ナツコ的通訳
大学院生×短大生
私の本分は大学生だけど、彼氏専属の通訳でもある。と云っても、彼も私も日本人だから日本語でOK。では何故、通訳かと申しますと。
彼の言葉は断片的かつ字幕的で、口数が少ない。意思の疎通が難しい。
でも私は彼の言葉のニュアンスが分かるの。言葉の裏に隠された言葉もね。
だからよく、喋る以上に通訳しちゃう。それこそ、戸田奈津子さん的に。
私はお昼になると、同じ構内の遠くの遠くのそのまた向こう、大学院数理科学研究科に程近い学食へ行く。
付属短大食物栄養学科の私がわざわざ行くのは何故って、そこに彼がいるからです。
「吉野君!」
私が学食の入口でぶんぶんと手を振ると、吉野君はすぐに気が付いて手を一振りしてくれた。
それを見て満足して、とことこと早足で近づいてく。ここでお昼は買わない。何故って、腐っても食物栄養学科ですからね。お弁当作りだってお勉強の一環て訳です。
「おはよう! 今日も寒いねー」
吉野君は、「ん」と微かに頭を縦に振る。それはすなわち、そうだね、の意。
「寒いとさぁ、起きらんなくって困るよ」
「ん?」と微かに首を斜めにするのは、そうか?俺はそうでもないけど、の意。
私は朝起きられない苦悩について切々と語りかけながら、お弁当をバッグから出す。二段弁当は自分の、おかずだけのタッパーは吉野君の、果物のタッパーは二人の。
吉野君は痩せの大食いなので、学食のセットだと足りないんだって。
学食はご飯のお替りは自由だから、学食のセットのご飯はおかわりしてもらって、ご飯のお伴のおかずをささやかながら提供させてもらってる。ほんとはちゃんとお弁当を用意したいけど、いつも一緒に食べられるとは限らないし、吉野君が満足する量を毎日作って持ってくるのは大変だからこれで十分だよ、と云った意味を「はるが大変だから、いい」から汲み取りました。あ、ちなみにはるって私のことね。戸田波留子、って名前までニアミスなんです。
「今日はね、出汁巻き卵とたこさんウインナーとほうれん草のわさびソテーだよ。吉野君好きでしょ、ほうれん草」
「ん」
声がいっこ上の音階だ。これは嬉しい時の彼の声色。
「出汁巻きもね、今日はうまく巻けたんだぁ、自信作」
「ん」
蓋開けて覗き込んで、私の顔見て目を細める。これは、ほんとだ、はる、すごいの意。
「どうぞ、めしあがれ」
私が吉野君の前にお弁当を置いても、私がこう云わないと彼は手を付けようとしない。
そんなところがとても好き。
「いただきます」
この日初めての、「ん」以外の言葉。ちゃんと、手を合わせてくれる。
私もそれ見て、にこにこ顔で「いただきます」した。彼と一緒だとね、ご飯が三割増しでおいしいんだぁ。愛の力ってすごいよね。
もぐもぐと食べ始めると、彼は一つだけ残していた学食のおかず――今日はフライ定食だったらしい――をお箸でひょいとつまんで、私のお弁当の蓋の上に置いた。そして。
「はる」
食べな、って意。
「え、いいの?」
「ん」
もちろん、の意。
「わぁ、メンチカツだ! ありがとう、吉野君」
「ん」
どういたしましての意のこの「ん」は、ちょっと照れてるみたい。
かわいい人。
かわいい吉野君。
大好きだよ。
「――やってらんねえ」
吉野君の隣から、地を這うような低い声が響いてきた。もちろん吉野君じゃない。
「どうしたんですか、谷原さん」
吉野君と同じ研究室の彼は、吉野君と仲良しさんだから、こうしてお昼が一緒になることもよくある。ちなみに、私と吉野君は年の差が四つほどあるのだけど、「君で、いい」という一言で『吉野君』呼びになった。
谷原さんは、吉野君に噛みつくように云う。
「何でこの『ん』しか云わないお前がこんなイイ子捕まえて、俺は独り身なんだよ! 可笑しいだろこんなの!」
「んー?」
対して吉野君は余裕の表情だ。微笑みながら私の作ったおかずに手を付ける。
吉野君に噛みついても無駄だと悟った谷原さんは、ターゲットを即座に私へと変えてくる。
「はるちゃんもさぁ、こんなんでイイ訳?」
「谷原」
吉野君が、不愉快を隠さずに呼ぶ。――それは。
「わーかったよ、お前の彼女を勝手に馴れ馴れしく呼んで悪かった」
「ん」
満足そうなそれを聞いて、思わず赤面しちゃう。
「……あー、答えをもらったも同然だねこりゃ」
やってらんねえ、と二度目。
吉野君はおかわりご飯と私のおかずとをもりもりと食べて、あっという間にどちらも空にした。
「ごちそうさまでした」
私、まだ半分も食べてないんだけどね。元々食べるの遅いし。
彼はお茶を飲んで、私が食べ終えるのを待って、そしてようやく果物のタッパーの蓋を開ける。先に食べてくれていいのに。これも、じんわり嬉しいポイントの一つ。
「ん?」
「あ、そうなの、それね、リンゴの赤ワイン煮。ちゃんとワイン煮切ってあるから大丈夫だよ」
「ん」
吉野君はお酒に弱い人じゃないけど、こういうことはちゃんとしている人なんです。
「どうかな?」
「うん」
んまい、の意。
「……谷原さんも、どうぞ」
「だめ」
吉野君の隣からの羨ましそうな目線に根負けしておすすめしてみたら、吉野君に拒否されました。
「戸田ちゃん、いいよ、気持ちだけで。君の心の狭い彼氏が『俺の彼女の手作りなんか、誰が人にやるか!』って云ってるし」
呆れた様に云われて、二人して赤くなった。
そろそろ食物栄養学科のある棟に戻らないと、とお片づけをしていたら、「はる」と呼ばれる。
「なあに?」
嬉しくて満面の笑みで答えれば、「今日、暇?」と問われた。おお、単語が二つもと感心しつつ、「うん!」と良い子のお返事をすると、この日一番満足げな「ん。」を残して、吉野君はさっさと返却コーナーにトレイを持って行ってしまった。
「通訳の戸田さーん、今のはー?」
谷原さんが頬杖をずるずると崩してこめかみ杖状態で、私に問うた。
「あれはね、『今日、それならうちにおいで、待ってるよ』ってことです」
それを聞いた谷原さんは完全に手のひらから顎を落として、「……やってらんねえ……」と呻いた。それを、戻ってきた吉野君が「ん?」と訝しげに見ている。
「私たちがラブラブだから、やってらんないってさ」
「ん、」
そっか、の意。そして、左手に巻いてある武骨な腕時計を指差して「はる」。
「あ、いけない、私行くね! じゃあまた、谷原さん。夕方行くね、吉野君!」
「ん」「ばいばーい」と二つの声に送られて、私は食物栄養学科へと走った。
何でそんなに分かるのさ、と、谷原さんを始め色んな人に云われたことがある。それには「……ダイスキだから?」と真顔で返すのだけど、「ハイハイリア充乙」みたいな反応されちゃうんだよね。
私も不思議だし、吉野君も目を丸くすることがたびたびある。
なんでだろね?波長が合うってこういうことかな。
最初っから分かったの。吉野君の「ん」。
構内で、私はこの日のコマを終えて校門に向かって歩いてた。そしたら、突然後ろからポンポンと肩を叩かれて、振り向いたら知らない男の子が、私に向かって「これ」と私の携帯を差し出していた。
「え? 私の? なんで? あ、ないっ!」
バッグを漁ってもその中にある筈の携帯はなくって、男の子が差し出すそれが自分のだと分かった。
「あなたが拾ってくれました?」
「うん」
そうだけど、とでも云うような、すこし戸惑ったような声。人見知りっぽいなあって思った。
「わ、ありがとうございます!」
「ん、」
別にそんな、って聞こえた。
「あのっ!」
そのまま、じゃあって踵を返してしまいそうなその人を、声でその場に留めた。
「ん?」
「あの、お、お茶とか、どうですか? お礼に、って、お礼にならないかなこんなの……」
何だかもっと一緒にいたくて、お礼もしたくて、どうしたらいいか考えたらお茶するになった。でもテンパっちゃって、頭ぐるぐる。
「ん」
彼がいいよと頷いてくれて、胸が高鳴った。
学校からすぐの喫茶店でお茶した。
会話の九割九分は私が、残りは吉野君が――そのうち「ん」が九割、「いや」とか「あの」とかが一割――喋った。
あ、この人だ、って思ったの。直感、バカにならない。
他人が聞いてたらとても会話が成立してるようには聞こえないそれで二時間盛り上がって、私から「つきあってください!」と申し込んだ。返事は、「――うん」。
目は口ほどに物を言うってほんとだ。その時、吉野君、とっても嬉しそうに笑ったの。だから。
おしゃべりなんかなくったって、私たちは平気。そう思ってたのに。
予定していた講義が、教授の都合で急遽休講になった。きゅうきょきゅうこうって早口言葉みたい。
そのコマの後はお昼だったから、早めに数理科学研究科の方の学食に行ってようと思った。それで、出来心で研究室まで足を延ばして、吉野君の様子を扉越しにそっと覗いてみた。そしたら。
ひどいよ。
――吉野君、普通におしゃべりしてた。「ん」とか、主に一言の会話なんかじゃない、その口の動き。
もしそこが開いてて中の会話が聞こえたとしても、きっと何について話してるかなんて私には分からない。数理科学研究科ってとこが何してるのかも知らなくて、吉野君に聞いても「……複雑」(訳:ちょっと一言で云い現わしにくい)で終わっちゃって、結局その時も横にいた谷原さんが「俺らの研究室は立体を数値化するって研究してるとこなんだ」って云ってくれたんだけど結局よく分からないし。
研究だから。ひとりでするのと違うから。分かってるよ、分かってますよ。でもさあ。
そんな風に、笑うんだ。そんな風に話すんだ。
扉の、縦に細いガラス部分の向こうに見える吉野君は、まるで違う人だ――そうか。
ふっと、答えが降りてきた。
私の前で見せる態度が、イレギュラーだったんだ。興味、ないからそっけないんだ。
今まで積み上げてきた、愛の力だと思ってた何か、言葉の裏を分かってたと思っていた何か、そんなのが全部ガラガラと崩れた。
そう云えば、好きって云われてないや、私はよく云うけど。そっか……そっかぁ。
気が付いちゃったらもう、そこにいられなかった。離れ際に吉野君がふっとこっちを見た気がするけど、どうかな。それも私のカンチガイかな。
それが私と吉野君の最後になるかもって思ったら、泣き顔はどうしても見せたくなくて、でもカンペキな笑顔見せられる程イイ女でもなくって、結局泣き笑いみたいな顔になって扉前からスッと後ろに下がってそれで、走って逃げた。
恥ずかしい。
恥ずかしい、恥ずかしい。
恋だと思ってた。両想いだと思ってた。
これは何? 私の作り上げた幻想? 都合のいい拡大解釈?
その日から、私は数理科学研究科の最寄りの学食に通うのをやめた。二段弁当以外のタッパーもお役御免になった。
押しかけ通訳、終了。押しかけ彼女も終了。全部、ぜぇーんぶおしまいっ。
メールが一通だけ、来た。はじめてじゃない? 吉野君から送って来るの。こんなんなってもまだ心は「吉野君からの初発信メール」って喜んでるの。――ばかみたい。
読まないまま捨てることは出来なくて、ぽち、とボタンを押した。
タイトルが「どうした?」で、中身が「はる、具合悪い?」だった。メールまで簡潔なんだね、知ってたけど。いっぱい喋るって分かったのにやっぱり来るのがコレって、笑うところ? ……返事しないと駄目かなぁ。今返事するとしたら「さよなら」がふさわしいかもだけど、自分からは終わらせる勇気なんかないよ。好きなんだもん。好きな人の為に身を引くとかそんな尊い精神、持ってないもん私。
だから、やっぱり逃げた。お返事しなかった。
ひとりで学食で手持ちのお弁当を広げる気にならなくって、外のベンチで食べるようにしてた。幸い、ずっと雨は降らなかったから。
なんでだろね、やっぱり一人で食べるのは味気ない――今日のカリカリ梅とじゃことごまのおにぎりも、マッシュしたさつまいもに白ごままぶして揚げた奴も、レンコンのきんぴらも、ちゃんと美味しく作れたはずなのに。
「ごちそうさまでした」
半分くらい残して、蓋を閉めた。
それから、実習のレポートをまとめようと思ってバッグをごそごそやってたら。
「――戸田ちゃーん、やっと発見ー」
苦笑した谷原さんが、私の前に立ってた。
今の私には鬼門のうちの一人だ。顔がこわばるのが分かる。
「なんですか」
「なんですかって、……ねえどうしたの戸田ちゃん」
「べつに」
吉野君みたいそっけない返事。荷物をバッグに突っこんで立ち上がった。
「戸田ちゃん、あいつ、なんかしたの君に」
「――なにも」
何もなかった。
気のない彼に、私が付きまとってただけ。
「もう、吉野君に付きまとわないから安心してって伝えて下さい。――それじゃ」
「え、なにそれちょっと、戸田ちゃん!」
戸惑う谷原さんをそこに残して、ロッカールームのある棟に向かう。
付属の短大の食物栄養学科は女子しかいないから、谷原さんもここまではこれないと思ってそうした。
ロッカーに入ってる白衣を持ち帰ろうとキィをバッグから出したら。
しゃらん。
きのこのモチーフのついたキィホルダーが、音を立てて落ちた。
拾う手が、震える。
――いいと思って。
どこで買ったとか気に入るといいけどとかすっとばしで、ただ一言とそれをくれた。
その時の嬉しい気持ちを思い出して、ロッカーの前でしゃがんで泣いた。
私に似合うと思って、だと受け止めたそれが本当はどんな意味だったのか、今はもう分からない。
泣くのはおうちに限る、お外は駄目、絶対。
頭は痛いし鼻は詰まるし、目は赤いしまぶたは腫れぼったいし。
色恋沙汰で単位落とすなんて嫌だから、ちゃんと最後まで講義を受けた。講義内容はちっとも身に付かなかった気がするし、友達には心配されたけど。
五限まで受けると、帰る頃外は真っ暗。泣き顔バレなくて丁度いいや。
今日は何作ろうかなぁ。かぼちゃあるからかぼちゃの煮つけにしようかな。ハムと一緒にグラタンにするのもいいよね。
ああでもそれは私の好物じゃないやと思い出して、うっかりまた泣きそうになる。潤んだ目に、ロータリーのヒマラヤ杉に飾られた白と青のLEDが奇麗に滲む。もうすぐクリスマスだ。
「――かぼちゃとハムの、グラタン。ほうれん草のわさびソテー。アスパラとじゃがいものソテー」
唄うように、諳んじてみる。
豆腐のドライカレー。ブロッコリーと鶏炒め。ザワークラウト。秋刀魚のから揚げ。サバ缶のサバとさらし玉ねぎのサンドイッチ。お豆腐の味噌漬け。
全部、吉野君がおいしいって――云ってないけど、食べてくれたレパートリー。当分作る気になれないや。
とぼとぼと下を向いて歩いた。涙が零れてもいいように。
ぼんやりとした視界の中に、何だか見覚えのあるような靴らしきが映り込んできた。やんなっちゃうなぁ、吉野君がここにいるみたいじゃない。いる訳ないのに。
ぐいと涙を乱暴に拭いて、大きく横に避けて一歩踏み出した。その靴らしきが目に入らないように。
「はる」
聞こえない。
「はる」
何も聞こえない。
「はる、別れたくない」
こんな時だけちゃんと云うなんて、卑怯だ。
二人で最初に訪れた喫茶店に行った。
「話がしたい」だなんて、どういう風の吹き回し? さっきのも、何? 聞きたいけど怖くて聞けない。
オーダーが済んだらもうすることがなくて、――一生懸命話す気にもなれなくて、話したいならどうぞ、ってな気持ちで座ってた。
店内にひっそりとクリスマスソングのオルゴールアレンジが流れてる。それを聞くでもなしに聞いていた。
二曲聞いたところでオーダーしたココアが来た。
それからまた一曲聞いたところで、「――ごめん」て謝られた。何が? って目で見たら、「はるに、甘えすぎてた。はるをちゃんと大事にしろって、谷原に怒られた」と何と文章二つ分もしゃべる吉野君。怒られたせいかしゅんとしている。
「俺、親しい人に程、喋らなくなる」
――そうだったのか。あ、そう云えば、谷原さんにも「ん」だったっけ。ってことは。
もしかして、私、逆の方にカンチガイしてた……?
だとしてもまだ素直になんかなれない。だって、カンチガイだったとしても疑心の種は確かにあって、すくすくと芽を出してしまったから。――それだけ、本当は不安だったんだから。
おしゃべりさんじゃなくっていいと思う。でも、私の心に吉野君の言葉は足りていなかった。今、言葉をもらって、すごくすごく嬉しいと思ってる。
「はるは、それでも分かってくれたから、甘えた。云わなくても分かってもらえてても、気持ちを伝えることは必要だって、谷原に怒鳴られた」
「谷原さんが?」
あの、いつもへらへ……にこにこしている、彼が。
「はるに会えなくて、寂しかった」
ぽつりと告げるその姿は、小さい子供みたいだった。頬のラインは、少し鋭くなってるみたい。すっと指で輪郭を辿る。
「――やせた?」
「うん」
「私に会えないから?」
「うん。このまま、駄目になったらって思ったら、食欲失くした」
「私と同じだ」
苦笑したら、吉野君の頬に当ててた手を取られた。
「はる、いつもありがとう。俺の足りない言葉を分かってくれて、ありがとう。おかずも、毎日ありがとう。――はるが、好きだ」
「うん」
もう涙なんか枯れたはずだったのに。
「私だけなのかと、思ったよ」
「ごめん――はる、泣かないで」
「駄目、止まんない」
「どうしよう」
おろおろと、私の頭を撫でたり、大判のハンカチでそっと涙を拭いたり。
アレコレされたら余計に泣けちゃうって分かんないのかな。
可笑しくて、でも涙は止まらなくて、いつの間にか笑い泣きしてた。
ココアがすっかり冷めた頃、せっかくだからこっちからも伝えてみた。
「いつもは無口でいいから、たまには、好きって云って」
「ごめん、云う」
「時々でいいから、かわいいって云って」
「絶対云う」
それなら、大丈夫。
ガラガラ崩れた全部が、ちゃんとほら、もとどおり。
「吉野君、私もごめんね」
元はと云えば私がカンチガイしてこうなったのに、まだ謝ってなかったね。
それにはいつものように「ん」ってお返事してくれた。それは、大丈夫だから、気にしないでって聞こえたよ。カンチガイじゃ、ない。
そんなことがあってから、また私の数理科学研究科最寄りの学食通いが復活した。
「吉野君!」
近寄れば、頭をくしゃりと撫でられる。
「今日はね、煮込みハンバーグと、マッシュポテトと、小松菜のお浸し。ハンバーグ好きでしょ?」
「ん」
声が二つばかり高くなる。相当嬉しいらしい。
「めしあがれ」
「いただきます」
嬉しい習慣はそのままで、
「――ん、はる、おいしい」
「ほんと?嬉しいなぁ」
吉野君の『伝える』為の言葉数は飛躍的に増えた。
「ハンバーグ、もうひとついかが?」
「ん」
でも、私の好きな、「ん」も、そのまま。
言葉を話される以上に読み取るのも、言葉でちゃんと伝えられるのも両方好き。
これならもう、不安になることもないね。
「はる、今日暇?」
「うん」
その畳まれた『お誘い』に返事をすれば、にっこり笑って、頬を撫でて。
「大好きだよ、俺の、かわいいはる」
そんな風に云ってくれるようになった。
それをよく目撃する谷原さんにはやっぱり、やってらんねえって云われちゃうけどね。
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14/03/19 誤字修正しました。