寮生活
透き通るような清々しい空気を肺に溜め込み、ゆっくりと吐く。
香ばしい香りが漂うカップを手に持ち、口元へ運ぼうとした時だった。
「おはようございます桑木さん」
「ん、ああ……」
俺は朝食後のコーヒーを飲みながら、寝間着姿の高宮に返事をした。
そこで異変に気づく。
「おい」
「はい?」
くるっと振り向いて、俺の言葉を待つ高宮だった。
何かの勘違いかもしれないと思いながら、一応は言っておくことにした。
「何で寝間着だ」
「寝てたからですが、何か」
「……そうか。ならいい。呼び止めて悪かった」
「いえいえー」
ふんふんと鼻歌を歌いながら歩いていって、廊下の先で石凪と出会い、雷を落とされていた。
「貴様の格好は何だ! 何を寝ぼけている! ここは寮内だが貴様の部屋ではないぞ! 罰則として、その格好で演庭十周してこい! 朝飯も抜きだ!」
「ひやぁぁぁぁ、了解しましたぁ!」
足音を響かせて、高宮はそのまま寮から出て行った。
俺は寮内入り口にあるソファに座ったまま、コーヒーを飲んだ。
そうしていると、石凪がやってくる。敬礼をしたのちに、腰を折るようにして頭を下げた。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
「いや、別に」
「お許しいただけますか」
「そうだな」
「あーよかった」
石凪は胸をなで下ろし、俺の隣に座った。
俺は一人分の席を空けて横にずれ、新聞を広げた。
石凪が指をくわえて俺を見る。
「えー、いつもみたいに、もっとスキンシップを……」
「しない。というか、したことがあるような前提で言うな。それと、態度が普段に戻ってるぞ」
「二人きりのときくらい、いいんじゃない?」
「二人きりじゃないぞ」
俺がそう言って、受付の突き当たりにあるトイレを指さした。
そこには、完全『お掃除』装備の藤代がいた。
トイレのスッポンを持ったまま、こちらを見ている。
石凪がそちらを見て静かに笑う。
「あらぁ? 脱柵したはずの『備品』がどうしてここにいるのかなぁ」
すると、藤代は急いでトイレの掃除に舞い戻った。
その様子を見ていた石凪が、ふ、と息をもらす。
静かにコーヒカップを持ち上げ、一口飲んだ。
「あの子のことかばってくれて、ありがと」
「いやそれはいいが、どさくさに紛れて俺のコーヒーを飲むな」
「私も探しにいけたらよかったんだけどね」
「無視するな」
「ドクターに止められちゃってさ」
「…………」
「寮で桑木さんの帰りを待ってたんだけど」
「石凪君。愛してる。結婚しよう」
「日取りは何時がいい? 六月じゃなくてもいいよ? 寮の全員を招待したいわ、あなた」
「……こいつ」
俺は石凪を細目で見た。
頬に両手を当てた石凪は、幸せそうな笑顔をして言った。
「いやん、こいつだなんて」
「自分に都合のいい会話を、会話のキャッチボールとは言わんぞ」
「先に変化球を投げたのは桑木さんじゃない?」
「俺の話を聞かないからだ」
「あははは、まあでも、冗談でもプロポーズされたのは初めてだしね。ウェディングドレス着るの夢なんだもん。ここは乗っかっておこうかな、と」
「悪いことをしたな。すまない」
「おやぁ、意外に真面目ぇー。でも、ウェディングドレスがエンディングドレスにならないようにはしたいな」
「…………」
「最終的には、乗っかってでも桑木さんをモノにしてみせる。私頑張る!」
満面の笑顔で両手を握り、気合を入れる石凪であった。
「やめろ。握りこぶしの指の間から親指を出したハンドサインをやめろ」
他の子が真似をしたらどうするんだ、と思ったところで、トイレの方を見た。
そこでは、ピンク色のゴム手袋をはめた藤代がハンドサインを真似しようとしていた。
「おい、藤代」
「どうかしましたのですか」
「駄目、絶対。掃除に戻った方がいい」
「は、はあ、了解しましたのです」
俺の剣幕に押されたのか、藤代は再びトイレの中に消えていった。
溜息を吐いた俺は、立ち上がって新聞を元の場所へ戻した。
そのまま寮を出て行こうとする。
「あ、あれ、もう行っちゃうの?」
コーヒーカップを持ちながら追いかけて来そうな石凪がいた。
俺は手をひらひらと振って見せた。
「仕事だよ。ドクターから呼び出しを受けてる。カップは片づけておいてくれ」
「さて、寮での暮らしは快適かな?」
ドクターはそう言いながら、プレジデントデスクの上にある書類を片づけていた。
俺は勝手にコーヒーを煎れて、飲み損ねた分を飲む。
「山の中でサバイバルする方が、まだ快適だ」
「そうかい? 染色体としては女しかいないはずだけど。もっと喜びなよ」
「喜べるか。落ち着いてコーヒーも飲めないんだぞ」
「なら、そう命令すればいい。『備品』は命令に絶対服従だからね」
「……そうは思えないんだが」
デュラハンとの戦闘を思い出して、顔を顰める。
拘束暗号を使う一歩手前だったことを思い出した。
それを知ってか知らずか、ドクターは人差し指を宙に向けながら言う。
「桑木くんが違和感を覚えてるなら、『備品』はもっとだろうね」
「どういうことだ」
「あまり複雑な命令を理解できないんだよ。意志の疎通ってやつだね。基本的に言われたことには忠実なんだ。でも、主人の命に関わることに関しては、グレーだけど」
「曖昧だな」
「ロボット三原則って知ってる? あれをモデルにしてるんだけど、如何せん、戦闘用だからね。まあどちらにしても、上官の自殺を手伝うことはないよ」
「俺が一人でデュラハンと戦うことを、花楓は自殺と判断したってのか」
「そうでなくても自殺行為だと思うけどね。ま、端的に言うと、そういうことだよ。君たちには信頼関係が無かったというわけ。それで、罰則もかねて、一緒に住んでもらおうと思ったわけだ」
「つまり?」
「桑木君が面倒だと思ってることは、すべて私の思惑通りだね」
でも必要なことなんだよ、と念を押すことを忘れないドクターであった。
俺は何も言わず、コーヒーを飲む。
正当な理由があるのなら、愚痴をこぼす意味はない。
ドクターは苦笑いを浮かべ、話を変えた。
「ところで、左手を使ったんだろ? 後遺症の方はどうだい?」
「これといって特に問題はない。使用直後に、『備品』の名前を忘れただけだ」
「デュラハン相手にそれだけで済んだのは僥倖といえるけど、もう少し何とかしてほしかったね。せっかく『備品』が二つもあったんだから、どちらかで足止めして、そのうちに逃げるとか」
「『備品』の命はそこまで安いものなのか?」
「安くはないけど、桑木君……というより、左腕を使える桑木慎太の方が、価値は高いね。そこらへんは冷静に判断してもらわなきゃ困るな。もしも次に同じようなことがあったら、私が『備品』のオーダーを書き換えるからね」
俺は不承不承といって体で、片手をあげた。
「……ああ。そこはドクターに任せる」
「おや、てっきり嫌がるものだと思ったけど、どういう風の吹き回しかな」
「そんな大したことじゃない。あいつらは俺の部下だ。どっちにしろ守ってやるしかない」
俺の言葉に、ドクターが目を細める。
「本末転倒は御免だよ?」
「何のことだ」
しらばっくれると、ドクターは人差し指でデスクをこんこんと突いた。
「桑木君がここにいる意味、ってやつだよ。何のために軍から出向してきてると思っているのさ」
「これの所為か」
左手を挙げて見せた。
彼女が片眉をあげ、ふんと息を吐く。
「もちろん、それもそうだ。他にも、規則違反が多数あるよ。左遷もいいところだけど、口封じに殺されないだけマシってところだね」
軍組織にいた頃の悪行は、俺の考課表にすべて掲載されているだろう。
そしてもちろん、上司であるドクターはそれを知っていた。
だから、何も伏せる理由がない。
「単に利用価値があったから生き残れただけじゃないのか」
「当り前じゃないか。私が桑木君の有用性を説かなかったら、今頃、後ろ弾か訓練中の事故で消されてるね」
「ドクターは俺の命の恩人って訳だ」
「そうなるね。だから、私のために働かなければならないんだよ。兎にも角にも、私としての要望は一つだ」
彼女は口元だけを緩ませて、静かに息を吐いた。
「――――《フラクタム》が欲しい」
「……無茶を言うな」
俺は冷めてしまったコーヒーに口を付けた。
《フラクタム》といえば、妖精郷の中心に存在するすべての元凶のことだ。
妖精郷がまだ天原特区と認識されていた頃、《楽園計画》が存在した。
地上に楽園を創りだすという理想の元で、人道非人道問わず、あらゆる実験が行われた。
そんな中、どの世界にも規格外の人間はいるもので、高木洸也という研究者が、精神を物質化する装置を作った。
しかし、完成と同時に装置が暴走し、天原特区は事実上、崩壊してしまった。
「でもさ。《フラクタム》って結構、眉唾物だよね」
ドクターが言ってはならんことを言ったような気がした。
しかし、俺の気など知りもしないで喋り続ける。
「大体さ、質量の無いものを実体化するってありえないよね。まあ、それが現実に起こってると『みなされる』現象は否定しないけどさ」
「そんなことを言ったら、この世の現象は全部その通りだろう」
「確かに。でも、《フラクタム》は何かが違うんだよ。科学として地続きじゃないというか」
「ふぅん」
「それを知りたいから、どうにかして、と実行部隊に言うのが私の仕事なんだよ」
少なくないお金をつぎ込んじゃってる人達の面子もあるからね、と余計なことを付け足すドクターであった。
俺にしても、《フラクタム》という不思議な装置より、スポンサーである日本国政府や特区成金たちの方が、よっぽど面倒だ。
そこで思い出した。
「そういえば、全ての特区の軍を総動員して妖精郷を攻略する、って話が持ち上がってなかったか」
「ああ、特区軍総遠征のことかな? 利権争いで難航してるけど、計画自体は廃案になってないよ。現場レベルじゃ、個別で部隊を送り込んでるらしいね」
「そっちに予算を持って行かれるんじゃないのか?」
「成功の兆しがあったらね。今はどこも手探りだよ。今のところ、私たちが頭一つ抜きん出てるってところさ。『備品』は伊達じゃないんだから」
にんまりと笑うドクターだった。
『備品』事業は、それなりに誰かの利益を生んでいるらしい。
治安維持を名目にしている警察機構だってそうだ。
正義の看板を掲げているが、治安維持は税収の増減と無関係ではない。
それに、個別で防衛組織を作るよりはコストカットも出来る。
為政者にとって都合がよく、しかも民衆にとっても都合が良ければ言うことは無い。
間違ってはいないことだが、純粋な正義の象徴として見ると、馬鹿をみることになる。
力は力だ。
暴力に正当性を求めた先が、正義と言う看板であることを忘れてはならない。
閑話休題。
考えに耽っていた俺は、ドクターの視線に気づいた。
「悪い。考え事をしていた」
「何、気にすることは無いさ。ただ、私は『備品』でいかがわしい商売をしてるわけじゃないからね。それだけは言っておくよ。……ああ、それとね。平戸樒を入寮させたよ。一応、桑木君たちは班単位として編成されてる。さっそくだけど、習熟訓練に行って来て欲しいな。準備が整ったら、やってもらいたいこともある」
「やってもらいたいこと?」
「一課のお手伝いさ。これは後で資料を石凪に届けさせるから、取りあえずは部下を纏めておいてくれる? 話は以上だよ」
「了解」
俺は立ち上がった。
この『備品』が三人もいる妙な班編成も、最初から一課のお手伝いとやらを想定したものなのだと思えば、納得がいく。
そして、一課の手伝いともなれば、荒事であることは確実なのだ。
そうであれば、一分一秒の時間が惜しいと言える。
技量は申し分なかろうが、錬度だけはいかんともしがたい。
「キルハウスを使ってもいいか?」
俺が去り際に言うと、ドクターは手をひらひらさせて言う。
「施設利用は桑木君たちを最優先にさせてある。可能な限り速やかに、即応可能な状態に持っていってくれたまえ」
「わかった。助かる」
簡単な礼だけ言って、俺は足早に部屋を去った。
そして再び寮に帰ると、寮の入り口前で戦闘行為を目にした。
トイレ掃除に使うスッポンを剣のように構えた藤代と、見かけたことが無い少女が互いに間合いを計っている。
俺が何事かと思っていると、後ろから寝巻き姿の高宮がやってきた。
「あれぇ、何かあったんですか……おぇ」
空腹状態でマラソンさせられたからだろう、気分が悪そうだった。
今後のことを説明するためにも、高宮に水とシャワーを与えて何とかしたいところなのだが、そのためには目の前の争いを止める必要がある。
こういうときに石凪が出てくればいいのだが、何故か彼女はいなかった。
「はぁ」
溜息を吐いた俺は、高宮を日陰に押しやってから、対峙している二人に近づく。
藤代は相変わらずの、三角巾にエプロン姿だ。
対する少女は、Tシャツにジーンズと言うカジュアルな服装だった。
「おい、そこの君……」
俺が少女に声をかけようとすると、いきなり少女が襲いかかってきた。
まずは牽制代わりに、持っていたバッグを投げつけられる。
少女の体格は小柄なため、それで姿を隠す目的もあるのだろう。
自分の特性を生かした良い手だと思いつつ、後ろに下がりながら左手でバッグを払い落とした。右手を腰の得物に添える。
俺が体勢を崩した隙を見計らうようにして、少女が左下から猛然と突撃してくる。
「もらったわ!」
少女は俺の軸足が左足だと見抜き、そこを狙ったのだ。
格闘センスがある。
しかし悲しいかな、詰めが甘い。
俺の左足を掬い上げて転ばせようとしたのだろうが、もう少し相手の得物を考えた方が良い。
少女がタックルするために俺の左足にしがみついたところで、右手に握られた銃を少女の頭に向けた。
少女はぴたりと動きを止めた後で、悔しそうに言う。
「素手相手に銃を使うのは、卑怯よ」
「何の自己紹介も無く襲いかかってきた暴漢相手に、銃を使わない理由は無い」
「う、う~っ」
少女は唸りながら、俺の左足にしがみついた。
「で、自己紹介をしてくれると助かるんだが」
「平戸樒よ。知ってるんでしょ」
「確認のためだ。取りあえず、俺の脚から離れてくれるか」
「いいわよ。その代り、今度は素手同士で格闘訓練をお願いしたいわ」
面倒だな、と思ったら表情に出ていたのだろう。
俺の顔を見た平戸が、更に左足に強くしがみ付いてきた。
「じゃあ絶対に離さない」
「………」
どうやら変なのに絡まれたらしい。
そもそも『備品』が全力で俺の左足を締め上げれば、骨折くらいは容易だ。
それが出来ないのは、彼女らに施された『刷り込み』の所為だ。
基本的に上官には逆らえないようになっている……はずだったか。
ふむ。
「わかった、良いぞ」
「へ? あなたこのままで良いって言うの? 恥ずかしくないの?」
「違う。素手で相手してやる」
「ほんとに? 話が分かるわね、あなたって」
平戸はそう言って、そそくさと俺の左足から離れた。
嬉しそうにしているが、まあ、それはいいとしよう。
ここで俺が上官であると言うことを示しておかなければ、こういう手合いは図に乗るのが世の常だ。
後で一々絡まれるのも面倒くさい。
まあ妥当な評価をすれば、身体能力、反射神経共に、戦闘用である『備品』に人間は及ばない。
しかし格闘も戦争も、性能だけで勝敗が決まるわけではない。
俺は首元のネクタイを緩め、自然体でいた。
「さあ、かかってこい」
「構えないのかしら」
「必要があればそうする」
「いい度胸よね。それって私には必要ないってことかしら」
頬を引きつらせて笑った平戸は、歩いて近づいてきた。
誰が見てもわかるような怒りを撒き散らしている。
そして、彼女は一歩半の間合いから、いきなり突っ込んできた。
『備品』としての性能を最大限に引き出した、単純明快な右ストレートを放たれる。
ただし、その挙動はテレホンパンチだった。
体重の軽い彼女らが拳の威力を増すためには、どうしても動作に余分なものが増える。
動きの中に挙動を隠せばまだ使い様はあるが、怒りで我を忘れた彼女には考えられないようだ。
地面に体重を乗せるためのタイムラグが、平戸の命取りとなった。
「ふんっ」
俺は膝を落として手刀を繰り出し、身体の内へ巻き込むようにして彼女の右手を取ろうとした。
「ごうぇっ!」
「お?」
平戸は持ち前の反射神経で、右手を奪われることを避けた。
だが、奪われまいと体勢を崩した彼女の喉に、俺の抜き手がクリーンヒットしてしまったのだ。
喉を両手で押さえた平戸が、悶絶しながら地面を転げまわっている。
日陰から高宮の声がした。
「……容赦ないですねぇ。流石は桑木さんです」
「どういう意味だ。それは」
俺が睨むと、高宮は乾いた笑いで対応した。
仕方なく足元の平戸を介抱しようとしたら、いつの間にか近寄ってきていた藤代が、手持ちのスッポンで平戸の尻を突いていた。
「おい、何やってる」
「上官殿を馬鹿にした罰なのです」
「やめてやれ」
わかりましたのです、と藤代は何事も無かったかのようにその場から離れた。
「ううぅ……」
喉を突かれ尻を突かれ、満身創痍っぽい平戸は、地面に寝転がったまま丸まっていた。
助け起こして、服についた土を払ってやる。
「普通に考えれば、君が俺に負けることは無い。だが君のその力も、上手に使ってやらなければ宝の持ち腐れだ」
「え、え、宝? 私が?」
目を丸くして、驚いたように言う平戸だった。
彼女を肯定するために、俺は深く頷く。
「そうだ。幾ら拳が速くても、どこに来るかわかる拳ならいくらでも避けられるさ。だからな、どうして自分が負けたか考えろ。そして生き残れ。死にさえしなければ、挽回は出来る」
「だったら……私は強くなれる、かな?」
自分の言葉を飲み込むように、彼女は言った。
「もちろんだ。君には才能がある」
「……あうぅぅぅぅ」
「?」
顔を真っ赤にして唸っているが、怒っているのか他の感情なのか、さっぱり分からなかった。
俺は高宮を呼んだ。
「花楓、ちょっと来てくれ。樒を連れてシャワーでも浴びてこい。三十分後にキルハウスへ集合しろ」
「あ、はーい。了解しました」
泥だらけの寝巻きを着た高宮は、平戸の手を握って寮内に消えていった。
俺が一息つくと、服の袖を摘ままれた。
「ん?」
「私はどうすればいいのです?」
「掃除は終わったのか」
こくん、と頷く藤代だった。
「花楓たちと一緒にシャワーでも浴びて来るか」
「いえ、そこまで汗をかいていないのです」
「そうか。ならジュースでも飲んで待つとするか。取りあえず、そのエプロンは着替えてこい」
「了解なのです」
そしてきっかり三十分後、寮から離れた山の中にある、鉄筋コンクリ―ト製の構造物に全員が集まっていた。
見た目はまるで朽ち果てた五階建てのビルで、ラクガキでもあれば不良が集まりそうな廃墟と同じだ。
ただ、この建物にはラクガキが無い代わりに、弾痕と薬莢が散乱している。
普段から、銃器を使った突入訓練のために使用されているためだ。
キルハウスの前に整列した部下の三人を前に、俺は手を後ろ手に組んで立っていた。
「あー、近々、一課との合同作戦を行うことになった。そのため、チームの連携や役割を確認する習熟訓練を行うことにした。異論はないか」
「はいっ」
「了解なのです」
「いいわよ」
協調性のない返事に脱力しかけたが、そう言えばここは軍隊では無かったな、と今さらながら納得した。
「それじゃあ、今回はAルートを使うことにする。最上階の人質救出が目的だ。目標タイムは五分二十秒以内としよう。配置はとりあえず……そうだな。前衛を藤代・平戸ペア。後衛は高宮と俺だ。これは暫定ペアで、何度かペアを変えてやっていく。何か質問は?」
俺がそう言った途端、藤代が猛烈な勢いで人差し指を俺に向けた。
「異議ありっ!」
「……人を指刺すなと教わらなかったのか?」
「これは失礼しましたのです。しかし、上官殿のペアは私にされた方がよろしいかと」
「却下する。ペアは変えていくと言っただろう。他には?」
項垂れる藤代と、得意満面の笑みを浮かべる高宮だった。
その二人を尻目に、興奮気味の平戸が手を挙げた。
「ちょっと」
「何だ?」
「この勝負、受けて立つわ!」
「連携の確認をすると言っただろうが。対戦してどうする。馬鹿なことを言ってないで、さっさと準備しろ」
「あう……」
水に濡れた子犬のような目をして、平戸はトボトボと歩き去った。
「まったく」
俺は教師じゃないぞ、と考えていたら、隣に高宮が来た。
何やら嬉しそうににやにやと笑っていたのが気に食わなかったので、高宮の頭に手を乗せて掻き混ぜてやった。
「な、何を?」
するんですか、と髪の毛をボサボサにした高宮が言う。
鼻で息を抜いた俺は、彼女の肩を叩いた。
「実弾を使う訓練だからな、気を抜くなよ」
「了解です」
「頼りにしてるぞ、相棒」
「は、はいっ」
両手を握りしめて返事をする高宮に頷いて見せ、彼女と共にキルハウスの入り口へ向かった。
既に前衛である藤代・平戸はセットポジションについている。
全員が拳銃を手に持って、入り口ドアを見つめていた。
「突入っ」
そう叫ぶと、平戸がドアを蹴破った。
彼女の背後をするりと抜けて、藤代がキルハウス内に突入する。
続いて平戸、高宮、俺の順番に室内へ侵入した。
ダブルタップの銃声が、連続で響く。
起き上がってくるターゲットに風穴を開けながら、前進し続ける。
敵影が無くなれば、「クリア」と叫んで確認しつつ、次の部屋へ移動する。
何もかもが、素早く動きながら行われた。
「リロード!」
前衛が弾倉交換している間に、後衛が前に出て役割をスイッチする。
そこで、俺よりも半歩早く高宮が前に出た。
銃声で味方の残弾を数えていたのかと思うほど、早い判断だった。
流石に戦闘用か、と口笛を吹きたくなる気分だ。
彼女らは小柄な体を生かして遮蔽物に隠れ、まるですばしっこい小動物のような動きを見せている。
互いにカバーをし合い、時には被害が最小限になるように動いていた。
そして面白いのが、それぞれの個性が見て取れるところだ。
高宮はバランスが良く突っ込み過ぎないが、その分、周りに振り回されている。
その点、藤代などは器用に攻守の入れ替えを行っている。
しかし、ギリギリ許される範囲内で好き勝手にやっている所を見ると、褒めるか叱るか迷ってしまう。
後は平戸だが、彼女に関しては反射神経で何でも片づけてしまう癖をどうにかしようと思う。ただし、本当に反射神経『だけ』は飛びぬけていた。
階段を駆け上がり、各階を制圧し、ついには最上階前のドアに到着した。
全員で息を合わせる。
俺がドアを蹴破り、後ろの三人も一斉に突入した。
銃声が響く。
人質の周囲に立っていた人型の看板が吹き飛んだ。
勿論、人質は無事で、傷一つも無い。
無いのだが。
「…………」
俺としては、間違ったふりをして人質に至近弾を撃ち込んでいれば良かったと後悔した。
人質役が口を開く。
「これじゃあ遅いねぇ。戦闘用が聞いて呆れるわ。私たち『備品』は戦ってこそ価値のある存在なんだよ? アンタたちは『備品』全部を廃棄処分にしたいわけ?」
白いフリフリのついたワンピースを着た石凪がパイプ椅子に座って、手に持つストップウォッチを見ていた。
「特捜官殿が五分二十秒と言ったのなら、五分でやり遂げろ馬鹿者めっ!」
石凪の怒声で、三人は肩を竦めて縮み上がった。
俺は嫌われ役を買って出ている石凪を見直したが、その恰好は何だ、と言いたかった。
そこで石凪が、俺を見て笑う。
「そういうわけで、手本を見せてやる。……よろしいでしょうか桑木特捜官殿」
「俺は構わん。ただ、どうやって手本を見せるつもりだ」
「それはですね、桑木さんと私の二人っきりで、同じコースをやるというのはどうでしょう」
「その恰好で?」
「これで桑木さんを悩殺してみせるわ……いや、その、ハンデという意味も込めてますよ?」
俺の冷たい目線に気づいたのか、石凪は最後に言い訳がましい言葉を吐く。
「……まあいいだろう」
不承不承、といった態で頷いた俺だが、見本を見せてやるというのは上達の近道であるし、発奮材料にもなるだろうと思った。
やって損は無い。
「よし、君たちは一階のモニター室で俺たちの動きを見ていろ」
「了解です」
そう言った高宮を先頭に、全員で一階に降りた。
高宮たちはモニター室に行って、直立不動の状態でモニターを見ている。
俺と石凪が、キルハウスの入り口ドア前に立つ。
石凪は自前の拳銃のスライドを点検しながら言った。
「あの、ああ言った手前、負けると恥ずかしいから、桑木さんも本気出してもらっていいよね」
「まあ、俺が遊んでたら示しがつかないだろうな」
「ちょっと安心ー。それじゃ私がアタッカーやりまーす」
「わかった。タイミングは任せる」
「……ちょっとエッチな勘違いしてもいいとも?」
「いいわけあるか」
「いやそこはいいとも、って言ってくれないと始まらないっしょ」
「わかった。いいとも」
「ああん、凄くタイミング外された気分……っん!」
急に飛び出した石凪は、片手で入り口ドアを払いのけた。
低い姿勢で突入し、片手で銃を保持しながら、看板に描かれた人間にヘッドショットを決めていく。
すべてにおいて速さが際立っている。
判断というか、見切りの良さが、元々身体能力の高い『備品』の性能を底上げしていた。
指揮棒を振るように滑らかに射線を滑らせ、リコイルの反動すら計算に入れて的確な射撃を行う。
それでいて、俺の射線を気遣うような素振りも見せていた。
「ったく」
俺には本気でやれと言っておいて、自分は余裕を見せつけているとなれば、少しは腹が立つというものだ。
俺は強引に前に出て、石凪の後方から長距離で先回りして標的を弾いていく。
『備品』のような脚力や腕力が無いのなら、俺は精密射撃で対抗するしかない。
流石に銃を握っていた時間であれば、俺に分があるというものだ。
「ふはっ、さすが桑木さん。後ろは完全に預けるよ?」
何故か嬉しそうにそう言って、石凪が笑う。
俺に気を使わなくなった石凪は、強引に道を切り開き始めた。
いつしかツートップのような形で階層を攻略していく。
最上階のドアを蹴り飛ばし、銃弾を叩き込んだ。
テロリストを模した複数のパネルには、眉間と心臓にそれぞれ穴が開いていた。
しかし、人質が描かれたパネルには傷一つ無い。
「クリア」
石凪は首から下げていたストップウォッチを止めた。
時間は四分十秒。コースレコードを更新していた。
俺は一息ついてから、部屋の隅にある監視カメラに向かって言った。
「キルハウスの入り口に全員集合しろ」
そして後ろを振り向くと、服を脱ぎかけている石凪がいた。
「おい、何をしている」
「いいとも?」
「何を言ってるか分からないが、とりあえず、俺の言葉に従え。大人しくしろ」
「ん、ん? あー、そういうこと? 別にいいけど……」
石凪はそう言うと、ポケットからハンカチを取り出し、目隠しをした。
人質用の椅子に座って、そわそわしながら何かを待っている。
「しばらくそのままでいろ」
「うん」
頷く石凪から目を逸らしながら、俺は階段を下りていった。
キルハウスの入り口まで行くと、三人が綺麗に整列して待っている。
俺がキルハウスから出ても入り口を気にしている彼女たちを見るに、石凪のことを気にしているのかもしれない。
「石凪君が気になるのか?」
俺がそう言うと、高宮は慌てて首を横に振った。
「いえいえ、そういうわけでも無く」
「ならどうしたんだ」
「でも、その」
高宮の煮え切らない態度を不思議に思ったが、その答えは挙手して発言を求める藤代から聞こえた。
「どうした椛」
「ふおっ! あ、う。……失礼しましたのです。名前で呼ばれて悶絶仕掛けたのですが、言わせて欲しいのです」
相変わらず変な奴だな、と呆れていると、それを発言の許可と受け取ったのか、藤代が身を乗り出しながら言った。
「自分と上官殿の二人で、訓練をお願いしたいのです。あわよくば、石凪教官の記録を塗り替えたいのですけれど……」
「ふむ。無理だとは言わんが、石凪君の腕前まで上り詰めるには、まだまだ時間がいる。俺が君たちに要求する目標さえこなしてくれれば問題ない」
「それでも、出来ないよりは出来る方が良いと思ったのです」
藤代は悔しそうに顔を上げた。
俺は思わず笑いそうになってしまう。
そうだ、それでいい。
それでこそ、俺と石凪が労を尽くした甲斐があるというものだ。
「わかった。そこまで言うならやってみろ。ただし、俺とコンビを組むには条件がある」
「条件、でありますか」
複雑そうな顔をした後で、急に『我が意を得たり』とばかりに目を輝かせてキルハウスの中へ入って行こうとする藤代だった。
「何をしている」
「あ、いえ、とりあえず石凪教官の着ているワンピースを、力ずくでもぎ取って来ようかと思ったのです」
「……俺は服装で石凪君を選んだわけじゃないぞ」
「そう、なのですか」
「困った顔をするな。条件というのはな、お前たち同士でコンビを組んでキルハウスを五分以内に突破出来たら、ということだ」
「了解なのです」
強く頷いた藤代は、高宮や平戸を集めて相談を始めた。
俺はそれを、懐かしい気持ちで見ていたのだった。
お疲れさまでした。
銃とファンタジーのお話を作りたかったことを、思い出しました。
もう少し捻って考えればよかったと、今は思います。
それでは。




