ご無事で何よりですが……なんですか、その荷物」
万事関心なし、というようなリシャナでもツッコまざるを得ないほどの大荷物である。アイリがてきぱきと指示して荷を下ろさせている。
「姉上からだ」
「姉上って、アルベルティナお姉様ですか」
「お前、姉上のことはお姉様って呼ぶんだよな。俺のこともお兄様って呼んでくれないか」
「ニコールに頼んでください」
思わずエリアンがリュークの隣のニコールを見ると、ぶんぶん首を左右に振っていた。当然だ。国王を『お兄様』呼びできるとしたら、実の妹であるリシャナくらいだ。
「それで、アルベルティナお姉様は何を送りつけてきたんです」
「お兄様って呼んでくれないのか」
「二十代半ばの妹に言われたいってどうなのでしょうね」
生真面目に返答があるが、リシャナのツッコミは辛辣である。くすくす笑いながらアイリが近づいてきて言った。
「布地よ。さすがに名産地ね。いい生地だわ」
「布地? この量をですか? ここに持ち込んでどうするつもりですか。細工職人はいますが、仕立て屋は王都の方が充実しています」
キルストラ公爵領の名産は金属細工である。なんとなく、武器製造の延長のような気もするが、アールスデルスの細工は質がいい。リシャナの言う通り、布地を持ち込むには適さない気がする。
「あら、だって、アルベルティナ様があなたにって贈ってきたんだもの」
持ってくるしかないでしょう? とアイリは微笑む。リシャナはゆっくりと瞬いてから言った。
「何故?」
「婚約祝いだそうだ」
「どうせ、陛下たちは妹にドレスを贈るようなこともしないだろうから、これで好きなように作れってことらしいわよ」
端的に答えたヘルブラントに対し、アイリは割と容赦ない注釈をつけた。エリアンはなるほど、と思う。リシャナが自ら用意するとは思えないし、ヘルブラントやリュークが妹にドレスを贈りつけるとも思えない。アルベルティナは、弟妹の性格をちゃんと把握している。
ちなみに、それを思いつかなかったのはエリアンも一緒なので、黙って布地を眺めた。最高級品である。リシャナは品のある落ち着いた色が似合いそうだ。
「……では、運び込んでくれ。義姉上とニコールも、好きなものがあれば持って行ってくれ」
これはリシャナに贈られたものなので、彼女のものだ。彼女がどう扱おうと問題ない。
「じゃあ遠慮なく。リシェもドレスを仕立てるなら、私のお気に入りの仕立て屋を紹介するわ。きっと似合うわよ」
「……考えておきます」
さすがにアイリには強く出られないのか、リシャナは少し困ったように言った。まあ、エリアンがなんとなくそう思っただけで、はた目には無表情ではあるが。
「リシェ、北壁も見学に行きたいな」
突然ヘルブラントがそんなことを言うが、ちゃんと想定済みである。日程に組み込んでいた。国王が視察することは、意義のあることだ。たとえここでは、国王以上にリシャナが崇拝を集めているとしても。
「それで、エリアンはリシェの唇の一つでも奪えたのか」
リシャナ本人に聞かれると蔑んだ目で見られること必至なので、ヘルブラントはリシャナと別れてからエリアンに尋ねた。いくらエリアンがリシャナの婚約者だろうと、その身はヘルブラントの家臣の一人である。
「奪ったら殴られたのですが」
「まあ、あれはある意味、究極の箱入りだからな」
さもあらん、とヘルブラントは動じなかった。何しろ、求婚者を殴った前科があるので。エリアンは二人目だ。
「むしろ、お前が意外と根性があるな、と驚いている。お前こそ、あれでいいのか? 兄の俺から見ても美人だが、年増だぞ」
まあ、一般的な貴族の令嬢の適齢期は過ぎている気がするが、まだ二十代半ばであるし、別にエリアンはリシャナが美人だから惚れたわけではない。
「……リシェは、本来おとなしくて気の優しい人なのでしょう。距離の詰め方を間違えました」
おとなしくて気が優しくて、そして本人に女の自覚がない。だから、通常の方法では拒否されるのだ。という気がする。少なくとも嫌がられていないので、エリアンはそれでよい。
「お前、すごいな……まあ、リシェのことは頼む。確かに戦場以外ではおとなしいが、気難しいし短気だし、気が強いのは変わらないからな」
ヘルブラント、妹をよく見ている。リュークはもう少しこの兄を見習うべきではないだろうか。彼が悪いわけではないが、彼はずれている。天然と言い換えてもいいが。ここしばらく共に過ごして気づいたことである。
「ま、その調子で頑張ってリシェを口説き落としてくれ」
いっそ、兄王の命令であればリシャナは結婚すると思うのだが、ヘルブラントが求めているのはそういうことではないのだ。しかし、エリアンにもヘルブラントの思惑が分からない。リシャナも不審そうにしていたし。
「お前はお前で、兄上と何を密談しているんだ」
リシャナはリシャナで、エリアンに探りを入れてくる。ヘルブラント側は仕事であるし、リシャナについては今まさに口説き落とそうとしているところなので仕方がないが、間に挟まれている感があるエリアンだ。
「あなたを口説き落とす算段についてだな」
「そうか。頑張ってくれ」
他人事のようにリシャナは言った。実際、あまり本気にしていないのだろうな、と思う。
「そういえば、お前も北壁に来るんだな」
「当然だ。あなたの行くところなら、どこへでも行く」
エリアンが気障ったらしく言ったが、それに対してリシャナの反応は特になかった。ただ。
「なるほど。では、北壁では後ろから刺されないように気を付けるんだな。仮にも、私の婚約者であるのだから」
ふっと軽く笑われて、何かわからないうちに北壁へ向かい、そこでエリアンはリシャナの言葉の意味を理解した。
リシャナは、北方守備軍の総司令官にして、北壁ことアールスデルス北方城塞の総督でもある。アールスデルス北方城塞副総督を任されているのは、城塞の文官であるが、北方守備軍の副司令官を任されているのは、ヤン・クラウスという背の高い男性だった。年齢はリシャナよりいくらか上に見え、かなりのハンサムだ。
「ようこそ、北壁の女王が護る城塞へ」
「ああ、ヤン。久しいな。変わりないようで何よりだ」
「陛下も、お変わりないようで」
どうやらヘルブラントやリュークはヤンと顔見知りのようだが、エリアンは初めてだ。そもそもキルストラ公爵領に入ったのが初めてであるし。
「エリアン。副司令官のヤンだ。北壁のことは大体、彼に聞けばわかる」
「買いかぶりです、我が姫君」
我が姫君。エリアンは思わずヤンの顔をまじまじと見た。ただのリシャナの崇拝者ではないのだろうか。
「ヤン、こちらエリアン。ルーベンス公爵で、一応、私の婚約者だ。刺すなよ」
刺すって、こいつか! ヤンがリシャナの紹介に驚いてエリアンを見る。
「そんな、我が君! こんなどこの馬の骨とも知れない男と!?」
「馬の骨はお前だ、ヤン。エリアンはルーベンス公爵だと言っただろう。三代前に王女が降嫁している」
「そうでしたね! いや、しかし、こんな小僧と! 私ではだめですか!」
「お前は小僧だの小娘だの忙しいな。お前ではだめだろう。なれて、私の愛人だな」
「愛人でかまいませんが!」
「……」
ツッコみ疲れたのか、リシャナがヤンを睥睨した。リュークは興味なさそうに城塞の防衛機能を調べているし、ヘルブラントは腹を抱えて笑っている。
「いや、お前は物静かだが、お前の周りは面白いなぁ、リシェ!」
「……」
笑いをこらえて涙目になりながら、ヘルブラントは言った。エリアンもいろいろ言いたいことがあった気がするのだが、すべて吹っ飛んでしまった。
ともあれ、ヤンは手ごわそうである。
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