7話
「キャーッ!!」
突然の悲鳴で目が覚めた。
何事かと思い急いで支度をして部屋から出てみると慌ただしく廊下を走る幾人もの姿があった。
将は丁度目の前に通りがかった男に聞いてみることにした。
「あの、何があったんですか?」
「あーん、なんだお前か。俺も今起きたばっかで知らねえから今見に行くところだ」
屋敷の全体像を把握していないため悲鳴がどこから聞こえてきたのか分からない将はひとまず男の後についていって見ることにした。
するとしばらくして縁側に人だかりが見えた。
昨日大広間にいた見覚えのある者もいる。
先ほど悲鳴をあげたと思われる女性は腰を抜かし、地べたに座り込んでいた。
女性や他の者達の視線の先を見ると、老婆が庭でピクリともせずにうつむせに倒れている姿が視界に入った。
「え………」
思考ができない。頭が朦朧とする。
何かの冗談であって欲しいが周りの喧騒がこれが真実だといやがおうでも突きつけてくる。
老婆の状態を調べていた男が静かに首を振った。
「もう既に息絶えています。胸に刺し傷があることから間違いなく何者かに殺されたのでしょう」
喧騒がさらに大きくなった。
「嘘……だろ」
2日続けて昨日会ったばかりだとはいえ、身近な人間をこうも短期間に亡くしたことのなかった将にはいささか酷だった。
こんなにも容易く人が死ぬ現場に立ち会ってしまう世界に足を踏み入れたことに気持ちの悪い恐怖を感じた。
しばらくすると廊下で固まっていた将に今起きたと思われるリサが話しかけてきた。
「将さん、おはようございます。どうしたんですか? 皆して騒々しいですが」
何事かと思ったリサが将が視線を向けている庭へと顔を向けた。
庭で何が起こっているのを認識したリサが手を口に当て
「嘘…そんな……」
リサは嘘だと思いたい、何かの冗談であって欲しいと一縷の望みを託して老婆の下まで走っていく。
呆けていた将も我にかえりリサの後についていく。
「師匠……そんな…」
胸に抱いていた微かな希望がことごとく崩れ去った。
老婆の下までたどり着いたリサが老婆のまごうことなき死を確認し、うっすらと涙を浮かべた。
リサが地面を思い切り殴った。
衝撃により辺りに砂ぼこりが蔓延する。
リサが怒りに染まった顔で立ち上がる。
「どこに行くんだ?」
老婆の状態を調べていた男が言った。
「師匠を殺した者がまだ近くにいるかもしれません。見つけ出して捕らえます」
抑えがたい怒気を感じる声音でそう言った。
十中八九殺す気だろうというのが表情から伺えた。
将はリサの違った一面に思わず身震いしてしまう。
「無駄だ。みどりさんは亡くなってから数時間たった状態だ。もう既に探しても無駄だろう」
リサは悔しそうにうつむいた。
リサ自身もうすでに犯人は近くにいないということを察しながらも抑えきれない怒りに身を任せ行動しようとしていたことにわかっていたため、渋々ながらも男の声に従った。
「リサ、何か手がかりがないか探そう。何か犯人に繋がる物があるかもしれない」
「そうですね、ちょっと冷静さを欠いていました」
リサは渋々ながらも手がかりを探すことにした。
しばらくたって将があることに気づく。
「おかしい…地面に血の跡が一滴も見つからない」
「確かにそうですね……刺し傷があるにも関わらず地面に血が付着していないというのは妙ですね」
しばらくリサは顎に手を当てて考え始めた。
「考えられることは二つ。違う場所で殺し庭まで運んできたか、もしくは何らかの能力によるものか。前者だとしてもわざわざ違う場所で殺したのを庭まで運んでくる必要はありません。恐らくは後者である確率が高いでしょう。
だとしたら相当厄介ですよ。あの師匠を倒せるなんて相当の腕の持ち主と考えて差し支えないでしょう。
ともあれこの情報は犯人に近づく大きな一歩となるでしょう。将さん、ありがとうございます」
「ああ……」
いつものリサであれば地面に血が全く付着していないことに容易に気がついたはずだ。
いつもの調子を崩すほどにリサにとっては老婆の死がリサに与えた影響が大きかったことを物語っている。
現にリサの頬は紅潮し目尻にはうっすらと涙がとどまっていた。
ざわざわとまた一段と屋敷が騒がしくなってきた。
さらに人が集まってきたのかと思ったがどうやら違うようだ。
耳を済ませて聞いてみると新たな問題が起きたらしいことが分かった。
「おい、鈴木のやつがどこにもいねえ!」
「まさか、鈴木のやつまで!」
「鈴木を探せ!」
「どうやら何か問題が起きたらしいですね…他の人に任せて私は師匠の死体を空いている部屋に運びます。死体とはいえこんなところに置いておくのもなんですから。将さん、運ぶの手伝って頂いても構いませんか?」
「ああ、分かった」
◇◇◇◇◇
「ここでいいか?」
「はい、将さん手伝ってくださりありがとうございました」
老婆の死体を空き部屋の地べたに置いた。
こうして見ると死とは不思議なものだと常々思う。
今までふれあったり喋ったりしていた人間がふと電池でも切れたように動かなくなるのだ。
死んだ者との過去の思い出がまるで自分の妄想だったかのように思えてくる。
それがとても寂しく悲しい。
昨日会ったばかりの人間にさえ悲しみを抱くのだ、リサは今の自分とは比べ物にならないくらいの悲しみを抱いているであろう事が容易く想像できる。
将はリサに気をつかって部屋から出た。
ドアの側で待機していると部屋の中からすすり泣く声が聞こえてきた。
昨日寝る前には死を受け入れなければ前に進めないとリサ自身が言っていたが、言葉で言うほど甘くない。
ましてや年端もいかぬ女子高生にはあまりにも辛すぎた。
◇◇◇◇◇
「鈴木が一キロ先の公園で刺されて死んでいるのが見つかったらしい!」
玄関方面から大声が聞こえた。
まただ、また死者が出たらしい。
鈴木という人間のことを将は知らなかったがこれほどまでに死を身近に感じることは生まれてこのかた一度もなかった。
昨日誓った前を向いて進むという宣言が不安に押し負けそうだ。
だが全てを受け入れ前に進まなければ何も変わらない。
そう思い込むことで不安を払拭しようとしていた。
「あら、将きゅんじゃないの。どうしたのこんなところで」
後藤が現れた。
後藤は将がここにいる理由を質問したが、将が何も言わずともリサの鳴き声で全てを察したようだ。
「大変だったわね……私もビックリよ。お婆ちゃんが亡くなってしまうなんて…」
何食わぬように言っているが将に気をつかって平静を保っていることに将自身感づいていた。
将から見てこの後藤という男は言葉遣いや見た目は飄々としているが、中身は仲間思いの芯のある男だというのが昨日の様子を見て知っていた。
「しかもさっき行方不明だった鈴木が見つかったらしいわよ、死体でね。
公園で刺されて死んでいたらしいわ。お婆ちゃんと同じ刺し傷だったことから犯人は同一人物らしいわ」
将はあることに気付いた。
そういえば自分を襲った女もナイフを持っていたことに。
刺し傷ということから連想するべきだったが度重なる心労でそこまで頭が回らなかった。
「あの…俺を襲った相手はククリナイフを武器として扱っていました。もしかしたら……」
「ふむ、その線もあるわね……ただ証拠がまだ出揃ってないからまだ断定するのは危険ね」
後藤が1拍おく。
「ただ不思議なことがあったのよ。それというのも鈴木が抵抗した跡が全くなかったの。ほら抵抗したときとか衣服が乱れることとかがあるでしょう?
まるで殺されるなんて予想もしてなかったように」
「抵抗しなかった……」
将はとある可能性に思い至った。
将の反応を見て後藤は話を続ける。
「そうよ、鈴木が裏切り者だったというわけね。
しかも鈴木が裏切り者だったら全ての辻褄が合うのよ。鈴木ってね対象をカモフラージュさせて敵から身を隠せる能力を持ってるんだけど、昨夜ちゃんと能力が発動してれば敵は屋敷内に侵入することは不可能だったわけよ。
鈴木は常時この屋敷に対して能力を発動させていたにも関わらず侵入された。
この事から考えうることは二つ。
まず一つ目、鈴木が何らかの理由で屋敷に出た時に殺され能力が解除された。
二つ目、鈴木が故意に能力を消したか。
まあ、前者はまずありえないわね。鈴木の死亡時刻を調べたところお婆ちゃんが死んだ時刻より後に殺されたらしいから。」
後藤が将の顔を覗きこんだ。
「あら、どうしたの将きゅん?不思議そうな顔して」
「いや…鈴木さんがスパイだとしたら全てうまく説明できますけど、何か辻褄が合いすぎるな…と」
「それは私も考えてたわ。分かりやすく鈴木がスパイだったということにしてスパイは別にいる…とかね。まっ、考え出したらきりがないわよ。
相手の目的がこうやって疑心暗鬼にさせて内部から瓦解させることかもしれないし」
突如、扉が開き中からリサが出てきた。
目には泣きはらした跡がくっきりと刻まれていた。
「後藤さん……」
「あら、リサ部屋の中にいたのね。私は鈴木の死体をもう少し詳しく調べたいからもう行くわね」
そう言って後藤は二人のもとから去っていった。
「将さん、私達も行きましょう」
「ああ、そうだな」
そして二人はその場を後にするのだった。
◇◇◇◇◇
公園についた二人はまず何か手がかりが落ちていないか地面をくまなく探すことにした。
鈴木の死体はもうすでに仲間達の手によって撤去されている。
もし近隣住民に見つかりでもしたら大変なことになっているところだ。
「気づきましたか?」
「ああ、血の跡が少し残ってるな」
「やはり鈴木さんが裏切り者だったということですね」
「ああ、そういうことになるだろうな。鈴木さんがなぜ、公園にいたのかもだいたい想像がつく。
恐らく犯人と会っていたんだろうな」
「そして口封じのために殺された。まさか鈴木さんも殺されるとは思っていなかったのでしょう。
抵抗もせずに真正面から刺されていたらしいですし、何より血の跡があるということは相手側が能力を使わなかったということです。
鈴木さんは強い。能力なしで勝てるような相手ではないでしょう」
◇◇◇◇◇
同時刻、百メートルほど離れたビルの屋上から二人を覗く二つの影があった。
一人は女。
背は小さく顔立ちもそれに比例するようにあどけないものになっている。
頭の両端で結ばれた髪の毛が重力に逆らうように空に向かって倒立している。
そしてもう一人は男。
頭から足まですっぽりと覆うような外套を身に付けている、そして髪の毛が頭のてっぺんから足先まで伸びているほどの長髪の大男だ。
サングラスをかけているために顔の全体像は把握できない。
「ふーん、あれが噂の勝木将かー。」
「………………」
「先輩のためにあの二人は殺さないでいてあげたけど、あのお婆ちゃんだけじゃ消化不良なんだよね……。どうする、もっと殺っちゃう?」
「………………」
男は女の問いかけに無言で頷いた。