犬猫女子の逆襲(前)
美容師(スタイリスト)×美容師(アシスタント)
一二月頭のミーティングで突如発せられた、店長の「やっぱクリスマスはサンタさんだよな!」と云う一言で、店では今月持ち回りでサンタコスチュームを着る羽目になった。毎日男女一人ずつのペアで。
シフトで店長がペアを割り振る。そんないいかげんな決め方をしても、チームワークの良いこの店では組み合わせで揉めることはないはずだ、と思う。
全員揃った朝礼で、店長がちょっとしゃがれた声でそれを発表した。
「俺入れてちょうど六人だから、三組のペアで明日から回すぞー。大内・柳井ペア、小早川・福原ペア、俺と中村ペア、以上。なお、サンタ当番の日の女子はサンタガールにふさわしい格好をする事。黒タイツ禁止! 肌色もしくは白の網タイツ推奨! 以上!」
それだけ云うとさっさとバックヤードに行こうとする。慌てて店長のあとを追った。
「店長店長」
「あんだよ、ペアの組み替えは受け付けねーぞ」
しっしっとまるで野良犬を追い払うみたいに大きな掌を振り回して、店長は大股で歩いてく。身長一八五の人の普通歩きに一五〇センチジャストの私じゃついていくの大変なんだってばっ。思わず店長のシャツを引っ掴んでしまう。
「店長店長」
「あんだよ」
「私網タイなんて持ってません!」
「買え!」
「やです! そんな、今後活用されない物なんか買いたくありません!」
「お前なー」
はあ、とため息を吐いて店長はようやく足を止めた。
てか、もう長細いバックヤードの左奥、ご自分のスペースだ。ぐるりと振り向いて、びしっと指差された。
「それ位活用しろよ? 網タイ履いて好きな男に迫れ、ちゃんと色っぽくな」
「……無理です」
「中村」
吐息交じりの色っぽい声。
そこに私的感情が含まれてるなんて勘違いはしていない。だって、この人は天然お色気星人だから。
男性もおばあちゃまも、小さいお子さんにだってモッテモテ。散歩してる犬も彼めがけて突進してくるほど。
私はわざとらしく肩を落としてみせた。
「店長命令だから網タイは従います。でも好きな人は難攻不落な方なので私みたく潤い成分のない女では太刀打ち出来ません。そっち方面のご期待に沿えず残念ですがサンタ当番は頑張りますからご容赦ください」
それだけ一息に云ってとっととバックヤードを出た。後ろでなんか聞こえるけど開店準備に忙しいので聞こえないふりだ。
だって無理だよ。
この街で人気の美容院の店長さんで、お色気ダダモレの男なんて、私みたいな無添加の茶色いおやつみたいな女が太刀打ち出来る訳ないじゃない。
おみ足すらりのきみこさんに、キュートな福原ちゃんの素敵過ぎるサンタガールで眼福な二日が過ぎて、とうとう罰ゲームのような自分の番が来る。
朝礼で、散々注意された。直接名前は呼ばれてなくても名指しで云われたも同然だ。周りの人も私をガン見してくすくす笑ってる。
「いいか、サンタ当番はくれぐれもスカートの丈を意識して仕事するのと、不用意に屈んだり足をおっぴろげたりしない事。返事は」
仕方ないので渋々と「……はい」と返事をした。
他の二人の時にはそんなに厳重注意なんかしなかったくせに。
そりゃあ、普段ミニスカートどころかロング丈のスカートも履かない、ジーンズ一本やりの私じゃ不安だろうけどさ。大丈夫、ちゃんとパンツ見えない対策は講じてきたんだから。
朝礼のあと、トイレで赤と白の衣装を身に着けた。ちゃんと白網タイだって。そして、秘密兵器を装着した。
サンタガールになってお店に出てみれば、「おおおー!」という称賛チックな歓声ののち、「……おおおー……?」と残念めいた声をみんなから頂戴した。なんだろう、どこにガッカリ要素があるだろう。分からなくて首を傾げていたら、サンタな店長が眉間を指で揉んでいた。
「……中村」
「なんですか店長」
「ちょっと」
人差し指をぴっと動かされて、それだけで呼ばれた。やっぱ犬猫扱い。
「お前ね、それはないよ。パンツ見えるよりがっかりだ」
「え、見えちゃう方が下品ですって、ちゃんとこれなら仕事に集中できますよ」
私が装着したのは膝まである黒いスパッツだった。一応、裾に黒いレースがあしらってあるのを選んだあたり、気を遣ったなと褒めてもらいたい位なのに。
「どこの世界にスパッツ履いたサンタガールがいるよ……」
「ここにいます!」
「脱げ!」
「やです!」
ギャーギャーと云い合っていたら、「てんちょー、提案なんですけどー」と、のんびり声のきみこさんが顔の横に手を上げていた。
「何だ柳井」
「私思うんですが―、まいちゃん普段スカート履かないからほんとにいきなりのサンタワンピはお客さんに目の毒になると思うんですよねー。んで、いちいち注意してたら周りも本人も効率下がるし、よくないかなーって」
「……だから?」
きみこさんのふわふわトークにいらちな店長が先を促す。きみこさんはストロベリーブロンドのボブカットを揺らしつつあくまでペースを崩さずに続けた。
「だからー、慣れるまではやっぱり何か履いた方がいいと思うんですー。今日はとりあえずそれでいいとして、今度の時はコットンの膝丈ドロワースとかどうでしょうー? ちょっとロリ入ってて、まいちゃんに似合うと思うんですけどー?」
店長はその提案がまんざらでもなかったらしく、前向きに検討したいことを考える時の癖で、ライオンみたいな髪をざっくり掻き上げた。
「しょうがねえなあ、んじゃ柳井が見繕ってくれ」
「ラジャーでーす」
きみこさんは、ふにゃん、と、敬礼らしからぬ敬礼といたずらっぽい笑みを店長に向けた。てか、ロリ似合うとか、否定してくれよ誰か。何で私を真ん中に挟んでるくせに、私の意向は無視して話すの。小っちゃいからか、そうなのか。
この日やってきたお客様には、全員にスパッツを笑われた。くそー、あなた方も店長の意見に賛成なのね。
当の店長は、そのしなやかな体のラインを覆い尽くすだぶだぶのサンタ服なのにやっぱりもててた。それにしても、サンタの腰に道具袋って、変。そんななのにかっこいいとか、むかつく男だ。
私は床に落ちたお客様の髪の毛を集めつつ、じろじろと店長を見る。
すっごい真面目な顔、熱っぽいと云ってもいい顔をして、とても大事なものを扱うようにお客様の髪先を扱って。それも、丁寧なのに素早い。
トレードマークのライオンヘアは、サンタさんの帽子で斜めに隠れちゃってる。でもかっこいい。
……思いが通じる可能性なんてありんこほどもないと云うのに。
見れば見るほど、自分との差を思い知らされるだけなのに。
カット技術。話術。仕事への情熱。お客様からの恋愛アピールに対してのさりげない回避。服装。気遣い。――何もかも。
全部、かなわない。全部、好きだ。
二巡目のチームサンタはあっという間に回ってきた。火曜定休の週六日営業に三チーム体制じゃ当り前か。
店内は適度に温められて、BGMはボサノヴァアレンジや、ハワイアンアレンジのクリスマスソング。なんか、おこたでアイスみたいな不思議な感じだ。
「はいコレ」
サンタコスに着替えようと思っていたら、きみこさんに小さなショップバッグを手渡された。なんだっけ、DVDとか貸してたっけ? と私が『?』を隠さないでいると、きみこさんがくすくす笑った。
「店長御所望のドロワース。履いてあげてねー」
「あ! ……ありがとうございます。えっと、今払いますね」
「いいのいいのー。もうもらってるから」
「え?」
「店長が、『カワイイの見繕ってやって』って、休み前に包んでくれたんだー」
「そうだったんですか……。わざわざお休みの日にすいません」
「んーん、楽しんだから。それに、多分このあとも楽しいしー」
「?」
また『?』だ。
そんな私を見て、きみこさんはよしよしって頭を撫でてくれた。
「まいちゃんはいいの、そのままで。悪ぅい大人を好きなように翻弄してやってー?」
悪ぅいおとなって、誰?
聞こうにもきみこさんはじゃあねーって手を振って、レジのあるカウンターの方へ行ってしまった。
時間もないしまあいいかと特に気にもせず、私もお着替え。
「どう、ですかね?」
サイズフリーのサンタワンピ(ウエストがマークしてあって、スカート部分がフレアになってる)は、身長一五〇の私には少し大きい。逆に、ナイスおっぱいの福原ちゃんは胸が強調され、背の高いきみこさんには若干ミニ丈になってる。
私がドロワースを履いてサンタワンピを着ると、なんだか魔法少女みたいだ。それは、魔法少女物のアニメを愛してやまない大内君もそう思ったらしく、決め台詞らしいことを何か色々云わされた。そしたら休憩時間、近くのコーヒーショップで買ってきたらしいキャラメルマキアートをくれた。ちょろいぞ大内君。
ついでに、とやっぱりコーヒーショップで買ったらしい、棒付きの飴ももらった。黄色い星のかたちのそれ。
さっきさんざん云わされて覚えてしまった決め台詞と共にぶん、と振り回せば、大内君が心臓を押さえて悶えるふりをして見せて、お客さんから笑いをもぎ取ってた。
「やばいっす、まいさん超似合う……」
「えへへ、そう?」
普段、どんなスニーカーを履いてきたって「いいね」って云われない――ここの人たちは大人ロックとかシックな人が多いから、目に痛い配色の蛍光スニーカーはかなり不評――ので、魔法少女でもこうして褒められるのはちょっと嬉しい。
「中村、ちょっと」
閉店後、またちょいちょいって店長に指で呼ばれた。もう、って思うけど、今日はバタバタしててドロワースのスポンサーにお礼を云いそびれていたのでちょうどいい。
「店長、ありがとうございますコレ」
サンタワンピのスカート部分を横に広げてドロワースの端っこのレースを見せると、店長は「ん」と満足げに答えた。でもそれもつかの間、ぎゅっと寄せられた眉。
「俺、最初伝えた時『サンタガールにふさわしい格好をする事』って云ったよな? なのになんなんだそのスニーカーは」
「え? 真っ赤なスニーカー、めっちゃ色合うじゃないですか」
「アホか!」
関西人並みに速攻で突っ込まれた。
「トータルコーディネートしろって話だろ! 巷のサンタガールを思い出してみろ! 赤いスニーカー履いてるのなんかいるか!?」
「……いません」
「ちゃんと考えろ。着るのはいやかもしれないけどこれだって仕事の一環なんだし、俺達にとっちゃコーディネートは大事なもんだろ?」
「……すみません」
しゅん、と一気にテンションが下がった。
私は、目先の『サンタコスなんかやだなあ』ってとこから一歩も動いてなかったけど、きみこさんも福原ちゃんもこんなことで店長に叱られたりしていなかった。――未熟だなあ。
「次までにそれなりの靴を買います」
靴と云えばほぼスニーカーしか持っていない。まだアシスタントの身分で急な出費は痛いけど、仕方ない。
「――買わなくて、いい」
ため息交じりのその素っ気ない一言に、不安な気持ちになる。
「大丈夫です、次こそちゃんとやりますから」
ああやだ、こんなことで声が震える。だって。
店長に使えない奴って思われたら、いやだ。
「そうじゃない、落ち着け中村、俺は別にお前を見限った訳じゃないから」
今度は、すんごく優しい声。
俯いてつま先を見ていたら、そっと頭を撫でられた。
「用意したから、それ履け」
そう云って手渡されたのは、サンタ服みたく、ふちに白のもこもこがついたピンクのブーティだった。
「え?」
頭が付いて行かないうちに、たたみかけるように早口で話しかけられる。
「サイズ大丈夫か? 履いてちょっと店内歩いてみろ」
そう云ってウェイティングスペースの椅子に座らされた。
「え」
えっと? なにごと?
私がぽーっとしていると、店長は足元にしゃがみ込んで私のふくらはぎに手を添えて、勝手にスニーカーを脱がしにかかる。右、左。
「え」
すうすうするよと思っていたら、ブーティを手に取って、小さい子にするみたいに履かされた。
「え」
履けたと思ったら、両脇に手を入れられて立たされた。
「え」
立つと、底が厚いのかいつもよりほんのちょっとだけ、店長の顔が近い。
「お前それしか云えないのかよ」
苦笑する店長。
「ほら、歩け」
やっぱり犬を追い立てるみたいに、下から上に掌を見せて仰ぐような仕草で歩かされた。
「どうだ? 痛いところとか当るところないか?」
「ないです、サイズぴったりだし軽くって柔らかいです」
私の靴のジャストサイズ、22なんだけど。なんでそんな、急に買いに行ってもなさそうな、大抵取り寄せになるサイズの靴を用意してくれたの?
聞きたい。聞けない。もやもやのぐるぐるになりそうな心は、店長を見てスッとクリアになった。
「ならよかった」
なんだかとっても嬉しそう。それって私も嬉しい。思わずにこにこしながら、ペコリとお辞儀をした。
「ありがとうございます、おいくらですか?」
「いらねーよ」
「でもドロワースもこれも、ただで戴く理由がありませんけど」
困ってしまう。ここまでしてもらえるほどお店で役に立ってる自信はないし。
「……じゃあ、」
それだけ云うと口ごもり、そしてまたまた指だけでちょいちょいって呼ばれる。
「なんです?」
一歩を踏み出せばぐんと近くなる。店長の匂いを感じて、ドキドキした。
「――これで、チャラ」
キスでもされるのかと思ったら、頭をぐっしゃぐしゃに撫でられた。
何なん!? あれ、何なん!?? 犬猫扱いもいい加減にしてくれないと、傷付く。
――私、犬じゃないもん。ちゃんと女だもん。
とは云え、『ちゃんと』の根拠は薄い。女であることをかなり疎かにしている自信がある。
どうしたらあの人に近付ける私になれる? 何をしたらいい?
真面目に考えようとしても、悔しいはずのそのシーンを、頭は何回も自動で再生してた。
店長が所用で午後から出勤になる日の、朝礼時。
昨日の犬猫扱いな頭ぐっしゃぐしゃ撫でがまだ尾を引いてた私に、他の人たちが気付かない訳もない。店長の代わりに朝礼を仕切ってる小早川さんからも「そんな顔のまま店先に立たせられないから今のうちに洗いざらい吐いとけ」と云われてしまった。
正直、自分の片思い事情なんて恥ずかしいから話したくなかったけど、『何でもないです』が通用する相手じゃない。脱・犬猫扱いについて誰かに相談したかったこともあって、相手が店長だってばれないように話した。そしたら。
「カワイイかっことか、色気のあるかっこ、しないしねー」と、にっこりざっくり切り捨てるきみこさん。
「いつものコーデも少年チックでかわいいですけどね」と、ナイスフォローは福原ちゃん。
「じゃあじゃあ、まいさんメリキュアだったらどれ着たい?」
大内そんな寝言は寝ても云うな。
「女らしくなりたい、って事か?」
チーフ格のスタイリストの小早川さんが、腕組みしたまま眼鏡の向こうから静かに問う。私はそれに大きく頷く。
「誰に照準合わしてるかは分かってるから云わなくていいぞ」
「――うぇっ!?」
びっくりしてヘンな声出た。慌てて、きみこさん福原ちゃん大内君の顔をぐるりと見るけれど、みんな一様にうんうんと頷いている。
「店長がカットしてると一瞬手ぇ止めてガン見してるもんねー」
「あっちもまんざらじゃないって顔してますしね」
「まいさん、ここは恋の魔法をかけてやりましょう!」
――あー……。バレッバレ、でしたか。
思わず小早川さんの顔をこっそり覗き込んでしまう。クールな外見を裏切らない小早川さんだ、きっとこの人の中で私の勤務態度はサイアクって思われてるんだろうな。
目が合うと、小早川さんは静かに笑った。
「いや、見るって云っても一瞬だし、仕事に支障は出てないよ。お客様からの苦情もないし。むしろ、経過を楽しみに観に来られてる方も多いんじゃないか。そう云った意味じゃ、いい客引きパンダになってくれてるよ」
ギリ、オッケーかな。でも気をつけなくっちゃ。働いてお給料もらってるんだから。
「それじゃあ、『中村舞香女らしさ増量プロジェクト』発足。俺の他にこれに乗る奴は挙手」
小早川さんが告げると、即座に三つの手が挙がった。――って、全員じゃん!!!
「よし」と小早川さんは満足げに、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
「じゃあ、皆明日から三〇分早く来るぞ。柳井はその時間にメイク、俺がクローズのあとスタイリング、福原はサンタ時を含む私服のコーディネート、大内は」
小早川さんはそこで一旦言葉を切り、にやりと笑った。
「店長を、煽る係だ」
――こうしてそれは始まった。
さっそくその日のクローズ後、練習台にと云う名目で、私の髪を小早川さんがいじってくれた。
それを作戦仲間の三人が覗きこんでメモったりして、おふざけのようでいてちゃんと勉強の一環になってる。すごい。
ここ半年くらい、真っ黒に染め直して、縮毛矯正でまっすぐになっていた背中までの髪。
「ロリ顔でそのおかっぱロングだと、かわいいけどそれより先に髪伸びちゃった市松人形みたいだと思ってたんだよな」
小早川さんが、カット椅子に座って猫背になりながら髪を切りつつ、そんなことをいまさら仰る。
「じゃあ、そう云って下さいよ」
放置プレイかっ。
「自分で気付くのも勉強だろ」
……仰る通りで、ぐうの音も出ない。
一五センチくらい切って、整えられた。それだけで軽い印象だ。
「大内が色入れてやって。キャラメルブラウンな」
「はい、了解です」
「明日クローズのあと店長と俺は奥で打ち合わせするから、こないだみたいにおっきい声で必要以上に中村の事称賛してやれよ。営業中は店長が見てるなーって思ったら、なるべく密着」
「そ、それ俺が店長に殺されませんかね……」
大内君がおっかなびっくり申告すると、小早川さんはご機嫌な時に出る黒い笑みでククッと笑った。
「そんな事出来るんだったら、もっと早くどうこうなってるよ。無自覚のヘタレはせいぜい追い立ててやろう」
店長を評して、そんな物騒なことを云う。てか。
「――追い立てられてくれるんでしょうか……」
自信、ない。これっぽっちも。
「追い立てるのは俺たちに任せとけ、中村はそのままで大丈夫だから」
大丈夫の根拠は分からないままだけど、半年後にオープンする二号店の店長候補の言葉は、いつだって私たちを裏切ったことはない。だから、信じることにした。
18/3/21 誤字訂正しました。




