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継続


あれから2週間が経った。

夫とケイティとの関係に変化はなく、私とデレクの関係にも変化はない。


ただ少し、デレクの雰囲気が変わった。

表情が柔らかくなった。無愛想さがマシになった気がする。


そしてよく目が合う。自意識過剰だろうか、あんなことを言われたせいで。妙に意識してしまう自分がいる。


大丈夫、私はちゃんとビジネスライクに接することができている。

業務上の会話に徹し、あからさまに避けてはいないし、笑顔で壁を作っている。

大人の対応だ。


それなのにデレクの私を見る目はなぜか優しげで、ひっそりと甘やかで、「目は口ほどに物を言う」だ。

言葉にはしないが、瞳で伝えてくる。

俺と浮気しませんか、俺はいつでもオッケーですよと。


気のせいであってほしい。私の自意識過剰に違いない。

8歳も年下の若い子から誘われて、私もまだまだ捨てたもんじゃないわと浮かれてしまったんだ。これでは夫と同じだ。


そうか、同じだ。私だけ我慢するのは不平等だとデレクは憤慨した。だから「平等になるために」「当てつけで」浮気をと。目には目を、歯には歯を、浮気には浮気を。


馬鹿馬鹿しい。

当て馬として使われたいだなんて、馬鹿じゃないのか。

私はやっぱりデレクのことが超苦手だ。




「なあ、デレクのことだけど……」


ある日、夫がこう切り出した。

ドキッとして心臓が飛び出るかと思った。


まさかバレた!?

って何を? 私たちはまだ何もしていない。いや「まだ」って何だ、何もする気はない。やましいことは何もない。


「ん、デレクがどうかした?」


「可愛げなくて扱いにくい奴だってのは分かるけどさ、あからさまに苦手オーラ出すの、よしてくれよな。あいつガキの頃に色々あってな、ワケアリで可哀想な奴なんだよ。あいつがあんな感じなのは、親のせいだから」


「どういうこと?」と聞き返した私に、夫は詳しく教えてくれた。

デレクの父親は、デレクが5歳のときに愛人を作って家を出て行き、女手一つでデレクと3歳下の弟を育てていた母親も、デレクが7歳のときに家出したそうだ。

幼いデレク兄弟を置いて。


「じゃあデレクは祖父母に育てられたとか?」


「いや、デレクの両親は駆け落ち婚で、親戚付き合いや近所付き合いも希薄だったらしい。貧乏で、デレクは学校にも通っていなかった。母親が働きに出ている間、弟の面倒を見ているのはデレクだったらしいからな」


「それじゃ、その母親が家出した後は誰が兄弟を引き取ったの?」


「誰も。いつか母親が戻って来ると信じて、デレクはそれまで通り1人で弟の面倒を見ていたそうだ。置き去りにされたボロ家で、誰にも気付かれず。食料はすぐに尽きた。衰弱していく弟に何か食べさせるものをと、デレクが盗みに入った食料店で捕まって、発覚したらしい。けど手遅れだった。保護されたが弟は衰弱死、デレクも相当ヤバかったらしい」


「そんな……」壮絶な過去があったなんて。

絶句する私に、夫は苦笑した。


「だからまあ、多少のことは大目に見てやってくれ。あいつは子供の頃に大きな傷を負ってて、どうしようもない暗闇を抱えてる。まあそれが起因して、あれだけの黒魔術を使えるようになったんだろうけどな」


夫はそう話を締めくくり、「優しくしてやってくれな」と念を押した。

私はひどくショックを受けていた。デレクの過去の話に。


デレクたち兄弟に思いを寄せ、ひどく胸が痛んだ。もし私が当時も大人で、デレクたちの近くにいて、SOSに気付けていたなら。

どうして気付けなかったんだろうと、端から無理なことを本気で後悔した。


デレクが7歳なら、当時の私は15歳だ。平凡な両親の元で、勉強を面倒に思いながら友達に会えるのを楽しみに、普通に学校に通っていた。それが普通だと思っていた。


デレクの子供時代の話を聞いて以降、デレクにどう接して良いのか、ますます分からなくなった。

努めてビジネスライクにと、わざとらしく意識することはなくなった代わりに、「優しくしてやってくれ」という夫の言葉を意識した。

不幸な子供時代の話を聞いたからと言って、手のひらを返すように急に優しくなるのもいかがなものか。


安易な同情はデレクを余計に傷つけないだろうか。

それともこの「腫れものに触るような感じ」の方が良くないのだろうか。


少し前までは、こちらが同情される側だと思っていた。夫に堂々と浮気され、軽んじられている不憫な女として。

気の毒だからと、浮気の当て付け役を申し出られて。馬鹿にするなと憤慨したが、デレクの過去を知った今は、怒りは湧かない。

不可解だ。

自分の両親が愛人を作って家出して、置き去りにされて弟は死に、自分も死にかけたというのに。


『俺としませんか、浮気』


よくあんな提案ができるものだと、解せない。





「なあ、ちょっとデレクの様子を見に行ってやってくれないかな。食べ物の差し入れ持ってって、具合によっては回復魔法かけてやって。玄関先でいいから」


秋が深くなった頃、体調不良で連日の欠勤をしたデレクを心配し、夫が私に命じた。

二つ返事で引き受け、書類仕事が一段落したところで早引けし、食料品を買い込んで、デレクの家へ向かった。


古い借家の呼び鈴を2度鳴らし、しばらく待つとデレクが出てきた。

ぬっと現れたデレクは、予想以上にひどい有り様だった。

ボサボサのパサついた髪に、げっそりと痩けた頬、ふらふらの足取り。


「ちょっ、大丈夫っ!?」


玄関先のやり取りで済む状態ではない。

私は慌ててデレクを支え、家に上がり込んで、室内の惨状に更に目をみはった。


デレクを寝かせて水分を与え、とりあえず回復魔法を2連発でかけてから、軽いものを食べさせた。

みるみる回復していくデレクに安心し、ぱぱっと部屋の片付けもした。


「すみません、本当に、大したことないのに、ご迷惑をおかけして。わざわざお手間を取らせて、すみません」


ボソボソと詫びるデレクに呆れた。


「大したこと、あるじゃない。このくらい全然手間じゃないんだから、遠慮せず頼りなさいね。こんな状態だってもっと早く知ってたら、もっと早く飛んで来たのに」


思わず叱った。遅すぎた自分への苛立ちと、間に合って良かったという安堵と、あまりに弱々しいデレクへの愛しさがぎゅっと相まって、こんがらがる。


「どうして、そんな顔するんですか? 泣きそうだ」


デレクはじっと私を見つめたまま、瞳で言葉を交わした。

口にはできない言葉を私も伝えた。




事務所に戻り、夫にデレクの様子を報告した。

思ったより悪い状態だったが、回復に向かっているので大丈夫だと。それは良かったと夫は屈託なく笑った。


翌日の休日を挟み、休み明けに出社してきたデレクは、もうすっかり元通りだった。

あまり愛想がなく、愛嬌もなく、しかし仕事ぶりは優秀で、何事もそつなくこなす。


そして時おり私と目が合うと、何とも言えない慈悲深げな、優しく甘やかな色を浮かべる。

それはほんの一瞬で、浮かんではすぐに消えるものだが、注意深く私たちを観察していれば気付くはずだ。


しかし私を見ていない夫は何一つ気付かず、今日も若い愛人と顔を寄せ合い、笑っている。



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