プロローグ
薄暗い部屋の中、小さなディスプレイだけが光源だった。そのディスプレイには中世のヨーロッパのよう街並みが広がっている。そこは随分と発展しているようで、中世ヨーロッパにしては清潔で人々も活気に満ちていた。しかし、その画面上でマウスカーソルがよくわからない何かをドラッグし、その街で解放する。するとたちどころに人々は苦しみ始め、血や泡を吹いてバタバタと倒れていった。暫く時間が経つと、その街で活動する人は見えなくなり。それからすぐにディスプレイに「GAME OVER」の文字が浮かび上がる。
「つまらない……」
PCの電源を落とすと布団にくるまった不清潔な男の顔が映る。僕はそれが見たくなくて、すぐにディスプレイから顔を背けてベッドに沈み込む。三十にもなって毎日こんなゲームをしては寝、ゲームはしては寝る自堕落な生活はしてはダメだと分かっている。しかしそれと同時に何故ダメなのだろうかという気持ちが僕の中に存在し、結局何をするのが一番なのかわからず、僕はまた現実から目を背ける。そうすると簡単に心の中のモヤモヤはどこかに行き、僕を心地良い眠りの世界に誘ってくれる。
どれ位そうしていただろうか、僕は下の階から聞こえてくる騒ぎ声で目が覚める。僕の両親は仲が悪い。その為僕はまた夫婦喧嘩でもしているのだろうと考えた。母だけなら床ドンの一つもできるのだが、父は僕がこんな生活を続けているのが相当頭にきているらしい。しかし僕の安寧は擁護派の母によって守られている。つまり二人の仲が悪いのは僕のせいなのである。それに負い目を感じないことは無かったが、どうしたらいいのかわからず、関わらないようにしている。
誰かが階段を上がってきている。この足音の大きさは父だろうと判断する。どうせまたつまらない説教をしに来たのだろうと判断して、僕はヘッドフォンを付けてPCの電源をつける。寝る前に見た「GAME OVER」の文字が浮かび上がる。
……何故だ?電源を付け直したならいつもはPCのホーム画面が出てくるものだ。なのに画面は電源を落とす前のまま。それに何度クリックをしても画面は動かず、フリーズしているようだ。再起動をしようと思ってもPCの電源が落ちない。
何か悪質なウイルスに感染してしまったのだろうと思い、僕はため息を溢す。新しいPCを買うお金なんてヒキニートの僕には無いからだ。こんな時のために父の部屋からスペアを持ってきておいてよかったと僕は自分の準備の良さに自画自賛する。
何も音を伝えないヘッドフォンの隙間から小さく部屋のドアが開く音がする。備え付けの鍵以外にも何重にも施錠をしたはずなのに、あっさりとドアが開かれたことに僕は驚き、ドアの方を見やろうとした。
しかし、左胸あたりに焼かれるような痛みを感じ、僕はドアより先に自分の左胸に何があったのだと確認しようとする。左胸からは真っ赤な金属が飛び出していた。そしてそこを中心として服に赤いシミが広がっていた。そしてそのまま意識が薄らいでいく。その意識の中、「GAME OVER」の文字が明滅する画面の端に、ピエロの仮面を付けた謎の人物を確認することで、僕は刺されたのだと理解した。
僕の一度目の人生は謎のピエロによってあっけなく幕が降ろされた。
次に目が覚めた時、僕はまた誰かが言い争う声で目を覚ました。
「勇者の定員はもう一杯です。よって彼に与えられる勇者の席はありません」
「そ、そんなぁ~!なんとかして!このままじゃ私、神様に怒られちゃうよ!」
「それはミルの責任でしょう?よく確認もせずに死者を天界につれてくるから……」
「だって彼、全然人間界に馴染んでなかったから、可哀想で……」
そこでは、何もないまっさらな空間に、翼の生えた美少女が二人で言い争っていたのだ。いや、言い争っていると言うと少し語弊がある。ミルと呼ばれる少女がもう一人の少女に泣きついていると言ったほうが正しい。
……何を冷静になって観察しているんだ僕は。僕は胸を刺し貫かれて死んだ筈だ。それに翼の生えた少女ってなんだ。天使か何かか。
「あ、目を覚ましたんだね! そうだよ!私たちは天使だよ!」
「ミル……貴女は天使としての威厳が……」
なんだ、心が読めるのか。便利だな。流石は天使と言ったところか。
「でしょ~」
「……リアクションが薄いわね。貴方」
大学受験に失敗して以来ひたすらヒキニートに徹していたため、時間は腐るほどあった。その中で僕はいくつものウェブ小説を読んできたので、こういう展開には慣れていた。なのでなんの新鮮味も感じない。そう、夢でこんな展開は何度も見たのだ。
「まあ、夢じゃないのだけれど。突然で悪いけど、貴方には魂ごと消えてもらうわ。存在してることにすると面倒だから」
突然両手を前に出して手のひらをこちらに向けてくる名の知らぬ天使。僕はこんな理不尽な展開も慣れていたので、特に驚いたりしない。夢とは大抵理不尽なものだ。
突き出した両手から飛び出す目が潰れるほどの光。僕はあまりの眩しさに目を覆う。
「ユン、巫山戯ないで」
「ミル、そこをどいて。そいつを殺せない」
先程の光でまだ目がおかしくなっていて、目を開いても何も見えない。が、この二人の美少女が僕を取り合っているような展開は中々嬉しい。修羅場は身の危険があれば恐ろしいが、ここは夢だから楽しんでいられるのだ。
「殺さなくてもいい。勇者の席がないなら私の自由にできる権能の一つを彼に与えて彼を魔族に転生させればいい」
「馬鹿!貴女の持つ権能は……!」
「和彦くん、手を前に突き出して。そこにあった権能を貴方にあげる」
その言葉を聞いた時、僕は彼女が僕の名前を呼ぶのに懐かしさを感じることに対する疑問などまるできにならず、ただ言われた通りに手を前に突き出していた。
__「魔王」を取得しました
頭に流れ込む謎のメッセージと共に、僕は急激に意識が朦朧とし始める。それが否が応でも死んだ筈のあの日の事を思い出させ、不快感を覚える。しかしその不快感も途切れる意識と共になくなってしまった。