幼稚園児の焦燥
「こんな夜によくこんな場所に来れたな」
「時間なんて、どうでも、いい! 早いとこいつもの頼む!」
あえぎあえぎ言う山城遥。確かにこいつはいつもと違う。服装もなんだか乱れているし、目も血走っている。それに…。
「何かポケットから出てるぞ」
「え?」
遥がポケットに手を入れる。取り出したのはスパイスの瓶だった。蓋が開いている。
「調理中だったんだな」
「あ、ほんとだ。もうあんまり残ってねえ。てか、こんなに使った覚えないぞ」
「そりゃ勿体無いことしたな。多分お前、家から走ってくるまでの間に、スパイスを落としながら走って来たんじゃねえの」
「あ、そうか…いや、そんなことはどーでもいい。早くやってくれ早く!」
「へいへい」
岩を出してやるとすぐさまよじ登り、ぎゃあぎゃあ叫び始めた。
(おいおい、まだ中身がないぞ)
まあ、彼にとってはそんなことはさほど重要ではなかった。彼にとって大切なのは、叫んでいる遥から出てくるオーラのようなものである。
無論、このオーラは人間には見えない。だが、彼にとっては大切なエネルギーを含んでいたのである。その成分は大雑把に言うと憎しみであった。が、本当はもっと複雑な種類の憎しみである。
(俺が見込んだ奴だけが持っているエネルギーだ)
このエネルギーを吸うことで、彼は兄との戦いで失われた魔力を取り戻していたのである。
(そうだ叫べ! もっと叫べ! …おや?)
吸い込んだエネルギーにどこか違和感を感じたのである。いつもの純粋な香りがしない。なんだか、苦いような…。吸い続けると、体がムカムカする。
(いかん。これ以上吸ったらやばいかもしれん)
彼は慌てて左手を振って岩を消した。当然、そこに乗っていた遥は地べたに落ちた。
「危ないじゃんか!」
普段ならこう言うところだが、どう言うわけか遥は、地面に体をぶつけてもそのまま黙り込んでいるばかりだ。しかも、放心した様子で。彼は、遥の胸の内を探ろうとした。が、なぜかうまくいかない。
「おい、何かあったのか」
「別に…」
「お客様、遠慮なく言ってみろよ。俺はあんたの味方だ。そうだろ?」
ここまで言って彼は遥の顔を覗き込んだ。魅力的な可愛い幼稚園児の顔で。ここまでして効果がないわけがない。遥はぽつりぽつりと話し出した。自宅での父親とのやりとりだった。
(これはまずい)
話を聞きながら幼稚園児は顔をしかめた。どうやら、話は自分にとってよくない方に進んでいるらしい。遥が今父親に、憎しみ以外の感情を抱いていることがうかがわれた。
(それにしても、そういう親子関係があったとはな…)
彼は、「お客様」の実態についてある程度のことを知ることができる。舞鳥康太や金村直人、長野次郎そして港海輝などの人間と遥との間に何が起こっているのかは、聞かずとも知ることができた。
だが、父親との対立の話や、さらには義母の涼子の存在は初耳だったのである。
(もっとも、こじれたままなら良かったんだ。だが、こうなってしまっては…)
「…なあ」
「うん?」
「俺、どうしたらいいと思う?」
「は?」
「もう俺、わかんねえんだよ。今まで自分が何に腹立ててたのか。親父はなんか俺に負担かけてたことちゃんと分かっててくれたみたいだし、それを涼子さんに引き継がせてくれようともしてたんだろ。俺は、親父の気持ちが分かってなかったんだよな。…多分」
「そんなことはない。考えすぎだ」
「いや、もしかして涼子さんと結婚したのも、家事を代替わりさせるためだったりして」
「男は幾つになっても、女には目がないだけさ」
「…とにかく、なんか俺、変な気分なんだ。なんか、自分の信じてた世界がまるっとひっくり返った、みたいな」
幼稚園児の唇のはじが僅かに上がった。
「ほう…じゃあ、さぞや生きにくいだろうな」
「何もわかんねえよ」
「じゃあ、とっときのものを見せてやろう」
彼はトンネルの壁に右手を押し当てた。すると、光が…。




