ヨシダルート(☆)
「ゆるり秋宵」内の「逃げ出す小鳥」に関連していますが、未読でもお楽しみいただけると思います(「ヨシダルート」のメインの人は出ていません)。
大学に入ってから、サークルとかバイトとか、そういう接点があんまない女子から声を掛けられるようになった。理由は多分、親友の不二だ。
不二は、俺と同じ大学に通い、同じバンドでギターを担当している絵に描いたようなイケメン。俺とかボーカルとか『チーム引っ込み思案』の代わりに、ライブではMCを務めたり、打ち上げでも積極的に盛り上げたりする。
明るくて熱くて気が良くてギターと音楽を愛していて、本人曰く『日本とスペインと香港とアルゼンチンの血が入ってる』という、世界を股に掛けたルーツによる、神様が各国のいいとこ取りをしたような風貌。なのに鼻持ちならないようなところもない。そんな、愛され要素満載な男を好きになる人の気持ちはよく分かる。俺も不二のことが大好きだし。
あいつに突進していく女の子は数多くいるものの、本人の目が肥えているのか好みがうるさいのか、どうやら不二は難攻不落らしく、今のところ誰とも付き合っていない(ように見える)。
そんな中、女子達が次の攻略ポイントとして目を付けるのが俺だ。理由は単純、大学で比較的一緒にいることが多いから(他の奴は彼女といたり、ソロ活動が好きだったりで、バンド以外の場でつるむことはあまりない)。
本丸からではなくまずは外堀から埋めてくるという、その戦略自体はとても目の付け所がいいものだとは思うし、自分にはないガッツに溢れている女子達を、俺は嫌いじゃない(不二がどう思っているかは分からないけど)。
ただ中高と男子校育ちの俺は、女の子とコミュニケーションを取ったりおしゃべりをするのが壊滅的に下手なのだ。とても申し訳ないのだけど、ガツガツと最短ルートで距離を詰めて来られると、固まってどもって逃げてしまう。お役に立てなくてすまない……。どうか俺を頼らず、各々の力で頑張ってくれ。
そんな具合なので、だいたい不二を好きな人たちは、俺に一度二度接触を試みるものの、そのあとは、すーっと離れていくのが常だ。
なのに、一人だけ。
「おはよう、大橋君」
「あ、おはよ」
「今日も寒いねー」
「あ、うん寒いね、今年の最低気温更新したって今朝」
「わーまじかー」
吉田さんだけが、ずっと続けて自分と交流してくれている。
俺の、やや早口小声を吉田さんは引いたり笑ったりしない。それだけでも俺の中では抜きん出てポイントが高い。
それどころか、女子慣れしていない俺に配慮してくれているのか、最初は『おはよう』だけ、翌週には『おはよう』プラス時候の挨拶、さらにもう少し時をおいてからプラス雑談と、野生動物との交流を試みているかのように、少しずつゆっくり近づいてくれる。この気配りっぷりに、さらにポイント倍。俺の中では、不二の彼女候補ランキングの中でぶっちぎりのトップを何週も爆走し続けている。
話す言葉はいつもさりげなくこちらにも気を配ってくれていて、不二の動向を探るより先に『大橋君、今日は何をするの?』と聞いてくれるので、こちらも『今日はこれからバイト』だとか、『スタジオでバンドの練習』とか答えやすい。
『そっか、がんばってね』
返される言葉はいつも大体同じだけど、暖かいひよこを手に渡されるように、ちゃんと心がこもっているって分かる。
――だから、コミュ障の自分に最大限出来うる範囲で、協力したいと思っているんだ。
「あ、吉田さん、この間のライブの写真いる?」とかってね(早口小声だけど)。
俺から話を振ると、吉田さんはぱっと電気を付けたみたいに笑って「うん! いま見せて!」と並んで歩いている隣からぐっと身を寄せてきた。近い近い近い。
「こ、これ」と若干おののきながらカメラロールを見せる。ライブ中に撮ってもらった、不二のギターソロの時の写真、ボーカルをいじりつつMCをしている時の写真、曲と曲の合間に水を飲んでいる写真、おすすめの不二フォトはいろいろあるのに、彼女は「これ、もらっていい?」と、メンバー全員でうつった写真を選んだ。うん、慎重派。
「大橋君て、いったい何をいくつ掛け持ちしてるの?」
いつものように『本日のタスク』について問われるたび、『バイト』『バンド』以外にも『美術館のボランティアスタッフ』『ピアノのレッスン』『バレーボールのサークル』『将棋クラブ』などと答えていたら、とうとう呆れるように聞かれてしまった。
「え、でも多分もうこれ以上はないよ」
「てか、なんでそんなにいろいろ並行してやってるわけ?」
「んー、どれも面白いし、極めた感が全然まだないので……」と答えたら「凝り性だ」と笑われて、心のどこかをくすぐられたようにこそばゆくなった。
「そんなに忙しくしてたら、女の子と遊ぶ暇ないね」
「そもそも、遊んでくれる女の子がいないし、もてないから俺」
「ふーん。皆見る目ないんだ」
「それはどうかな……」
困ってしまってごまかすように笑うと、「じゃあ私が遊んであげるよ」と言われた。
「いやいや、そういうわけには」
「どういうわけよ」
だって君には、不二がいるじゃないか。
そう言おうとして、喉でつまったみたいになって言えなくなってしまった。
うぐ、とフリーズしていたら、「ま、そのうちにね」と軽く流してくれた。
いい人だなあ。
無理強いも深追いもしないでくれて。
あんな人と付き合えたら、と思ってしまって、我に返る。
付き合えるわけないだろ。そもそも、眼中に入れてもらえてすらないだろ。
ああ、そうか、俺、彼女に親切にしてもらって、浮かれすぎちゃったんだな。さすが恋愛スキル底辺コミュ障。
それはほんとのことなのに、自分で自分をよく切れる刃物で大きく傷つけたみたいで、なんだか泣きたくなった。
ずっと、声を掛けてもらえるのが嬉しかった。すぐに誤作動を起こす自分を呆れられないで嬉しかった。他愛のないおしゃべりが楽しかった。それが、遠隔ロボットみたいに自分の向こう側の不二を見ているのだとしても。
気付かなきゃよかった。
もう、彼女の恋を一〇〇パーセントの善意では応援出来ないかもしれない。
そんな気持ちが、蜘蛛の巣になって自分のすみずみにまで張り付いてしまって、離れない。
スタジオで、自分のパート(キーボード)を弾いていたら、部屋の隅っこで荷物に埋もれながら体育座りして楽譜に目線を落としていたボーカルが、ふ、と息継ぎをする人みたいに顔を上げた。
「おーちゃん、いい音」
「……え?」
「いつもいい音だけど、今日はもっといい音。なんか、切なくてきれいだね」
飲んでないと寡黙で俺以上にコミュニケーションが下手なボーカルの、その賛辞は素直に嬉しい。
「ありがと」
「何かあった?」
「……え?」
「なんか、おーちゃんに化学反応でも起こったかと思って」
そう言うと、そこで通信終了、と言わんばかりに、ふ、とまた自分の世界にもぐりこんだ。
取り残された俺は、まだ言葉の余韻の中でとまどう。
化学反応と言われて、思いつくのは一つしかない。
見込みゼロの恋。
応援なんか、したくないけど。
でも、俺になんかにまで優しくしてくれる彼女の恋が実らないなんておかしい。
だから、やっぱり最大限、自分に出来うることをしよう。コミュ障とかコミュ障じゃないとか、そんなのはいいわけにしないで。
「不二、ちょっといい?」
練習のあとに声を掛けて、駅まで二人で歩きながら話を切り出した。
「お前さ、今好きな人とか付き合ってる人、いる?」
俺の言葉に、不二は大げさに顔をしかめて見せた。
「おいおいやめてくれよ、俺はお前を確かに好きだけど、悪いがそれは恋愛じゃなく友情止まりだ」
きっと今までに何百回と同じ台詞を口にしたであろう不二にさらっとそう言われて、あわてて否定した。
「俺だってお前は恋愛対象じゃないよ!」
「へえ、じゃあ珍しく誰かの頼みで動いてるってこと? お前そういうの苦手だったよね」
「苦手だけど、……かなえてやりたいって思ったんだよ悪いか」
「その気持ち自体は悪かぁないよ、で、誰?」
「……吉田さん。同じ学部の」
「吉田? ……ああ、あの子か」
「あんないい子即座に思い出せないとかひどい奴だなお前は」
「いい子ねえ……俺には普通に素っ気ないけどなあ」
「不二、見る目ないんじゃないの?!」
「お前こそ」
「……なに」
「目え、塞がってんじゃないの」
不二は遮断機を下ろすように、整った指と指の間を閉じてまっすぐ伸ばしたままの手で、自分の目を隠して言った。
「――は?」
その手をぱっと外すと、今度は昔懐かしい曲の一節を、口笛で奏でた(口笛もすげえ上手)。
たしかそれは恋は盲目、というタイトルの。
「ま、俺に突撃する前にまずは本人に確認したら?」
そう言うと、adios、とさらっと口にして、改札の中に行ってしまった。くそう、今日も惚れ惚れするほどかっこいいぜ。
不二に言われたことは、確かに正論だ。
もしかしたら、勝手に俺が先回りしたのは失礼だったかもしれない。そもそも、彼女が不二に気持ちを伝える前に俺が勝手に伝えたも同然だし。なんてことだ。
でも確認て、どうしたら。聞くのか。『吉田さん、不二のこと好き?』って? それもそれでどうなんだよ。
あーもう、わからん。所詮おれは何をやっても極められない中途半端な男で、しかもコミュ障なんだから、下手に動こうとかしないで地蔵のように大人しくしているべきだったんだいつものように。
吉田さん、ごめん。余計なことしかしてなくて。
ごめん。
自己嫌悪とセルフ反省会でずーんと落ち込んだまま迎えた翌朝、重い足取りで登校していたら、何も知らない吉田さんが「おはよう」っていつものように声を掛けてくれた。
「あ、おはよう……」
しまった。申し訳なさすぎて、目が合わせられない。
「吉田君、今日は何する日なの?」
そう問われて、「今日は一限と二限だけ出たら夜のバイトまでは何もないかな」と、思わずいつものように答えてしまって、そうじゃないだろ、と思い出す。
「吉田さん、これ、」
ボランティア先の美術館の、展覧会チケット(二枚)。
臆病でどうしようもない自分は、やっぱり気持ちを問いただすなんて無理だから、せめてものお詫びに不二を誘ってデートでもしてもらえればと思って持ってきた。
ほんとは二人で行ってほしくなんかないくせに。俺が冷え冷えとそう思っていると、「え、これ私に?」と空気でパンパンに膨らませたボールみたいに、吉田さんが嬉しそうに声を弾ませた。
「あ、うん、」
「嬉しい! 私も今日ひまだから、二限終わったら行こうね!」
「え、」
「じゃあ、またあとで」
そう言うと、発言の訂正や撤回をする前に、つむじ風みたいにぴゅーっと行ってしまった。
え。何。今の何。
あの会話の詰め方何。
てか。
こんなに嬉しいの、何。
LINEだって電話番号だって教えてもらって知ってるんだから、訂正する機会はあった。でも結局、そうはしなかった。
だって訂正したくなかった。
俺も、吉田さんと一緒に遊んでみたかったんだ。
どうせ不二とうまくいったら、そのあとにこんな機会は訪れない。あいつは懐に入れた人間を大事にするし、吉田さんだって二股とか平気で出来る人じゃない(と、思う)。
だから、黙ってた。
学食で二人でお昼を食べて、それから美術館に向かった。
顔見知りのスタッフに会うたび、吉田さんはにこやかに「こんにちは」と挨拶をしてくれた。展示物を見る時にはすっと離れて、おしゃべりもなくそれぞれで観た。でもたまにぐっと近づいて「これ、すごくきれいだね」なんて、小声で告げたりする。
今まで聞いたことのないウィスパーヴォイスに、俺はまた簡単に心臓を躍らされて、こくり、と頷くのが精一杯。
壁一面を使って展示された大きな絵を観る彼女を、後ろから見る。
緻密に描かれた風景画より、愛情を絵の具にして描かれた肖像画より、心を揺さぶる人。
「やー、美術なんて分かんないと思ってたけどすごいどれも素敵だった!」
「そう言ってもらえると、端っこで関わってるものとしても嬉しいよ」
「端っこだなんて言っちゃだめでしょ」
「……うん」
「今度、ガイドボランティアはいつ入るの?」
「あさって、かな」
「そのガイドツアー、私も参加しようかな。展示もまた観たいし」
「え、」
「あ、今度美術館巡りとかしてみない? 朝からあちこち行って、それで夜お疲れ様会するのどう?」
「それは、とても魅力的だけど」
「でしょう?」
「でも、さすがに二人で一日お出かけは、まずくない?」
「なんで?」
「なんでって、」
その先を口にするのは、本当はすごくすごくいやだった。楽しい時間で膨らんでいる風船に、わざわざ穴を開けて駄目にするように、自らの手で幕引きすると言うことだから。
でも、これ以上なんとも思われていない自分のままで好きな女の子とお出かけをするのは苦しいと、分かってしまったから。
「……俺と仲良くしすぎることで、不二に誤解されたら吉田さん、困るだろ」
だんだんにうつむきながらそう口にした俺のつむじに、吉田さんの声が降った。
「私がいつ、不二君狙いだって言った?」
その声はいつもと全然違っていて、慌てて顔を上げた。今までずっと笑顔だった吉田さんが、今にも泣きそうな顔になっている。どうしよう。
――てか、今、なんて言った?
心の堤防があっちもこっちも壊れて、ひどい状態のまま彼女の前に立ち尽くす。
「信じらんない」
涙はぽろっとひとつぶこぼれたら、それをきっかけにあとからあとからぽろぽろこぼれ続けた。
慌てて、ジーンズのポケットから出したハンカチを手渡そうとしても「いらない!」と拒否されて、またおろおろしてしまう。
どうしよう、泣かせてしまった。
どうしよう、彼女が好きなのは、不二じゃなくて、彼女は俺とお出かけを望んでくれてて、それってつまり……。
「私、なんとも思ってない男の子と仲良くしすぎたりしないよ」
「……ごめん」
「いいよもう」
そう言うと、ぐいと手の甲で涙を拭う。
「見込みないって、はっきり分かったから」
「いやいやちょっと! そんなすぐに決めつけないで! 結論出すの早すぎでしょ!」
「どこがよ! ちゃんと時間かけたじゃない私!」
「……うん」
じわじわ近づいてくれたよね。俺、対女の子が特にへたくそコミュ障だから。
半年前の、大学の友人らを中心にした、やや参加人数多めの飲み会。その端っこの方で、不二相手に語った台詞をなぞるように、彼女が言う。
「ゆっくり始まる恋がいいな。いかづちにバーン! て打たれて始まるんじゃなく」
酒の席でのそんなたわごとを、他のテーブルにいた君に拾われていたなんて俺が知るよしもない。
吉田さんは、まだ涙をこらえたまま、夏の朝の光みたいに強い目で俺を見た。
「大橋君がしゃべったこと全部覚えてるよ。怖い?」
「怖くない。嬉しい」
一歩ずつじわじわ近づいた。ずっと、近づいてもらっていたから、今度は自分から。
写真を見せた時ほど近づいて、握りっぱなしだったハンカチで、濡れた頬や目元をそっと拭う。ふわっと笑った拍子に、またこぼれる涙。
頭を撫でたくて、でもどこに触れてもいいか分からなくて、上げたものの臆病な手をすごすごと下げていったら、ハンカチごとがしっと掴まれた。驚いた指が大きくわなないても、もう緩められなかった。
「私のこと、大橋君はどう思ってるの?」
「好き、です」
即答して、それだけじゃ足りない、と思った。
美術館よりも。
ピアノよりも。
将棋よりも。
バレーボールよりも。
バンドよりも。
極めたいものを並べて、つっかえつっかえにそう言うと、吉田さんは赤い目のまま、「うん」と笑った。
続きはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n7313bz/40/




