Fighter!
会社員×会社員
あーもーやってられーん。
私は今、会社の忘年会で、
サンタ帽がついた、プロレス風マスクを被らされている。
「本多ちゃん、チョー似合う!」
「あはは、そうですか?」
こんなん似合うって云われて誰が喜ぶよ、と思いつつも私を囲んでいる先輩方に噛みつく訳にもいかず、バカみたいにひたすらへらへら笑ってた。
「ねーねー写真撮ろうよ!」
そう云って、さっきチョー似合うと云ってきた先輩が私の返事を待たずに肩を組んできた。いいけどね、もうどうでも……。
両手でピースした。顔を寄せる先輩からいい匂いがするから、女同士なのにどきどきしちゃう。ノリノリのふりで、リクエストされるがまま、たくさんポーズもキメた。四月に会社に入った新人だから、セクハラ働かれる以外は何云われてもやりますよー。
幹事はさすがに慣れてる他の先輩がやってくれたけど、ペーペーの自分が大人しく座って飲んでいられる訳もなく、空いたお皿を片付けたり、汚れた取り皿をきれいなのに変えてもらったり、ドリンクの追加オーダーを聞いて店員さんに注文したり、お酌ツアーしたり。
まあ全部マスクしたままですけど。
「お、せっかくの美人がマスクで台無しだねえ」
「あは、ありがとうございます」
今日来てる中で一番偉い課長にお酌しているとそう云ってくれて、心が和んだ。
明日はお茶当番だから、心を込めて淹れますね。って課長一人に淹れる訳じゃないけど。
「本多ちゃんマスク蒸れるでしょ、もう取りなよ」
「……あー、これなんですけど」
隣の部署の頼れるお姉さまな先輩が、今日も助け舟を出してくれている。だがしかし脱げない事情があるのだ。何と答えたらよいかと悩んでいたら、後ろからがしっとマスク越しに頭をわしづかみにされた。
「だーめ、今日はコイツにこれ被っとけって俺が命令したの」
「……なんであんたが」
「今日コイツに渡された書類ミスってたから」
なーって頭を掴まれたまま、無理やり風にうんうんと頷かされた。ほんとはそんなに無理矢理でもないけど、銀縁眼鏡の無表情の西山さんが私にしている図はとてもジャイアンとのび太チックに見えていることだろう。
お姉さまな先輩は呆れた様に西山さんを見る。
「……いいけどさあ、本多ちゃんをあんまいじめないでよ、西山。本多ちゃんも嫌なら嫌っていいなよ?」
「はい、ありがとうございます」
こくりと頷けば、お姉さまは「そんなん被ってても可愛いなこの子は」と、苦笑した。お世辞でも、嬉しい言葉だ。
私は営業の西山さんと組んで営業事務をしている。
この時期だから忙しいと云うのも勿論あるんだけど、西山さんからおりてくる指示は絨毯爆撃の様で、ひとときに集中砲火を浴びる羽目になる。巨大生物もしくは爆撃機の猛攻に私と云う名の小さな町はひとたまりもない。仕事を上がる頃には真っ白に燃え尽きるほどだ。
私はこうして誰かの下について事務の仕事をするのは新卒だしもちろん初めてだからそういうものかと思っていたのだけど、どうも他の営業さんのやり方はそこまでボリュームがあるわけではないらしい。
春の異動で、西山さんと長く組んでいた人は他の部署に移ることになり、次に組むはずだった人はおめでたが発覚した為に激務が予想される西山さんとのペアの話はなくなって、本来ならあり得ないけど新人の私が付くこととなった、と聞いた。
私に仕事を引き継ぎつつ指導してくれた前任者さんは、苦笑しながら教えてくれた。
「大変だけど、スキルは身に着くし西山さんは意地悪な人じゃないから、頑張って」
お手製のマニュアルと、分からなかったら質問は内線か社内メールで遠慮なく、と有難い一言をくれた。
確かにね、大変は大変。
いっぺんに並行していくつもの仕事が同時にどんと早口で言い渡される上に、優先順位もほぼ同列で。
ごっちゃにならないよう、メモも付箋もかかせない。でも、教えてもらった通り西山さんはただ爆撃するだけじゃないから。
「こないだのデータ、判り易くてよかった」って、銀縁眼鏡のその人の表情はひどく素っ気ないくせに、案外優しい声で自販機で缶の紅茶を買って渡してくれたり、「同じ間違いをしなけりゃいい、しちゃったもんはしょうがないから」と、適切な指導と云う名のお叱りを受けた後はミスを必要以上に咎めることもない。
そもそも他の人より突出して仕事量が多いから爆撃になってる訳で、私に電話口でがーっと指示を出してハイ終わりではなく、西山さんは西山さんで、高確率で残業も朝残業もしている。それでいて、いつもイヤミなく身綺麗で、どうやら取引先では笑顔も見せるらしいので外面もバッチリだ。
そんな西山さんに食らいついて、いつか余裕で仕事をこなしたる! って云うのが今の私の目標だ。ちなみに、達成度はどうかと云うと、教習所の教えじゃないけど『目標は遠く、視野は広く……』てな具合で、まだまだ、まだ。
でも最近はちょっといい感じなんじゃない? って思って油断しちゃったのかな。
仕事を始めてすぐの頃のようにミスってしまって、久しぶりにがっつりと西山さんに叱られた。ひとしきり叱られた後、「本当に、すみませんでした」と頭を下げれば、「もういい」と西山さんはまだ眉がギュッて寄ってる顔で云う。
「でも」と云いかけて、『でも』は西山さん嫌いだった、と思い出して冷や汗をかいていたら。
「今日の忘年会でこれ被っとけ。それで、許す」
そう云って軽くて薄い何かの入った袋を押し付けられた。思わず受け取ってしまうとその人はあっという間にいなくなってしまった。
何かな。
中身を覗いて、絶句した。
何で被るの。てか何でこんなん持ってんの。自分で被ろうとして? 似合わねー!
サンタ帽がついた、プロレス風マスク。ご丁寧に、白地に穴の開いている部分は赤の縁取り。
これを、罰として被れと。黒のツインニットにピンクベージュのペプラムスカートのワタクシに。
いや、被るよ、被りますよミスしたの私だし。でも。
「意味わかんない……」
思わず会社の廊下なのに呟いてしまった。
お店のお姉さんからゆずハチサワー四つと中ジョッキ五つと焼酎の梅入りお湯割り二つをお座敷の上がり口で受け取っていたら、自分たちのいるテーブルの方からひときわ大きな歓声が聞こえてきた。ぱちぱちぱち、と云う拍手に、誰か指笛でも吹いたのかな? ピュ――ィッ! と云う音。
何かノリが大学生みたい。苦笑していたら、拍手をされていた二人が立って並んで、恥ずかしそうに、でも嬉しそうに結婚しますと宣言し、お辞儀をしていた。
それを見て、思わずマスクの下で微笑む。
いいなあ。
両思い、いいなあ。ご結婚、いいなあ。
ほんとは少しだけ、新郎になる人のことが好きだった。でも、どっぷり恋になる前に、横にいる彼女がいることを知ったからちゃんとアコガレで終わらせられた。
そう思ってるけど、たまに気持ちの高波がやって来るのも事実。
今日、マスクしてなかったら顔でばれてたかなあ。それとも、ばれないように必死で演技してたかなあ。そう思うと、しみじみとマスクがありがたく思えた。注文に来るお姉さんにも、トイレでかちあった人にもいちいち笑われるけどね。
飲み物を配り終えて自分もゆずハチを飲みながら、一つ思い付いたことがある。
――もしかして。
私は、目の前でつまらなそうに焼酎を飲んでいる西山さんを見る。
私の気持ちを知ってた? でもって、今日結婚を発表するって聞いてた……?
西山さんとアコガレの人は同期だから、事前に聞いていても不思議じゃない。でもなんて云おう。聞けないよそんなの。そう思いながらトイレに立って、また行きも帰りも知らない人たちに指を差されて笑われた。
よそのテーブルの酔客に「何だねーちゃんプロレスラーか?」と手を掴まれて絡まれていたら西山さんがふらりとやってきて酔客の手に手刀を落とした。離された私の手を取って、「こっち」とずいずい歩いていく。
そのまま、店を出てしまった。
お店の外の空気吸って戻るのかと思ってたらそうじゃなく、西山さんの手には私のコートとバッグがあった。ちなみに、ご自分はもうコートを着て、私のセットを持ってる側で自身のバッグを小脇に抱えている。
手を離してもらってもいいですかって云っていいものかと悩んでいたら向こうからぱっと離された。
「あの……?」
「もうおまえは十分働いたから褒美をくれてやる。マスクも取っていいぞ」
「あ、はい」
よかった。道行く人々の二度見がちょっと辛くなってきた頃だ。
案の定、マスクの下は汗を掻いていた。うわ、髪の毛もぺったんこ! とか一人であわあわしていると、「早く着ろ、行くぞ」とコートを手渡された。
もそもそと道端で着込んで「西山さん、どこに行くんですか?」と尋ねたら「すぐ着く」と歩き出しながらの返事が来る。
その言葉のとおり、それから程なく駅直結型のテナントビルに到着し、そのまま三階のカフェへと連れて行かれた。
西山さんはさっさとガラス張りの外が見えるカウンター席に座り、お水を持ってきてくれたウェイトレスさんに「チョコレートサンデー二つ」と頼んだ。選択権ナシかーい。
「……よく来るんですか、ここ」
西山さんの足は迷いなくここを目指してきた。しかも、注文だってメニューなんか見ないでしてた。
「ああ」
まさかの即答。
「……えっと、お一人でとかじゃないですよ、ね?」
「一人で来ちゃ、悪いか?」
悪いよアンタスイーツ大好き男子には見えないもん! 短髪の銀縁眼鏡の甘い顔立ちじゃない三〇男がひとりで来てサンデー食べるとか何ソレ? 周囲の人に対するテロ行為だって!
――とは勿論云えず、「イイエ」と云うに留めた。そうこうしているうちに、サンデーがやって来る。
「食え、褒美だ。忘年会で本多、頑張ったろ?」
「……下っ端ですから」
「そっちもだけど、それだけじゃなく。……大丈夫、俺以外気付いてない、誰も」
ああ、やっぱり分かってたんだ。それであのマスク。――何か他にもあるだろうアレじゃなく。とは思うけど西山さんの不器用な気遣いがありがたくて、サンデーに涙が一粒こぼれてしまった。
「しょっぱくなるぞ」
呆れた様に云って、横並びに座った間にハンカチとポケットティッシュを差し出された。
「溶ける前に、食えよ」
そう云って、自分は前に向き直ってさっさと食べ始めてしまう。
私もティッシュを一枚だけ戴いて、目元を押さえてから食べ始める。
もう泣かない。今のは、悲しくて泣いたんじゃない。
「どうだ、旨いだろ」
「はい、ピノみたいな味ですね」
「……おまえは食わせ甲斐のない奴だな」
「冗談ですよ。おいしいです、バニラは牛乳の味濃ゆくって、チョコレートソースも大人味で」
「だろ?」
赤い目を分かっていて敢えてのスルーで、「大丈夫か」とか「早く忘れろよ」だなんて一言も云わないでくれて、よかった。
この恩は明日からも繰り広げられる絨毯爆撃に応戦することでお返ししようじゃないか。巨大生物でも爆撃機でもどんと来いだ。
もし、なんて無意味だけど。西山さんが気付いていなくて、こうして連れ出してもらえてなかったら。
おめでとうございますって思いつつもちょっとだけ泣きたいような気持ちになりながらにこにこお酌して回って、わざわざ二人のところに突撃しに行ってなれ初めなんか聞き出して、またちょっと傷付くんだ。
それで二次会にも行きまーす! って手を上げて、ハイテンションのふりをして、一人で週末ヒロインなアイドルの歌を歌って、踊って。
終電で家に帰って、少し泣いて、また明日から普通に働いて。――うわあ。
恋未満でも、これはキッツイわ。
そうじゃなくてよかった。しみじみとサンデーの味を噛み締めた。
「食い終ったか」
お行儀悪く、サンデーの入れ物の底に溜まっているソースをしつこくスプーンで掬い尽くし終えたところでそう声を掛けられた。
「はい」と満足して云えば、「んじゃ、行くか」と伝票を持ってすたすたと先に行かれる。慌ててコートを着込んで小走りで追いついた。
お会計が終わるのを少し離れたところでボーっと待っていたら「待たせたな、帰るぞ」とエレベーターのボタンを押しに行く西山さん。
「ごちそうさまでした」
席で云うべきだったのにと思いつつお礼を云えば、「……ん、」とそっけない返事と、「これ」と、目の前に透明な袋にラッピングされたお菓子を付き出された。
「これもうまいから、家で食え」
レジ横に置いてあったクッキーだ。きゅっと口を縛るリボンは赤と緑でクリスマス風味。
「え、でも、西山さんの分は」
「俺は、今日はいい」
「今日はってことは、やっぱり甘いものお好きなんですね……」
に、似合わねー。しかも『これもうまい』ってすでに実食済みですか、そうですよね。
会社ではコーヒーをブラックで飲んでいるから気付かなかった。でも、誰かのお土産のおまんじゅうとかも普通に食べてたなそう云えば。
「……笑いたきゃ、笑えよ」
ちょっと拗ねたように云う、その仕草さえ似会わないっつうの。
「こんど、会社にパウンドケーキ作って持っていきましょうか?」
笑いを堪えながら申し出ると、「……うん」とやっぱり似合わない、男の子みたいなお返事が来た。
「プレーンとバナナとコーヒーとココアとクランベリー、どれがいいですか」
「選べるか! ……とりあえず、プレーン頼む」
選んでんじゃん。おっかしいの。
「分かりました、楽しみに待っててくださいね」
「ああ」
泣いてたかもしれない夜は、思いもかけない西山さんの優しさと意外な一面で、ほんのりあったかい気持ちで眠ることが出来た。
翌々日、焼いてから一晩置いてしっとりしたパウンドケーキを型一本分持って行ったら、西山さんは銀縁眼鏡の中で目がキラッキラしてた。似合わねー!
もう一本焼いてたのを始業前に皆にも配って、朝から大試食大会。アコガレてた先輩も、先輩の彼女さんも喜んでくれて、彼女さんには今度レシピを教えることになった。
西山さんは難しい顔をして無口でその一切れをもりもり食べ進めた後、ブラックのコーヒーをくーっと飲んで一言、「……ヤバいなコレ」と全然ヤバく聞こえない口調で仰った。
「え? 焦げてました?」
味は作り慣れてるのでそれほどヘンテコではないと自負しているのだけど。
「ちがう、旨すぎてヤバい。帰ってから食うとかそこまで待てないかも知れない、俺にってもらった方、丸かじりしたい」
真面目な顔して何云っちゃってんの。
「……またすぐ作ってきますから」
私が笑いを堪えて云えば、また小学生の男の子みたいに「うん」ってお返事が来た。
似合わねー。
それから、「バナナ、旨かった」「次、ココア宜しく」等々、リップサービスではない感想とリクエストを戴いては応じていた。
マスクを被らされた理由が実はもう一つあったことについては、その後随分経ってから明かされた。
教えてもらったのは、翌年の四月に西山さんが本社勤務になって、必然的にコンビも解消になって、パウンドケーキを受け渡す目的で連絡を取り合って、そのお礼にとご飯を誘われ食べに行くようになって、何でかお付き合いするようになって、その後だ。長いな!
「だって、あの日おまええらいかわいかったから、顔くらい誰にも見せたくなかったんだよ」と独占欲の発露だったことを知る。
ベッドの上で拗ねるその人を、もう似合わねーとは笑わない。そのかわり。
向こうを向いてしまった横顔に、「大好き」とキスをした。
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13/12/08 誤字修正しました。
13/12/29 誤字修正しました。
20/08/14 一部訂正しました。