第二章:深緑髪の少女
◯
「それで、私を呼んだの?」
「あ、ああ……」
例の作業部屋にはレイカと椅子に座ってうなだれている刃開がいた。そして、今も夢心地に寝ている深緑髪の少女。
あの後刃開はレイカを店から連れて来て事情を説明した。彼女の方は一体何が起きたのかと不安になったが、彼から話を聞いた途端、目を丸くして困り果てた。
「大体の事情は把握したけど、酒の飲みすぎで女の子買っちゃったかー。それだけ聞くと悪い人みたい」
「いや、否定はしないけど、犯罪者呼ばわりは傷付くな」
刃開も先程思い出したらしく、記憶の整理がつかない状態になっている。レイカを呼んだのは今刃開が頼れるのは彼女しかいないからだ。
「それは置いとくとして、どうするのこの子」
「それなんだ。俺はこいつをこの家に置きたくない……ていう訳にはいかないか」
「この子を道端に捨てるようなことをするような刃開じゃないもんね」
それを聞いた刃開は少しの間だんまりして口を開く。普段は見せないもどかし気な顔をしていた。
「そんな柄じゃない」
「ふふっ」
「何笑ってんだよ」
「ん?何でもない」
刃開は顔を仰いで気だるげにため息を吐いた。たまにレイカが何考えているか全く分からない時がある。いや、今になっては大した事じゃない。
……さて問題はこの深緑髪の少女だ。酔った勢いでこの子をお持ち帰りをしてしまった刃開。何でああしたのか分からないが、何にせよ。責任は自分にあるから自分の手でケジメをつけなければならない。しかし、考えても一向に答えが出ない。
そう思案に暮れているとレイカが思わぬ一言を投げかけてきた。
「なら一緒に住めばいいんじゃないかな」
…一瞬、刃開の思考が止まった。
「はあっ!?こいつと住む?ありえねえ!」
思わず素っ頓狂な声を上げる刃開。レイカは何らおかしな事は言ってないという顔でさとす。
「とは言っても責任は自分だって感じているんでしょ?なら自分の家に置いておくのが一番だと私は思うよ」
「確かにそうだがよ……って心読むなよ」
「別に読んでなんかないよ。そんなに深く考え込んだら誰だって分かっちゃうよ」
レイカの勘は鋭い。獣人特有の超越的な五感を持つ彼女には刃開の考えがお見通しのようだ。
「刃開は…どうしたいの?」
「……俺は…」
刃開は横で寝ている少女を眺める。見た目は自分達と変わらない年頃の女の子。
……だから余計にあれだ。そう、不愉快。ここに、彼女を置いておくことが―――。
それに彼女の心は死んでいる。今更自分がどうしたって全部無駄に終わるだけなのは目に見えている。
―――答えを出すことができない刃開を少女は待ってくれなかった。
ゆっくりと深緑髪の少女の瞼が開く。起きて間もない赤子のような、あどけない桔梗色の瞳が刃開の碧眼の瞳と合わさる。
「…………?」
「……よう、起きたみたいだな」
「おはよう。気分はどう?」
眠りから覚めた少女は二人が目の前にいることに戸惑いを隠せないでいた。
「聞いても無駄だ。こいつが喋れるわけがない」
「……ご主人さま…が…二人?」
「……喋れたのかよ」
予想外の事に刃開は驚いた。
「何言ってるの刃開。普通に女の子じゃない。何か病気とかで口がきけないかと思って心配しちゃった」
「いや、確かに昨日の夜は全然喋らなかったんだよ」
深緑髪の少女は眠たげな眼で辺りを見渡して、もう一度視点を二人に合わせる。しかし今度はゆっくりをレイカの方へ顔を向ける。
「あなたが、わたしの…ご主人…さま?」
頭のてっぺんから疑問符を浮かべたような表情でレイカに尋ねてきた。勿論そんなわけがなくレイカはううんと首は横に振った。
「私は違うよ。レイカって言うの。酒場を営んでいる女店主。どっちかって言うとご主人さまなら……刃開?」
ご主人さま。
奴隷と主人との関係においての定型文だが……。
レイカは彼女の言う事に朗らかに笑っていただけだった。
が。
――刃開は納得していなかった。彼はじっと彼女を見つめ、吐き捨てるように言った。
「なあ、お前。一つ言っておくぞ。俺は上下関係を勝手に決めてしまう『ご主人さま』っていう言葉が嫌いだ。俺はそんな大層な身分じゃないし何より立場なんてお前と何ら変わらない」
「……はい。申しわけ、ございません」
「……刃開。言いすぎよ」
「んあぁ悪かったって。ちょっと不満だったんだ」
刃開はそう言った後、上を向いて大きくため息を吐き、頭を掻く。
奴隷なら自分を金で買った者に対し敬意と服従の言葉を口にするのは当然だった。が、自身でその関係を否定した。
では、彼にとって深緑髪の少女は一体何なのか?
今日は朝から驚きが多々あって感情の制御が効かない。
自分が何を口に出したのか分かっているつもりだった。
「あーあ、もう答えはとっくに出てるってことか?勘弁してくれよ。ますます自分の事が分かんなくなってきた」
だから不思議と後悔は無かった。
「刃開…それってつまり、この子を…?」
……だが、何処かで引っ掛かってまだ決めかねている。
「いや、悪い。その答えは今は出せそうにない」
いつの間にか刃開の頬には一筋の汗が流れていた。
「だから、少し時間をくれないか。こいつを…どうするのか」
「分かった。ゆっくりでいいからね」
レイカの言葉に安堵したのか、刃開はゆっくりと頷いた。
「ねえ、もしこの子の分まで働くっていうのなら代わりに、この子を私の所で働かせようか?」
「えっいいのか?」
「丁度女の子の話し相手が欲しかったの。いいでしょ」
レイカの提案は願ったり叶ったりだ。今の状況でも人一人分の賄いなど造作もないのだが、仕事の都合上一人にさせる事が多くなる。だとするなら、家の中のものを勝手にいじくりまわされたら困る。特に火薬とか下手に触れば爆発、家木っ端微塵に吹き飛ぶという事態になり兼ねない。
自分なりに躾はするが、新しい生活が馴染むまではレイカのお言葉に甘えるとしよう。
「こっちこそよろしく頼む」
「そう言えばこの子の名前聞いていないね」
「言われてみればそうだ。なあお前…名前何て言うんだ」
問われた少女はキョトンとした顔でしばらく黙り込み。
「……セフィア」
それが彼女の名前だった。
◯
レイカはあれから刃開達の朝食の準備を手伝い、ついでにリビングの掃除をした。その後刃開にセフィアと名乗る少女に家の中を案内させた。今は一旦家へ戻るために外へ出ていた。
鉄骨やメンテナンス用の通路が蜘蛛の巣のように張り巡らされたコロニーの天井は今、朝という設定で無数の照明が照り輝いている。
石畳の階段を降りた途端、レイカはそこで立ち止まった。
「…ずっと待ってたの?」
「いや、今さっき来たばっかりだぜ」
見つめた先には、横の路地の壁に背中を預けている少年がいた。
「酔いは覚めたの?」
「いや全然。正直まだフラフラする」
豊春は苦笑いしながらかぶりを振る。
「もう用は済んだのか?」
うーうん、と微笑みながらレイカは首を横に振る。
「ううん、まだ。ちょっと服取りに行こうかなって」
「服?何に使うんだ?」
「あの子の…セフィアちゃんの着る服をあげようかなって」
「セフィアって…誰だ?」
豊春は初めて聞く単語に首を傾げる。そう言えばまだ言ってなかったっけ、とレイカは思い出す。一応勘違いしないように端的にかつ要点をまとめて事情を説明する。――それで。
「ぷはっははは。あいつ今そんな事になってんのかよ」
刃開が今自宅でどういう状況になっているかレイカの話から把握した豊春は笑い転げる。
「もうっそんな大声で笑わない」
「ん?じゃあつまりあれか…そのセフィアちゃんっていう子は今裸――」
「それ以上言ったら怒るよ」
「あ……悪い悪い。度が過ぎた」
「…今は刃開の服を着させてあげてるけど、サイズ合ってないし女の子が着る服じゃないんだもの。あれじゃあみっともないわ」
まったく、とちょっと呆れ顔で喋るレイカ。でも少し楽しそうだ。
「一応聞いてみるけどよ。お前の服が、その…セフィアちゃんのサイズに合うのか?」
「その時は寸法を直せば解決する。ああじゃあついでにメジャーも持って来ないといけないね」
「そう」
「刃開に何か用事があるの?」
「ああ、急な仕事が舞い込んだ。とは言っても私用だけどな。すまねえが、代わりに伝え取ってくれねか?午後の食事はキャンセルだって……」
「仕事って、それ長そう?」
豊春はしばらく考え込む様子を見せると真剣な表情で、背中は壁に預けたままレイカに話す。
「あいつには絶対内緒だぞ」
「……うん、分かった」
最初は刃開の誕生日の事だと思った。確か…もうそろそろだったから。毎年、豊春が何かしらのサプライズを用意していてレイカも仕掛け人として楽しく参加している。そういう準備の話かと思った。
だけど、違った。何故なら、いつも人に優しくお調子者の彼――豊春の顔があまりにも神妙で、陰りを帯びていたから。
「俺の部隊の偵察班がS級:クラスⅤ《クラーケン》を見つけた」
「………うそ」
「本当だ。一時間前に入ったばかりの情報だ。ここから西20キロ先に鎮座しているらしい」
S級:クラスⅤ――。それは、機屍の中で最高峰の強さを持つ証明。
機屍のランク制度は、ここから果てのさらに果ての地に本部を置いている軍神議会という世界統率機構が大厄災発生時に締結した危険度視認システム。ランクには下からD、C、B、A、Sそして、S級をさらに細かくクラスⅠ、クラスⅡ、クラスⅢ、クラスⅣ、クラスⅤと区分されている。
「十年前に隕石と共に現れたウイルスに侵された化物。その中の最強の一角がすぐ近くに来ているんだ」
現在、S級:クラスⅤの機屍は世界で20体確認されており、世界各地で猛威を振るっている。
「地上の避難区は武装と戦力が十分に整っているから対抗できると思うが、ここは無数に転々とある非常用の地下シェルターを無理やり居住区に仕立てた急造品だ。核に耐えられるがS級クラスⅤの機屍の攻撃に耐えられる仕様じゃない。策は念のため講じておかないと、襲われる可能性はゼロじゃないからな」
「そうじゃないの豊春。クラーケンって……」
「そうだな…余計な事を言った」
豊春は握る拳に力を込める。誰にも怒る事なんて無い彼が怒っていた。まるでそいつと果てしない因縁があるかのように。
レイカが危惧している事は圧倒的脅威がコロニーに迫ってくる危険がある事ではない。それは――。
「俺のかけがえのない親友を、あいつの大切なものを奪った奴が……まさか生きていたとはな」
彼の口に出す言葉がとても重くてレイカの胸が痛くなった。
「これはあいつのための露払いなのかもしれない。だけどそれでいい。あいつには何度も救われた。だから今度は俺が」
それは――『復讐』という手段。
かつての記憶、あの光景を怒りの炎へと変えて。
揺らめき、だが消えることなく己を燃やすかのように。
「俺はあのタコ野郎をぶっ潰す。この命が潰えてもな」
「―――っ!」
「止めるなよ。前々から言っていただろ。俺の命は俺が使う。あいつの為じゃない自分の為に。それがあいつのこれからの糧になるなら本望さ」
「豊春私は……」
彼女はそれ以上口に出さなかった。自分が何言っても彼はもう止まらないと直感が言ってきた。
「……戦力を整える。時間は掛かるから、それまではお前の出す酒を飲みまくってやるさ」
豊春は黙ってレイカの元から去った。
朝の路地の上一人立ち尽くすレイカは呆然と彼の背中を見送るしかなかった。
◯
コロニーの照明の明かり具合だと時間は正午といったところだろうか…。
東にあるまだ準備中の酒場からいつもとは違う弾んだ声が聞こえてきた。
「さてと!セフィアちゃん。早速だけど、お仕事の内容教えるね!」
「…はい。よろしく、お願い…いたします。……えっと…」
「レイカよ。さっきはドタバタしてたから覚えてないか」
「はい。申しわけ―――」
「いいのいいの。気にしてないからね。だから謝らないの。それにその敬語もなし。私の名前も呼び捨てでいいから」
「…分かりました。レイカさん」
「さん付けもなし!」
「…ご、ごめんなさい。レイカ」
「うん許す!」
昨日の夜が嘘のような閑散とした店内の中、二人の少女が会話をしていた。一人はここの店主で明るい感じで、もう一人の方は店主の幼馴染がお持ち帰りしてしまった元奴隷の少女がぎこちない感じで話していた。
「あっそうだ。急いで取り繕ったんだけれど服どうかな?サイズ合ってる?」
そう言われたセフィアは両手を広げ、自分の姿を確認する。清潔感溢れる肩出しのワンピース。いつも感じていた麻のザラザラとした不快さとは違う、吸い付くような滑らかな肌触りに慣れなくて何だか恥ずかしくなる。
「……うん。だいじょう、ぶ。でも、恥ずかしい…」
「いいじゃない。私はとても似合っていると思うよ」
「……うん」
そう言われて、ワンピースの裾を掴み、頬を赤らめるセフィア。
(あらまあ、かわいい)
思わず襲いたくたる野生本能?を理性で辛くも抑え込むレイカ。
「はっ…つい本題を忘れてた。……セフィアちゃんお仕事なんだけどね」
「れ、レイカ…」
「ん?どうしたの?」
「わたし…のことも、その……セフィアって呼んでほしい」
「…そうだね。うん分かった。これからはそう呼ぶね。セフィア」
「……うん」
セフィアはコクリと頷いだ。同じ返事でも心なしかさっきより生き生きしていた。
その微妙な感情の変化は他人じゃ分からない事で、五感が他の種族より格段に長けている獣人のレイカだからこそ彼女は自分の併せ持つ並外れた洞察力で感じ取れた。
セフィアは嬉しがってる。さっきと違った声色、ほんのりと浮かぶ笑顔。それが今彼女ができる精一杯の喜びの表現なんだと。
(…………私に)
自分と同い年の女の子。
この子が目一杯に笑う顔ってどんな感じなんだろう…?
そういえば前にもこんな思いを抱いた時があった。確かその時ここで初めて出会った刃開の―――。
もっとあの子と話していれば……。
「……もっと私に、出来ることはないのかな?」
「……レイカ?」
「?……あ、ううん!何でもない。ごめんね。それで何してほしいかと言うと、うーん。じゃあテーブル拭いてもらおうかな。雑巾はカウンターの下にあるから」
「…うん。分かった」
セフィアは言われた通り雑巾を取るためにカウンターの裏に回り込んだ。その間レイカはある事が気になって窓から外を眺める。
(…今頃、刃開はグラーシェおじさんの所に行ってるんだね)
かつて豊春が所属していた拾い屋第一部隊の隊長であり、親友であり、恋人の恩人でもあった彼。
ずっとコロニーの中で彼らが外から帰還するのを待っている事しかできなかったレイカはあの場所で彼らが何を培ってきたのかは知らない。
地上はウイルスで変異した化物が跋扈し、命を落とす事もある。そんな死と隣り合わせな中で二人はどんな感情を心の中に抱いて挑み続けるのだろうか。
運び屋としての使命か。機兵としての義務なのか。いくら考えても答えに届きそうになかった。
レイカはそんな自身の無力さが憎たらしかった。
不変を装うこの棺桶は今日も自身の役割をまっとうしている。