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後編

過去編と現在編で前後編に分けたので、後編がちょっと長くなってしまいました。

会話シーンが多いので、そんなに息苦しくはないかと思います。

 会ったこともない他人の十年なんて、傍から見れば大して面白みもない。私の十年もきっとどこかの誰かにとってはそんな感じだろうから、詳しくは割愛する。

 とりあえず、大学には現役で入った。めでたい。四年で卒業して故郷で就職した。とてもめでたい。というか故郷でしか就職できなかった。くそが。社会人六年目。以上。

 そんな社会人もプロの域に入ろうとしている私に、勇平から電話がかかってきたのは、土曜日の午後のことだった。私の右手にはネギの突き刺さるビニール袋があった。


『由紀には言ってなかったんだけど、こないだ姉ちゃんの彼氏が俺のところに来たんだ』

「……へえ」


 家に帰ってからじゃダメ? その話。仕事の電話かと思って思わず確認しないで急いで出ちゃったよ。


『結婚を真剣に考えた交際だったのに、突然結婚はできない、結婚がしたいんだったら別れてほしいって言いだしたって。本当に突然で、それまではいつも通りだったって。理由をもし知っていたら教えてほしいって。わざわざ俺のことを探して来てくれたんだ。姉ちゃんから色々話を聞いてたらしくて』

「ほう」


 晶子とは時折連絡をとったり、たまに会うことはしていたけど、一度も聞いたことのない話だった。出てくるのは順調に出世街道をひた走る女の仕事の愚痴ばかり。まあ私も晶子に自分の恋人の話はしていなかったので、おあいこおあいこ。

 別にあの日から、晶子と私の仲が悪くなったわけではなかった。晶子はありがたいことに、私と勇平にハメられたとは思っておらず、ただ私たちが優しく自分がバカだっただけだと締めくくった。

 晶子は結局念願の同大に行った。そして誰かさんとは違ってそのまま向こうで就職したために、帰省しても家を留守にしていることが大半の勇平とは数年話していないようだった。


 なんとなく、二人とも距離を置いていた。

 あの日から。


『俺、姉ちゃんに……会ってみようと思って』

「私に会ってほしいの間違いじゃなくて?」

『……あの時のことは、悪かったと思ってるよ。俺も意気地がなかったんだ』

「ふむ。じゃあ頑張りたまえよ」

『ついてきてください』




 あめ色の壁には、コーヒーの香りだけではなく喫茶店が過ごしてきた年月もしみこんでいるようだった。テーブルをはさんで向かい合うように置かれているのは大きさも形もバラバラの一人用ソファで、ふにょんと程よく沈みこむ。欲しいなこれ。

 私と勇平は四人掛け用のテーブルに並んで座った。勇平は、自分は硬いほうが好きだからと、柔らかいかけ心地のソファを譲ってくれた。

 私はブレンドコーヒー、勇平はブラジルかどこかの地名を冠すると思われる名前のコーヒーを頼んだ。


「まだ来ないって」


 落ち着きなくきょろきょろしている彼に言う。勇平は照れたように苦笑した。


「こういうところ、あまり来ないから……」

「あんま外出ないでこもってるもんね、勇平は」

「はやく一人前になりたいからなぁ」


 店内にはちらほらとお客さんが見受けられたけど、いずれも女性だった。一昔前にオシャレなカフェとして有名になったから、その余韻が尾を引いているのかもしれない。


「俺、姉ちゃんが来てもわからないかもしれない」

「いや、わかるって。何年姉弟やってんの」

「だってここ数年会ってないしさあ……」


 からん、と来客を告げる音がして、勇平の背筋が大げさなくらい伸びたのがわかった。来たのは晶子ではなく新しいお客さんだった。


「……まだ来ないって」


 私が言うと、勇平は再び苦笑した。


 

 晶子が来たのは十五分後だった。長かった髪はばっさりとショートになっていて、暗めのブラウンに染まっていた。きりっと引いた真っ赤なルージュが晶子らしい。いかにも仕事のできる女、という風貌だった。


「久しぶり」


 晶子は少し笑って短く言った。普段は弟にあまり似ていない彼女だけど、笑うと彼女らは本当にそっくりになった。

 私は久しぶり、と返したが、勇平はこんにちは、なんて笑えるくらい他人行儀な返事をした。かわいそうなくらいカチコチだった。

 とりあえず勇平がしゃべれるようになるまで、私は晶子とあたりさわりのない世間話をした。元気? 元気元気。由紀は? まあぼちぼちかな。今日の服可愛いね。ああこれ、セールで半額になってて。ちょっと奮発して買っちゃった。へー、いいね。最近仕事どう? こないだクライアント怒らせちゃってさあ、まあ何とかなったからよかったけど……。


「晶子」


 直前まであんなに姉ちゃん姉ちゃん言ってたくせに、勇平は彼女を姉とは呼ばなかった。


「こないだ、晶子の彼氏が俺んところ来た」


 わあお、直球。もうちょっと芸のある話し方できないもんかね。


「晶子がプロポーズ断ったって。それどころか結婚しないって言いだしたって。わけを聞いても答えてくれないって……なんで。なんで結婚しねえの」


 一気に私の疎外感が強まる。一人っ子の私にとって、姉弟二人がそろって会話を始められると何となく自分が部外者のような気がしてくるのだった。コーヒー美味しいぜ。


「急に呼び出すから何かと思えば……そんなの私の都合でしょ」

「その都合ってのを聞きに来たんだよ。晶子は俺に何も言わないから」

「言う必要がないからね」


 晶子は取り付く島もないって感じ。昔からこうなると長いんだ。

 少し助け舟を出してあげようかなあ。


「晶子……とりあえず話しておけば? それで納得するかもしれないよ」


 もちろん勇平が何を言われようと引く気がないのは知っている。本当に、ただの助け舟だ。

 晶子は眉間にしわを寄せる。赤い唇がきゅっと引き結ばれた。

 何だか、十年前のあの日を思い出す状況になってきた。三十路を前にして、一昨日の晩御飯は思い出せないけど、若い日のことはなぜか鮮明に思い出す。

 晶子は深いため息とともに、言葉を絞り出した。


「……こないだ母さん、倒れたのよ。でも勇平には心配かけたくないからって、あたしだけに連絡して……。言われたのよ。あんたは私を置いていかないよねって。私の面倒ずっとみてくれるでしょって」

「……また母さんかよ。あんたは親に言われたら何も出来ねえのかよ」


 親にプロポーズして断られるか、そもそも申し出ないでスタンドするか。

 エカルテをすると晶子はいつも後者を選んだ。

 それに、彼女はプロポーズを断ってばかりだった。

 勝つために捨て札をするのに、彼女は捨てられなかった。


「なんで晶子は自分で不幸になろうとすんの。俺、それが嫌でたまんねえの。どうしてすぐ諦めようとすんの」

「あんたはいいわよ。親に自由にさせてもらえるからね、お姉ちゃんだから我慢しなさいなんて言われたこともないでしょう」

「ねえしそれが正しいとも思わない。なんで俺に母さんが倒れた話しなかったんだよ」


 晶子は黙った。その間に彼女が頼んでいたエスプレッソが来た。

 晶子はブラウンの波紋を見つめながら、少し声のボリュームを下げて言った。


「……ツケが回ってきたんだと思ったの。弟を踏みにじって、大学行って好き勝手やってきたツケが。弟を大学に行かせずに不幸にしたツケが」


 重い雰囲気で絞り出された言葉に、誰もかれもが黙する。しばらくお腹が痛くなるような時間が続いた後、重い空気を動かしたくて、私はブレンドコーヒーを一口飲んだ。

 かちん。

 私がカップをソーサーに置いた音を皮切りにするように、勇平が言った。


「……彼氏のことが嫌いになったとかじゃないんだな?」

「違う。あんな良い人――もったいないよ、あたしには。申し訳ない。あたしのことなんて忘れて……幸せに、なってほしい」

「そんならよかったよ」


 勇平はソファに軽くよしかかると、大きくため息をついた。


「あのさぁ。なんで俺は勝手に踏みにじられたり不幸にされたことになってんの。別に大学行きたくもなかったんだけど。マジくだらねえ。やめてくれない、そういうの。姉ちゃんは自分を不幸だと思うのが癖になってるだけだろ」


 晶子は何か言おうとしたけど、勇平が続けて強い口調で言葉を言いつのったので、諦めたように口を閉じた。


「俺は俺の人生を不幸と諦めたりしてない。俺の人生を俺が決めたんだ。晶子が決められるのは晶子の人生だけだ。勝手に俺の人生を評価しないで」

「評価……なんて、してない。あんた、母さんほっといて、働いてばっかいるくせに」

「毎週帰るか電話かけるかしてるけど? 基本はね。最近は納期が近くて、少し間が空いてたけど、母さんのことを放っておいてなんかいないよ」


 私は晶子に伝わるかわからないけどうなずいた。それは本当のことだ。


「……姉ちゃん」


 勇平の声に微妙な笑いが混じった。きっと彼が苦笑しているのだ。


「俺、生まれてごめんとは言ったけど、俺もわがまま言って好きで生まれたわけじゃねえんだわ。だから生まれるべきじゃなかった自分は幸せになっちゃいけないなんて思わない。幸せになっちゃいけない人なんてどこにもいない」


 あの日の話を出すこと。

 それが勇平の切り札、だった。


 晶子はエスプレッソを見つめて黙りこくっていた。きっと彼女の中にはたくさん言葉が渦巻いているのだろうけど、勇平が意地悪で言っているわけではないのは、彼女が一番よく知っているはずだ。


「……結婚したくないわけじゃないんだろ?」


 勇平が、半分怒った、そして半分優しい声で聞いた。

 晶子は一拍おいてうなずいた。涙がファンデーションの上を滑って、一滴だけ落ちる。

 誰もかれもが沈黙した。けれども今度は私がコーヒーを飲まなくてもすむような沈黙だったから、私は窓の外をぽけーっと見ていた。そして頭の中で今日の献立を組み立ててから、晶子に視線を戻した。

 しばらく黙っていた晶子は顔を少しだけ上げて、上目遣いで聞いた。


「……でも、勇平はどうするの。あたしは、またあんたを踏みにじるのだけは嫌だ」


 勇平は笑って、私の方をちらっと見る。


「そりゃあ俺らだけじゃ母さんの面倒はみきれないからさ。協力してやっていこうよ」

「……俺ら?」


 晶子は怪訝そうな顔をする。


「俺だって一人じゃないんだ。今日はその話もしに来たんだよ」


 ついにその話ですか。そろそろ姉弟げんかもお腹いっぱいになってきたところだったよ私は。ブレンドコーヒーはとっくの昔に飲み干してしまった。

 はあいと小さく手を挙げて、私はのんびりと言った。


「そうなんだよねえ。よろしくね、晶子義姉さん~」


 高校卒業後、勇平は私の父親の弟子になった。アシスタントとして雇われ、ゆくゆくは父の仕事を継ぐ。

 別に、それだからって成り行きで付き合っていたわけじゃあない。私にだって私の人生を決める権利くらいあるのだ。

 晶子は私の言葉を飲み込むのにたっぷり一分は要した。

 変だと思わなかったのかな。友人の弟とこんなに仲良くしているってこと。

 身内でもない、ただ友人であるだけで、ここまで他人の事情に首を突っ込んでるってこと。


「……………………え?」


 私の切り札はどうだったかしら。

 今度ばかりは晶子に勝った気がする。


我ながら若い話だなぁと思うのですが、若い頃にしか書けない話だなぁとも思っているので書いて載せました。

前編にも書きましたが、私はきょうだいがいないのできょうだいがいる人の気持ちはわかりません。でも、きょうだいに何も言わずに一人で勝手に苦しんで、きょうだいのせいにしているのは、身勝手はどっちだとか思ったりします。そういうものなのかもしれませんが。

どうにかしてこういう境遇の人が幸せにならんものかなぁと思って書きました。


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