11.贈り物
目の前に差し出された花束に、リシャナの眉は顰められた。まあ、彼女はいつでも不機嫌そうだが。
「……なんだ?」
「花束だ」
「それは見ればわかる」
まだ婚約の手続きを整えるのに時間はかかるが、恋人(仮)なら花の一つでも贈ってやれ、というのが彼女の兄の主張だった。認識としてはさほど間違っていないと思うが、贈られる側である妹のこの顔である。
「……とりあえず、受け取っておこう」
外聞やらを気にしたのか、リシャナは花束を受け取った。この時期に咲く小ぶりな花束は、意外なほど彼女に似合っていた。
「正直、受け取ってもらえないのではないかと思った」
急に何だこいつ、と言うような顔をされたのだ。そう思いたくもなる。リシャナはしれっとしたもので、「そうか」とうなずく。
「別に花は嫌いではないし、装飾品などを贈られるより、よほどましだ」
そんな扱いなのか、と思わないでもなかったが、さすがにヘルブラントはよくわかっているな、と思った。エリアンも何か一つくらい贈り物をすればいいのではないかと思ったが、完全に普通の令嬢に贈るようなもので考えていた。髪飾りや、そう言うものだ。
「装飾品を貰っても困るか」
「困るな」
にべもない。これだけ美人なのだから、着飾れば、とも思うが、軍事における肩書をいくつも持つ彼女は、軍装でいることの方が多いのだ。使い道に困るのだろう。一度落ちぶれたことがあるからか、妙に倹約的な考え方をするところがある。リシャナも、ヘルブラントも。何の実験をしているのかわからない、と言われるリュークですら、予算に文句をつけたことはない。
「……参考までに、今まで一番貰ってうれしかったものはなんだ?」
エリアンに尋ねられ、リシャナは少し考えた。
「……馬具?」
「もう少し、贈り物っぽい例はないか?」
「なんだろう……ライチを籠一杯に貰ったときはうれしかったな。食べきる前に腐らせたが」
なるほど。果物か。ライチならそろそろ時期が来る。馬具よりは贈り物らしいだろう。
「というか、わざわざ贈らなくていい」
花を抱えたまま、リシャナはいつも通りの不機嫌そうな顔で言った。本当に不機嫌なわけではないのだが、表情のせいで損をしているな、と思う。
「俺がしたいから、する。布地自体を贈れば、好きに加工できるか」
不意に思いついたことを言うと、リシャナは突然笑った。その笑い声はすぐに引っ込んだが、エリアンを驚かせるには十分だった。
「……なんだ?」
「いや……昔、姉上に同じようなことを言われたことがあるなと。アルベルティナの方ではない。死んだタチアナの方だ」
リシャナのすぐ上の姉だったというタチアナは、ライヒシュタート帝国を構成する諸国家の一つに嫁いでいたが、十年ほど前に亡くなっていた。なので、エリアンは彼女を知らない。
「まあ、よほど変なものでなければ、拒まん」
「では、安心して贈ろう」
逆に言えば、変なものとリシャナが判断すれば拒まれるので、全然安心できない。リシャナとエリアンの価値観が近いといいのだが。
「ところで、私からも提案があるのだが」
「提案?」
聞き返すと、「ああ」とリシャナはうなずく。花束の香りを楽しみ、口を開いた。
「遠乗りに行かないか?」
「遠乗り? あなたと俺でか」
「ああ。……馬に乗れないということはないよな?」
この国では、移動手段はもっぱら馬だ。乗れる、と返すとリシャナは「それはよかった」と無表情で返した。
「遠乗りに行くのは構わないが、なぜ急に?」
エリアンが尋ねると、リシャナはわずかに顔をしかめた。
「いや……外に出たいと言ったら、お前を連れて行けと言われた」
誰に言われたのかが気になるところである。ヘルブラントだろうか。リシャナはフェールという貴族の女性を侍女として連れてきているが、彼女はエリアンに今のところさほど好意的ではない。敵意があるわけでもないが。自分たちの主にふさわしいか見定めている、というのが正しい。エリアンが彼女と同じ立場でも、同じことをするだろう。
「あなたのいくところであれば、どこであろうと同行しよう」
「……」
胡散臭いものを見るような目で見られた。エリアンは苦笑する。
「本気だ」
「自分の言動を見直して恥ずかしくはならないか?」
「気にしたら負けだと思っている」
「ということは、恥ずかしいとは思っているんだな」
揚げ足を取られた気がするが、からかわれているというより事実確認をされている気がする。そのままの調子で、「いつなら時間がある?」と尋ねられ、明後日の午前中と答えた。リシャナは公務があるとはいえ、客分であるので比較的自由だ。廷臣のエリアンに合わせてくれるらしい。こういうところが、姫君らしくないというか、好意の持てる部分である。
「では、明後日に。次はお前の好きなものの話でもするか」
そう言ってリシャナが背を向けた。花束を抱えたまま、立ち話をしていた廊下を歩いていく。次の話題を指定されたが、次があるのだ、と思えると嬉しい。
「俺の好きなものだが、あなただな」
「真面目に答える気はあるか?」
王都の端に位置する川のほとりで馬の手綱を引いて歩かせながら、エリアンがおもむろに言った。リシャナも自分の言ったことを覚えているのか、エリアンにツッコミを入れてきた。
「大真面目だが」
「そうか。ありがとうと言っておく」
スルーされた。本気にされていないなあと思う。まあ、求婚自体があれだったし、信じられなくても仕方がないだろうが、リシャナが好きだというのは本当であるのに。
「好きな食べ物だということなら、パイなどが好きだな。あまり味の濃いものなどは好きではない」
「なるほど」
リシャナが立ち止って木に馬をつないだ。隣の木にエリアンも馬をつなぐ。
「昼食にパイが出てきたら、お前を思い出しそうだな」
「ぜひ俺を思いながら食べてくれ」
「いいだろう。顔を思い浮かべた真ん中にナイフを突き刺してやる」
なかなか舌鋒がきつい。エリアンの気が弱ければへこたれるところだが、彼はそんな可愛らしい神経はしていなかった。ふと思い出したようにリシャナは話題を変えた。
「……明日の晩餐に、お前を連れて来いと言われた」
「王やバイエルスベルヘン公との晩餐か」
「そう言うことだな」
なら、王妃やバイエルスベルヘン公爵夫人も一緒だろう。口裏を合わせておく必要がある。その必要性はリシャナにも認められた。正直、王がどこまで把握しているかよくわからなくはあるが。
「ちなみに、俺があなたを口説き落としたことになっている」
「私の性格で口説き落とすのは無理があるからな」
どうもそれで問題ないらしい。ヘルブラントの圧に引き気味だったリシャナが、突然エリアンを口説いた、というのも変な話だし、これはそれでいいだろうと思う。
「では、あなたは俺の真摯な口説き文句を聞いてうなずいたのか? それも無理があるな」
「妥協ではだめか」
「あなたの兄上たちは納得するだろうが、王妃や公爵夫人をかわし切れるか?」
「……無理だな」
リシャナの性格を知っている兄たちは納得しても、その妻たちが聞いてくる気がする。女はいくつになっても人の恋の話と噂話が好きなものなのだ。
「では、顔と応えることにしよう」
「顔なのか」
思わず、エリアンは自分の顔を撫でた。リシャナは「嫌いなタイプの顔立ちではないな」と微妙なことを言う。リシャナほどではないが、比較的端正な顔立ちをしている自覚はあるのだが。
「そう言うお前は?」
リシャナが疑うようにエリアンを見上げるが、彼は誰もが納得する答えを用意していた。
「『ルナ・エリウ開城戦』であなたに助けられてから思い続けていた、と答える」
「騙せるのは姉上方くらいだな……」
こちらは逆に、女性陣しか説得できなさそうだった。
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