第30部 北欧 エストニア 霧との別離れ 沙霧と澪霧
1916年(大正5年)9月7日 並行世界 エストニア
*)霧の日常
霧、杉田先輩、ミーシャ、阿部教授 の4人
1916年9月、サンクトペテルブルグで、ロシア軍の人狼部隊と交戦を始めた。
エストニアの東のナルバまで逃げて隠れる。ナルバは運河があり大きな街で4人が隠れるにはいいかもしれない。霧の出産が控えているので裏町でひっそりと暮らす。ミーシャはレストランの店員 先輩は運河の海運会社の人足を始めた。教授は役に立たない。情報収集あるのみだ。今見つかれば霧が危ない。
「智治さん、気を付けていってらっしゃい」
霧が夫を送りだす。安部教授は役に立たないので、主夫業になった。ミーシャは毎日お昼前から、パブへ仕事に行く。
霧は守られる女となった。自分でも悔しいと思うが、夫の智治にも言えない秘密を隠している。自分でも本当にどうしようもないのだった。出来るのはお腹の智治の子供を無事に産む事だけになった。
「これだけでも死守しよう。悲しいけれども、お腹の子が元気ならばいい」
霧は悲しくなる自分を抑える努力をする。
お父さんとは大人の話をいっぱいした。
「お父さん、私、大学に行きたい。だから、講義をして下さい」
「おやおや、どうしたんだい? さくらちゃんもお姉さんも、講義中には寝ているんだぞ?」
「はは~ん、いつも寝ていたんだ。私にはお勉強は頑張るのだぞ!と、言ってるから、お勉強していると思っていたわ」
「いや、現実は違うのだよ」
「そうなんだ、では、お父さん。子守唄をお願いします」
「ああ、たくさん歌ってやるから、早く生みなさい」
「いいえ、お腹の子ではなくて、霧にです」
「そっか~、民俗学でいいかい?」
「ええ、お父さんの講義を聴きたい」
霧は毎日、父から講義を受けた。10歳の知識では無理だった。いつもお昼寝になった。勇はそれでも良かったのである。母娘の幸せな時間が過ぎてゆく。
1916年(大正5年)9月12日 並行世界 エストニア
*)霧と麻美の合流
麻美たちがエストニアに来た。
霧、杉田先輩、ミーシャ、阿部教授 の4人に、 麻美、三浦教授、石川、館長、館長の父、ターニャ、ルカ、クライの8人が合流する。
「先生、ここで人狼の噂があるようですが、どうやって探すのですか」
麻美の質問に窮する三浦教授である。館長の家族もいるが、名案は出ない。
先立つ問題がある。ホテルで8人の宿泊となると、お金の問題が出てきた。
「教授! このままホテルの生活は楽でしょうが、すぐにでも別に拠点を作って出ていきましょうよ」
「館長さん、何かありませんか?」
「いやいや、私も異国では、手も足も出ませんわ」
全員で協議した。考えられる事は、すごく簡単だった。空き家を探してホテルを出ていく。バイトして金を稼ぐ。次に、仕事の内容や方法は? に行きついた。 運河の港湾の仕事。パブで働く。道に座ってする仕事は却下された。 求人募集の情報が分かるパブに行く。
「なに、仕事が見つかるまでさ。お酒は禁止な!」
これは誰の発言だろうか。
「ここに居るであろう、人狼も見つけたいしね」
石川くんがとてもいい提案を出した。
「ねぇ、教授。僕らが人狼の噂を訊いて回ったらだめですよ。逮捕される危険が出てきます。だからですね、逮捕される恐れの少ない方法があります」
教授も館長も先を聞きたいらしい。真顔になっている。
「僕らで人狼の噂を出すんですよ。3組に分れて街中のパブを巡りながら、噂を流します。大きい声で話しているだけですから、誰でもが、バカが居る! としか思いません」
「そうですよね、三浦さん、いい考えですよ」
館長が石川くんの考えに賛同して、教授に話しかける。
「そうでしょう! こうやって話しているだけで、済みますもの」
「あらあら、石川くん。毎日飲み食いをしたいだけでしょう?」
私こと麻美が疑義をいう。
「いいえ、先輩。バイトオンリーの私が言うのです。確率120%です」
こうして毎日は空き家探しと、パブ通いになった。数日後に結果が出た。人狼の噂話をしている日本人が居るという。麻美と杉田先輩は、直ぐに探しに出て行った。
私が、酒を飲みながら大声で人狼の話しをしている3人を見つけた。
「杉田先輩! 先輩ではないですか。こちらはどなた?」
「おいおい、俺の顔を忘れたかい」
「はい、お父さんのお顔で間違いありませんわ」
「おう、麻美さんだよね? 霧かと思って、一瞬ドキっとしたよ」
「教授は騙されたでしょうが。娘の顔をもう忘れましたのかしら?」
私と杉田先輩が遭遇した。もう、空いた口が塞がらない。直ぐにお宅訪問!となった。石川くんは、他のメンバーに知らせに走る。
同時に、ミーシャもパブに来た三浦教授らに気が付いた。
「店長、早退いたします」
「ミーシャ、勝手を言われたらこまるよ。これからが繁盛するのだから」
「私が代わってお仕事をいたします。教授、後で迎えに来てください」
石川くんがパブに入るなり、自己をアピールしだした。薄野で鍛えた腕を自慢した。
1年振りだろうか、ようやく再会できた。
*)キリの死
霧に再開した麻美は、霧の様子に気がついた。久しぶりの再会に、霧は涙ぐんでいたのだ。あの仲のいい姉妹。霧の思いが姉に伝わった。それは短い言葉であった。今まで見せなかった涙を麻美には、ほんの少しだが見せたのだ。
「ユキ! 先に逝くね」
その無言の一言を感じ取った麻美は、もう霧から離れなかった。
「霧、痛いとこ無い? 霧、お腹空かない? 霧、背中揉んであげる。霧、身体拭いてあげるね。霧、少し散歩しない? 霧、オナラした!」
「キリ~、ご飯が出来たよ~」
麻美は1か月の間、献身的に霧の世話を続けた。
霧の日常が明るくなった。そう、麻美が来たからである。霧は、父から毎日色んな項目で講義を受けている。そして今では、麻美と合流してもこの講義は続いた。他にも受講生が増えた。
霧にとっての、幸せなひと時であったし、本当に大学生になれた気がするのだった。
「お姉さんは、大学で寝ていると聞いたよ?」
「それは、朝4時には大学で除草作業をしているからよ。文句ある?」
「いいえ、ありません。お姉さんは楽しそう」
「うん、とっても楽しいよ。桜子がからかいに来るんだもの。面白かったな~。ロバを仔馬と言うしね!」
お産の日になった。近所の産婆さんを呼んでくる。肝っ玉母さんのような逞しい身体つきだ。
麻美は霧から離れたくはない。霧の流れる汗を拭いている。また、姉として絶えず話しかけていた。
「キリ、おめでとう。もうすぐ、お母さんになるのね」
「お姉ちゃん、私まだ赤ちゃんを産んでいないよ」
騒がしい部屋の中で、お互いは顔を近づけて話していた。
「ねぇ、霧。赤ん坊の名前は決めているのよね。早く教えて!」
「うん、お姉ちゃんにだけだよ。智治が知ったらきっと驚くからね」
「いいよ、ばれないようにするから、で? なに?」
「ちゃんと覚えておいてよ。長女が沙霧、次女が澪霧。双子なんだ」
「霧、あんた、そんな大事な事を智治さんに黙っていたの? もう、バカだね。これは、どうしようかな~」
「え~? やだ! まだ生まれるまでは、黙っていてよね」
「うん、そうするね」
産婆さんは、気合を入れて、
「ほらほら、あなたは麻美さんだっけ? もうすぐ産気づくから、そこをどいておくれ。裏で産湯を作ってくれないかい」
「お湯なら俺が沸かします」
「ちょっと、お爺さん」
「お爺さん? 俺はまだ爺さんじゃないぞ!」
「では、爺さんじゃないひと。出て行ってくれないかい。可愛い娘が必死でお産をするんだからね」
「ええ、外で待っています」
「おばさん、お湯の準備が出来ました」
「もう、男は駄目だね。お湯が沸いたら赤ちゃんが生まれるまでは保温をしなきゃならんだろう。いつでも使えるように肌の温度に保っておくれ」
「はい、ええ、そうですよね。頑張ります」
「麻美さん、ここで産着を持って待機しておくれ。あ、いや。この子の手を握っててくれないか」
「はい」
麻美はすぐさま霧の傍にいく。手には赤と青のロザリオを持つ。麻美は両手で霧の右手を握りしめる。霧の両目から流れる涙を、自分の涙と一緒にぬぐい取る。
「キリ! 一緒に頑張ろうね!」
「うん、お姉さん。其処にいてください」
「麻美さん、産着は私が持っているよ」
お産の経験があるルカがそう言った。
霧はとても強かった。涙は見せても最後まで泣かなかった。
そして、双子が産まれる。かわいい女の子の双子。霧は理解していた。自分はこの子らに自分の命を
与えるのだと。
「おめでとうさん。元気な双子の女の子だよ。良かったね」
産婆さんが大きい声で、産声と一緒におめでとうを言った。霧は苦しいはずなのに、ニコッと笑って笑みを浮かべる。
「霧、良かったね、無事に産まれたよ! 双子だよ。よく頑張ったね」
「うん、本当に良かったわ。智治を悲しませずにすんだわ」
「なんで智治さんが悲しむのよ。霧は可笑しいよ?」
「麻美さん、お母さんの腕を横に広げて、ああ、いや違う。赤子を抱かせるから、そう、それでいい」
「あんたち。この子を抱いておくれ。そう、そうして、産着で包んでさ、お母さんの横に寝かせておやり」
「お母さん。元気な双子だよ。名前を呼んでやってよ。右が長女。左が次女ね」
「はい、抱かせてくれてありがとう」
「智治、子供たちの名前を教えるわ。覚えてくださいね」
霧は右の長女に微笑みかけながら、
「お前は、沙霧。モンゴルの大地、それは水が無い、乾ききった大地の意。きっと、思い遣りのある優しくて素直な子になる。妹を守ってね」
霧は左の次女に微笑みかけながら、
「お前は、澪霧。シベリアの大地、それは沢山の水が、潤い満ちる大地の意。きっと、何処まででも自由で活発な子になるわ。姉を助けてね」
双子は、沙霧と澪霧と名付けられた。その意味は、母の願い。母の愛情があふれる二人の名前。幸せになってね。
「お姉さん、桜子姉さんが悲しまないようにお願いするね」
「桜お姉さんに伝言を、お願いね」
「うん」
「お姉さまの幸せを沢山頂いた。もう、言い表せ無い位頂いた」
「うん」
「ありがとう」
「うん」
「智治さんをお願いするね、」
「うん」「うん」
「沙霧・澪霧を願いするね」
「うん」「うん」
「お父さん、いままで育ててくれてありがとう」
「ああ、・・・・・霧・・・」
「最後に、ユキお姉さん。いつも一緒に居てくれてありがとう」
霧は麻美の頬に右手を当てて、麻美の顔を撫でまわし出した。
「智治をここに呼んで。もう目が見えないんだ」
「うん、霧ちゃん!なんだい?」
「ごめんなさい。最後に私たち母娘三人の姿を覚えていてね」
「霧? いったい何を言ってるの?」
今度は智治の顔に手を伸ばして頬を撫でまわす。最後となる言葉が霧の口から零れ落ちた。最後まで言えなかった。
「智治さん、桜子姉さんと幸せになっ・・・・・」
「おい、霧!」
「キリ~~~~~」
霧の瞼が閉じてしまった。呼吸をするたびに動いていた胸も止まった。
「霧、霧! 死んじゃいやー、きり~~」
麻美は霧の身体に覆うようにすがりついた。そして泣き出す。
外で待機している全員が狭い部屋へ入ってくる。
麻美は大声で泣き出している。三浦教授と安部教授を見るなり、
「せんせ~い、霧が、霧が・・・・」
「教授! 霧ちゃんが、霧ちゃんが・・・・」
智治は霧の頭の方にかがみ込み、霧の顔を見つめている。
街の産婆さんは努めて明るく、指示をだしている。
「ああ、それから、そこの若い男。ミルクおばさんを呼んできておくれ。家は教えたから知っているだろう。子供はすぐにお腹が空くんだよ」
はいと言って、石川くんが部屋を出て行った。
「やっぱり双子だ。あんたち、泣かずにすむから、この子の服を買ってきなさい。街の服屋は知っているだろう?」
二人の教授が指名されて後ろ髪を引かれながら買い物に出て行く。この時にエストニアに来た沙霧と澪霧が並行世界へと飛んできたのだった。姿が見えない二人は阿部教授の後を付けて霧と会うことが出来た。
人狼の巫女が4人もいてもどうしようもなかった。霧が死んだ。霧はみんなに看取られたのだった。ふたりの子供のお産に耐えきれなかった。
ここに残った、誰もが何も話せない、泣きじゃくるだけ・・・・。
しばらくして、
「産湯に行くから来なさい」
「私?」
ミーシャとルカを指していた。ルカに抱かせる。
「はい、お手伝いいたします」
麻美が急に「私も行きます」と、言って子供を抱いて部屋から出ていく。お産を手伝った婦人は麻美を呼び止める。
「この子は先に生まれた子だよ。名前はなんだい?」
「沙霧です」
「そうかい、いい名前だね。これを足に着けておきなさい。間違えたら大変だよ?」
「いいえ、大丈夫ですよ。区別は出来ます」
「おや? あんたは母親そっくりだね。姉かね。・・・・判るならいいさね」
もう、出産という大事業の為に、腹部の傷を癒し切れずに、自分の命より子の命を優先し大往生を遂げたのだった。
双子は、沙霧と澪霧と名付けられた。その意味は、母の願い。
沙霧は長女。モンゴルの大地、それは水が無い、乾ききった大地の意。性格は、思い遣りのある優しくて素直な子。
澪霧は次女。シベリアの大地、それは沢山の水が、潤い満ちる大地の意。性格は、何処まででも自由で活発な子。
母の愛情があふれる2人の名前。幸せになってね。
麻美は、ただ泣き崩れる。泣き続けた。でも、沙霧、澪霧の泣き声には敵わない。泣くのをやめる。
ミルクおばさんが、同居する。1週間が過ぎたころから、麻美の乳房が大きくなり、乳が出るようになった。
「沙霧、澪霧、ママのお乳だよ、たんとお飲み!」
これはどういう奇跡なのだろうか。1か月を過ぎたら、麻美は母になっていた。
霧と麻美の巫女の力は、この双子に繋がれる。
1916年10月15日 霧、ここに永眠す。
「ごめんね~産婆さんの言うことを聞かないで名前を取り違えたのは、私だったみたい!」
しかし現実では智治さんも間違えていて……元の木阿弥よ!
*)並行世界の沙霧と澪霧




