17.可愛いものは可愛い
無事に王都ルナ・エリウから領地である北部アールスデルスに戻ってきたリシャナだが、フェールやエステルが想像した通り、リシャナが婚約したことに驚き、騒ぎになった。幸いというか、一番騒ぎそうなヤンは北壁の方にいるので不在だったが、当たり前だが、リシャナが帰ってきたのは居城リーフェ城である。
帰ってくるなり、ロビンがにこにこしながら出迎えてくれた。両手に大きな籠を抱えている。
「お帰りなさいませ、公爵様、母さん、フェール」
全員に挨拶してくれて、リシャナとフェールもほっこりするが、それよりも籠の中からみーみーか弱い鳴き声が聞こえてくるのが気になる。
「ロビン……それ、なに?」
フェールが耐えられなくなったのか、尋ねた。ロビンは籠の中を見せてくれる。
「ヤスメインが子猫を産んだんです!」
みゃあ、と籠の中のふわふわな子猫が小さな口を開く。五匹いる。ふわふわだ。眼も開いている。
「か、かわいい……!」
フェールが思わずと言ったようにつぶやく。エステルも「これは可愛いわね」と子猫の一匹の顎をこちょこちょした。
「無事に生まれたのね。よかったわ」
「え、エステルはヤスメインが妊娠してたの知ってたの?」
知らなかった! とフェール。大丈夫だ。リシャナも知らなかった。
「ええ。だって、私はあなたたちより後に出発したもの」
それもそうか。リシャナもロビンの腕の籠の中にいる子猫たちを眺める。みーみー鳴くその姿は。
「うん。かわいらしいな」
「公爵様もかわいらしいです」
「こら」
微笑んだリシャナを見てロビンがそうのたまうので、エステルがさすがに叱責した。リシャナは「かまわん」と苦笑する。
「レディも元気か?」
「はい」
リシャナはロビンの背を押して足を進ませる。不思議そうに見上げられた。
「なんだ」
「公爵様、何か変わりました?」
「ロビン」
エステルが再び咎めるように息子を呼んだ。リシャナは、まあ、変わったかもしれないな、と思った。少なくとも婚約者ができたし。
当然であるが、仕事が溜まっていた。まあ、リシャナは場合によっては半年近く北壁にこもっていることもあるので、仕事がたまることはよくあることで慣れていた。
「我が君! 婚約なさったと言うのは本当ですか! どこの馬の骨です!?」
「うるさい。ノックをしろ」
振り返ったリシャナがぴしゃりと言う。突然、部屋のドアを思いっきり開けて叫んだのはヤンだった。確かに北壁の状況を報告しろとは言ったが、指揮官自ら来いとは言っていない。そして、万事優雅なヤンらしくない慌てぶりだ。
「これは失礼しました、我が姫君」
「やめろ」
それを聞いたらエリアンが絶対真似をする。次は殴ってしまうかもしれない。別れ際に引いてしまったところだ。
リシャナの機嫌を損ねていることに気づいているヤンは、さすがにそれ以上ふざけた言動はせず、近づいてきた。
「何をなさっておいでで?」
「見ての通りだ」
リシャナは手に持ったものを振る。いわゆる猫じゃらしだ。籠に入った子猫たちが、猫じゃらしの動きに合わせて首を動かす。可愛い。可愛いの集団。可愛いの暴力だ。そこまで思っているのに、リシャナの表情は動いていない。
「ヤスメインが子猫を産んだんです。公爵様もお気に入りです」
「否定はしない」
にこにこ笑いながらロビンがヤンに説明した。ここはヤスメインの部屋だ。ロビンが主に世話をしているので、彼がここにいるのは自然なことだ。今もヤスメインにブラシをかけている。リシャナの方が遊びに来たのだ。なんとなく、子猫たちを見ていると癒される気がする。
「なるほど……子猫ならば仕方ありませんね……」
勘違いしているようなので、そのままにしておくことにした。大勢には影響なかろう。
「それで、北壁の報告をしに来たんじゃないのか」
「ああ、ええ。そうですね」
リシャナはヤンの報告を、子猫と遊びながら聞いた。リシャナが人の話を聞いているのかわからない態度なのは今に始まったことではないので、誰も気にしない。
「今のところ、ラーズも動きを見せていません。このまま乗り切れるといいのですが」
しまいにはヤンも子猫を愛でながら言った。リシャナは寄ってきたヤスメインをわしゃわしゃ撫でながら「そうだな」とうなずいた。
「そのあたりは兄上と話をしてきた。外交努力でどうにかしてもらう予定だ。約束を破ったのはあちらなのだからな」
「……恐ろしい方ですね、我が君」
「今の話のどこが恐ろしいんだ」
まったく訳が分からない。リシャナが北壁にいるのは抑止力のためであるが、それでも攻め込んでくる相手だ。まあ、今回は割と容赦なくやり切ったので、しばらく手出しはないと思うが。リシャナは戦術レベルでしか対応ができない。戦略レベルで何とかしようと思ったら、ヘルブラントを頼るしかない。まあ、それが彼の仕事なのだけど。
「まあ、次があれば私と兄上はラーズの王都まで攻め込むつもりでいる。時間はかかるだろうが、できなくはないだろう」
「そこで傀儡政権を樹立させるのですね。わかります」
ヤンの言葉で、リシャナは「傀儡政権か」と顔をしかめた。ヤンが「何か?」と首をかしげる。
「いや……一番簡単なのが、婚姻による結びつきだが、リル・フィオレは先の内乱で王族が減っているからな……嫁ぐなら私だったのだろうが、その前に、私が北壁に赴任してしまったからな」
「どちらにしろ、陛下は我が君を国外に出す気はなかったと思いますが……いえ、私は陛下のお人なりをそれほど知っているわけではありませんけど」
謙遜しながらヤンは言うが、確かに彼の言う通りだ。リシャナは十三歳の時点で、軍事に才能があることを示してしまっている。次兄のヘンドリックが戦死した時点で、軍事を預ける者として、ヘルブラントはリシャナを手放せなかっただろう。
「今なら、バイエルスベルヘン公のご息女でもいいわけですしね」
「まだ四歳と一歳だがな」
最後にヤスメインをわしゃわしゃと撫でまわし、リシャナは立ち上がった。子猫たちがみゃあみゃあ鳴いている。子猫と離れるのは精神的に嫌だが。
「一度、北壁へ向かうか……」
その存在が抑止力となるリシャナだ。適度に北壁に姿を見せる必要がある。ヤンは微笑んで「みな喜びますね。士気が上がります」と答えた。しばらく様子を見に行っていないので、やはり気になるのだ。
ヤンが北壁に戻るのに合わせてともに向かったリシャナだが、彼女がリーフェ城を不在にしている間に、ヘルブラントから手紙が届いていた。
曰く、アールスデルスに狩りに訪れたいと。そのための準備にルーベンス公爵を派遣するからよろしく、ということらしかった。リシャナの領地に来たい、という話は聞いていたので、その一環なのだろうな、と思う。リシャナはよちよち歩き始めた子猫を抱き上げる。名前はまだ決めていない。ロビンにリシャナが決めてくれ、と言われたが、いい名が浮かばない。武器の名前ではさすがに駄目だろう。
「閣下、ルーベンス公がお着きになられました」
「ああ。今行く」
リシャナは子猫を抱えたままエリアンの出迎えに向かった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
子猫に始まり子猫に終わる。




