ひまわりの花
暑い。
じりじりと灼ける夏の日差しの中、人気もまばらな田舎道をひたすら歩いている。
記録的な暑さだというのに、何が嬉しくて俺は快晴の空の下てくてくと歩いているのか。
しかたがなかった。
天気などに構ってはいられなかった。
まず、休みが今日しか取れなかったこと。
そして、趣味の城跡探索で前から気になっていたとある城跡が秋が来る前に開発で取り壊されてしまうこと。
つまりその城跡を調べるには暑かろうとなんだろうと他に時間がなかったのだ。
地図を再度確認し、位置を把握すると蝉の声しか聞こえない田んぼ道を再び歩いていく。なに、ここまでくれば目標の丘はそう遠くない。
汗をタオルでぬぐって周りを見渡すが、人影は見えない。この暑さだ、普通の人ならどこか涼しい所で休んでいるだろう。
しかし城跡探索は面白い。
ほぼ無名の小さな出城でも、遺構が残っているところは残っているものだ。
まあ傍目にはただの土の盛り上がりにしか見えないのだが、確かにここには城があったのだ、と実感すると足元の土にすら歴史の重みを感じる。
いくつもの資料を漁り、郷土史家の論文を突き合わせて、詳細な地図を丹念に読み込む。「ここだろう」とアテをつけて乗り込み、どんぴしゃり城跡の痕跡を発見するとそれはもう感激もひとしおだ。
もっともいつもの探索は主に冬に行っていた。
冬以外では下草が強烈に茂っていて、目的地までたどり着けない可能性すらある。
さいわいに、というか不幸にというか、今回の目的地は近いうちに開発されるということもあって下草が伐採されているらしい。
城跡探索の醍醐味のひとつである「矢竹」の繁茂が確認できないとしたら残念だが、まあ今回に限りそれはしかたない。
根気よく歩いているうちに周囲の田んぼも尽き、目的地である丘の裾まで来た。
高さといえば50メートル程度だろうか。
あとはこの道なき道を進んで丘を登る。
汗にまみれた帽子を脱いで、タオルで頭をかきまわす。
気合を入れなおしてチャレンジしよう。
いよいよだ。
見上げれば丘の頂上、おそらく城があったであろうあたりに何本かのひまわりが咲いている。
刈られずに残ったのか、むしろ誰かが植えたものか。
もしかすると、地元ではとっくに城跡であることが知られているのかもしれない。
それでもいい。
開発で崩されてしまう前にせめて写真でもいいからとっておきたい。
そう思って眺めると、こちらを向いてそよ風にゆっくり揺られるひまわりの花もなんとなく俺を誘っているように見えた。
思っていたより丘の土は堅かった。歩けないほど足元が崩れることもなく、順調に歩を進めていける。
多少の草は残っているし、矢竹の地下茎ぐらいは見つかるかもしれない。
ここは、室町末期にこのあたりの豪族が作った城だった。
数キロ離れたところにある本城を援護するための支城で、まあ城というよりは砦といっていいような外見だったろう。いっときはそこそこの勢力を持っていたが残念ながら同じ氏族同士の諍いで落され、再建されることはなかった。やがてその氏族自体も戦国の嵐の中で消えていったというから、世の中というのは侘しいものだ。
さほどの苦労もなく頂きのてっぺんまで上がった。
気持ちの良い風が吹いている。
振り返れば、そこにはなかなかの眺めが広がっていた。
遠くまで田んぼが広がり、夏の水面がきらきら輝いている。
眼下の田んぼはかつておそらく湿地だっただろう。
移動もままならぬ足元の悪い湿地を前に、低いとはいえこの丘の城が聳え、後背の本城を守っていたのだ。
遥かに見渡せる眺望を前に、なんだか城主が持ったであろう誇らしい気持ちが俺にも湧いてくるようだった。
持ってきたカメラで写真を撮る。
とりあえずは大まかな全体写真で、細かいところはおいおい撮ることにした。
さて、遺構を探そう。
なにぶん古い城なので多くは望めないが、そういうところでも土塁などはなかなかどうして残っていたりする。
地面を見ながらうろうろしていると、ひまわりが数本咲いているのが目に入った。
麓で目にしたあのひまわりだ。
東を向いてたかだかと咲いている。
東というと本城のあるほうだ。
東?
それはおかしかった。
なぜならば、先ほど麓から見上げたとき目に入ったひまわりはこちら、俺の方を向いていたからだ。
俺は北から登ってきたことになり、見えるとしたらひまわりの後ろ……黄色い花ぐらいは見えてもああも鮮明に花全体が見えるはずがなかった。
見間違えたかな。
人の記憶は曖昧なものだ。
実際に見ていなくても、自分が「見た」と思い込めば「見た」という記憶に簡単に塗り替えてしまう。
そういうことだろう。
でなければこの暑さに少しやられているかだ。
さて、どうもこの頂には遺構が残っていないようだ。
本格的に発掘できれば何か見つかるかもしれないが、勝手に許可も取っていないアマチュアが掘るわけにもいかない。ただの趣味だからそこまで本格的にやるつもりもなかった。
だが頂の向こう側に窪地が見える。あちらに何か残っているかもしれない。
そう考えて歩みを向けようとしたとき。
「おい、ここをほれ」
すぐ近くで、はっきりとした男性の声が耳に届いた。
「……はい?」
びっくりして返事してしまう。
誰もいなかったはずだが。
「ここをほれ」
間違いない。これは人間の声だ。
だがいったいどこから。
「ここをほれ。ここをほれ」
きょろきょろ辺りを見まわしてみるが、やはり誰もいない。
ここを掘れって、はなさかじいさんにもあるまいに。
「どこですか?」
どこに隠れているのだろう。
あたりは木も伐採されていて、人が隠れる場所もなかった。
「ほれ。ほれ」
「はようせい」
人数が増えた。
どういうことかと声のする方を向いて、はた、と気づいた。
「ほれ」
「はようせい」
ひまわりの花。
大輪の花の、その真ん中に人の口が開いていた。
黄色い歯を見せつけるようにしながらせわしなく口を開き、声を発している。
「ほれ。ここをほれ」
「ほれ。はようせい」
「ほれ。ほれ」
気が付けばどのひまわりにも口があった。
中には唾を飛ばし、叫ぶ花もある。
歯がほとんど欠けてしまっているものも。
お歯黒が生々しくぬられているものもある。
いくつものひまわりの花が、風に揺られ、あるいは風などなくてもゆらゆら揺れている。
これは悪夢なのか。
暑さに疲れた脳が見せる幻覚なのか。
そんな思考を嘲るように声は一層大きくなっていく。
罵声のおまけに異臭を放つ唾が頬にかかる。
「ほれぇ!」
遠くには蝉の声。
空からは降り注ぐ夏の陽射し。
俺を囲むように迫る「ほれ」の大合唱。
俺はおかしくなってしまったのだろうか。
いわれるままに掘ったらどうなるのか。
いや。
いや、今日はもう帰ろう。
なにしろ今日は暑い。暑すぎる。
こんな日に出歩くなんて、少しおかしくなってもしょうがない。
背を向けると、ひまわりから発される言葉が激しくなる。
激しく揺れるひまわり達のしなる音も聞こえる。
とぼとぼ歩きだせば、さらにそれは呪詛とも受け取れる恐ろしい言葉に変わった。
追いかける声を背中に受けながら俺はぼんやりしたまま丘を降り、誰もいないふもとの田んぼ道に戻る。
振り返りはしなかった。
ただ、夏の陽射しが首に痛かった。
あの丘が本当に城だったのか、それとも俺の勘違いだったのか。
それはわからない。
俺はもう調べるつもりもない。持っていったカメラのメモリも消去してしまった。
夏の終わりにその丘はブルドーザーで崩されてしまい、のちには住宅地になったと聞いている。