09.ルーベンス公爵エリアン
鎧に包まれた華奢な背中を覚えている。彼女はまさしく、俺たちにとっての光だった。
ルーベンス公爵エリアン・ファン・リンデン
王が妹であるキルストラ公爵の結婚相手を探しているらしい、という噂を聞いたのは、その日の朝のことだった。貴族たちが浮足立っている。
実は、これまで何度か王が妹に婚姻を結ばせようとしたことはある。妹とは言っているが、男装している彼女を男だと思っている人間は、案外多かった。貴族令嬢たちが我こそはと勢い込むが、残念ながらキルストラ公爵リシャナはれっきとした女性なので、女性とは結婚できないだろう。たぶん。
とはいえ、自分もあわよくば、と思っている時点で彼女らと同類だな、とエリアンは思う。彼は宮廷に官職を持つ廷臣であるので、王に頼まれて諸外国の王族を当たったこともあった。結局どれも王のお眼鏡にはかなわなかったが。どうも、王は妹を国外に出したくないらしい。確かに、『北壁の女王』と呼ばれる彼女を国外に出してしまえば、誰がその国境を守るのか、という問題もある。
憧れがあった。彼女はまさしく、彼にとって光だった。美しい人の姿をした光。それが、人のものになるのならいっそ、と思った。エリアンの人生の半分以上が、彼女とともにあった。
エリアンがリシャナ姫を初めて認識したのは、彼が十歳の時だ。彼女を一気に表舞台に引き上げた『ルナ・エリウ開城戦』の場に、エリアンも居合わせたのだ。もちろん、戦ったわけではない。当時たまたま王都にいたエリアンは、家族と共に城門を閉ざされた王都に閉じ込められたのだ。ちなみに、当時ルーベンス公爵だった父は、リシャナの麾下としてその戦いに参加している。
王都のそばまで、王位を要求した王族ロドルフが迫っていた。従弟である国王ヘルブラントを捕虜として。おとなしく自分を王都にいれれば、他の王族や市民には手を出さない。そう言ってきたという。
もちろん、これを聞いて王都の住民たちは開城するように訴えた。実際に王都側を指揮したのはリシャナであるが、年齢や性別の関係で、名目上の総司令官はその兄リュークだった。彼のもとに集まった開城要求に、リュークはさぞ戸惑っただろう。
頑として開城しない彼らに、住民たちは心無い言葉を投げかけたものだ。爵位を持つとはいえ十五の少年と、十三の姫君相手に。
抵抗して殺されたらどうする。あんたたちだって、素直に王都を明け渡せば無事に済むんだぞ。
まあ、こういったようなことを言っていたと思う。当時、エリアンは十の子供でしかなかったから、後から父や兄に聞いた話だが。
十歳ながらに、本当に明け渡せば無事に済むと思っているなら、おめでたいな、と思った。確かにロドルフは王位継承権を持っているが、それはいとこたち全員の後の話だ。この当時、少なくとも、王弟ヘンドリック、リューク、王妹リシャナの三人がロドルフより優先度の高い王位継承者だった。
ロドルフは、王も含めてこの全員を殺すだろう。……いや、リシャナ姫は生き残るかもしれない。結婚して王位を強化するために。今なら、リシャナがそれをよしとするような姫君ではないとわかる。
実際、この時民衆の面前に出てきたのはリュークではなく、華奢な体に鎧をまとったこの姫君だった。この時まで、みんな彼女が指揮を執っていることを知らなかった。
城門を開けてどうなる。ロドルフの大軍が攻め入ってくるだけだ。本当に彼がそんな口約束を守ると思っているのか? 略奪が起きて、それでしまいだ。言い訳などいくらでもできる。混乱した市民が殺しあったのだ、などと言ってな。
痛烈な言葉だった。だが、兄と一緒に彼女を眺めていたエリアンはその強い言葉に引き寄せられた。
城門を閉ざす以上、私たちにもあなたたちを守る覚悟はある。一兵卒たりとも、この城壁を越えさせはしない。
思い返しても、リシャナは『勝つ』と言わなかったと思う。そこまでの確信はなかっただろうに、彼女は王都を守ると宣言した。そして、本当に守って見せた。
あの日見た、リシャナという鮮烈な光。彼女のために何ができるだろう。どうすれば、彼女の側に行けるだろう。あの光を失いたくない。そう考えて思いついたのが、とりあえず頭がよくなることだった。この時、エリアンは公爵家の次男だった。
エリアンが宮廷に上がるようになったころ、父と兄が立て続けに亡くなった。思いがけず、エリアンの手元にルーベンス公爵位が転がり込んできた。下っ端役人だったエリアンだが、公爵位を継いだことで王の側近にまで引き上げられた。
それからだ。リシャナの姿をよく見るようになったのは。当時すでに二十歳を越えていたリシャナは、北壁の女王と呼ばれ、リル・フィオレ王国北部アールスデルスに封じられていた。
戦場でない場所で見る彼女は、どちらかと言えば物静かな女性だった。声を荒げるところなど見たことがない。エリアンを魅了した光を放たない。不機嫌そうに細められた、澄み切ったその瞳が光を放つ瞬間を見たかった。
弟のリュークに子供が生まれたころだろうか。ヘルブラントは唐突に自分の妹が未婚で、婚約者もいないということに気が付いたようだった。いい相手はいないか、と家臣に尋ねていた。
先程も言ったが、リシャナほどになると、釣り合う相手を見つけるのが難しい。しかも、国内で見つけるとなるとかなり数が限られる。リシャナ本人は乗り気ではないので、よほどの好条件でなければうなずかないだろう、というのが王たちの見解である。
会議で貴族の若君に話しかけられ、まるっと無視しているリシャナを見てこれは手ごわいと苦笑する自分と、どこか安心する自分がいる。エリアンも縁談を勧められているが、断っている。リシャナが結婚しない限り、それが許されるような気がした。
そう。王が妹を結婚させようとするように、エリアンも親族から縁談を勧められていた。正直、こちらの方が厄介だ。リシャナについてはエリアンに直接影響はないが、エリアンの結婚はエリアン自身の問題なのだから。
そういえば以前、他国の姫君との縁談を、王にすすめられたこともあるな、と思ったところで、気づいた。少なくともエリアンは、他国の姫君と婚姻を結べるだけの身分がある。では、自国の姫君とも可能ではないだろうか。そうすれば、あの光を本当の価値のわかっていないような男どもに消されずに済む。
浅く短い付き合いではあるが、キルストラ公リシャナを見てきた。いつも不機嫌そうで愛想もいい方ではないが、情の深い女性だ。そして、合理的でもある。リシャナに合理的なメリットを提示すれば、手を結べる可能性は高いと見た。エリアンの作戦であると見抜いても、うなずく公算は高い。彼女は自分の地位と身分目当てに声をかけてくる男たちに辟易しているように見えたからだ。
そして、エリアンは賭けに勝ったわけだ。名前を憶えられていないのは、さすがに想定外だったが。
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会話文、なし!




