捜査編
事件の知らせを受けて、羽黒祐介が深夜の会津探偵館に駆けつけると、そこにはパトカーが数台停り、既に多くの警察が屯していた。
会津探偵館は、レンガ造りのような洋風でノッポな建物が、雪に埋もれて白く、そして、街灯に照らされてほんのり赤くなっていた。
羽黒祐介が訪れると、窓からその姿が見えたらしく、階段を素早く駆け下りてきて、玄関から顔を出した山高帽に丸眼鏡のノッポな男がいた。
祐介の顔を見ると、にっこりと笑って、大きく手招きした。
「羽黒君じゃないか、久しぶりだねぇ」
「はあ」
祐介は困惑して、心のこもらぬ返事をした。
「なんだ忘れちゃったのか。そんなに悲しませないでくれよ。僕だよ。大本達也……」
「えっ……君、あの大本君か。大学では考古学を専攻していたのに、どういう訳か知らんが、福島県警の刑事になった……」
「なに、そういう君だって、大学院では太平洋戦争期の外交文書の研究をしていたのに、教授があろうことか密室で殺害されて、その事件を解決すると共に探偵事務所を開業した男じゃないか」
そう言って、さも面白そうに大本は笑う。
「お互いに奇妙な人生だな。まあ、父が刑事だったから、僕はある意味ではこの道に進む運命だったのかもしれない」
「運命なんてもの信じないさ……」
大本は感慨深そうにそう言うと、
「……今回の事件も運命なんてものじゃない。人間が起こしたものなんだよ。羽黒くん、君のようなロマンチストには分からないかもしれないけどね」
「分かるよ。そんなことは。それで、どんな事件なんだ」
「まあ、ここで話すのも寒いだろう。現場においでよ。まだ死体は温かいぜ」
「そう言われてもな……コーヒーじゃあるまいし、笑えないジョークだ」
「……ふん」
大本は鼻で笑って、山高帽をチョイと直すと、お洒落な木造りの階段を跳ぶように登って行った。
三階の階段を上がってすぐに、まずダイニングとリビングとトイレと浴室がある。そこから廊下が真っ直ぐに延びていて、冬子の部屋、敏幸の部屋、そして廊下はL字に折れ曲がって、倫子の部屋が並んでいる。
「殺害現場は廊下の真ん中の敏幸さんの部屋だ。ほら、中を見てみなよ。ご覧の有様さ。正面の壁には弾丸が撃ち込まれ、部屋の真ん中には安楽椅子から転げ落ちた狗村敏幸の死体。そして、部屋には内側から鍵がかかっていて、鍵は部屋の奥のデスクの上に置かれている。唯一のマスターキーは、娘の冬子さんの部屋の机の引き出しの中にあった……」
死体の転がる洋風な室内を眺めながら、祐介をじっと考える。
「それじゃ、冬子さんしか、殺人は出来そうもないじゃないか」
「そうなんだよ、だから羽黒くん。これは単純に考えれば、あまりにも簡単明解な事件なんだ。冬子さんは自分しか殺害できないような状況下で父親を殺したわけだ。動機はなんだ? それは分からないけどね」
「うん……」
「ただね、それはあくまでも、単純に考えた場合だ……」
「そうだね。大本君、これはそうそう単純に片付けてはいけない事件かもしれないな。犯人は開けっ放しにしておけば良かったはずの扉に、わざわざ鍵をかけて出て行ったわけだ。それで冬子さんが捕まる。冬子さんが犯人だとすれば、あまりにもひどい失態だね」
大本は嬉しそうに頷く、そして輝きに満ちた目で親友を眺めて、口を開いた。
「君は相変わらず名探偵だな。嬉しいよ」
「よせやい、こんなところで死体を前にして懐かしむのは。それで、死体は……」
「……死体は心臓に一発、弾丸が貫通しているよ。犯人め。素晴らしい腕前だ。それで、その弾丸があの正面の壁に突き刺さっている、被害者の血のついた弾丸ってわけだ。DNA鑑定をする予定だか、まず被害者の血とみて間違いないだろう。それと今、鑑識が硝煙反応も調べているけどね……」
「すると、犯人はこの扉を開くと共に被害者に一発ズドンか」
「そうとも、それでガイシャはあの世行きさ。まったく、悲しくなるよ。なあ、羽黒くん」
「刑事らしくないな、君。そんなに深く考え込むなよ」
「考え込んでしまうだよ、僕は。まあ、この話はやめよう。今の話はなかったことにしてくれ」
大本は少しものを思うように黙った。しかし、山高帽をすっと外して、それを手に持つと、扉に手を差し出して、
「どうぞ、中へ」
と言った。高級なレストランにでも案内されているようだが、その先には死体しかない。祐介は遺体に向かって少しお辞儀をすると、神妙に室内へ入っていった。
室内に入ると、ランプのような赤い電球、木造りの上品な家具、黄色いカーテンの閉じた本棚、広々としたベッド、真ん中の安楽椅子など、全てが洗練された美しい洋室であった。ただ一点、射殺死体の転がっている点を除いては。
「死体は間もなく運ばれてゆくだろう。だから、今の内によく見ておきなよ」
「うん……」
確かに左胸に一発撃ち込まれたらしく、白いシャツが血で真っ赤に染まっている。これは即死だろう。
「そうだな。あの正面の壁も見ておくかい?」
「言われなくても見るよ。どれ」
祐介は、正面の壁に近付いた。なるほど、壁は丸くひび割れて、その内側に血の色をした弾丸が深く食い込んでいる。ただ、祐介はそれよりも不思議なことに、その壁の右上に切れたセロハンテープの切れ端が貼られていることに気づいた。
「なんだ、これ……」
祐介は少し考えたが、まあいいかとすぐに考えを捨て去った。
祐介は隣にあったデスクの上に置かれた鍵を見つめた。
「そいつは間もなく証拠品として回収されるだろう……。羽黒君、君の考えていることは分かるよ。でもねぇ、それはね、僕は無理だと思うよ……」
「えっ、一体なんのこと」
「あの横の壁の小窓から、このデスクの上に鍵を投げ込んだというんだろう……。いくら何でも、それはちょっと無理じゃないでしょうか」
大本は時々何故か敬語になる。それはきっと大本の育ちの良さか何かなのだろう。
「そんなことは何も考えていないよ。それよりも僕の考えていることは別のことだ。しかし、小窓というのは良い話を聞いたね」
「小窓はあそこにあるよ」
大本が指差した先に小窓があった。それは部屋の入り口から見て、右側の壁についていた。これはL字に折れ曲がった廊下の壁に面していた。
「あの小窓は何の為のものなの?」
「話によれば、ミステリーマニアの狗村敏幸が本を読む際に、あそこから食べ物などを出し入れしたらしい……」
「射殺された彼も大分偏屈だな。そこには鍵はかかっていなかったのかい」
「そうなんだよ。だから、冬子さんもまずそこから覗いて、死体を発見したというんだ」
「なるほどね……」
祐介は頷くと、事情聴取をして、証言を聞きたいと思った。
「もう証言はすっかり聞き出したよ」
大本はにっこりと笑って言った。
*
冬子の証言は、まず吸血鬼の話から始まった。狗村が夕食の時に、この中に吸血鬼がいる、と言ったこと、そしてその夜に銃声が響き渡ったこと。廊下に出たら倫子がいたこと、そして小窓から死体を発見したこと、自分の部屋からマスターキーを取ってきて、室内に入ったこと。そして、倫子を残して、一階に電話をしに行ったこと。
最近あった少し変わったことと言えば、本の整理に付き合わされたことで、最近、敏幸は探偵小説辞典という辞書のような分厚い本を買い込んできて、自室の本棚にしまったのだが、それを上の段に上げたり、下の段に下げたり、何度もさせられたことの不満を喋ったのだった。その本棚には黄色いカーテンがついているが、どうせ毎日使うのでこの頃、上に全て捲し上げっぱなしにしてしまっていて、上で畳んで重しを置いてあるのだとか……。
冬子の発言には、吸血鬼の話を除いて、おかしなところは何もなかったようだ。しかし、この証言では、冬子自身が犯人だと言っているようなものである。現場は密室で、マスターキーは自分しか持っていないというのだから。
次に、倫子の証言である。倫子もやはり大体同じことを言った。しかし、銃声がしてから、すぐに部屋を飛び出して、敏幸の扉をノックしている時に冬子が起きてきたことと、その場で腰が抜けて休んでいたことだけが違った。
「どうも、皆さん、ご苦労様です……」
そう言うと、大本はものを思いながら、二人を控え室に帰したのである。
*
祐介が、その話を聞いている内に、室内の入り口付近の床と扉から硝煙反応が検出された。それに従えば、犯人は室内の入り口付近から安楽椅子に座った被害者に向かって、発砲したということになるのだろう。
見れば安楽椅子付近の床には、探偵小説が一冊落ちていた。なんの本かと見てみるとクリスティーの「ナイルに死す」。この本を読みながら、次の瞬間には、自分が死体となって転がることになるとは、なんとも皮肉な話だなぁ。祐介はそんなことを思いながら、まじまじと本を見つめた。
その近くに何やら細長いダンボールの空箱が落ちていた。なんだこれは、と祐介は思って見ていた。ふと妙な気がして、近くの本棚を見つめる。それが少し気になって、一言鑑識に言って、その黄色いカーテンを横に開いた。カーテンの中には、びっしりと探偵小説やミステリー関連の本が並んでいた。
「これは……すごいコレクションだね」
「ミステリーマニアの君にはたまらんだろうね。先ほど確認したら、被害者本人が書いた本もあるよ。背表紙に赤い斑点の付いた白い本だよ」
そう言われて、祐介はその本を探したが、しばらくして『会津探偵館 〜ミステリーとノスタルジーのミューゼアム』という本を見つけた。手にとって読んでみたが、内容はただの館の紹介で非常につまらないし、今回の事件とも関係なさそうなので、すぐに本棚に戻した。ただ祐介は、その本の背表紙の茶色い斑点が少し気になった。
いや、祐介はそれどころではないことに気づいた。この本棚にはあるべきものがない。
「大本君、この本棚は事件が発生した時のままかい?」
「そうだよ」
「じゃあ聞こう。この本棚には「探偵小説辞典」がどこにも無いんだが、あの本はどこへ行ったんだ?」
「なんだって……探偵小説辞典?」
何のことかピンとこなそうに大本は訊き返した。
「冬子さんが言っていた、この本棚にしまったという分厚い辞典だよ。それがどこにも無いんだが……」
「おかしいね。これはどうにも……」
だんだんと祐介の頭の中で、ある推理が組み立てられてきた。
「もうひとつ、お聞きしよう。冬子さんと倫子さんは事件後、まだ一度もこの会津探偵館を出ていないかい?」
「今のところはね……」
「なら、もうこの事件は解決だ」
「えっ……相変わらず解決が早いな。それで犯人は誰だい?」
「君だって、分かっているだろう。倫子さんだよ。おそらく保険金目当ての殺人で、邪魔な冬子さんを犯人に仕立てて、監獄送りにしてしまおうとしたものだろう」
「なるほど……それは想像していたけど……どうやって殺したんだい? それに証拠は……?」
祐介は神妙に頷くと、事件の真相を語り始めた……。
*
さあ、手がかりは出揃った。倫子はどのようなトリックを使ったのだろうか……?