前編
私の周りにどうもこんな感じのきょうだいが多かったので書いてみた話です。
私は一人っ子なのできょうだいのいる感じはわからないのですが、周りのきょうだいを眺めながら書きました。
これも文芸部の活動で書いたもので、3つあったお題のうち「切り札」のみを用いました。
エカルテ。
フランス語で「捨て札」。
二人で遊ぶトランプゲームとなると、やれるものは限られてくる。
大富豪やババ抜きなんてできないし、無難なところでスピード。でも何度もやると飽きてくるし、神経衰弱なんて暗記ゲームは今やりたくない。
苦肉の策がエカルテだった。
2~6を抜いた山札をシャッフルしながら、何気なく晶子に問うてみる。
「結局どこ行くの」
「んー……まあ藤大かな、って」
晶子の部屋には気怠い時間が流れている。正月、センター試験、受験、卒業式があっという間に終わって、合格発表までの間、宙ぶらりんの気持ちを持て余した女二人。
幼馴染のよしみで何となく家に遊びに来て、一通り話してから、さあと気合を入れて遊びだすような気力もなく。
トランプでもやるかあ。
うぇーい。
そんな会話が交わされた。
「晶子が行きたかったのは同大でしょ」
「まーね」
エカルテは二人用の点数取りゲームだ。
まず親と子に分かれて、手札を五枚ずつ配る。
「いいの、それで」
「うん」
「英語の勉強したかったんでしょ」
山札から一枚カードを取り出して、めくる。
ダイヤの8。ということは、今回の【切り札】はダイヤであり、ダイヤのカードが最も強くなる。
子が親に手札を任意の枚数交換したいと申し出るのを【プロポーズ】と呼び、親は拒否権を持っている。プロポーズが成功した場合は、親と子は双方、子が申し出た枚数の手札を捨て、山札から同じその数を補うように新しいカードを引く。
逆に、子がこのままの手札で良いという場合は【スタンド】と呼ぶ。この場合手札は動かない。そして、全五回戦をワンゲームとする。
「どっちが親やる?」
「じゃああたし」
「おっけー」
「プロポーズは」
「二枚」
「だめ」
「うひぃ」
エース、そして7からキングまで。数字の大きなものほど強い。エースは中間。7,8,9,10,エース、ジャック、クイーン、キングという具合に。
手札の交換は今回プロポーズが断られたのでナシ。
子である私が手札からカードを一枚出す。
ハートの7。最弱。
晶子はふっと笑った。
「様子見ですね」
「そうですねぃ」
親は、子が出したマークあるいは切り札のマークのカードしか出せない。今回の場合は私が出したマークであるハートか、切り札のダイヤ。切り札のマークを持つカードの方が、例え数字が小さくても勝つ。だからもしハートの8とダイヤの7が出たら、これはダイヤの7の勝利になる。
だけど問題は、これは五回戦でワンゲームだということだ。引き分けはないので、三回勝った方がワンゲームを取る。どこで捨て札を出すか、どこで切り札を出すか、どこで相手に切り札を吐き出させるか……。そういう駆け引きの求められるゲームだ。
晶子が一枚出す。
ダイヤの9。
晶子の勝ちだ。
「攻めますねぃ」
「先手必勝ですねぃ」
どちらかが三回勝つまで繰り返す。ワンゲーム終わったら親と子を交換し、同じことをする。何回ゲームをするかは割と自由。普通ワンゲーム一点だが、プロポーズを断ったり、スタンドしたりするとゲームを取ったときの得点に変動がある。まあ、面倒くさいので省きますけど。
「でさあ。晶子、ほんとに藤大でいいの」
ぼろっぼろに負けながら私は聞いた。
「何がよ」
「同大受かってるんでしょ」
「だって県外だよ。そんなお金ないから」
こんな話、ゲームをやりながらしていいわけじゃないのはわかってる。
こんな話、ゲームをやりながらでもないとできないのだ。
「あたし、弟いるからさ。早く就職して、弟の学費出さなきゃいけないから」
「何それ。誰に言われたの」
「親」
あっさりと晶子はワンゲームもぎ取っていった。容赦ねー。
「由紀はどうなのよ。さっきからあたし自分のことばっかりしゃべってるんだけど」
「えー、だって結果出てみないとわかんないし」
「そうだけどお。お父さんとは最近どうなの」
「別に……できるだけ会わないようにしてるから。まあ生きてんじゃないの」
「あはは、なにそれ」
「あの人は私が落ちればいいと思ってるんじゃないかな。そのまま私に手伝ってほしいんだと思うよ、自分の仕事」
「絵画の修復だよね? かっこいいじゃん、由紀のお父さん」
「仕事場に入れてももらえないから知らない。私、絵に興味ないし」
そんなこと言いながらも、私は次の手札選びに手いっぱいだ。
晶子ってこんなに強かったっけ。エカルテやるのは久しぶりだけど、こんなに負けが続くことってなかったような……。
「落ちたところでお父さんとは出来るだけ離れることは決まっている。以上っ。そんなことより晶子だってば。お母さんに頼んでみなって。もう最後のチャンスじゃん」
「だからあ、ダメだって言われたんだって」
三枚プロポーズしてみたけど、親に断られた。
晶子の言葉は続く。
「弟のぶんの学費がなくなるからって。誰が出すのって」
私はさっきからめちゃくちゃプロポーズしてるけど、晶子はというとスタンドばっかりだ。
晶子の言葉は続く。
「なんかさあ、いっつも言われてる気がしてきたわ」
スタンドって、たぶんそのままの状態にしておくっていう意味なんだろうけど……確か我慢って意味もあったよね。
晶子の言葉は続く。
「お姉ちゃんなんだから我慢しなさいって」
「……」
「あたし、だってさ。……行きたかったよ」
「……」
「英語やりたかったよ。もっと勉強したかった。あたしの人生は弟のためにあるんじゃない」
「……」
「子供二人大学に行かせるだけの学費もないのに、なんで産んだの。そんな簡単に子供産まないでよ。生きたいように生きられないくらいなら、産まれたくなんかなかった」
「……」
「あたしの人生をあたしに決めさせてほしかった……」
ハートのジャックとスペードのジャック。
今回の切り札はスペードだから、晶子の勝ちだ。
「姉ちゃん」
気怠い部屋が、途端にぴりっと引き締まった。晶子が振り向くと、薄く開いたドアの隙間に黒い学生服が見えた。
「なんで、あんた、帰ってきて……部活、は……」
ドアが開いて、短く髪を切りそろえた勇平が入ってくる。高校二年生で、来年の受験生。勇平は私に小さく会釈すると、姉の方を向き直った。
「姉ちゃん、ごめん。ごめんね」
ちが、と晶子の唇が動いて、透明な言葉がぼろぼろとこぼれた。
「違う、違うの。勇平、あんたが、あんたが悪いってことじゃ」
違う、違うと何度もつぶやきながら、晶子は弟の元へよろよろと近寄っていく。勇平は顔を上げて、悲しそうに微笑んだ。
姉の本心が知りたいと、数日前に勇平から直々に頼まれてしたことだった。無理をして笑う姉を、勇平はずっと心配していた。親が姉の進路を捻じ曲げようとしていることにも彼は気づいていた。別に勉強がしたいというわけではない自分が、姉を犠牲にして何となく大学を目指していいのだろうか。もし、そうでないならば……
「姉ちゃん。俺、生まれてごめんね」
心が割れるもので出来ていたなら、ひびが入ったときに音で気づけるのに。
神様が柔く作ってしまったから、砕け散ってなお他人に気づけはしないのだ。