登場人物は多いが、ちっとも進展しない恋愛に耐えることはできるか
赤い看板が目印の全国チェーンの居酒屋。貝原あかねは携帯を取り出すと、着信メールに記された店名を再び確認した。
二階の座敷では丸島石鹸営業部の飲み会が開かれている。三十分以上遅刻してしまったが、絶対に参加するつもりだった。春の異動以来、いたたまれない毎日をすごしている彼女にとって、居心地の良い古巣の飲み会は、心に栄養剤をつぎ込むようなものだ。
コの字型に並んだ座席を二十名弱の男女が囲んで談笑している。会はすでに興に乗りかけていた。あかねは座敷の隅に鞄をに置きながら、参加メンバーをぐるりと見回した。
今日の飲み会に友人の志保は欠席、真里は一番奥の席で後輩達と盛り上がっている。木下課長、大下さん、守口くん、営業部長・・・「彼」は当然来ていない。
「伊藤さんビールどうぞ」
「よお、貝原ちゃん」
「先週、北海道出張だったんでしょう?おみやげのチョコ、ありがとうございました。みんなおいしいって言ってましたよ」
「うまかったか。ならよかった。俺はひとつも食ってないんだけどね」
「あら、取っておけばよかった。向こうの業者さんどうでした?」」
「北海道じゃ、顔を売りたくてもなかなかね。もっとも近いうち営業所作るって話があるらしいけど」
「北海道に?だったら本州以外で初じゃないですか。全国展開もいよいよ本格的ですね」
「うん、まあ、あくまで社長周囲の噂にすぎないらしいけどね。うちの業績もここ数年横ばいだから」
「そうですねえ。一世風靡するような新商品が出せればいいんですけど」
「いや、今は流行より価格っしょ?低価格と高品質。このバランスだよ。これがないと広告イメージでばっと売れても、結局先細りになるからね」
ひとつ後輩の須藤梨花が、すっと近づいてきてあかねの前の刺身の皿を奪っていった。どうやら彼女の席のまわりのつまみが不足してきたらしい。べつにかまわないが、持っていくなら一言断ればいいのに。
須藤は男性社員の前では態度が変わる。裏表の激しいいけすかない後輩。おまけに彼女が一番媚びを売る対象がいつも「彼」なのだ。
(等々力さんが欠席でホント良かった)
彼がいれば、須藤はいつのまにかその隣に割り込んでくるのだ。
ターゲットのいない今日は芥川たち若手の談笑に首をつっこんでいる。女の同僚たちとの仲が冷え切っている分、彼女なりに居場所に困っているのかもしれない。
「貝原ちゃん?聞いてる?」
「あっ、はい」
あかねが慌てて我に返ると、伊藤は再び話を続ける。
「ウチのブランド名は偉大だよ。どこのドラッグストアでも、ウチの商品を目にしない店はない。けどね、棚ひとつ分だけなんだよ。丸島石鹸と丸島石鹸マイルド、これだけ。店側にもっと入れてくれって頼んでも、大手の新製品を置くだけで棚がいっぱいになっちまうって言うんだ。どうしたもんかね。貝原ちゃんは企画室も兼任じゃん。いい商品考えてくれよ」
「毎日、頭痛がするまで考えてますよ」
あかねは苦笑した。せっかくの飲み会で企画室のことはなるべく考えたくない。
「席が企画で仕事は営業と半々なんて、貝原ちゃんも二足のわらじは大変だよな。異動のとき部長は暫定的って言ってたけど、いつまで続ける気なんだろうね」
「そうですねえ・・・」
営業が手に入れた顧客のニーズを商品にダイレクトに反映させる。その目的で営業部長が提案したのが企画三課だ。
社長は乗り気でゴーサインを出したものの、企画部長には面白くない展開だったらしい。蓋を開けてみれば営業から三課に行ったのはあかねだけ、それも営業の情報も途絶えさせてはならないと、去年まで担当していた顧客の半分は今でも彼女が回っている。
いわば上の決定に企画部長がいやいや歩み寄って生まれた、中途半端な部署なのだ。
「企画部長とうちの部長、犬猿の仲だからね。そうでなかったら企画部長も、新しい課が病気療養中の課長と営業兼任の貝原ちゃんだけなんてふざけた真似はしないよな。そもそも営業に片足残すような中途半端な異動にはならなかったろ」
「いえ。今は営業に片足残してくれたこと感謝してます。外回りって心のオアシスですよ」
「そうか。俺も貝原ちゃんは人前に出る仕事のほうが向いていると思うんだがね。去年の千葉のコンベンションで着てた黒いスーツ姿、良かったなあ。うわあ、いい女って他社の連中もわいてたよ。部屋にこもってゴソゴソやってるなんてもったいない」
「もう、おだてちゃって!これから毎日あのスーツ着て来ようかな」
「貝原さんはなに着たって素敵ですよ」
若手の営業マン、松木がそう口をはさんできた。あかねの隣の空きスペースにするりと入り込む。