等々力を一途に想い続けるあかね。しかし5年前のあかねは彼が苦手だった・・・
等々力との出会いは五年前になる。営業課に配属された新入社員あかねの指導係が、二年先輩の彼だったのだ。
あかねは女性営業職の第一期生として採用された。それまで営業配属の女性には事務職の仕事しかなかった。女性営業職の採用は、シェービングクリームのような男性用衛生用品に強い丸島石鹸が、この先女性向け基礎化粧品分野に力を入れるためのものだった。
未経験のくせに、あかねは営業の仕事に自信があった。学生時代の彼女は活発で友人も多く、リーダーシップを取ることもしばしばだった。明るく元気な彼女なら、営業の仕事もそつなくこなすだろう――本人も周囲もそう思っていた。
六月に前任者から顧客を引き継ぎ、夏までは可もなく不可もなくといった成績だった。だが、「明るく素直でかわいい若い娘」という武器の威力はそこまでだった。九月、いつもと同じように回っていたのに、なぜか多くの顧客から発注が減らされた。「そういうこともあるだろう」とはじめは呑気にかまえていたが、このままでは月間目標が達成できないことに気づき、あかねは青くなった。再び顧客を回ってみたが、「また今度」と言われるばかりで感触はよくない。どうも秋から攻勢をかけてきたライバルのS社やP社の営業マンに、シェアを奪われたらしい。飛び込みではないルート営業でありながら、既存の客から注文を減らされるというのは屈辱的なことだった。しかも増やしてくれた客は一件もないのだ。
翌月は頑張ろうと思った。にもかかわらず、一度奪われた数字は伸びず、結局また月間目標を達成できなかった。貼り出された営業成績グラフの横を通るたび、あかねは目をふせてそれを見ないようにした。
その月に達成できなかったのはあかねだけだった。新人の彼女も、三ヶ月連続で月間目標を達成できない営業マンは肩叩きされるという噂を耳にしていた。もし本当ならば、リーチがかかったことになる。
あかねは会社が楽しくなくなった。
朝、目覚ましを止めてまどろみの中、ふと営業成績のグラフが思い浮かぶと、とたん布団に潜りなおしたくなる。憂鬱な考えが浮かんでどうしようもなく、街をあてもなくジョギングした夜もあった。何を食べてもおいしくなく、今思えば軽いノイローゼだったのかもしれない。
仕事には一生懸命だったが、辛い状況を忘れるためがむしゃらにやっているという感じで、その余裕のなさが客に伝わるのか、数字は伸びないままだった。
同期で営業に配属された、もうひとりの女子社員、北條真里がぐんぐん成績を上げていたのもプレッシャーだった。入社半年で売上上位グループに仲間入りした真里が隣にいては、新人という言い訳すら通らない。
たった二人の女子の新入社員、真里とあかねの明暗を分けた一因は、指導係との関係があると、あかねは考えていた。
真里の指導係になった金本は四十半ば、押しも度胸も強い、いわゆるアクの強い営業マンだった。それでも他人に好かれるのは、半径三メートル以内に入った他人をわけもなく明るい気分にさせる持ち前のオーラのせいだ。どんな悪い知らせのあとでも、金本がフロアに入ってくるだけでパッと華やいだ空気になる。
真里と金本の二人は、ざっくばらんな者同士、父子のようないいコンビだった。笑顔が絶えず、結果も出している二人が、あかねはうらやましくて仕方なかった。
一方、あかねの担当になった等々力は、物静かで何を考えているかわからないタイプだった。休みの日には、ひとりで本でも読んでいそうな内気な男性だ。あかねへの指示もほとんどメールで、同僚と話すことすらまれだ。指導といっても頑張れというだけで少しも親身になってくれない。
そんな彼が指導係に指名されたのは、金本に次ぐ営業成績をあげていたからだ。
指導係として紹介されたときから、あかねは彼を住む世界が違う人間と感じた。等々力のほうも、あかねが苦手なようだった。あかねとは何度打ち合わせしても、仕事の話しかしないのに、地味めな女子社員相手なら、冗談を言うこともあるのだから。
だが、いくらかみ合わなくても、あかねの指導係が等々力なのは変わらない。あかねとしては、仕事のために彼との関係を少しでも良くしたいと、親しみをこめて接しているのだが、相手は一向に乗ってこなかった。
三ヶ月連続最下位が決定した翌日、あかねは等々力にミーティングルームに来るよう言われた。ついに彼も、指導係として部長に注意を受けたらしい。
パーテーションで区切られた人気のないコーナーに、二人は向かい合って座った。