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廻星のオリハルコン  作者: かじかじ
2/4

第一章:棺桶の中の商売人

   ◯


 暗い暗い地下深く、廃棄された地下鉄の迷路を抜けた先に外界から逃げ延びた人達が住む場所があった。人類の楽園、最後の安息の地などといろいろ言うが、そこは《コロニー》と呼ばれていた。核爆弾にも耐えられる厚い岩盤と樹脂セラミックの壁に囲まれ、直径四キロメートルある円形状の土地に約千二百人が生活をしている。

 このコロニーは普段外へ通じる道は一つしかない。

 その道を塞ぐのは、高さ三〇メートル、横は二〇メートル。巨大で重厚な特殊合金で造られたはがねの扉。

 普段は固く閉ざしているが。週に一度だけひらく時がある。


 「おい!拾い屋が帰って来たぞ!」


 扉を管理している中年の男性職員が騒がしく声を上げると、どこからともなく野次馬が集まって来る。

 警報音が鳴り響き、警告灯が回ると、扉がゆっくり重々しく開く。

 開いた先の闇から歩いて来たのは、とある一人の少年だった。

 ボサボサの黒髪。鋭い目つきで濁った輝きを放つ碧眼へきがん。ボロボロの赤いマフラーにすすけた黄土色のマント。背には身の丈程もある拾い物の対戦車ライフルを担ぎ、大きなバックパックは限界まで拾い上げた物資を詰め込み、丸々太っていた。


 「ラハールはいるかっ!」


 少年が大声でその名を呼ぶと民衆の奥から偉ぶった態度で歩いてくる男がいた。


 「さん付けしろと何度言わせるんだよ」


 縦も横も大柄な体格で、汚れたクリーム色髪頭の中心は既に無毛、いかにもリッチな紫色のスーツを着て、高級感漂うキセルを吹かしていた。野次馬は彼を見るや否や恐る恐る彼に道をゆずる。

 彼はこのコロニーの管理者。ラハール自治コロニー会長、ラハール・グロッキン。

 ラハールは刃開に歩み寄って来て、睨み付けるように見下ろす。


 「刃開。帰って来たのはお前だけか?」

 

 「ああ、他の奴はみんな死んだ」

 

 刃開は特に気にすることはなく、短い言葉で伝えた。

 それを聞くとラハールは頭を掻きながらため息を吐く。


 「またか……まあいい。刃開、話がある俺の事務所まで来い」


 さてと、とラハールは後ろを振り向き、集まった民衆に芝居めいた動きで彼を褒め称える。


 「お前ら!今日もこいつは大量の物資をここまで運んでくれた!こいつのおかげで、俺達は今日まで生き延びれたんだ!……刃開に感謝しろ!」


 民衆はたじろいだが、次第に拍手が湧いた。

 刃開はその耳障りな音に鬱陶うっとうしさを感じながらも一緒に彼の事務所へ向かった。

事務所はコロニーの中央、先程刃開がいた西側のゲートから一直線で辿り着くことができる。それは他の建物よりも丈夫な三階建てのコンクリートビルで最上階の東側の部屋にラハールの執務室が存在する。

 ラハールの仕事はコロニーの設備や居住区の管理。そして、『拾い屋』の部隊編成やサルベージした物資の管理である。

 

 精算のためバックパックは、いつも通りにライフルと一緒に一階の受付で預けた。

 階段を登り、右の突き当りにある木製のドアに手を掛けた。

 部屋に入ると強烈と言っていいぐらい煙草の匂いが漂っていた。

 高級感がある広い部屋にラハールは、なめし皮の黒い椅子に背をどっしりと預けていた。刃開は大きな木製デスクの前に再び彼と対面する。

 彼は心底呆れている様子でキセルを吹かした。


 「刃開。今回もお前一人だったな。お前わざと殺してないか?」

 

 ラハールは不機嫌だった。眉間にしわを寄せ、キセルを咥えながら頭をポリポリと掻く。


 「よしてくれよラハールさん。大体殺す理由が無い。ほっといても勝手に死ぬしな」


 「俺の人選が悪いって言うのか?」


 「そんな事は言ってない」


 「なんならいいが…お前一人分の収集量じゃこのコロニーの奴らをまかなえねえ。これだと第二、第三部隊の負担が大幅に増えるのは分かっているよなあ」


 「その分、遠征の回数で十分補っているはずだ」


 「馬鹿野郎。所詮お前一人分の運搬量だ。それじゃあ生産プラントのメンテが間に合わねえ。それに外でほいほい部隊を死なせるとなると、回数を重ねる分だけ人材の消費もおっかねえ事になるだろ。なら、他の部隊にやらせるしかねえだろ?機兵は簡単に作れるものじゃねえ。第一部隊を解体する事も考えたが……それに関してお前はビクともしねえ。隊を統合した方が都合がいいんだがな」


 ラハールはデスクの引き出しから機兵の資料を取り出し、刃開に見せる。


 「でだ…また次の遠征の編成はお前が決めてくれ」


 「またか…いきなりだなラハールさん」


 刃開は苦笑していた。それは、わざわざ死ぬ奴を選べと言っているようなものだ。


 「最近、機兵の死人が多すぎる。材料はそこら辺にいくらでも転がっているが、なんせ時間と費用がかかる。数打てば当たる……という訳には行かねえのはお前も重々分かっているだろう?だからよ、損害が出来るだけ少なくなるよう経験豊富なお前の目で人を選んでほしい」

 

 刃開は心の中で深々とため息を吐いた。

 またいつものアレか。こうやって毎回理由をつけては俺に選ばそうとする。趣味の悪いハゲジジイだ。

 ラハールはキセルで煙を吹かす。顔にまとわりつき、煙たく感じながらも刃開は苦笑いして。


 「断っても無駄だろ」


 返すラハールの笑みは戦国で味方をどう勝利に導くか考えを練る策士かのような巧妙さと狂気を感じた。


 「分かってるじゃねえか。取りあえず、今回もいつも通り人は好きに選んでくれ。ただし最低十人、期限は一週間。絶対厳守だ。もしコレを破るような馬鹿な事をすれば……分かってるだろうな。…話は以上だ。今日はもう帰っていいぞ」


 刃開はリストを受け取るとさっさと踵を返す。早く部屋から出たい。ここにいるといろいろな意味で息が詰まる。


 「ああ、じゃあな。おっとそうだ一つ言い忘れた事がある」

 

 「ん?何だ?」


 言い忘れていた事をふと思い出した刃開はラハールに今回の収穫について報告する。それはラハールにとって朗報だった。


 「あんたが頼んでいたドリルの部品あったぞ。それもバックパックの中に詰めてある」

 

 「おお、やるじゃねえか!感謝するぜえ!」

 

 喜ぶラハールを尻目に刃開は小さく笑うと部屋を出た。


 「さてと、お金もたんまり下ろした事だし、レイカのとこで飲みまくるか。せっかくだから豊春も呼んで……。ハア……今日は疲れた」


 中身の無くなったバックパックと鈍く黒光りする対戦車ライフルを返してもらい、今回の収穫で得た報酬をふところにしまい、事務所から出る。

 刃開は上を見上げる。ドーム状の星明かりもない天蓋には無数の照明が街を照らす。

 時間に合わせて光量を調節して一日の変化を再現しているが、慣れてしまえば何の面白みもない。見てもつまらない。そう目線を下ろした時だった。


 「あんたがハウンドドック?」


 数メートル先にベージュ色髪の女が刃開を待っていた。刃開と同い年ぐらいで知らない顔だ。服がボロボロで薄汚れ、貧困街スラム出身だとすぐに分かった。


 「どうした?欲しい物資があるなら事務所通して手数料三千テル払いな。……いや、そもそもあんた業務の人じゃないな。俺に何の用だ」


 対して女は睨み付けるような顔で刃開に問いかけた。


 「ハルトっていう男、あんたの部隊に配属されたって聞いたけどあいつはどうなったの?」


 ……―――ああ、そういうわけか…。


 「……あいつは死んだ」


 「そんなこと知ってる。ハルトはどんな風に死んだの?機兵としてカッコよく死ねた?」


 今にも泣きそうな女の顔を見ても刃開は眉一つ動かさなかった。ただ、一つの決定的な事実を息を吐くかのようにあっさりと述べた。


 「いや、ハルトは俺が殺した」


 「――ッ」


 女は絶句し唇を引き締めた。そのまま眉を歪ませ、目を潤ませ、目の前の犬畜生に言い放った。

 静かに。それは鋭利な刃のような。


 「…………人殺し」


 「言いたい事はそれだけか?……あいつはよく働いたよ」


 それ以上は何も言わず、刃開は立ち去った。女はその場で膝をつき顔を覆った。

 覆った後は堪え切れず、ダムが決壊するかのように嗚咽を漏らしながら泣き叫んだ。

 恨みを買うのはよくあることだ。自分のせいで誰かが泣く。

 

 「ま、いつもの事だな。気にする必要は無い」

 

 外の事を除けば、ここは活気づいてる。行き交う人々、すす汚れた採掘作業人、道の端で奴隷商人が自慢の一品を盛んに売り捌こうとしている。これが日常。


 「はははっははっ――――」


 少年は痛快に笑う。

 その顔は笑っているようにも怒っているようにも見えた。


  ◯


 

 「ぷっははははははああああああっ!うめええええええええ!」


 コロニーの東の区画に佇むとある酒場は外見こそさびれてるが、よく人がかよう人気のある飲み場である。

 中に入ると西洋のロッジに似た作りで、外とは違う温かさと落ち着いた雰囲気が漂う。刃開はカウンターで友人と酒を飲み合い、そして吠えていた。


 「そんなに飲むと体に悪いぞ」


 刃開の隣には彼の酒に付き添う筋肉質な少年がいた。

 

 「うるせえ!今日はむしゃくしゃしてんだよ。飲まねえとやってられるか。てかよ豊ちゃん。お前もうちょっと俺に付き合えよ!」


 苦笑いしながら、酒を口にする豊ちゃんこと豊春。鍛えた体を覆うのは灰色のコンバットズボンにオリーブドラブのジャケット、こげ茶色髪で、黒い瞳の目は優しい色を放っている。だが豊春の気遣いを尻目に「レイカ。もう一杯!」と意気揚々に叫ぶ刃開。

 勿論、この二人は未成年だが大厄災の混乱で法律なんて全く機能を果たしてない。みんな好き勝手に飲んでいる。


 「はいはーいちょっと待っててー」


 カウンターではせっせと働く少女がいた。この酒場の女主人レイカは柔らかい声色で注文に答える。

 ハリのある綺麗な声に薄茶色のボブカット。空を切り取ったかのような澄んだ水色の瞳。一番特徴的なのは頭にある髪色と同色の猫のように尖った耳。

 彼女はれっきとしたこの世界に存在する六つの種族の一つ『獣人ヒゥービースト』の一人。

 容姿はどんな頑固がんこおやじでもウインク一つで腰を抜かすぐらい美しいものだった。

 まさに看板娘。まさに紅一点こういってん。この酒場のいやしと言える少女。

 

 「……やっぱ可愛いよな―――」


 だからこそ、刃開は心底しんそこ不貞腐ふてくされるようにつぶやいた。だって―――。

 

 「―――お前の彼女」


 「だろ?お前にはやんねえがよ」


 隣のこげ茶色髪の筋肉優男がレイカの彼氏だからだ。

 ふと、考えた。昔と言える程、遠くに置いた記憶。

 あれはいつの日だっただろうか…。刃開がその事実を知った時には、既に随分前から付き合っていたらしく、何だか全身の力が抜けていくというか、肝を抜かれた。


 「分かってんだよ、んな事。大体俺が彼氏持ちの彼女を奪い取るような度胸のある男だと思うか?」


 「いや、全然思わねえな」


 「うるせえよ。食い散らかすぞ」


 「うお、流石猟犬。怖えこと言う。だけどよ……」


 豊春は刃開を見る。何と言うか、すごく不憫ふびんそうな目で見ている。

 

 「何だよ」


 「自分で度胸の無いって言われたら、冗談言いにくいなって。今しっかりと実感できたぜ」


 「ちくしょうっ!お前にもこの気持ち味わってほしいわ!てかっこっちはお前のノロケ話散々聞いてきたのに今更かよ!唐変木とうへんぼくか!」


 「はいはい二人とも仲良くね」


 女主人レイカは見てたら元気が湧いてくるような笑顔を振りまき、両手に持ったビールジョッキ二つを二人の前に置く。


 「これこれ!待ってたよ。ありがとな!」


 「おいレイカ。俺の分はいらねえぞ。まだ、残ってるし」


 「豊春。刃開と付き合うなら、そのぐらいの酒じゃ足りないわよ」


 「ああー。こいつと飲み合うと絶対酔いつぶれるんだよなー」


 「お酒すっごく弱いもんねー」

 

 「違げえよ。こいつが強すぎるんだよ」

 

 「酔いつぶれたらいいじゃねえか。酒は飲んでこそなんぼってもんよ!」


 はははっと笑いあう三人。その笑い声は酒場の雰囲気に溶け込んでいく。


 「なぁ豊ちゃん。随分と繁盛はんじょうしてるらしいが…どんな感じよ」


 刃開は顔をほのかに赤くしながら、ニヤニヤと豊春に尋ねる。


 「おう。我ながら繁盛してるよ刃開。俺のとこここ最近死人が一人も出ていないから、それなりに志願者の数も増えてさ。それに、毎回大漁だからラハールに買われているな。何もボーナスとか出てないがな」


 刃開達が生業なりわいとしているのは、通称『拾い屋』というとても危険な仕事だ。コロニーでは食料の生産プラントがあるが、それだけでは収容人数分をまかなう事が不可能である。その他、医療具、工具、燃料など、ここでは手に入らない。

 そこで、外部からの供給が必要になった。その役目を担うのが刃開、豊春達がやっている拾い屋である。

 ちなみに生存確率を上げるため、拾い屋に所属するもの全員はある組織からの情報提供により開発された機兵化改造手術を受けている。

 身体能力を人間以上に引き出す代わりに代償のいる諸刃の剣だが……。

 それでも、彼らは上手くやりりしている。


「いつからホワイトな会社になったんだ?意地汚いラハールが出すわけないだろ。本当にドブラックだ。そもそも会社として成り立ってないか……俺達はそういうもんじゃない。俺達は機兵という一つの個体。一つの道具。ただ使役されるだけの存在だからな。」


 昔、誰かがそんな事を言っていたような気がした。今となっては消えそうなぐらいおぼえていないが。


 「―――でも、そうだな……そういうの無しでも豊ちゃん根性あるし、しっかりしてる」

 

 それを聞いた途端、豊春は酒を口をしながら笑みを浮かべる。

 

 「それも何も全部、第一部隊隊長が物資がゴロゴロ転がってるサルベージポイントや機屍ソルダードの出現位置を徹底的に調べた地図マップを作ってくれたおかげだな」

 

 一瞬間を置き、刃開は吐き捨てるように笑った。酒に一気に喉に流し込んで弾ける泡の刺激を心地よく感じえつに浸るが、その顔は少し悲しそうだった。哀愁とも言うのだろうか。


 「古地図なんざアテにするな。しっかりと一個一個の変化を地図に刻んで常に最新にしないと駄目だぜ」


 刃開は特に誰に言っている訳でもなく、酔いに浸りながら独り言のように呟いた。豊春はそれは彼の照れ隠しだと理解していて。


 「分かってるよ。ありがとうな」


 「っぶッ!何言ってんだよッ」


 そんな不意打ちの言葉に刃開は口に含んだ酒を吹いてしまった。一旦心を落ち着かせて、どう返事しようか少しの間考えた。やっと口から出た言葉は随分と音が小さくて、聞き取りにくい声だった。


 「…………まあ、どういたしまして」


 豊春は再び笑みを浮かべた。

 お互い、黄金色に輝く安酒をグイッと喉へ流し込む。そろそろ身体がいい感じに温まって来て、つまみが食べたい気分になる。

 ここのおすすめと言えば、コロニーの畜産プラントで製造された牛の肉を干したビーフジャーキーだ。

 普通は食感と肉汁の旨みだけを楽しむもので味はとても美味いとは言えない。

 だけど、ここのビーフジャーキーは違う。

赤身の部分を複数のスパイスとワインで浸し、それを風通しの良いところで二日三日干しておくと作れる代物で、保存食としても使え、刃開も仕事中でちょっとした贅沢をしたい時は好んで食べている。

 何しろ『こしょう』が決め手らしい。どうやら、刃開が何となく持ち帰った古びた缶に入ったパウダーがそうだったようで、刃開はこしょうという存在をその時初めて知ったのを今も覚えている。

 アレを嗅ぐとくしゃみが止まらない。てっきり鼻詰まりを治す薬だと思っていたが、まさかあそこまでビーフジャーキーの風味を引き立てるとは……。


 それを頼もうかと刃開が口を開いた時だった。

 

「そっちは…やっぱり相変わらずか?」

 

 豊春が刃開に尋ねてきた。酒の陽気は無く、慎重さが感じられる言葉だった。まるで、こちらをひどく心配しているかのように。


 刃開は息を吐き、答える。吐き捨てるように低い声で。

 

 「……ああ。相変わらず死人が増えるばっかりだ。最近ラハールの野郎が機兵の適性検査の人選を雑にやっているのは目に見えている。どうやら、俺をそろそろ廃棄したいみたいだ。」


 今日ラハールから渡された機兵候補を見たが、どれも貧しい大人、子供ばっかりで数打って当たればいいかのようないい加減ぶりだ。

 死亡者を抑える為に、長年外を経験している刃開の目利きで選んで欲しいと言っているが、実の所、戦力外になる可能性のあるものを抜き出して、殉職という誉れ高い称号を与えて、綺麗さっぱりと処分する。あいつの人員を整理する為の常套じょうとう手段だ。それは危険な外へ飛び出し物資を調達する命知らずな拾い屋達、だけでなくこのコロニー全体の人口の削減を意味する。

 そして、ここ最近人選は度重なっている。

 この場合。選んだ奴が死んで、責任を問われるのはラハールではなく、刃開の方で、刃開がリーダーとして結成している第一部隊の信頼がガタ落ちする。実際、コロニーの人々からの評価は最悪で存在するだけで吐き気がするほど嫌われている。


 この掃き溜めにあるオアシスの中でさえも、何人か畏怖いふ嫌悪けんおの目でこっちをにらんでいる。

 そんな事はどうでもよくて。刃開はうんざりしていた。

 まともな人員を用意せず、全く訓練させないまま、外に放り出すあいつの所業を。

統率など皆無。それで、高難易度な荒仕事に連れて行かなければならない。死者は当然出る。それがあいつの目的というのだから、考えるだけで虫唾が走る。

 存在意義が変わってきているのだ。リスクを冒してまで新天地まで足を進める第一部隊が昔のトレンドだった筈だ。それが今ではコロニー間引き担当の第一部隊と成り下がってしまった。


 本当に、昔のことが懐かしくて仕方が無かった。


 「ま、旅は道連れって言うし、老い先短い俺にとっちゃあ実に割にあっている仕事だよ」


 まるで、拗ねた子供のようだった。別に俺なんか――そう投げやりになっているかのような。


 「おい、冗談でもやめろよな」 


 豊春が注意したのを聞いて、刃開は口をつぐんだ。


 「悪い悪い」


 「お前がどんな状態かは分かってる。だけどまだ希望はあるだろ。お前の新しいパートナー絶対見つかるって」


 「……俺はもうパートナーは作らないって決めたんだ。」


 口に残った麦の発泡酒の苦みが一層強くなった気がした。


 「……あんな思い二度と御免ごめんだからな」


 「刃開……」


 遠くを見つめるように目を細める刃開。まるで故郷に哀愁あいしゅうの意を持つように、ただその瞳はどこか寂しな色を持っていた。


 「それはそうと手が止まってんぞ。ギブか?」


 「んなワケねえだろ?なめんなよ」


……折角せっかくの酒だ。気分が沈む言葉を口にしても楽しめないので、刃開は口直しにまた酒をのどに流し込もうとする。


 「ん?」


 ふと、目にしたのは奥のテーブルで客に絡まれるレイカであった。ここではよくある事だ。それはそれで別に構わない。これもこの酒場での一興いっきょうだ。


 だが度が過ぎる言動は話が別だ。


 「ふひひ、なあレイカちゃぁぁん。俺達とこの後いい所に行かない?何なら今からでも」


 奥の丸テーブルを囲って座っていた三人グループの内の一人の大柄な男が、ベロベロに酔いつぶれた顔をしてレイカをナンパしていた。


 「ごめんなさいお客さん。そのさそいはまた今度に」


 「えぇ!?つれないねぇぇえ。いいじゃん!」


 三人グループが着ている服を見て、豊春は睨み付けるような表情で呟いた。


 「あの服、第二部隊の野戦服じゃねえか。ったくまたあいつらかよ性懲りもねえ」


 「まあ、あの時はレイカが穏便おんびんにまとめてくれたから何とかなっただろ。今回も上手くやってくれるさ」


 「だと、いいがな…」

 

 枯葉かれは色の迷彩めいさいが施された服を着た三人グループはレイカを見てヘラヘラとニヤついていた。

 第二部隊はラハール直属の自称エリート集団。外に出る事はほとんどなく、その外でやると言ったら、いつも第一部隊、第三部隊が調査して地図作成マッピングした後で安全圏で作業する事だけだ。反抗しようにもラハールの息が掛かっているので、無暗むやみに手は出せない。


 「お客さん飲み過ぎですよ。そろそろ控えないと身体壊しますよ」


 「うるせえぇぇぇ!黙って俺の言う事聞けばいいんだ。庶民しょみん風情がぁぁ!」


 「きゃ」


 レイカは酒気漂う男に腕を握り締めれ、彼女は眉を歪ませる。


 「あいつらっ―――」


 豊春が一発頭にかましてやろうかと席を立ち上がろうとしたが、それより早く席を立った奴がいた。


 「刃開?」


 刃開は無言で不当なやからに歩み寄る。酒が身体に十分に入っているのに、ゆっくりでしっかりとした足取りで。

 

 「おい。ブッチョ」


 刃開は、見てくれから適当にあだ名をつけてレイカの腕を掴んでいる男に呼びかけた。


 「ああん?誰だお前?」


 「俺はただの酔いどれ野郎だよ」


 「じゃあどっか行ってろよぉぉ!俺は今いい所な―――」


 声が途切れた。ゴリッと冷たい感触が男の額に押し付けられる。


 「―――ックヒ?」


 刃開が手にしているのは、45口径のセミオートマチック拳銃。いわずもがな人を殺せる。刃開はニタッと笑って語りかけるように喋りだす。


 「俺はここで普通に酔っていたいだけなんだよ。なあ、今は汚ねえテメェの手でつかんでいる女じゃねえと酒が来ねえんだよ。つーわけでさぁ……分かってくれるようなあ?ここは穏便に行きましょうや。それとも酒の味より鉛玉の味を脳ミソで直接味わいたいか?」


 「お、お前?正気かよ……」

 

 「ああ、正気だよ。猟犬は狩りが本職なんだ。てか早くしろ。酔った勢いでうっかり引き金を引いちまう」


 「くそっガキがいい所だったよによお。よりにもよって猟犬ハウンドドックに出くわすかよ。ついてねえなぁぁ」


 機嫌きげんそこねた男は、苛立いらだった声で愚痴ぐちを吐きながら、連れと共に酒場から出て行った。


 「……刃開、その…ありがとう」


 「気にする事はない。手は……大丈夫そうだな」


 「うん……――あっ!あいつらお金払ってない!」


 「うわあ、まんまと食い逃げされたな。仕方ない。ここは俺が出すさ」


 「えっでも悪いよ…」


 「いいさ、今日はパッと使いたい気分なんだ」


 「ほんとにゴメンね」


 シュンとするレイカを見て刃開は笑った。


 「おい、二人して何かいい雰囲気だな」


豊春がご機嫌ナナメな顔で話に割って入って来た。


 「おっと悪い悪い。ちょっと調子乗ったかな」


 「ああ、ちょっとじゃなくてとてもな」


 「ははは、仕方ない。これは酒代おごらねえと許してくれなさそうだ」


 刃開は笑うと、豊春も冗談に乗るように笑う。


 「偶然な事に私率いる第三部隊は明日お休みです!そういうわけでゴチになります」


 突然と無駄にキレのある敬礼をしながら普段使わない口調でしゃべり始めた豊春。彼の突拍子とっぴょうしもない言動を見てて可笑おかしくて、刃開だけでなくレイカまでもがクスクスと声をらして笑っていた。


 「そんじゃあ。今日は思う存分ハメを外す事が出来るってわけだな。お前も俺も」


 「お前がハメ外したら、俺ぶっ倒れるわ!」


 「そん時は、レイカの膝枕ひざまくら看病かんびょうしてもらえよ」


 「あっそれがあったな。よし!今日は飲むぞ刃開!」


 豊春は刃開の肩に腕を回し、今日は酔いつぶれるまで飲むと意気込む。でも、レイカの口から……。


 「あなたにゆずる膝枕はありません」


 「んな!?」

 

 思いもしない願望拒否ブロックに豊春はたじろいだ。


 「でも、ベットにちゃんと寝るって言うなら一晩貸してもいいよ」


 「やったぜ!」


 「お前本当に幸せものだな」


 刃開はレイカの目の前でガッツポーズする豊春を見て、呆れるように笑った。レイカもこっちを見て「なんかゴメンね」って言っているような困り笑顔をこちらに向けていた。

 

 「そんじゃあ。仕切り直して飲むか。レイカも後で付き合えよ」


 「うん分かった。刃開も程々にね」


 「分かってるって」


 刃開は適当に返して、豊春と一緒に自分が座っていた席に戻る。

 今夜のレイカの酒場は一段と賑わう事となった。


  ◯


 閉店までずっと飲み続けた刃開は、顔を赤に染めて、陽気としたフラフラな足取りで夜のコロニーを歩いていた。

 

 勿論ここは星明りの一つも無い地下三〇〇メートルに作られた巨大な避難シェルター。ただ、真っ黒な空がのっぺりと広がっている。

 何度見上げてみてもつまらないの一言に尽きる。

 人類の楽園、最後の安息の地などと人々は言うが、刃開にとってはここは棺桶かんおけだった。

 機兵以外誰も外に出ようとせず、ただここにずっとこもって死を待つ。

 まるで生きた心地がしなくて人、にんげんではなく――…。

 それでも、それなりに生活を営むのが人間の適応力だ。

 街の外見は装飾品と彫刻が見事に織りなす見事な西洋街というわけではなく、木造建築、コンクリート建築、コロニー外縁の貧困街に行けば雑多なトタン屋根の小屋と、ガラクタを寄せ集めたような街並みだった。雰囲気はと言うと、昼とはまた違った騒がしさがあって、あちこちで飲んだくれの喧騒とした声が聞こえる。

 レイカの他にも居酒屋を経営している人は大勢いるし、他の店も一テルでも多く稼ごうと声を枯らしてなおも大声で客寄せしている。

 ちなみに豊春はというと、やはり刃開のペースについて行けず途中でノビてしまった。

 飲ませ過ぎてしまったと少々心配したが、よくよく考えたらあいつはあいつで彼女の家に泊まる結果となったのだから、あれで良かったのだと刃開は納得した。

 レイカにもちょくちょく酒に付き合ってくれたが(レイカは酒を飲まないから彼女は麦茶だったが)最後は刃開の一人酒となってしまった。

 夜風を感じない常に一定な湿った土の冷たい空気を地肌に当てながら、辺りを眺める。

 何となく眺めた先、道の端っこにいる者達にふと目がいく。

 アレ(・・)もこの街の特徴ていうか、もしかしたらこの世界の定番というものかもしれない……。

 

 脂汗がぎっちょりな文字通り肥えた男が手足をかせと鎖で繋がれ、首に拘束用のチョーカーを付けられた少女を苛立った様子で蹴り飛ばしていた。

 ―――いわゆる奴隷だ。

 たった一つの理由で、親に捨てられ、社会から見放され、人々からゴミや化物と罵られた挙句、行き場を失った少女達。

 それは、十年前に起こった厄災が原因だった。『大厄災』と呼ばれる天災がもたらしたのは、破滅。

 外宇宙からやって来た隕石に含まれた未知のウイルスがある化物を生み出した。

 その名は『機屍ソルダード』。自我を失い、身体の構造を変質させ本能のままに貪る元人間・・・の獣。

 そして、もう一つ。

 ウイルスに侵されても、なお自我をたもった者。

 その名を―――。


 「機人エクスマキナ……」


 刃開はそう呟いた。抗えない負のレッテルを否応なしに張られたあの少女がこうして奴隷どれいとして身を置いているのは、たったそれだけ。ただ機人だから、みんなに見捨てられた。

 刃開は立ち止まり横目で、地面で寝そべるその少女を見る。あさでできたボロボロの服からのぞかせる肌は汚れていたが、白地の肌は艶やかで、肩から腰まで描かれた曲線は芸術の域に達していた。端正な顔立ちで、腰まで伸びる深緑色の髪は、乱れてもなお草原靡なび流麗りゅうれいさを感じられる。

 奴隷としては中々見られない上物だ。なのに何故売れ残ったのか?刃開は不思議に思ったが、すぐに答えが出た。

 彼女の桔梗ききょう色の瞳は何も映していなかった。輝きはとうに消え、どこまでも虚ろにまぶたを開いていた。主人である商人の罵声ばせいと共に何度も繰り出される蹴りにも反応せず、そこからピクリとも動かなかった。


 少女はもう生きながら死んでいる。身体は残っても、魂はもうこの世にいないのだ。


 よくある事だ。奴隷だけじゃない、世界の理不尽に追い詰められ潰される寸前の奴らはみんなそう。

 身体と魂。一緒に死ぬか、片方残してどちらか死ぬか…………。


 「死人に口なし、か……」


 刃開は無視して通ることにした。

 関わっても、後に自分の首を絞め殺すだけだ。それは、必然だと理解していた。

 あの時それを知った―――。


 一瞬、昔の事を思い出し、振り払うように首を振る刃開。早足でとっとと家に帰ろうと思った時だった。


今日は特に酒がよく入っていて、胸の底から湧き出る感情を抑える事ができなかったのか…。

 元はというと、今日刃開以外の第一部隊の機兵が死ななかったら、あの少女が「人殺し」と言わなかったら、嫌われ者として扱われている事が、氷で閉ざした水面みなもから浮かんで来なかったら…。ああして親友の豊春やレイカに酒をおごって千鳥足ちどりあしになるまで飲む事はなかったのだろう……。

 元はといえば……もとはといえば…………。

 今は考えるより先に体が動いてしまう。そんな気分だった。


 「クソがっ!カネにもならねえ役立たずが!人形もどきは人形もどきらしく、お前はただ使われるだけでいいんだよ!」


 だがらこうして、その言葉を耳にして再び立ち止まることは無かったのだろう。


 人形もどき……ねえ。


 それは俺達も一緒・・だろ?

 

 刃開は踵を返して、足早にその商人に近づく。


 「おい、あんた。まだ営業時間か」


 「あ?…ああ、何かと思えば、かの有名な猟犬さんじゃないか。こんなボロな商売に一体何のようで?女と一発やりたいっていうんなら生憎今日は品揃えが……まあ明後日ならいい奴が手に入るぜ。あんたがイイって言うなら前払いで予約を入れとこうか?」


 「いいや――」


 刃開は、ふところに手を入れる。商人は最初銃で脅されるんじゃないかと脂汗ダラダラで身を縮こませていたが…。

 彼がそこから出したのは、今回の収穫で得た報酬の残金全てだった。


 「その子を買う。いくらだ」


 「へ……はっ、はあ?ちょっと待ってくれ。買う?コレを?あんた物好きすぎじゃないか?」


 「何か問題があるか?」


 「いや問題も何もコレは――――」


 「機人だろ?構わない。それとも、金が足りないか?」


 あくまでも刃開は平然をよそおっていた。赤くなっていた頬を隠し、フラフラな足を棒で固定するかのように地面を踏みしめていた。そんな事は勿論商人が気付くわけがなく、思いもしないもうけ話によだれを垂らす勢いで食いつく。


 「いやいやありがてえ!まさかコレ如きにこんな大金をはたいてくれるなんて」


 「もういいだろ。さっさと渡せ」


 刃開は札束を商人に渡す。商人は気味の悪い笑みを浮かべ、喜ぶ。


 「これからはあんたがソレの持ち主だ。責任は一切問わない。あとくれぐれも首枷の装置は外すんじゃないぞ猟犬」


 「ああ……」


 刃開は深緑髪の少女を抱える。

 思ったより軽い。そして、冷たい。

 家で身体を温める必要があった。それと飯。

 刃開は賑わった偽物の夜の街を歩く。出来るだけ急いで。けれど酒の陽気で倒れないように慎重な足取りで家へと帰る。


 賑わう中心街を通り過ぎ、路地を何回も曲がり、北のスラム街に近い閑散かんさんとした所にポツンと建った家の前で足を止める。

 二階建ての西洋の木造建築の明かりはいていない。

 彼女を一旦降ろし、ポケットから鍵を取り出すと、ドアを開ける。

 スイッチを入れ、電気をつける。

ここで、木造建築は大変贅沢(ぜいたく)なものだ。元々地下には木が生えていないからだ。これは、最新の技術を使ってコロニーで栽培された木を材料としている。

 しかし大量生産が難しくとても高価である。拾い屋をやっていなきゃとてもじゃないが手が出せない代物だ。

 その骨組み一本一本には酒と火薬の匂いが染みついていて、それが刃開にとって数少ない自分の居場所だと実感させてくれる。


 「…………何やってんだ。入れよ」


 彼女は玄関の前で呆然と立っていた。

 言ってもそこから動く気配が見えなかったので刃開は仕方なく、彼女の手を引いて半分無理やりで中に入れる。

 よく見ると表情が消え去った彼女の肩は震えていた。

 ひょっとして寒いのか。と察した刃開は暖炉の中に紙とわらを入れ、マッチで火を付ける。火種が大きくなると少しずつ薪をくべていく。火は燃えさかり、冷え切ったリビングを温めていく。

 上着を放り捨て、ソファーに座り一息つくと、倦怠感が一気に襲い掛かって来た。

 あー。今すぐにでも横になりたいという衝動が胸の奥からこみ上げて来るが、まだやる事がある。

 刃開はすぐに立ち上がり、リビングから出た。廊下の突き当りを右に曲がり、そのまま真っ直ぐ行った奥の部屋へと入る。

 まずは鉄と火薬の一層濃ゆい匂いが刃開を出迎えてくれた。

 そこには沢山の銃弾や銃の部品が置かれ、ごちゃごちゃとしていた。年季の入った作業机には新品同様に丁寧に磨かれ黄金色に輝く薬莢やっきょうが並べられていた。

 壁には小銃に長距離射撃用のライフルといろんな銃器が立て掛けられ、木箱には様々な種類の火薬瓶が入っていた。

 刃開は机にあった工具箱を手に取ると、さっさとリビングへ戻る。

 表情の失せた顔でこちらを見ていた少女に近づくと、手にした工具を手に持ち慣れた手つきで彼女の首枷の装置を外す。


 「ったくしょうもないもんを付けてるなお前」


 「…………?」


 少女は何が起きたのか分からなかった。ゴトンと重い音を立てて首枷は床に落ちる。

 刃開は外し終わると、気だるげに欠伸をしてソファーへ寝転ぶ。


 「俺は寝る。あとは…好きにしろ……白…う…み――」


 そのまま刃開は眠りに入ってしまった。


 暖炉にくべられた薪が音を立てて燃える中、仄かな明かりに照らされた、虚ろな目をした少女の影がただ揺らめいていた。

 

 

  ◯



 朝になって薄暗く感じる家の中。西洋の木造建築の骨組み一本一本には酒と鉄と火薬の匂いが染みついて、それが刃開にとって数少ない自分の居場所だと実感させてくれる。

 彼には拾い屋という仕事の他に火薬配合、もっと言えば、銃弾、爆薬の販売を営んでいる。

 外の世界は、食料や部品の他に、銃弾がそこら辺にゴロゴロ転がっている。勿論、奴らと相手する時には銃で応戦するので需要はかなり高い。刃開にとって食料の次に大事な事である。

 そのまま使えそうなら、自分が使うか、店で販売。薬莢や弾丸が錆びて使えそうに無いなら、バラして火薬の方は爆薬に転換し、金属は他の店に頼んで溶かして再利用したり、スクラップとして売り払ったりしている。

 最近は自身でしか作成できない特殊な弾丸や爆薬を販売しているのでそれなりに繁盛している。ただ、あまり売れすぎるとラハールから高い税を課せられてしまうので、もう少し穏便おんびんに行こうと彼は思っている。


 昨日の酒のせいなのか、自分がソファーの上で寝ていた事をすっかり忘れていた刃開は寝返りを打った瞬間床に落っこちた。


「――いって!」


 ぶつけた肩と頭の痛みに悶えながらも、刃開は起き上がる。


「あーー。まだ頭が痛い」


 あの酒場で豊春と飲みまくった以後の記憶がない。そう言えば、酔った勢いで緑色の何かを持ち帰った記憶がある。


 「喉がガラガラだ。水が欲しい」


 それは今いいとして、喉が渇きすぎて声を出すのも辛い。早く水で潤したい。

 刃開は起きたての重い体を何とか動かし、キッチンへ向かう。

 キッチンに逆さまに置かれたグラスを手に取り、水道のレバーを上げる。

 塩素臭のしない綺麗な透明の水がグラスの中へ注がれていく。そして、ある程度グラスに溜まった水を、一気に口の中へ流し込む。

 喉の奥に冷たいものが流れていくのが分かる。まだ詰まっている感じはするが、これで随分と楽になった。


 「…………腹が減った」


 次は無性に腹が減ってきた。頭は今もクラクラするし、今から朝食を作る気力が無い。

 どうしようかと悩んだが、冷蔵庫に食べ残したチーズケーキがあった事を思い出す。

 刃開はおもむろに冷蔵庫がある方向へ歩くと、扉を開いて確認する。


 「………………あれ?」


 が。

 ないのだ。――食料が。


 「おかしいな。だいぶ余ってたぞ」


 一週間分の食料を五日前に買い足し、そのほとんどを冷蔵庫に保存していたのだが、遠征はその次の日だから少なくともまだ四日分の食料が残っていたはず。昨日は一日中仕事で夜は遅くまで飲んでいた。つまり一切自分は手をつけていない。

 それとも、昨日の夜に食べてしまったのか……。それを憶えていないだけなのか…。


 刃開は困惑した。

 胃袋が細いというわけではないが、四日分の食料を一晩で食べる食欲は持ち合わせていない。

 …………いや、もしかしたら元々空だったのかもしれない。何せ今記憶があやふやだからだ。昨晩だけでなく昨日と一昨日と四日前の記憶も一緒にどこか飛んで行ったしまったのだろう。


 考えれば考えるほど、お腹がむなしく鳴く。

 いつまでも冷蔵庫の前に突っ立てても食べ物は現れない。そこまで冷蔵庫は便利じゃない。


 「そう言えば作業部屋に夜食用のビーフジャーキーがあったはず」


 刃開はこの空腹を解決する一つの方法を見つけた。

 銃の手入れや、火薬の合成。弾薬の製造などをする作業部屋には腹が減った時用の非常食がある。この前レイカから買い足したばっかりなので、空腹をしのぐには十分な量がある。

 なら早速と、作業部屋の方へ向かう。リビングから出て、廊下の突き当りを右。そのまま真っ直ぐの奥の部屋が作業部屋でドアノブに手を掛けた時ふと立ち止まる―――。


 「それにしても……何かを持ち帰ったような……まっいいか」


 あの事はもう気にしない事にした。自然とあれは夢だと認識していた。きっと観葉植物を買った夢でも見ていたのだろう。うんそうに違いない。それよりビーフジャーキーが優先。そう疑念を振り払った刃開はドアノブを回し、ドアを手前へ引く。

 いつも通り変わらない作業部屋。鉄や硝煙臭い火薬の匂い。机に綺麗に並べられた一筋に照り輝く真鍮製の薬莢。壁に立て掛けられた数々の銃器。

 真っ直ぐ見た視線の先は何ら一つ変わったものは無かった。ビーフジャーキーは作業机の隣の引き出し棚にある。

 

 歩こうと足を出したが、何か布に包まれたものに当たり、立ち止まる。

 そして、ふと……目線を下ろす。


 その布はここにあった毛布で、端からひょっこりと顔を出している深緑色の長髪の少女がスヤスヤと寝ていた。


 「………………………………」


 瞬間、思考はホワイトアウトし。


 「ぬうああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!?!?」


 猟犬が、吠えた。

 



 

 


 

 


 

 

 

 

 

 

 


 

 

 


 

 







 

 

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