01.キルストラ公爵リシャナ
新連載です。いつも通り、隔日投稿の予定。ゆるっと行きますので、よろしくお願いします。
いつか、私に挑みたいと思ったのならそうすればいい。私もそうして、今玉座にいるのだから。
第二十七代リル・フィオレ王国 女王リシャナ・フルーネフェルト
リル・フィオレ王国の北の国境に位置するアールスデルスは寒い。この地を広域にわたって治めるキルストラ公爵のリシャナは、バルコニーに出て空を見上げた。冬時間であることを考慮しても、暗い。今日は雪になるだろうか。
「公」
呼ばれて、彼女は振り返った。身分が高すぎて、リシャナは名を呼ばれることよりも爵位で呼ばれることの方が多かった。
「何かあったか」
バルコニーから部屋の中に戻り、ガラス戸を閉めながら尋ねると、北部国境防衛軍の彼は神妙な面持ちで言った。
「ディナヴィア諸国連合が、動きを見せ始めたようです」
「そうか……」
リシャナは切れ長の目を一度閉じ、それから開いて言った。
「このまま『北壁』へ向かう。準備を整えておいてくれ」
「承知しました」
伝令に来た青年はそそくさと命令を実行しに執務室を出て行った。また書類仕事が止まってしまうが、仕方がない。北方から攻め込まれれば、書類仕事がどうの、とか言っている場合ではなくなるのだ。
ここは最前線ではない。キルストラ公爵の居城で、リーフェ城と言った。リル・フィオレの最北端の前線はアールスデルス北方城塞。通称『北壁』だった。ここからさらに北へ向かうので、当然寒さはより厳しくなる。
今は年が明けてひと月が過ぎたころだ。先日、真冬に生まれたリシャナは誕生日を迎え、二十五歳となった。兄王にキルストラ公爵に叙されてから八年近くが経過している。爵位も領地もはく奪されないと言うことは、リシャナはうまくやっているのだろうと思う。
出しっぱなしにしていた資料を片付け、廊下に出ると足元でにゃーん、と鳴き声が聞こえた。足元を見ると、白とグレーの毛の長い猫がリシャナの足元にすり寄っていた。リシャナはしゃがんでその猫を抱き上げる。
「どうした、レディ。ロビンは一緒ではないのか」
顎の下をなでてやると、気持ちよさそうに鳴いた。リーフェ城で飼っている雌猫で、ヤスメインと言う。リシャナはもっぱらレディと呼んでいるが。
「公爵様! あ! ヤスメイン!!」
今度は子供が駆けてきた。十歳ばかりの少年で、亜麻色の髪に碧眼をしていた。まだ少年なのもあるが、かわいらしい顔立ちをしている。リシャナはヤスメインを撫でながらその少年の名を呼んだ。
「ロビン」
「公爵様が捕まえてくださったのですね。すみません、ちゃんと見ていたつもりなんですけど」
しょんぼりと肩を落とすロビンに猫を引き渡しながら、リシャナは平坦な口調で言った。
「猫だから、ある程度は仕方がないだろう。お前はよく世話をしている」
「……はい!」
キラキラと目を輝かせてよい返事をされた。しかし、ヤスメインを撫でながら、ロビンは少し頬を膨らませる。
「けど、僕は公爵様の騎士になりたいです」
「……」
これは、この少年からたびたび聞かされる言葉だ。騎士になりたい……剣士になりたいと言うことだ。リシャナは、国境を任されている身として、一軍を所持している。騎士は叙任されなければなれないが、彼は軍に入りたいと言っているのだ。
「……それは、私の決めることではないな。母上と相談しろ」
これにロビンはムッとした表情になるので、リシャナは無造作に彼の頭を撫でた。
「まあ、閣下。ロビンも」
「母さん」
ロビンが金髪碧眼の妖艶な雰囲気の女性の出現に慌てる。別に悪いことはしていないのだが、この城の主と二人きりと言う状況のところに母が現れて反射的に慌ててしまったのだろう。
「エステルか。今日も麗しいな」
「あら、閣下も、今日も秀麗ですこと」
「君には負ける」
「まあ」
ふふっ、と上品に彼女、エステルは笑った。妖艶な雰囲気の女性ではあるが、品のある振る舞いで聡明な女性だった。リシャナよりいくらか年上の彼女には今、代理で侍女をしてもらっていた。
「息子が何か失礼をしませんでした?」
「いや。レディを探していたそうだ」
「あら、そうでしたか。いつも通り端麗なお姿ですけれど、不機嫌そうに見えたものですから」
「元からこういう顔だ」
からかうような口調で言うエステルの方が、息子よりよほど失礼している。ロビンが心配そうに母親とリシャナを見比べているではないか。
客観的に見て、リシャナは美人だった。肩に触れるほどの長さの青い黒髪、小づくりな顔にすっと通った鼻梁。北にいることが多いからか肌も白く、切れ長の目元は理知的な印象を与える、中性的な美貌の持ち主だった。ただ、その目元は気鬱げに細められており、澄み渡ったグリーンの瞳は半分近く隠されている。これをさして、エステルは「不機嫌そう」と言ったのだ。
だが、これはいつものことだった。エステルがそのことを指摘しているのはわかっている。だが、リシャナも生き方を変える気はなかった。
「準備ができ次第、北壁へ向かう。エステルも、侍女のまねごとをさせてすまなかった」
「あら、結構楽しかったのですけど、お役御免?」
「ことが片付く頃には、フェールも戻ってきているだろう」
「あら、旦那様を取り上げないので?」
「そこまで冷酷ではない」
リシャナは嘆息してエステルを見た。リシャナは女性としてはかなり背が高いが、エステルも彼女より少し小さいくらいで、長身だ。顔立ちもなんとなく、似ているように見える。雰囲気は全く違うのに、不思議なものだ。
す、とエステルの手が伸びて、リシャナの頬に触れた。その細い指がリシャナの眼の下を軽く擦る。
「私がいなくても、ちゃんと食事をとって夜は寝てくださいましね。もちろん、有事の際は別ですけれど」
「善処はする」
常に顔色が悪い自覚はあった。別に寝食を削っているわけではないのだが、顔色が悪い、と言われることが多かった。
準備ができ次第、と言ってもそれなりに体勢を整えるのに時間がかかる。リシャナが命を下した時は朝だったが、準備が整う頃には昼を過ぎていた。さらに、アールスデルス北方城塞に到着するころには、すっかり日が暮れていた。
一応ここが最前線の城塞であるが、国境自体はもう少し北だ。ここはいわゆる基地で、一定の軍隊が常駐している。この北方守備軍の総司令官はリシャナだ。ついでに、アールスデルス北方城塞の総督もリシャナである。やたらと肩書が多いので、押し付けてきた兄王には反省していただきたいと思う。自分に権力を押し付けたことを後悔するなよ、といつも思う。掌握する軍の規模だけで言うなら、国王の常備軍にだって負けていない。
まあ思うだけで口にしないのだが。真夜中近いにもかかわらず、出迎えがあった。
「我が君」
背の高い軍人が優雅に礼をとった。馬丁に馬を預け、リシャナは出迎えてくれた軍人に歩み寄る。冷たい風が吹いて、思わず身を震わせた。軍人が笑う。
「そんなに急いで来ずとも、明日でも結構でしたよ。お寒かったでしょう」
「それでは私が気になって眠れなくなる」
これは大げさだとしても、気になってしまうのは本当だ。引き連れてきた部隊を一度解散させ、リシャナは出迎えてくれた軍人を見上げる。女性にしては長身の彼女が見上げなければならないほど、彼は背が高かった。
「それで、状況は?」
「ええ。今日の昼過ぎ、国境を越えてきました。まあ、緩衝地帯を設けているので、略奪などはありませんが」
「そうか……」
国境を越えてきているのなら、本当に攻め込んでくるまで時間がないかもしれない。
「どこの国だ」
「おそらく、ラーズ王国かと」
ちらりと、白鳥と柳の紋章が見えました、と言われ、再び「そうか」と返す。
「やはりか」
心の中で、重いため息をついた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今日はもう1話分、投稿しようと思います。