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クリスタルホワイト・アイス  作者: 綾沢 深乃
3/12

「第三章 秘密のルール」  

「それが二人の出会いですか? 青春っぽくていいですねぇ。たまに話がクドいのは難点ですが」

「しょうがないだろ。こんな経験ないんだ。どう説明したらいいのか、加減どころが分からないんだよ」

 ため息交じりに透は腕時計を見る。長針は思ったより進んでいない。続いて店内を軽く見回した。ノートパソコンを開いている者は依然として、熱心にキーを叩いている。本人が注文したコーヒーに手を付けている場面をまだ一度も見ていなかった。

「どうする? 続き、聞きたいか?」

 ココで打ち切りにしても困らない透は、そんな問いを彩子に飛ばす。

 彩子は、笑顔で首を縦に振った。

「別に良いけどさ。これ以上先はあまり良い話とは言えないぞ?」

「そんなに酷い振られ方したんですか?」

 深刻そうな表情で見当外れな事を言う彩子に透は、呆れ気味で腕を組んだ。

「……違うよ。そんな事よりも嫌な事だ」

 透は目を伏せる。言いたくないと彼の態度が主張していた。

 中々口を開かずにいる透を察した彩子は、困ったような笑みを浮かべる。

「やっぱいいです。流石にそこまで話したくない人から無理矢理に聞く趣味はありません」

 その彩子の笑顔は、透の苦手な顔だ。

 こちらに必要以上の罪悪感を与えてくる。彩子本人に自覚はないのだろうが(仮にあったら、今まで何回も使っているだろう)大学時代も透は、その苦手な食べ物を無理に飲み込んだような、彼女の表情を見せられた。

 今回の話は、大学時代から彩子には何度かせがまれているが、この顔を見せてくるのは初めてだ。今までは、それほど彼女が本気ではないのだろうと考えていたが、とうとう見る事になってしまった。透はもう少し思考を沈める事にする。

 そもそも彩子は、話す相手としてはかなりの好条件だ。

 付き合いがあるのは大学時代から。高校時代を知らない。彼女との付き合いは、あくまで先輩後輩であり、今まで一線を超えた事はない。

 互いに恋人がいた時もあったし、それ関係の相談もよくしていた。他人の話を聞いてどういう反応を見せるか、透は良く知っている。

 そう考えた時、彩子の笑顔が一部を除き伝染したらしく、透が小さく笑った。

「続きを話そう」

「えっ、いいんですか?」

 戸惑いを見せる彩子。その反応は当然である。

「いいんだ。いい加減、溜め込んでいてもしょうがない。それよりも、誰かに聞いて聞いてほしい。彩子はまさに適任だ」

自分の正直な気持ちを彩子に説明する透。その気持ちに決して嘘はない。

 それどころか、透は自分が当時の話をする事を楽しんでいる。そう感じてしまっている事に気付いてしまっていた。

 詩織の名前を口にする度に、遠くに行ってしまった彼女を身近に感じる。

 それは、百%良い事とは言えない。

 それを承知の上で、透はまた高校時代を話始めた――。



 詩織のアドバイス通り。透はあれから図書室には行かなかった。

 勉強だけならどこでも出来る。ただ、家だと誘惑が多すぎて捗らない。なので、透は最寄り駅前にある図書館の自習室を使っていた。

 そして、あの日以降。透と詩織は、放課後に度々会うようになった。

 場所は二人が降りる駅近くにある、パン屋二階の喫茶スペース。一階が書店と併設しており、階段を上がればそこに行ける。二階は、窓もなく閉鎖的であり、正直あまり学生が好むような店ではない。その為、誰かに見つかる事もなく、客自体もいつも少なかった。二人には、うってつけの場所である。

ただ、毎日会っている訳ではなかった。

 放課後前、五時間目と六時間目の休み時間に透の携帯電話に詩織からのメールが入る。彼女からのメールは、至ってシンプル。本文に数字の0か1が書かれているだけ。

 0と1の意味は、単純に今日が会えるか会えないかを示している。

 会える日は0。会えない日は1。それ以外の意味はない。

 無論、透側の都合で会えない日も存在する。その場合は詩織のメールに同じように0か1で返信する。  ルールを知らなければ、誰にも分からない。

 二人だけの暗号文を飛ばし合う日々。

 喫茶スペースにいる時間は基本的に一時間。とは言っても、絶対的ではない。その都度の進行状況で微妙なズレは存在する。

 そして、二人で会って一体何をしているのか。

 それは透が勉強を教えて貰っているのである。彼は詩織と会ってから、ノートの復元作業を行うのを止めていた。これ以上やっても、前に進む見通しすらつかない現状では、やるだけ無駄だと気付いたのだ。

 定期テスト前夜になってからでは遅い。もっともこの決断を下すまでに、透は相当脳内で会議をした事は、自明の理である。

 一番の議題は、今から正攻法で勉強を始めて、間に合うのか。という一点。

 そこを解決してくれたのが、詩織だった。

 詩織は透が急に図書室に通い始めたのは、何か勉強で詰まっているのではないかと、初めて会話した夜にメールで尋ねてきた。

透はノートの件に触れずに、“勉強について、かなり大事な事を沢山忘れてしまって困っている”と返信した。

 一見してみれば、酷く曖昧な内容だ。しかし、詩織はそれ以上、追及してくる事はなく、透に良かったら、勉強を教えようかと提案してきた。

 こうして、詩織の提案を受けて入れて勉強を教わっているのである。けれでも、今から中学時代まで遡ってからでは、追い付かない。なので、今回の定期テストの範囲のみに限定して最低限の点数が取れる勉強を始める事にした。

 知識が偏ってしまうの否めないが、贅沢をしている余裕はない。

 以上の経緯の下で透は勉強を始めたが、そこで一つの大発見をした。

 それは勉強がとても面白いと言う事。

 新しい知識を学び自分の中に蓄えていく感覚。また、分からない問題に衝突してそれを解けた時の快感。 ずっと昔、まだ分数の掛け算をしていた時代に忘却したと思っていた快感が、湧き上がって来たのである。

 そうなってくると、透の勉強する能率は飛躍的に上がる。比べる相手がいないのが惜しい中、夢中になって、勉強を楽しんでいた。一方で後悔も生まれた。

 それは、もう少し早く始めていればという事。

 ノートという絶対的誘惑に依存してしまわずに、自身の力だけで周囲の生徒と同じように勉強していれば、これまでの人生において勉強に対する見方は間違いなく変わっていただろう。だが、今更そんな事を考えても意味はない。

 自分はノートのお蔭で今の場所にいる。その事実は絶対だ。

たとえ、今回のテストは運良くクリアしても所詮その場しのぎ。いつかは必ず転落する。もうノートなしでは、遅れを取り戻せない。その事を透は後悔した。

 こういった透の心境の変化は詩織が原因であるのは言うまでもない。

 勉強の効率的な教授は勿論。詩織自身の考え方や話し方は、実に魅力的だった。

 自分みたいな紛い物ではなく、本当に頭が良い人というのは、詩織の事を指すのだと、透は彼女と接して学んだ。彼にとって放課後の喫茶スペースでの時間は貴重な時間だった。彼女と話す時間は、自分を更に上へと高めてくれる成長期間と取れたのだ。

 いつも必ず訪れる終わり際の寂しさがその証拠。その寂しさがまるで酒に酔った状態に近い、人恋しさを生み出す。そのせいもあって、透は詩織と別れた帰りの地下鉄車内で一つの決断をした。

 それは、詩織にノートの事を全て話してしまう事である。

 自分より遥かに頭が良く、知識も豊富な詩織ならばきっとノートの事を話せば、最適な解答を教えてくれるに違いない――。



「うわぁ~。何か凄いですね。先輩がその詩織さんをどれだけ好きだったか。怖いくらいに伝わって来ます」

 彩子は自身を抱きしめる仕草を取り、軽く震えた。

「茶化すなよ。実際、あの時の俺は詩織に夢中だった。他に楽しみがなかったって言ってもいいくらいに」

「きっとその喫茶スペースでの先輩、鼻の下が凄く伸びてましたよ」

「そうだろうな。一応、毎回会う時は必要以上にテンションを上げ過ぎないように注意はしてた。まあ、詩織の前ではそんな事、無駄な足掻きだろうけど」

「そこまで頭が良い人なら、先輩の姑息な足掻きなんて、お見通しでしょう。きっと、懸命に隠す先輩を微笑ましく見ていたんだろうなぁ~」

 透は当時の自分の浮かれ具合を思い出す。

 無意識の内に話していないだけで、現実はもっと酷いモノだったのかも知れない。当時の二人の様子をビデオ等の第三者目線で記録していなかったのは幸いだった。残っていたら、ガムテープで固めた銀箱に詰めて、海底深くに沈めている。

「それで、その後はどうなったんです?」

「ノートの事を詩織に話す決心をした俺は、いつもの喫茶スペースで彼女に話す事を決める。その日は予め、彼女から0ってメールが届いた時、相談があるって送っていた」

 透は視線を左にズラして、曲面になっている窓ガラスから外の景色を眺める。

あの日も確か今日のような天気だった――。



 今日、詩織にノートの話をする。そう決めて彼女に相談があると書いたメールを送ってから、いつものように勉強をしなかった。彼女から渡された手製プリントを放置するのは、心が痛んだが、とても進む気がしなかったのである。

 その日の放課後。透は待ち合わせの駅に到着すると、そのまま街へ出た。

 余裕を持って早く来たので、空き時間を潰す為に久しぶりに書店に行く事にした。喫茶スペース下にある書店に行っても良かったが、もしそこで詩織に会った場合を考えて、別の書店にする。

 駅の改札を出て少々歩いて、センター街にある五階立ての大型書店に入り、二階にある文庫・文芸コーナーへと向かう。軽く店内を散歩してから、新刊の文庫が平積みされているスペースへ。そこで、知らない内に発売されていた好きな作家の新刊の文庫を一冊購入した。

 レジ袋は必要ない旨を伝えて、書店名が入った紙製のブックカバーだけを掛けてもらい、透は再び駅方面へと戻る。

 パン屋に入りレジで、何度も飲んで定番化しているコーヒーを注文し、細長い階段から喫茶スペースへと上がった。案の定、今日も誰もいない。

 透は指定席と化している、一番奥のイスに腰を下ろした。小脇にずっと抱えたままになっている文庫本の輪ゴムを外す。

 緊張からか、ページを追う透の目は遅かった。確実に一行を読んでいるはずなのに中々、話を頭の中で上映出来ず、何度も一時停止を繰り返してしまっていた。こんなに読書が苦戦したのは、生まれて初めてだった。

 二章目に入り、ようやく話にアクセルがかかってきた時、視界の左奥にある階段を上がって来る足音がした。足音を聞いて、透は自然と顔を上げる。

「お待たせ、透。ちょっと遅くなっちゃったかしら?」

 そこには手にトレイにミックスジュースを載せた詩織の姿があった。

透き通るように肌が白いのも、ストンっと重力に逆らわずに肩まで落ちている黒髪も見る者を引き込む茶色の瞳も全部透の知っている詩織だった。

透が首を横に振ると、詩織は微笑む。耳にしているいつもの白いイヤホンを取り、彼女が向かい側に座った。

「詩織が来るまで、さっき書店で買った文庫本を読んで待ってたから。丁度良い時間だったよ」

「何てタイトルの本?」

「『レモンイエローは夜だけ繋がる』この作家の本、前からファンでさ。書き下ろしの文庫が発売してたから、思わず衝動買いしたんだ」

 透は持っている文庫本に栞を挟み、彼女に渡す。受け取った詩織はページをパラパラと捲った。自分の好みの作家が果たして彼女に受け入れられるのか。

透は詩織の評価を静かに待つ。

「面白そう、文章も綺麗。読み終わったら貸してくれない?」

「ああ、勿論」

 自分の感性が認められたような気がして、透は心が軽くなる。

「それで相談って何なの? 勉強の方は今のところ順調そうに思えるけど?」

 こちらに文庫本を返す詩織。彼女から受け取った文庫本を透は膝の上に置く。文庫本の件で多少緊張が緩和された。だがいざ話すとなると、どうしても口元が渇いてくる。心臓の鼓動が煩く熱い。幸い、今この喫茶スペースには、自分達しか人はいない。絶好の好機である。自分の胸元を軽く二回叩いて調子を整えてから、意を決して口を開いた。

「こんな事今まで誰にも話した経験がないから、上手く説明出来ないんだけど。冗談を言ってる訳ではないんだ。真面目に聞いてほしい」

「うん」

 真剣にそう話す透に詩織もまた、深く頷く。

「俺の頭の中にはノートがある……。いや、あったんだ」

「ノート?」

「そう。普通の、いつも使っているようなノート。そのノートにはいくらでも書き込める。そして一度書き込んだら自分の意思で消さない限り、失われない」

「凄いじゃない。とても便利なノートを持っているのね。でもさっき……」

 最初の説明の時に語尾が過去形になっていた事を疑問に思う詩織。透は彼女の疑問を肯定するように、ゆっくりと頷いた。

「そう、あった。あくまで過去形だ、今はもうない。俺は今まで、そのノートを勉強に使ってた。教科書や板書したノートを書き込めば、テストでは無敵だから」

 自分の秘密を一から丁寧に説明する。真面目に聞いてほしいと言ったのは効果があったのか、彼女はココまで茶化さず、話を聞いてくれている。

「実は、そのノートが一ヶ月程前に全部消えてしまったんだよ」

「じゃあノートに書いた事は、もう透の知識として蓄積されてはいない。だから最近になって、図書室で自習していると?」

「その通り」

「じゃあメールで書いてた、“勉強について、かなり大事な事を沢山忘れてしまって困っている”というのは、本当だったのね」

「変な言い方だったのに、今日まで勉強を教えてくれてありがとう。詩織には心から感謝してる」

 普通なら馬鹿にされていると思われても仕方がない内容だったが、詩織はそれを受け止めて親切に勉強を教えてくれた。それは、彼女から渡される手製プリントのレベルから充分に伝わる。

「白状するとね、初めは少し試していた部分はあったの。勉強のかなり大事な部分を忘れてるからって、流石にそこまで酷くなくて最低限の箇所はちゃんと覚えてるだろうって。だから、最初に私が作ったA4用紙一枚の課題プリントを五日かけて解いてきた時、ああ本当だったんだって確信したの」

「あれは大変だった。教科書とノートを引っ張り出して、何度も見直したりして。約束の期限は一日だったけど、間に合わないから延ばしてもらうメールをしたんだよな」

 当時の詩織とのやり取りを透は思い出して苦笑する。今でも大変な事は変わらないが、最初は特に輪をかけて最悪だったのだ。

「でも、透はちゃんと解いてきた。だから私もこうしてずっと続けてる」

「ありがとう」

 話が一息ついて、二人の間に沈黙が流れた。誰も上がって来る気配のない喫茶スペースには、自分達が使用している以外のテーブルとイスが並んでいる。

 まるで、二人の話の続きを静かに聞く、観客のようだった――。



「えっ? ちょっと急に話を止めないでくださいよ。続き続き」

 急に話を止めた事で虚を突かれた彩子は、右手をパタパタと動かして、透に続きを促す。彼女の瞳は好奇心に満ちていた。当然ながら、その輝きは詩織とは全く別物である。

 透の目の前に置かれたキャラメルマキアートに、もうすっかり温もりはない。キャラメルソースが沈み、中途半端な甘みと苦みが重なっただけとなった。カップの蓋を開けて、口を付けたら、すぐにテーブルに置いた。

 小さなため息を吐き出して、大きくソファに背中を預ける。

「ちょっと休憩。ずっと話してたから口が疲れた」

 実際は、口だけではなく頭も疲れている。久しぶりに話す高校生活が、思ったより頭に負荷をかけていたのだ。この店の暖房は、設定温度を変えていないはずなのに、不快に感じるこの暖かさも余計に負荷を支援する。

「焦らさないでくださいよ~。私、こういうのって続きがずっと気になるんです」

「映画のDVDとか一気に観るタイプだろ? よく疲れないな」

「ふっふっふ。こう見えて実は集中力が凄いんですよ」

 嫌味を軽くトッピングした透の言葉も彩子にはまるで聞いていない。

その得意気な笑顔に押された透は苦笑して立ち上がった。

「ちょっと、カウンターで水貰って来るよ。欲しい?」

「あっ、はい。お願いします」

「了解」

 透は彩子の分の水を取りにカウンターへ向かった。緑のエプロンを着た女性店員から小さな白い紙コップに入った氷入りの水を貰う。

両手に紙コップを持って、透は再びテーブルへと戻って来た。

「はい、お待たせ」

「ありがとうございます。やった、氷入りだ」

「あった方がいいと思って入れてもらった」

 透はソファに座り、紙コップに手を伸ばす。舌の上から喉を通る冷たい水は、頭の冷却にこれ以上ないくらいに最適だった。一気には飲まず半分程取っておいて(お代わりを貰うのは流石に図々しいので、大事に飲む)透は肺に溜まっていた二酸化炭素と酸素を交換する。

「さて、じゃあ続きを話そうか」

「待ってましたっ!」

 飲んでいた紙コップをテーブルの上に置いて、彩子は嬉しそうな顔をする。彼女の紙コップは水が既に空であり、氷だけが残っていた。

 透は中断していた物語を再開する。話す直前、腕時計に視線を落とした。

 相変わらず、長針も短針も足が遅かった――。

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