18.愛されている人
その鋭い眼差しに、思えば目をくらまされていたのだと思う。それほどまでに強烈で、忘れがたい思い出が邪魔をして、なかなかその人の心うちに気づけなかった。
ルーベンス公爵エリアン・ファン・リンデン
エリアンは出迎えた衛兵に案内され、キルストラ公爵リシャナの居城、リーフェ城のエントランスに入った。最前線の手前にある城だからか、城主がリシャナだからかわからないが、機能性を重視した城内だ。質素だが品がいい。
「ようこそ、我が居城リーフェ城へ」
ふらりと現れたのは軽装のリシャナだった。なぜか子猫を抱いていて、腕の中でみーみー鳴いている。なんだろう、この状況。何とか笑みを取り繕う。
「久しい……というほどでもないか。お邪魔している、リシェ」
手を取って口づけたいところだが、彼女は両手で子猫を抱いている。子猫を放せ、とは言いづらい。リシャナは口元だけで笑った。
「ああ、歓迎してやろう。私くらいはな」
「……礼を言う」
なんとなく含むところのある言い方だ。ほかには歓迎されていないのだろうか。リシャナは衛兵に仕事に戻るように告げると、自ら案内を買って出た。
「狩りの段取りを整えるように命ぜられている」
「わかっている。兄上から正式に文書も届いている。まあ、お前がここに派遣されたのは、兄上の思惑が大きいだろうが」
「だろうな」
狩りの段取りなど、リシャナ一人でも立てられる。リシャナはどちらかというと非常の人ではあるが、その能力を通常の業務に落とし込むことができる人だ。なので、エリアンが派遣されてきたのはヘルブラントの思惑によるところが大きいのだ。兄として、婚約者と早々に引き離された妹を気遣ったつもりなのだろう。
「まあ、ありがたく受け取っておこう。書類がたまっているから手伝ってくれ」
リシャナのいいように、エリアンは思わず噴き出した。リシャナににらまれるが、腕の中でふわふわの子猫がみーみー鳴いているので、威厳も半減である。
「何だ」
「いや、やはり陛下と兄妹なのだなと思ってな。いうことが同じだ」
「……」
リシャナは嫌そうな顔をした。めったに笑わないくせに、こういう表情だけは出る。こんな顔をしているが、リシャナだって本気で兄のことを嫌がっているわけではない。
「ところで、その猫はどうしたんだ?」
リシャナの腕の中の子猫を示して言うと、リシャナは「ああ」とうなずいた。
「うちの飼い猫が産んだんだ。かわいらしいだろう」
ちょっと自慢気にリシャナは言った。彼女にそういう意識があることに、正直少し驚いたが、連れ歩いているのだからよほど気に入っているのだろう。少し口角の上がったその顔を見て、エリアンは口を開いた。
「ああ、そうだな」
わかりづらくはしゃいでいるリシャナが可愛らしいと思う。言えばその瞬間に蹴りが飛んでくる気がするが。
リシャナは城を案内する前に、一つの部屋に寄った。ここで猫を世話しているらしい。割と広い部屋だ。
「公爵様! ……そちらの方は?」
十代前半ほどの少年だった。なんとなく、見たことのあるような顔立ちをしている気がする。
「エリアン、エステルの息子のロビンだ。猫の世話をしている。ロビン、彼はルーベンス公爵。しばらく滞在するから、粗相のないように」
「ルーベンス公爵など賜っている。エリアン・ファン・リンデンだ。よろしく、ロビン」
できるだけ愛想よく挨拶をする。リシャナは籠の中の母猫に子猫を返していて、そのまま母猫を撫でている。ロビンはきょとんとエリアンを見上げ、丁寧にあいさつをした。
「初めまして。ロビン・フランセンといいます!」
子供ならこんなものだろう。母親がエステルだと言うから、あの女医によくしつけられているのだと思う。また、こうして城に上がっていることから、それなりの行儀作法も教え込まれていると思われた。
「元気がいいな。ロビンはいくつだ?」
「十歳です!」
「そうか。しっかり者だな」
エリアンが笑ってそういうのを、リシャナが少し驚いたように見ていた。
「子供の相手に慣れているな」
猫の部屋を出てからリシャナにそう言われ、エリアンは「そうか?」と返した。
「別に普通だろ」
「隠し子でもいるのかと思った」
「冗談にしては質が悪いな。そんなことがあれば、今頃俺は、あなたの兄上に切り捨てられている」
どこを、とは言わないが。ヘルブラントはこの妹を、妹自身が思っているよりもずっと可愛がっている。その妹が選んできた婚約者に隠し子でもいれば、その婚約者はただでは済まない。相手はこの国一高貴な男である。
「それはまずいな。すまない」
本当にそう思っているかわからないが、謝罪されたので言い添えておく。
「受け取ろう。疑わずとも、俺はあなた一筋だ、リシェ」
胡乱げに見られた。これに負けて、引いてしまったらそのままフェードアウトだ。ここは押しの一択しかない。
「……ありがとう、とは言っておく」
その声を聞くに、どうも好意を向けられるのに戸惑っているようだった。エリアンは王都でリシャナが王の代理をしているころに遭遇した王太后を思い出す。あれを見るに、幼少期、リシャナはあまりいい生活をしてこなかったのではないだろうか。いや、彼女はれっきとした王族ではあるのだが、物心つく頃にはロドルフの反乱が起こっているはずだ。
子供のころの経験というのは、大人になっても忘れることができないものだ。穏やかで苛烈なこの人が、親から愛情を受けて育たなかったのなら、エリアンからの無償の好意に戸惑うのもうなずける。このあたりを理解していないから、誰もリシャナをうなずかせることができなかった。
「まあ、閣下」
「お久しぶりです」
本当にリシャナに仕事を手伝わされた後、エリアンはエステルとフェールに遭遇した。遭遇したと言うか、リシャナの私室に招かれたところで、彼女たちに会ったのだ。エステルはリシャナの侍医だし、フェールはそもそも侍女である。
「……しばらく世話になる。ここではお前たちの方が先輩だな。よろしく頼む」
「もちろんですわ」
「周囲はすべて敵だと思ってくださいね」
エステルはにこやかだが、フェールは視線が冷ややかだ。これでもましになったほうである。
「……あなたは愛されているな、リシェ」
「慕われているとは思っている」
座れ、と椅子を勧められる。フェールに手伝ってもらい、上着を脱いだリシャナは、その格好のままエリアンの向かいに座った。
「で? 兄上に何と言われてきた」
「ああ、先に行かせるのだから、唇の一つでも奪っておけと言われたな」
「一番浮かれているのは兄上だな」
「狩りの段取りを整え、陛下たちを受け入れる準備をするように言われたのも本当だが」
それも事実だ。リシャナの住まうリーフェ城は最前線。兵力は多いが、アールスデルス自体の治安はいい方であるから、常駐する衛兵は少ない。そのため、王を呼ぶのであれば、それなりに準備がいるのだ。ただ、リシャナもそのあたりをわかっているから、警備面は問題ない。むしろ、彼女の得意分野だろう。むしろ、使用人の集まりの方が悪かったとのことだ。
「妙な人間を受け入れるわけにはいかないからな」
「あなたの侍女も二人だけか?」
「正確にはエステルは違うな。似たようなことはしてもらっているが」
どうしても手が必要な時は、北方守備軍などの軍人の家族などに来てもらっているそうだ。身元が割れているため、やりやすいらしい。
「もう少し増やしてもいいんじゃないか。姫君だろう」
思いっきりいやそうにされた。
「姫君として育てられたことなどない」
やはり、そうなのだろうな、と思った。王太后の態度を見て、なんとなく察するものがある。もし、本当に姫君として育てられていたのなら、自分で剣をとって戦おうとはしなかっただろう。それこそ、自分がロドルフに嫁ぐことでことを収めようとしたかもしれない。
だが、彼女はそうしなかった。育ちが彼女をそうさせたのだとしたら、エリアンが惚れたのは姫君のリシャナではない。剣を持って自ら戦う、矜持の高い彼女だ。
「まあ、あなたの城だ。俺が口を出すことではなかったな、すまない」
潔く謝ると、リシャナは思いがけないものを差し出されたような顔でエリアンを覗き込んだ。
「なんだ?」
「いや……大体ここで説教が始まるのが定番なんだが」
「残念ながら、説教ができるほど俺はあなたを知らない。これから知れるといいと思うが」
リシャナは形容しがたい表情になった。呆れているような、泣きそうなような。
「そうか、まあ、頑張ってくれ」
拒否されなかっただけよかったとみるべきだろうか。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
おうち訪問編です。




