作られた聖女
気がついた時にはもう全てが遅くて。遅すぎたことは誰よりも私が知っていた。
「聖女様!」
神殿に訪れる人々からそう呼ばれ、違和感が少しもなかった訳じゃない。
「聖女様みたいになりたいなぁ」
「神様に祈りを捧げ、慎ましくいれば貴女も聖女となれますよ」
「ほんと!?」
聖女になったと言うより。聖女として生まれた私。名前を神に返し聖女となった私。
教皇は孤児だった私を見いだし聖女として育て上げた偉大な人物────と、されている。
思い出した時、おぞましさに悲鳴をあげた。見せられる過去に絶叫し、憎悪し、神になぜと問うても、答えはくれず。真実を私に見せてくる。
どうして、こんなにも私は尽くしているというのに。もうどうにも出来ないというのに神は私にこんな映像を見せ続けたんだろう。
聖女。聖なる女性。
魔を抑え込むための。
まるで、人柱や生贄の様に献身的に全てを受け入れるための存在。
そうと知る者は一体どれだけいるんだろう。そうと知っていたならば聖女になりたいというあの小さな女の子もなりたいだのと口にはしなかっただろう。
「聖女様、お務めのお時間です」
「…ええ」
忌々しい時が来る。思わず消えない痣がある腕を布越しに強く握る。煌びやかで、無駄にヒラヒラとしたこの服も、暑さでウンザリとしても脱ぐことは出来ないのは消えない痣のせいだ。
聖女という座についている私の体が醜く穢れていると知れば教会の信用も落ちかねない。いっそこの体を晒して幻滅して貰えた方が楽だというのに。
教会で地位を持つものはそれを絶対に許さない。
顔を動物の仮面で隠した、案内人に従い、神殿の中心であり、この国の中心である神木の元へたどり着く。
深々と礼をし、下がる案内人を見届け、神木の根元にある泉に、服を脱いで肌着だけになるとゆっくりと足を入れ、中に進む。綺麗なこの景色すらも忌々しい。
歯を食いしばって目を閉じる。体を明け渡す、この行為は何度繰り返しても慣れず、ゾッとする。
「っ」
祈りを捧げる。前で手を組んで目を閉じて。そうやって祈る。国中からじわじわと黒いシミがこの泉に集まってくる。集まったその黒が美しい水をどす黒い闇色に変える。
「っがぁ」
体に入ってくる穢れに口から勝手に漏れる、抑え込むことが出来なかった痛み。骨を直接齧りつかれているような軋む音と不快感。
耐えなければならない。耐えることが聖女の役目だ。そう幼い頃から行われるこの鎮めの儀式をへて深く刻まれた。
でも記憶が。
毎夜夢に見る過去が私の役目を否定する。
本当にそれでいいのかと。
痛みを苦しみを恨みを受け入れて、私だけが穢れ、この国の他のものは清い魂と心を得る。
理不尽じゃないか。
何故こんなにも私だけが奪われなければならなかった。なぜ役目が生き甲斐のままで居させてくれなかった。
なぜあんな夢を見せたんだ。
「か、ぁ…さ」
お母さん。お母さん。
なぜ私はこんな目に遭わないといけないの。
なぜあの男は私から全てを奪っておいて父だと名乗れるの?
神はなぜ、私に真実を告げたの。
終わりのない痛みと、迷いと、憎しみはずっと続くみたいで、次第に美しい色を取り戻し始めた景色をやっと視界に入れれば…涙が勝手に流れる。
黒いシミが広がり元の肌を侵食していくのを手で隠して。でも確実に大きくなる痣に吐き気がした。
「…もう、いや」
もう嫌だ。これ以上は私は穢れを受け入れられない。もうこれ以上…聖女でなんかいられない。
「……にげ、よう」
もう私は無理だ。限界だ。このまま儀式を行えば終わりはすぐ側だ。
ゆっくりと体を引きずるように無理やり泉から体を出して、肌着だとか、濡れてて透けてるとか、そんなこと気にせずにゆっくりと神木へと歩みよる。
神は、私を裏切らなかった。
過去をみせ、私を迷わせはするものの、私の命を奪うことはなく、けれどこの場所から救ってくれることもない。それはなぜか。
「私は、もう無理です、もう…もう…この身を捧げることは出来ません…」
私に真実を告げ、不信を抱かせ、迷いを与えた。鎮めの儀式を行わせたいのなら私にそんなものを見せるべきではなかった。
神は止めてくれようとしていたのではないだろうか。神は私がそんなに頑張る必要は無いのだと教えてくれていたのではないだろうか。
長い時をかけて悪夢として過去をみせ、そうして私に行われた洗脳を解いてくれていたのではないだろうか。
「たす、けて…」
掠れた声で。穢れた体で。止まらない涙を零して。
体を隠そうともせず、縋り付く私を神はどう思ったのか。
「……あぁ」
「…っ」
冷たくなって力が入らなくなっていく体を支えられる。優しく抱き留める存在を見上げ、その美しさにいっそ恐怖した。
「やっと…言ってくれた」
「……神様?」
「…確かに、君が祈りを捧げていたのは私だ。君にあの夢を見せたのも私だ」
涙が止まらないのを指ですくい上げ、目の前の神を名乗る男は柔らかく泣きそうな笑みを浮かべる。
「やっと、私を見てくれたな」
「……助けて、くれるの?」
「当たり前だろう、君はずっと苦しむ者を救ってきた…身を呈して救った者を救わずして誰を救うと言うのだ」
美しい青銀の目が細められる。空の詰められた長い髪が風に揺らいで広がる。
幻想的なこの存在に抱きとめられ、もうこれ以上穢れることが無くなったことを理解し、ゆっくりと目を閉じる。
それでも夢は見せられた。
悪夢と言える、過去の夢。
私の両親が目の前で殺され、両親の腕の中に隠されて両親の血を浴びたまだ言葉も発せない私を抱き上げた…教皇が、気持ち悪い笑みを浮かべる夢。
必死に亡き両親に手を伸ばす小さな私を少しも気にせず、殺した両親を埋葬することも無く放置していくその行為に果てのない憎悪が湧いて。
父だと慕った今までがなんと愚かなことか。厳しく接する父代わりの教皇にいつか認めて貰えるようにと努力した今までがなんと無価値な事か。
私は、私という聖女はこうして作られたのだ。愛し、守ってくれた両親を奪われ、洗脳とも言える信仰を植え付けられ。鎮めの儀式を行い、穢れを受け入れて。
「……その怒りも、恨みも持っていいのだ」
「っ」
ゆっくりと意識が覚醒していく。泣きじゃくっていた私の頭を優しく撫でていたらしい神はいつの間にか空の上の箱庭に私を運んできていたらしい。
果まで広がる雲が見たこともない世界を見せる。
「聖女として作られた君はもう、取り返した、名も大丈夫だ…私が返そう」
「な、まえ?」
「君を大切に育てていた両親がつけた本当の君の名だ」
「フェリチタ…生まれたその瞬間から両親の幸せの証だった君に相応しい名だろう」
「フェリチタ…」
不思議と体に染み付いた穢れが少し薄らいだ気がしてその名を何度も繰り返す。
「……幸せになれた?」
「?」
「私を産んで、両親は幸せだったの?」
「…少しずつ過去を君の夢に見せよう、本来見ることの出来ない記憶だが、それくらい許されるだろう…辛くとも君の両親の思いは君に返されるべきだ」
神はまた悲しげに笑った。まるで、泣く寸前のような表情に目を閉じる。すこしずつ、取り戻そう。
すこしずつ知ろう。苦しみ、もがいても、鎮めの儀式よりもその苦痛はきっと少ない。
その後に、やっとあなたに聞ける気がする。何故あなたが悲しそうに笑うのか。その意味を。