第8部 はじまりの章 麻美の覚醒
1937年(昭和12年)7月29日 北海道・札幌市
*)キリの覚醒
キリが覚醒した。もう麻美と同じ大人の女性だ。朝目覚めたばかりだから私たちを見てキリはキョトンとしている。理解が追いつかないのだろ。
「キリちゃん、おはよう」
「ん? 桜お姉さんおはよう。お父さんおはよう」
「キリちゃんは、もう何ともないようだね」
「うん」
と頷き元気になったと腕を挙げてアピールをするのだが直ぐに腕を下した。
「でも・・・。」
小声で答える様子が何か恥ずかしそうだ。教授は尋ねる。
「でも? 何だい、どうした」
「うん服がとても小さくてキツイ。桜お姉さん何か着るものを出して欲しいな!」
「あらら、それは大変!」
「それと桜お姉さんお腹が空いた。何か食べたい」
キリの話し言葉が大人びているし、声のトーンも変わったがまだ子供っぽい。教授はまだ戸惑っているようすだから、私は努めて平然と構えた。
「さ、教授お部屋から出て行ってくださいな。キリの着替えを手伝いますからね」
私は阿部教授の背中を押して部屋から追い出したのだ。ブツブツと独り言は言うが聞こえない振りだよね。
キリは大きくなったから、ちゃんは付けずに呼び捨てにする。対等に扱うことにするのだ。私は自室から下着と肌着、ブラウスとスカートをとりあえず持って来た。
「キリ、これ着てみようか。少し大きいかもしれないけど我慢してね」
「うん、ありがとう」
キリはゆっくりと起き上がり、手足などを動かしての自分の体を見つめている。
「ん~なんか変だな、自分の体ではないみたい。胸が少しキツいかも」
「そ、そうかもね……大きいかもね」
「え~と、ユキお姉さんは居るの?」
麻美のことだろうから取り敢えず保留にすることにした。後で阿部教授に丸投げにしてあげますからね。
「後でお父様とお話しましょうか」
「うん」
「さぁ、これでどうかな? 大人になった感想は」
「桜お姉さまよりも胸が大きい!」
「もう、バカ言ってなさい。でも嬉しい?」
「うん!」
「じゃぁ下りて朝食の用意をしようね、手伝うでしょう?」
「分かった。私手伝うよ」
私はキリの手をとって部屋を出て行く、ゆっくりと歩きながら。階段では手摺り側を歩かせる。
「教授見てください、教授の娘さんですよ。大きくなってますから」
教授は…………。返す言葉が無いようだ。
先輩は教授以上に目をパチクリさせて驚いている。口が半分開いたままだ。目も少し大きく開いているような?
「先輩……麻美の妹ですよ、そっくりでしょう」
杉田先輩はやはり口を閉じられない。ぎこちない動きをするキリには朝食の手伝いが無理そうだな。
「キリ、体を動かす感じはぎこちないかな」
「う~ん、なんか足元が見えないから少し」
「足元が見えないの? どうしてよ」
「エヘヘ……」
「はは~ん、さては桜子お姉さまを侮辱してるな?」
横からのスタイルを見てそう言えそうだ。とんだおませさんだこと!
「そろそろ三浦くんから連絡がある頃だ」
玄関から呼び出しのチャイムが鳴るから来客のようだと思ったら電報です、と聞こえた。電報が遅れて今頃になって届いたのだった。暫くして電話のベルが鳴る。
でも大学からだった。
「なに大学からは大した用件では無かったよ」
「教授、三浦教授から電話連絡があるのでしょうか?」
私は疑問に思い質問した。
「明日は直ぐに連絡するからと言っておったぞ」
「でも三浦教授はお電話の後は村に戻られたのでしょう? だったら電話連絡は出来ないでしょうに、違いますかね?」
教授はふと考えて、あはははぁと笑い出された。
可笑しなお父さん!
「寝不足なんですよ。お疲れですので朝食を直ぐに用意しますからまたお休みになられてください」
「先輩も直ぐに朝食を用意しますわ。なんたって女が二人ですもの」
キリはコーヒーを淹れて出していた、勿論杉田先輩の方にだよ……?
少し遅れの朝食が始まった。誰もキリに質問はしない、戸惑うばかりでとりとめの無い会話が続いた。
「教授それから先輩」
私は少し大きな声で話した。
「お代わりされてください、お昼はありませんから」
私はふと大事な用件が頭に浮かんだ、直ぐに実行しなければならない重要な事よ。
「先輩、食器の洗物をお願いします」
「お、おう任せて下さい桜子さん」
「教授、娘さんの為に沢山お金出してください。洋服と靴、バックにお化粧道具それ
に下着もたくさん必要だし、それからパジャマもかな」
私は思いつくままマシンガントークを発していた。教授は恐れて青くなり十円札を十枚出してくれた。まだ在るでしょう……とまでは言えなかったな。
私はキリに向かい一言。
「行くわよ。さ! 戦争よ!」
「はい、お姉さん」
キリから気持ちのいい返事が返ってきた。う~ん……妹が可愛い!
男二人は
「いってらっしゃ~い」
私こと桜子の女の戦争が今始まる。キリの恋のターゲットは先輩である。私は意地になってでも負けられないのよ。キリはもう、先輩好みの大人になってしまったから尚更だ。
「私の洋服も買っちゃおう、いいよね!」
「ねぇ、キリ。この服似合うかな!」
「それ! 私が欲しい。桜お姉さまは……この緑が似合うわよ!」
私はすでにキリに負けたと悟ってしまった。
「キリ! 恐るべし」
足が棒になり休憩にと、二人で喫茶店に入ってスィーツを食べた。キリにしてみれば、そうよこんな事は初めてのはず。
「姉さんとこうして大人のデートが出来て嬉しい」
「そうよね、そうよ。初めてだわ! お姉さんも嬉しいね!」
「むふふふー」
などなど、他愛もない会話が続いた。
「行くわよ。次は靴やさんね!」
私たちは夕方前に帰宅した。両手には荷物がいっぱいだ。
「お父さん、あと10円を出して下さい。足りませんでした」
キリは何も言わずに、父と私の会話を聞きながらただ笑っていた。
私は三浦教授から連絡がありましたと尋ねると、昼を過ぎても連絡は無いという。夕方の遅い時間になり電話が鳴った。勿論三浦教授からだ。
「お~三浦くん待っておったぞ、麻美さんの様子はどうなんだ」
両教授の長話が続き教授の声のトーンが段々と明るくなっている。麻美は無事だ。
阿部教授は電話を切ると私たち3人を呼んだ。ニコニコしているよね、キリ。
「麻美さんは無事だ何の問題も無い。無いがやはりキリと同じく人狼に覚醒しているらしいのだよ」
「キリ、お姉さんは無事だよ、良かったな」
教授はキリに向かって言った。するとキリは、やや得意そうに、
「やっぱり麻美お姉さまなんだね、名前はユキでしょう?」
安部教授は一瞬、ギョ! としたあるのがおかしいわね。
キリは嬉しそうに姉の名前を言い当てた。もう記憶が戻ったのか。でも考えたら十年前のキリは生後数日のはず。記憶がある訳は無いはずだが。
怪訝そうな父の表情を察してキリが話し出したから私も聞き入る。
「キリは何も覚えて無かったけれどもね、十字架を持って休んだら夢の中にお母様が出てきて話してくれたんだよ」
キリの生まれる前の事を母がロザリオに話しかけて記憶させたからか。しかし何故父親の事は伏せていたのかは分からない。
私たちはキリが持つ悲しい記憶には触れずに、ユキお姉さんに早く会いたいね……! という会話で済ませてしまう。
1937年(昭和12年)7月29日 シベリア
*)麻美の秘密
三浦教授は一睡もせずに急ぎ村へ戻った。瀬戸さんは直ぐに駆け寄り娘が起きていると話した。他の要件はすっ飛ばしてすぐさまロザリオを向けて、キリの母から言われたとおりに麻美へ言葉をかける。
寝不足のせいか麻美の身体の事は何も考えきれなかった。この考え無し!
「我は汝の記憶を司る。我は汝の真名を唱える、ファティーマ ユキ」
ロザリオの青色が光り出し赤に変わった。ユキこと麻美は瞬きを止めて天井を見つめ出すと、教授は麻美の右手にロザリオをそっと握らせるのだった。
麻美の目からは涙が少し零れる。暫くすると父の顔を見つめて一言のお礼があった。
「お父さん、ありがとう」
そう言って眠りについた。きっと両親と愛馬のクロの夢を見ているのだろう。優しい笑顔を作っている。
三浦教授は留守だった時の麻美の様子を瀬戸さんに尋ねた。
「留守中のお嬢さんの状態はどんなでしたでしょうか?」
「いや、眠り続けていただけです」
「それと、今日目覚めてからは、何か話されましたか?」
「起きてからは、こう無表情で何か声をかけても、なんというか返事はしなくて軽く笑顔を返すくらいでした」
「そうですか、分かりました」
三浦教授は麻美の秘密を話し出した。
この前行った山で麻美を見つけて介抱した事。十年前の北欧でキリの母から赤のロザリオを持った子供を助けてください、と頼まれた事など細かく話して、時々親父さんに謝ったりお礼を言ったりした。
最後に親父さんの意志確認の為に今後も娘として育てていくかを尋ねた。半分以上はお願いの口調であった。
「お嬢さんは伝説の人狼ですが人間と同じです、今後も育てて頂けますでしょうか」
麻美の父は考え込み暫くは無言であった。それで三浦教授は席を立った。
麻美の様子を見に行ったのだ。また席に着くと話し始めた。
「阿部教授の娘さんも、お嬢さんと同じ人狼という事が判明しました。阿部くんはこのままお育てになると言われています」
麻美の父は、はっとして顔を上げた。
「霧ちゃんも?」
「はい霧ちゃんも同じ人狼の姉妹でした。私たちはキリの母から十年前に今年の8月に北欧のエストニアに行けば、きっと会えると言われました」
「……」
「それでこのまま阿部教授と合流して、北欧に向かいます」
「……」
「お嬢さんが、キリちゃんと姉妹と判明しましたのでこのまま旅行に連れていきたいんですが、よろしいでしょうか」
麻美の父は幾分かは顔の表情が明るくなっていた。
また娘から言われた「お父さん、ありがとう」を思い出して涙した。
「瀬戸さん、すみませんが私は一睡もしておりませんので失礼して休ませて頂きます。お返事は急ぎませんのでどうか暫く考えて返事を下さい」
お願いしますとはさすがに言えなかった。親父さんは顔を上げなかった。それから三浦教授は軽く食事を摂って休まれた。
昼を過ぎて夕方近くになって瀬戸さんから三浦教授は起こされた。
「教授、起きてください、起きてください」
「すみません、眠りすぎましたか」
「いやそんなことよりも、娘が……娘が」
「お嬢さんがどうかされましか?」
瀬戸の親父さんから言われるまま、麻美さんを見に行った。
「麻美さんが何か変化している」
言葉が出ないまま暫く無言が続いた。暫くして日本から電報が届いた。そこにはとても長い文章があった。
キリが目を覚ましたら、麻美のように大きく成長した、顔だちも麻美さんにそっくりに変化した、母からの手紙のように記憶が十字架より注がれた等々。
「驚きですね瀬戸さん。キリちゃんが大きく成長しただなんて」
すると、麻美さんももっと変化するのか?
「瀬戸さん、お嬢さんを見てください。先ほどよりも大人になったような」
でも外見上は大きな変化は無い。変わったのは封印が解けて記憶が戻ったことと、感覚器官が鋭敏になったくらいである。他にもあるがこの時は解らない。
麻美が目覚めた。麻美の父が開口一番に、
「どうだ麻美、起きれるか。お腹空いたろう食事の用意ができたから来てくれないか」
麻美の父はもう普段通りにしている。麻美を見る時も普通だ。もう何日食事を摂っていないだろうか。本当に目が回りそうだ、早く食べたい、と言う麻美だった。
それから……、
「お父さん……近くにクロがいる。会いに来てくれたよ」




