16.領地問題の行方
母を見送ってすぐ、声をかけらた。
「仲が良くないと聞いていたが、よくないどころではないな」
「お前、いたのか」
話しかけてきたのはエリアンだった。調査に出かけていたのだが、戻ってきたらしい。いつからいたのだろう。
「最初からいた」
「声をかけろ」
あの修羅場を見ているとはどんな神経をしているんだ。声をかけるか退出するかしろ。なお、声をかけた場合、余計こじれた可能性はある。
「では、次に見たらあなたのすばらしさについて語ることにしよう」
「やめろ」
それはこじれるどころでは済まない所業だぞ。別に何の権限もない女の妄言なのだから、放っておけばいいのだ。
「ある意味あなたの方が辛らつだな」
エリアンは笑ってそういった。そこで笑えるお前もすごいと思うが。
「管理記録と権利書を持ってきた。どう処理する?」
土地の管理移動記録と権利書の写しを見て、リシャナは考えた。これは、王の代理たるリシャナが処理してしまっていい案件なのか?
「おそらく、王は初めから公に押し付けるつもりだったんだろう。だから、強引に出て行ったんだ」
これまでにも、同じ訴えが何度か出てきていたらしい。一応、ヘルブラントもそれなりに処理したのだが、結局訴えが上がること三回。今回は四回目だ。もう、妹に投げよう、と思ったらしい。どういうことだ。エリアンが言うことには。
「王の権威が効かないのなら、物理的な恐怖をぶつけようとしたんだろう」
どういう意味だ。それはリシャナのことか? 確かに、ある意味王より怖い存在かもしれないが、リシャナの一言で片が付くのなら、王の権威などないに等しくなってしまう。
「王の処断を、あなたが言うことに意味があるんだ」
そういうものだろうか。とりあえず、言い分は聞くことにした。
騒動の元になっている土地は、今から五十年ほど前、没落した貴族が手放した土地だった。買い取ったのは隣の領地の貴族で、今も実効支配しているのはこの男爵家である。
だが、別の伯爵家が、この土地は過去に没落した貴族に奪い取られた土地で、管理が手放されたのなら自分たちに帰属すべきだ、と言い出した。これが平行線をたどっているのである。
「男爵家に理がある」
ヘルブラントと同じ判断を、リシャナも下した。そう判決を出したのだが、伯爵家は聞かず、騒動の中心になっている土地に伯爵家の軍が攻めてきたり、男爵家に嫌がらせがあったりなど、全く納得した様子がないのである。それで、男爵家も再び訴えを……というのが繰り返されているらしい。
「……もう、王家が召し上げないか?」
「陛下と同じことをおっしゃらないでください……」
執政官が困り果てたように言った。そうか。育ち方は違っても、思考回路は似ているのだな。とりあえずエリアンは笑いを収めろ。
「いや、しかし、それだと双方に禍根を残すだろう。それに、ラーズ王国の一部を占領しながら、事実上返却したあなたが言うには説得力がないな」
「それもそうか」
それとこれとでは事情が違うが、そんなものか。
「伯爵家側は、爵位が上だから押しきれる、と思っているんだろう。うち陛下や北壁の女王はそんなに甘くないが」
「この場所、何か資源が取れるのか? 山のようだが」
「ああ。鉱山だな。主に取れるのは鉄鉱石だが」
「なるほど……」
納得した。伯爵家が引かないわけだ。
ひとまず、調停結果として男爵家に理がある、ということを書状にまとめ、リシャナの名でサインをして両家に届けさせた。その際に、文句があるならキルストラ公リシャナに言え、と伝えるように言っておく。エリアンがそう言え、と言ったのだ。こういうことは彼の方が慣れている。
結果、再び訴えが出てくるようなことはなかった。よかったのだが、釈然としないのは何故だ。
「まあ、閣下ですし」
「ある意味国王陛下よりも言葉に重みがありますわよね」
「ない」
フェールとエステルが好き勝手に言う。エステルはリシャナの手首を診察していた。
「もう大丈夫です。徐々に動かしていってくださいませ」
「わかった。ありがとう」
ずいぶん前に包帯はとれていたが、まだ動かすな、戦えなくなってもいいのか、と言われて気を付けて生活していた。それともおさらばだ。
「すまないな、急に呼びつけて、しかも長居することになってしまった」
「構いませんわ。息子のことは心配ではありますけど、閣下のお側にいられるのですもの」
にこっとエステルは笑って言う。リシャナはツッコまずに苦笑した。戦況はこちらに有利なので、早ければそろそろ兄たちは戻ってくるだろう。そうすれば、リシャナは領地に戻る。あまり不在が長引くと、北が攻めてきかねない。ちなみに、こちらの軍内の薬についても駆逐済みである。
「私としても正直助かるわ。私一人だと、父をかわし切れないのよね……」
フェールがしみじみと言った。フェール自身は実家を回避したいようだが、実家はそうではないらしい。もう縁も切っているのだから放っておいてよ、というのがフェールの主張なのだが、彼女の実家ではそうもいかないらしい。すでに何度か捕まったことがあるが、エステルが来てからはさりげなく助けてくれるそうだ。
「そうか。では、次からは連れてこないほうがいいな」
「いいえ。ご一緒します。閣下の侍女ですから」
「……」
このぶれなさは何なのだろう。いや、ありがたくはあるのだが。
「そういえば閣下は、北壁の皆に婚約者様のことをどう説明するつもりですの?」
話題を変えるようにエステルが尋ねた。フェールから書類を受け取ったリシャナはこともなげに言う。
「どうとは? 大したことではないだろう、婚約くらい」
婚姻を結ぶわけでもない。いや、どう考えてもリシャナの年齢ではいき遅れだが。それを差し引いても彼女はキルストラ公である。ただ、主導権は渡さん。
「それを聞くと、少しルーベンス公が気の毒になります」
「というより、聞いたら北壁は大騒ぎですわ。クラウス将軍とか」
フェールとエステルがそれぞれ意見を言った。確かに、ヤンは騒ぎ立てそうではある。
「騒いだら殴る」
「閣下、それで縁談が駄目になった自覚、あります?」
フェールに突っ込まれた。求婚相手をぶん殴ったとき、フェールはもう侍女だっただろうか。ちょっと覚えていない。まあ、かなり話題になっただろう。ヘルブラント曰く、『リル・フィオレ一高貴な未婚女性』であるリシャナであるが、短気なのが玉に瑕だ。
「リシェ。陛下が戻ってくるそうだ。バイエルスベルヘン公はそのまま領地に向かうそうだが……なんだ」
ちょうどそんな会話をした後に、たまたま廊下でエリアンに出会い、まじまじと見上げてしまった。手を伸ばして両手でエリアンの頬を掴んだ。成人しているとはいえ、リシャナより三歳年下の彼は、ふるまいよりも幼く見えた。
「ああ……お前、私に殴られなくても、別の者に殴られるかもしれないな」
いぶかしむように眉をひそめたエリアンだが、すぐに余裕のある表情でうなずいた。
「ああ。あなたは慕われているからな」
同時に、怖がられてもいるが。リシャナがエリアンから手を放そうとすると、エリアンはリシャナの左手を掴み、その手首の内側に唇を寄せた。リシャナは驚いて目を見開く。今度は頬を大きな手で包まれた。年下でも、彼はれっきとした大人の男だ。
「いいな。あなたの澄んだ瞳が、俺だけを見つめている……」
その瞬間、リシャナは何かに耐え切れなくなり、エリアンの足を思いっきり踏んだ。ぶん殴らなかったが、足は踏んだ。エリアンは声もなく悶絶する。
「妙なことを言うな」
かなり偉そうに睥睨して言ってしまったが、しゃがみこんで悶絶していたエリアンは強かった。リシャナを見上げ、その澄み渡ったグリーンの瞳が自分をにらんでいるのを見てのたまった。
「やはり、いいな。あなたの鋭いまなざしは。ほれぼれする」
さすがに、ちょっと、引いた。
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